広がるのは一面の草原。香ってくる新しい緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んでみるとどこか気分が良かった。
久し振りの休暇。バスケットを手にしてやってきたのは小高い丘の上で、そこからは一面緑の海が広がる。転々と咲く花は色とりどりの魚の群れにも見えた。そんな丘の上に一本だけ生えている大樹の傍に腰掛けて私はバスケットを開いた。ライ麦パンに数枚のハムと卵などを挟んだ大きなサンドイッチとワインの入ったビン、小さな本などしかないその中から小さな本を取り出した。
物好きが書いた世界中のの言語の本。様々な国の言語で簡単な日常会話などが記されているそれを読むのが好きだった。体は此処にあっても、何処へでも行けるような気がして。
「”ヤーパン”は凄いですね……なんで一つの国で”ひらがな””かたかな””かんじ”なんてものがあるのでしょう……難しい。」
「ふーんヤーパンなぁ。」
「……え?」
声のした方へと顔を向ける。顔の直ぐ近くに、赤色の目が輝いていた。
思わず身を引けばその人は何時もの様にケセセと笑った。
「遅くなった、すまんラナ。」
「お、驚いたじゃないですか! 近い! 近いです!」
「林檎みてえ。」
「食べさせませんよ。」
「わーっ! よせ! あやまっから!」
「冗談です……食べましょうか。」
バスケットからギルベルト用に作ったサンドイッチを取り出して彼に渡す。彼は嬉しそうに笑って「ダンケ。」と言う。むず痒いような歯がゆいような、そんな気分になったのを隠すように私は自分用のそれにかぶりついた。肉の自然な甘さとじっかりと付いた味が程よく口の中に溶ける。
「うめめー!」
「よかったです。よければワインもありますが。」
「おう、くれくれ。」
「はい。」
「たまには外で食いたい。ラナ作ってこい!」そんな気まぐれな彼からの要望だった。私は二つ返事で了承した。フリードリヒさまも行きたいと仰られていたが流石に王を連れ出すわけにもいかず、二人でなんとか抑えて今日にいたる。あの時は冗談であったとしても肝が冷えた。
くしゃり、パンに少しづつかぶりつく。この季節は特にライ麦が美味しい時期なのでパンにしてみたけれどやっぱり芋も付け合せとして持ってくるべきだっただろうか。そんなことを考えている自分がいることに気づく。まるで、ただの女のような思考だ。
今まで、剣ばかりでどちらかと言えば男のような人生だったといえるのに、そんな私が普通の女の悩みごとで悩むなんてなんだか可笑しい。
ああ、普通なことなのに。なんだかとても楽しい。
「ギルベルト、ありがとうございます。」
「おいおい、礼を言う覚えはあるが言われる覚えはないぜ。」
「私、とても幸せです。」
「人の話聞けよ! ……俺の方こそ、無茶ぶりしたのに付き合ってくれてあんがとな。」
「はい。」
ギルベルトの頬は、ワインの所為か少しだけ赤らんでいた。
幸せだ。
この幸福な記憶を抱いているのなら、きっと深く長い眠りにつくときに私はこの光景を思い出すのだろう。
「もし私が死んだら―――今日の夢を見るんでしょうね。」
「兄さん、フリードニアはどうした……?」
「……本読んでサンドイッチでも食ってんじゃねえかな。」
腕の中、起きる事のない眠りについた眠り姫はあまりにも穏やかな顔だった。
ラナ・リットの夢
ラナ・リットは夢を見る。
暗い淵で独り、リューズが時を巻き戻すまで深く優しい夢を見続ける。
なんども、なんでも―――