朝もまだ明ける前、白む空に吸い込まれるように響いたのは静かな声だった。

「ラナ。」

 ふと顔を上げて振り返る。そして、私は微笑を作った。大丈夫、まだ笑えて顔を合わせられる。宛がわれた部屋に断りも無く入ってきたその人は、顔色一つ、眉ひとつ動かさずに淡々とした声で台詞を続けた。

「聞いたぜ。」
「そうですか。」

 フリードリヒさまもやはり、息子のように可愛がっている人にはついつい口が滑ってしまうらしい。なんだか微笑ましいなあと頬が僅かに緩んだ。同時に、なんでこのタイミングで言ってしまったんだろうかと胸中でごちる。
 一歩、彼が前に踏み出し立ち止まる。近づくことを躊躇っている訳ではない、ただ私と彼の距離は何時もこの位であるだけのことだった。

「私はもうすぐ 敵国にたちます。」

 微かにギルベルトの表情が揺れた。それ以上口に出す事は彼を苛めているように思えるため口を閉ざそうとするが、自分の声を伝えようと思い直す。どうせ、もうすぐ出発するため会えないのだ。そして、無事に帰ってこられるかさえも分からない。自分がまたここに帰ってきて笑っている姿がまったく浮かばないと言うのは何とも寂しいものだった。少し、ほんの少しだけ笑みを深めて言った言葉は紛れもない本心からだった。

「私は、騎士団員です。貴方を守るのが仕事であり、誇りであります。けれど、死にたくないです。」

 自然に動く口には、最初のもどかしさは既になくなっていた。

「……人が死ぬ時と言うのは、私は誰の記憶からも消えてしまい忘れ去られてしまうことだと思っています。」

 かつて戦場へ共にゆき、帰らざるものへとなってしまった戦友たちが浮かんでは雪の様に消えてゆく。こんな風に、雪の様に消えて忘れ去られていくことを思うと少し胸が痛む。私は忘れ去られて行く事を恐れている。”死”にはそれほど恐怖はないと言うのに。改めて自分は変人で寂しい奴だと自覚した。こういう風に頼まなければいけない程、私の交友関係は狭く浅いのだから。

「だから、私の事を覚えといてくださりませんか。」
 そしたら私は、必ず戻ってきますから。

 ギルベルトは、頷いた。
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