とある街の外れにある森の奥深くに、ひとつの廃れた研究所があった。人々を避けるように聳え立つその研究所は、その外見の怪しさから遠ざける者も多いが、頻繁に爆発音がしたり異臭がしたりと、不穏な噂も絶えない。故に、訪問者など滅多に来ない。
そんな物騒な場所に踏み入る、ひとつの影。
「おーい、リリいるかー?」
低い青年の声。慣れた様子で南京錠の掛かっている研究所の扉を開ける。
その中は、見る人が見れば吐き気がするかもしれない実験室。骨やら肉体やらが無造作に置いてあったり、薬品独特の臭いが広がっている。
部屋の中心にいた人物、梨理――リリと呼ばれた研究所の住人が、調合作業していたらしい手を止めて顔を上げた。声のした入り口を見ると、明るい金髪が真っ先に目に入る。
「なんだ、蒼雷じゃないか。どうしたんだい?会うのがとても久しぶりに感じるね」
「そりゃあお前が一ヵ月以上こんな辺鄙なところに隠れてっからな」
金髪の青年――蒼雷は漂う異臭を気に留めず、とりあえず梨理に近い椅子に歩み寄って腰かける。隣の机には原型の解らない骸骨があったが、特別驚く要素にはならない。
「今日は何の用だい?毒薬?睡眠薬?それとも……」
「んー、じゃあ三つまとめて頂戴な」
「相変わらず趣味悪いねぇ、蒼雷さんは」
「マッドサイエンティストには言われたくないね」
にっこりと可愛らしく笑う蒼雷に、梨理は嘲笑で返した。
梨理は作業を一旦止め、ビンが置いてある棚へと向かう。ずらっと並んであるビンの棚から二つ三つ取り出すと、蒼雷に聞こえるように、そしてどこか不満そうに話しかける。
「だいたい毒薬なんて誰に使うんだい?僕に断り無しで死人は出さないでよ?」
「大丈夫、死体が出ないように上手く調節するからさ」
それはどういうことなのか。気になったが聞くのも野暮だと思ったので、梨理は黙って薬を調合する。
棚から取ってきた液体に、違う液体を混ぜ合わせる。透明だった双方は、一滴交わるだけで薄い紫に変化した。化学反応というものなのか、加える度に濃度が増していく。
蒼雷はこの薄暗い雰囲気に退屈したのか、話を振ってみる。
「ちょーっとさ、横流し頼まれたんだよねー。ほら、オレって優しい先輩だし?可愛い後輩のお願いは聞いてあげなきゃね」
「一体どんな後輩を持ったんだい、君は」
「いや、お前だってオレらの『仲間』なんだから、お前の後輩でもあるだろ。もう少し周り見とけって」
話には乗るが、作業中なので視線は合わさない。梨理は器用に耳を傾けながら、次の頼まれた粉を作り上げる。睡眠薬は彼の得意分野だ。
研究所という場所に隔離されている梨理から薬を貰いに行くのが蒼雷の役目であり、他の仲間は研究所の場所すら知らない。知っているのは梨理と蒼雷、それにトレーナーのアズサくらいだ。だから、梨理は誰が『仲間』で、街でどんなことが起こっているのかということに疎い。
「僕の調合した特別な薬は完成までに手間がかかるんだから、あまり第三者に広めないで欲しいな」
「悪ぃ悪ぃ。成り行きだ」
病気や怪我を治す薬を作るのは容易らしいが、身体に害を成す薬は相手を殺すか寸前のとこで生かすかで体質やら量やらを考えないといけないので、作るのが面倒だと言ってた気がする。蒼雷はそんなことをぼーっと思い出していた。
平気で危険物を提供してくれる彼もどうかと思ったが、依頼する自分も狂ってるなぁなんてのんびり考えてみる。
「あー、あれかい?紫黎とかいう狂った奴。あいつは好かないなぁ、捌き方を見ていると内臓がぐちゃぐちゃだ」
「違うよ。それにあいつはそれが好きだから仕方ない。お前みたいに身体の内面から小細工するようなセコい手は使わないし」
軽々しい口調だが、さらっと惨いことを会話にしている自覚は本人たちにあるのだろうか。
慣れた手付きで調合を繰り返す。さらさらとした粉が出来上がると、どうやら二つ目の薬も終わったらしい。それを小瓶に入れて、棚からまた違う液体が取り出される。梨理はその棚の前でしばらく、うーん、と悩みながら蒼雷に問い掛ける。
「これの効力はどのくらいにしとく?」
「んー、強すぎても困るから中くらいで」
「了解。全く……使われるほうも大変だね」
そう言った梨理には笑顔が見える。どこか自分の薬を使われるのを楽しんでいる、といったところだろうか。
一つ目は毒薬。二つ目は睡眠薬。そして最後に――
「ほら、三つ目の薬も完成したよ。持っていきな」
最後に差し出されたのは、無味無臭の透明な液体。この正体を口に出していないが、どうやら需要と供給は合っているらしい。蒼雷の満足そうな笑顔がその証拠だ。
「サンキュー。そろそろみんなのところにも顔出しとけよ?研究費は誰が出してると思ってんだよ」
「そうだねー。じゃあ新薬を開発したら誰かに実験台になってもらおうかな」
蒼雷はひゅー、と口笛を吹いたところで、三つの薬を受け取り立ち上がる。用事が済んだらここに長居する理由はない。何よりこの研究所に広がる淀んだ空気は身体に悪い。
「じゃあな、リリ……いや、“梨理”だったっけか、今は」
「それはお互い様だろう、“蒼雷”」
振り返ることなくひらひらと手を振りながら、蒼雷は研究所を後にした。
梨理が入り口まで見送ってから作業場に戻ると、いつの間にか机の上には硬貨の入った袋が置かれていた。
2011.09.07