さんちゃんとわたし、二人の歴史はなかなかに長い。
当時まだ出来たばかりの住宅街に住んでいた夢前家のお隣に、わたし達家族が引っ越して来たのが始まりだ。わたしが三歳の時だったから、かれこれ十二年ほどの付き合いになる。
さんちゃんは当時から、いつもにこにことしている明るく優しい子供だった。おかげでわたしはすぐにさんちゃんになつき、近所の子供達の輪の中にもすぐに溶け込むことができた。一緒の幼稚園に通い、一緒の小学校に入学した。いつだって一足先を行くさんちゃんの後ろについてわたしは成長してきた。ちなみに兵太夫くんはさんちゃんが小学校の同じクラスで仲良くなって、それを通じて知り合った。確かわたしが三年生、さんちゃんと兵太夫くんが四年生の時だ。兵太夫くんは昔から性悪ではあったけど今より幾分かましな性格だった気がする。
そして、ちょうどその頃だ。自分のさんちゃんに対する「好き」が、他の人に対するものとは別の種類だと気がついたのは。

あれは運動会の帰り道だった。わたしの親もさんちゃんの親も一足先に帰ってしまって、さんちゃんと二人、並んで歩いて帰った。この頃すでにさんちゃんと兵太夫くんは仲良しで、わたしたちは三人で一緒に帰ることが多くなっていたのだけれど、この日は二人きりだった。いつもは明るく笑っているさんちゃんが、どうしてだかあまり元気がなくて、口数も少なかった。幼いながら気まずい雰囲気にたじろいで、自分の爪先を見つめながら歩いた。気まずさに堪えきれなくなって「楽しかったね」とか「お弁当おいしかったね」とか、当たり障りのない言葉を投げかけてみれば、さんちゃんは笑って「そうだね」と返してくれたから、この気まずい雰囲気の原因はたぶん自分ではないことがわかってほっとするのだけれど、やっぱり空気は重たいまま時間と道のりは進んだ。

ふいにさんちゃんが喋りだす気配を感じて、顔を右に向ける。さんちゃんは口を開いて何かを言いかけたけれど、言葉を飲み込んで曖昧に笑った。

「どうしたの、さんちゃん」
「うん、えーとね」
「うん」
「その、今日も負けちゃったなあって」
「へ?白組勝ったじゃん」
「ううん、そうじゃなくて」

乱太郎に。そう続いた言葉で、わたしはなるほどと納得した。乱太郎くんはさんちゃんや兵太夫くんと同じクラスの男の子だ。めがねをかけいてなんだかへにゃりとした雰囲気の人だけど、走るのがとても速い。さんちゃんだって小さい頃から走るのが速かったけれど、乱太郎くんはそれ以上だ。

「何回走っても勝てないんだよね」
「そっか」
「今日だって、最初はぼくの方が勝ってたのに」
「うん」
「途中で追い越されちゃった」
「うん」
「それがくやしくって」

ナップサックのひもを握るさんちゃんのこぶしに、ぐっと力が入るのがわかった。いつもはにこにこしている横顔が、今日は怒っているような、悲しいような顔をしている。どんな言葉を返せば良いのかわからないまま歩き続けて、結局それから家に着くまでの間、わたしもさんちゃんも一言も喋らなかった。家の前でじゃあね、とこちらを振り返ったさんちゃんは、もういつものように笑っていたけれど、さっきの表情がちらりと見えた気がして、心臓のあたりがぎゅっとなった。

「さんちゃん」

名前を呼んだものの、何を言ったら良いのかはわからずに不思議そうにしているさんちゃんの顔を見つめた。今日は一日楽しかった筈なのに、どうしてこんなに泣きたい気持ちになるのか。どうしたらさんちゃんは元気になるだろうか。わたしは今どうしてさんちゃんを抱きしめたくなっているのだろうか。

「名前、どうしたの」
「さんちゃん、先にあやまるね、ごめんね」
「え?なに…いっだ!」

どうしたら良いかわからなくなった結果、わたしはさんちゃんの頭に自分の頭を勢いよく打ち付けた。要するに頭突きである。父親いわく「すごく石頭」らしいわたしのそれはかなりの威力を持っているはずである。突然の衝撃に頭を抱えてしゃがみこんださんちゃんの顔を覗く、と目にはうっすらと涙がにじんでいた。

「い、いきなり・・・なんで」
「な、泣きたい時には泣いた方がいいって、前にテレビで言ってたから」

ごめんね。もう一度謝ると、さんちゃんはぽかんと呆けた顔をして、けれどすぐに堪えきれなくなったように笑いだした。その笑い顔からはもう、さっきの悲しい顔がのぞくことはなかった。

「だからって頭突きすることないじゃんかよ」
「ご、ごめんって」
「名前も痛かったでしょ」

赤くなってるよ、とさんちゃんの手が伸びてきてわたしのおでこを指先でそろりと撫でた。それはいつもの近所の犬にやるのと同じような、わしゃわしゃとした撫で方ではなく、優しく触れるだけのもので、また心臓のあたりがぎゅっと締め付けられて、けれど今度はそれと同時にとても嬉しくて幸せな気持ちにもなった。魔法にでもかかったみたいな、不思議な感覚だった。

「名前、ありがとうね」

そう言ってさんちゃんが笑うのが、本当に嬉しくて、なぜだかわたしが泣きそうになる。嬉しくって泣きそうになるなんてやっぱり不思議で、さんちゃんはもしかしたら特別な力を持っているのかもしれないなんて考えたりした。


あれから随分と月日を重ねて、あの不思議な感覚が恋によるものだったということも理解出来るようになった。そうして今思うのは、あれは魔法なんかではなく、どちらかというと呪いの類だったのではないかということである。時間が経てば経つほどにわたしを蝕んでいく。
あの日あの時から、ずっと変わることなくわたしはさんちゃんを好きでいる。わたしはあの優しい指先の呪いに取り憑かれたままだ。




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