まだ開国して少ししか経ってないというのに、周りの景色は全くと言っていい程違うものになっていた。たった、たった数年のことだ。わたしは景色をぐるりと見渡しながら、通り過ぎていく人々の顔をちらとみた。辛くとも、華やかさが見え隠れするその表情。これこそがわたしたちが守るべきもの、日本さまが望むもの。わたしがまだ生まれる少し前、開国するより前はもっと人々は楽しげだったと聞いた。だが、わたしはそれを見たこともないし、笑い声を聞いたこともない。過去という比較する対象がないわたしにとっては今見たことが全てだから、これを守ることを貫き通すことしか日本さまに報いることができない。
 本田弓月と言うを名前掲げる限りはわたしはあの人の家族で、子供で、部下なのだから。家族を悲しませてはいけない、絶対にさせない。
 仮面を被ろうと決めたのは、その時だった。

「仏蘭西殿、この度はたくさんの資料の提供ありがとうございました。大変陸軍の強化につながりました。重ね重ね御礼を申し上げます。」
「御礼なら弓月ちゃんのキスがいいなお兄さん。」
 きす、というのはあれか、接吻か。態々身の丈が小さいわたしに目を合わせてにひると笑うその表情は悪戯なものだった。心の奥底で日本人としての羞恥を掻きたてている。それを消し去るように感情を閉ざし、外交用の笑みを浮かべた。
「致しましょうか。」
 へえ、と薄く仏蘭西殿は言葉を零す。薄い反応の中には、好奇心は薄らと見え隠れしているのが分かる。
「わたくしには捧げられるものがそれくらいしかありませぬ。」
 わたしの全ては既にあの人のものだから。
 とうに覚悟など出来ている。
 女を捨て、武器を手にする覚悟も。反対に女という体を存分に利用する覚悟も。全ては家族のためなのだから。きっとあの人は褒めてくださる。わたしが働く意味はそれしかない。それだけで、十分すぎる。
 頬に骨ぼったい大きな手が添えられる。そしてゆっくりと彼の影がわたしに近づいた。

「やっぱりやめとくよ。弓月ちゃんの親御さんに殺されちゃうのは嫌だからね。」
 仏蘭西殿は代わりにと言って頬に口づけた。
 薄い唇が離れれば、彼は含みのある微笑みを口許に浮かべるのでわたしも負けじとゆるりとした微笑の仮面をその顔に被せるのだった。



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