かつてホウエン地方では大きな争いがあった。
大地を広げようと侵攻する者。
海を広げようと侵攻する者。
その両者がホウエン地方全体を巻き込んで、長きに渡る戦をしていた。
戦渦は100年経っても消えることはなかった。
このような長い物語がホウエンの伝説として伝えられるようになってから数百年が過ぎようとしていた。
「やっほー、グラードン!遊びに来たぜ!」
「またか……。よく他人の領域に易々と来れるものだな」
向こうから手を振って近づいてくる姿がある。目立つ青い髪の青年。一見人間のようであるが、それは人間を擬態した姿、つまり本当の姿ではない。そのことをグラードンは嫌というほどよく知っている。持っている書物を一旦閉じて気怠そうに返事をした。
ホウエン地方にあるデコボコ参道の上、煙突山の奥深くに存在している陸の洞窟。足場が不安定な上に周りからの熱気が凄まじいこの場所に、人間はおろか、ポケモンでさえも誰も近付こうなどと思わない。ここに近付くだけで勇者の称号を与えてもいいというほど周りは険しく、限りなく自然な存在であった。
何者も近付かない理由はもうひとつ。この洞窟の奥深くには小さくない祠があり、世間では陸の神様、グラードンの住む場所として知られている。グラードンは陸地を支配する王者としてホウエン地方では厚く崇められてる為、特に地元の人間は不用意にここに近付く人のことを異常なまでに嫌う傾向がある。
そんな場所に訪れるこの青年は、正体を言ってしまえばグラードンの対として海の神様とホウエンの伝説になっているカイオーガである。陸の洞窟が文字通り陸地にあるため、原型の姿では遊びに来られないということで人の姿を模して訪れている。
「なんだよ引きこもりのグラードン。ここに来るまで大変だったんだからな!だいたいここは暑いんだよ……うえぇ、マグマ……」
「それが邪魔者避けになっていると思っていたのだが、貴様相手だと効果は薄いようだな」
煙突山にあるこの洞窟は、マグマに囲まれる形で存在している。完全に囲まれているわけではないので、来れないことはない。しかし少し足を滑らせたなら、そこは全てを溶かす灼熱地獄。そんな恐怖と隣り合わせな場所にわざわざ来る物好きなどほとんどいない。そう、ほとんどの場合。この物好きカイオーガ以外の話である。
「お前なぁ……もっと外の世界を知るべきだぞ!そんな感じだとアレだろ、地上ってのは制約が多いってことを知らないだろ!」
「制約?なんだそれは」
「俺様が地上に出たときに一番びっくりしたのはな、ほとんどの生き物が地面に足つけていて、翼を持っている以外の生き物はみーんな飛んでなかったんだよ。な?びっくりだろ!」
少し興味を持ってしまった自分が悔しい。グラードンは小さく顔をしかめた。
確かに水中でしか生活してこなかった彼からすれば驚くべきことであるかもしれない。が、こちらからしてみれば、それは"当たり前のこと"だ。いくら目を輝かせながら言われても、正直全く新鮮味などない。
「それは水中とはえらい違いだからな。そんなことも知らなかったのか。カイオーガの一族は浅学なのだな」
「なんだって?ちげーよ、いくら書物を読んだり話を聞いたりしても、自分の目で見るまでは空想上の御伽噺でしかないっていってんだよ!」
グラードンは嫌味を込めて呟く。相変わらず手には古めかしい書物が握られている。代々グラードンに伝承される書物のひとつで、そこにはこの祠のことや先代までの言葉が綴られている。もちろん数百年となればその量は膨大であり、当代グラードンになってから数十年は経過したが、未だに全てを解読できていないのである。
カイオーガのほうはこの優しくはない会話のやり取りが当たり前になっているので、特に嫌味を気にせずに自分の意見を主張し続ける。最初の頃こそ蔑まれた言葉の数々に傷ついたりしたが、これが彼の性格なのだと分かると本気で怒ったりはしなくなった。
「なるほど。それは一理あるかもしれない。しかし……だからといって祠を護る義務があることを貴様のように忘れたりはしない」
「俺様だって忘れたわけじゃないんだよ、社会見学の一環!」
「ほぅ、ずいぶんと長い社会見学だな。しかも敵陣に単独で乗り込んでくる大将など聞いたこともない」
「敵?誰と誰が?そんなの知らねーよ、っていうか俺様は戦うつもりなんてないしな」
「カイオーガとグラードンの長きにわたる歴史をこうもあっさり忘れるとは……呆れた」
「違うって。それはさ、もう過去の話じゃん。今の俺様とお前には関係ないっていうこと!いつまでも『敵同士』なーんて昔話に振り回されてられっかよ。グラードンはそこまでカタブツ頭なのかー?」
今まではグラードンのほうが優勢に立ってたが、不意に反撃されると言葉に詰まる。祠の神であるという立場上、自分に強気な発言をしてくる存在など周りにいない為、押されると少々打たれ弱いところがあるのは自覚している。
「む……貴様今馬鹿にしたな?俺は伝統を遵守しているだけだ。あの争いが二度と繰り返されぬように、な」
「だったら答えは簡単だ、俺様とお前が仲良くすればいい!」
「……短絡的思考が羨ましい」
「なんか言ったか?」
「なにも」
これは心の底からの本音であった。こんなに自由になれたら世界が変わるだろうか、と思ってみるが、代々受け継いできたグラードンとしての立場がそれを許さなかった。
カイオーガはどちらかというと協調性をもって周りとの平和を築く種族で、グラードンは威厳で周囲を従えている種族である。それは遠い昔から変わらず、今更自分が誰かと仲良く談笑するなど思えない。自分は地の神であり、誰かと馴れ合うことは許されないと先代に教わった。きっと頭のどこか片隅の方でカイオーガへの憧れはあるだろうが、どこか抽象的で漠然とした、それこそ夢の中だけの話のような気がした。と、ここまで考えてふと我に返ると、すっかり自由気侭なカイオーガのペースに嵌っていることに気がついた。
「……そろそろ出て行け。貴様を相手にしていると自分が馬鹿馬鹿しくなってきそうだ」
「それは侮辱……なのか?まぁいいや、じゃあまたなっ!次は俺様の領地に遊びに来いよ!」
「貴様はいつも一方的すぎる。俺は祠を護る義務を怠らないからな」
どうもこいつと話していると調子が狂う。実際、カイオーガと初めて会ったときから考えが少しずつ変わり始めた自分がいることに、グラードンは僅かな恐怖を覚えている。それは次代のグラードンたちに遺す言葉に相応しいものか迷うものであるが故に、軽い気持ちで口外は出来なかった。
自分の考えが今までのグラードンと同じであるうちに、自分が他人に感化されないうちに、彼に早々の退場を願った。
カイオーガのほうも今日のところは満足したのか、祠の出口の方に向かって歩いて行った。本当に遊びに来ただけで用事はなかったらしい。
「あ、最後に。お前、俺様のことカイオーガカイオーガって呼んでるけどさ、それ、微妙に違うから。確かに俺様はカイオーガだけど、地上でできた仲間たちは俺様のこと『魁斗』って呼ぶんだぜ?その名前くれたのは親友なんだけどさ、そっちのほうが個性あっていいと思わないか?てなわけでお前も呼んでいいんだぜ!」
「誰が呼ぶか、カイオーガめ」
「ちぇっ、素直じゃないやつ!」
舌を出してこっちを小馬鹿にしたような表情を取るが、すぐにその姿は祠の向こうに消えて行った。
グラードンは溜め息をつきながら手元の書物に目を通すが、どうも内容が頭に入ってこないので一旦閉じた。
自由に生きるのが羨ましいだなんて思わないし思えない。だけどこの靄がかかったような気持ちは何であろうか。多分、誰に聞いても教えてはくれないだろう。余計な情報は入ってこない、この閉鎖的空間の中では自分しかいない。従者として昔から側にいる世話係などは数名いるが、違う、きっとそれはさっき彼の言ったような温かい存在ではない。
「『親友』なんて、我々が持つべきものではないだろうに……」
2014.04.21
我が家にはグラードンさんもいます。人の姿にはならないけれど。彼だけの名前もあったけれど、今はグラードンという地位を受け継いで名前の必要がなくなったので、きっとしばらく呼ばれることはありません。