ペダル/今鳴
「電気消すぞ」
今泉がぱちんと電源を落とすと、薄暗くなった室内においての光源はチカチカと点滅するテレビ画面だけになった。
「え、なんで消すねん」
鳴子はその四角い光の映った瞳を丸くして、ベッドの端に座った今泉を仰ぎ見た。ふらりと視線を外し、無愛想に唇を薄く開く。あまり言いたくないことなのだろうかと鳴子は首を傾げた。
「遅くまで部屋が明るいと親が寝ろってうるさいんだよ」
「遅くってまだ10時やで…?」
「すまない。過保護なもんでな」
「ふうん」
引っかかりのある理由であったが鳴子は素直に咀嚼したようで、立ち上がってテーブルの上のリモコンを手に取った。
「じゃあテレビも消しとこかー」
人差し指がボタンを押し込むとほんのゼロコンマ数秒差で画面は真っ黒に、室内も真っ暗になった。右も左も全てが何もないように見える暗闇である。
「うわ、くっら…」
「鳴子、こっち」
下手に動けない鳴子は立ち尽くすしかなく、暗闇に浮いた今泉の右手が鳴子のいるあたりの空白をさまよって、腕を見つけて引っ張った。
「わっ」
ぐらんと身体が傾いて、鳴子の身軽な体躯はいとも簡単にベッドに押し付けられてしまう。目が暗闇に慣れてくるので、徐々に視界にぼやけた輪郭が映し出されてくると、ようやく状況もはっきりしてきた。
「悪い、な」
「おう」
押し倒された状態で、それはその時の鳴子にとっては何の問題でもなかった。たまたま倒れたらこの体勢だったというだけで、覆い被さっている今泉も謝ったのですぐに退くだろうと思いこんでいた。
「…スカシ?」
なんでどかんのや、という疑問が浮かぶと共に、今泉の目がずっと自分を見て放さないことにようやく気づいた。
「どしたん?なあ、」
その声にいつも今泉と張り合うときのような覇気はなく、上擦った声からは、普段と違う今泉に対する困惑が読みとれる。2人を取り囲む空気もずしんと重く、張りつめていた。今泉は怒っているようでも悲しんでいるようでもあって、しかも理由はわからない。そんな彼を見るのは初めてで、心配で、いまいずみ、と黙っていられない口から一言零れてしまう。それは鳴子の勝ち気な性格からは想像もつかない弱々しい呼びかけであった。
しかし、それは今泉を動かせた。彼は苦痛そうに眉を寄せて、鳴子から手を引いたのだ。
「寝る」
ただそれだけではなくて、一言言い放つと今度は鳴子に見向きもせず背を向けて寝転がった。変わり身の早さについていけないと、しばし唖然としてそれを見ていた鳴子だったが、納得がいかないと喰ってかかる。
「おい、なんやねんその態度!」
「耳元でうっせえ。早く寝るぞ明日も学校あるんだから」
「あーもう今後一切おまえのことなんか心配せえへんわ!ほんま損した!」
「…心配?」
思わず振り向いた今泉は騒ぐ鳴子の前で少し考えこむと、安心したように薄く笑みを浮かべた。
「何笑てんねんきしょくわるい…」
「なんでもねーよ」
身を乗り出した今泉が右手を翳してふわりとした額にかかる赤毛を押し上げる。そこへ、すう、とごく自然に、重力がそこだけ強くなったように、唇が落ちた。またそれは一秒も待たずに離れていく。
「おやすみ」
目を閉じる今泉の横で、取り残されたように丸い目をした鳴子が転がっていた。さっきの場所に指で触れても、特に変わった様子はない。現実味がなくて、それでもじわじわと顔が熱くなってくるから、夢のせいにはできないようだ。
110926