旧校舎の教室というのは中々人が来ることはない。今の今まで自分以外の人と言うものをみたことがなかった。だから私はここを自分の空間として使っていた。 自分一人の領域、私の世界。私の、不可侵領域。 油絵具というものは独特の匂いがする、そのためあまり人の多くいる場所ではできないのだけれど、ここでは羽を広げて自由にそれを使うことができる。真っ白なキャンバスに向かい合う、そこらへんに転がっていた木の椅子はガタついていた。 何が描きたい? 空? 植物? 人? そうだなぁ、今は人が描きたい。 ”描きたい”この衝動は何時の間にか筆を動かしはじめた。首をもたげた蛇の様にしなやかに動く自分の腕は何時もいつも自分の体なのかと思ってしまう。同時に、今も動いてくれるこの腕に感謝をする。描きたいものが描ける、なんて幸福なことなんだろう。 いつしか、窓から見える風景は橙色に染まっていた。そんなことを気に留めない程になっていたのは、もうそろそろ絵が完成しようとしていたからだった。 「おい、こんなとこで何やってんだ。」 一瞬、息が止まった。目を奪われてしまったのだ。見ることに気をとられ、息もできない。それ程に、それは美しく私の目に映った。黄金に煌めく髪、翠玉のような深い緑を持つ瞳は夕日によって僅かに色を変えている。 「ん……? どうした。じろじろ見て……。」 「え、あ、あの。こっちで人見たの初めてで、その……。」 「こっちの校舎は今はあんまり使ってねえからな。そうだ、アンタ名前は?」 「二年の、日向ちさです。貴方は、生徒会長さん……ですよね?」 「ああ、二年の生徒会長のアーサー・カークランドだ。で、アンタはこんなとこで何やってんだ?」 そう問われて、私ははっとして勢い任せに立ち上がる。ぐらついていた木の椅子は後ろに転がってしまった。絵を、絵を隠さなきゃ。まだ完成前の作品を誰かに見られるなんて耐えられない。それはプライドという高貴なものではなく、ただ羞恥という未熟なの感情のせいだ。キャンバスを会長に見えないようにしなければ、そう思い一瞬のうちに背中に隠す。冷や汗だらだらだ。 しかし、再び会長の方へ向き直った時、すでに彼は居なくなっていた。 「何隠したんだ?」 「え、うわあああ! い、何時の間に!?」 何時の間にか後ろに回って、キャンパスをじっと見ていた彼の存在に、情けない叫び声をあげた。 「こんなに上手いのに隠すことはねーだろ。」 「あああああ……み、見ないでください! まだ完成してないし、それに下手ですし……っ」 顔が上気していくのが分かる、あの翠玉の瞳に私なんかの絵が映ってると思うと込み上げてくるものがあるというか、つまりはとてつもなく恥ずかしい。むしろ、恐れ多すぎて土下座したい。その時、つぅ、と視線を動かした彼と、不意に視線がかち合った。 「……ほ、ほらよ。」 「あ、ありがとうございます。」 彼の手からキャンバスが返ってくる、ほっとして頬が緩んだ。よかった、本当によかった。 「じゃあ、そろそろ帰れよ。いるのお前だけみたいだからな。べ、別に心配してる訳じゃないんだからな! 俺の学園のためなんだからな!」 そう言い捨て、彼は旧校舎のがたついた立てつけの悪い引き戸を思いっきり開け放って教室を出て行った。
これが、生徒会長アーサーさんと私の出会いだった。
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