「N?」
ざわざわ音を立ててうごめく人ごみのなかで、その突っ張った声はこのヒウンシティの全ての雑音を押しのけて僕の耳に入ってきた。その声色に半ば反射するように振り返ると、やはりそこに立っているのはブラックくんで、僕より幾分低い位置にある目と僕の目が合う。彼が目を放さないから僕も目が逸らせなくて、その瞳の光彩を眺め続けていると、彼は満面の笑みを浮かべて僕の手を取った。
「わっ」
「ね、どっかいこ」
そう言って手を引くブラックくんは子どもみたいだ。無邪気な彼の意思を妨げるなんてこと僕にはできなくて、ただその手の引かれるのに従って歩を進めた。
「どこに行くんだい」
「うーん、Nとならどこでもいいや」
「え、それって――」
そのとき、ぶわりと浜風が吹き抜けた。閉じてしまった目を開けると、ちょうどビルとビルの間を抜けていて、眼前には港、その先に海に浸かった夕日があった。
「うわ、きれー」
「ちょっとブラックくんっ」
見事なそれに向かってブラックくんは走り出す。すると当然握ったままの手が引っ張られて、僕の足も勝手に走るはめになってしまった。
ブラックくんは海まであと1mってところでやっと足を止めた。僕はもうへとへと。あまり走ったり運動したりすることがないから尚更ね。
「も、しんど…」
酸素をとりこもうと精一杯呼吸する僕に気がついたらしいブラックくんは、大丈夫かと問いかけてくる。すぐに呼吸は落ち着いたので、心配しすぎてる彼に笑いかけた。
「大丈夫、大丈夫」
「ごめん、しんどかったよな?」
それでもなお心配するブラックくんに僕は言ってやる。
「でも一緒に走って楽しかったかも」
「…ほんと?」
「うん」
「そっか!」
ブラックくんは冒頭の満面の笑みを取り戻したようだ。それを見ると僕までふわふわと浮かれた気持ちになってしまう。するといつの間にかブラックくんは笑うのをやめて僕を見ていた。
その顔は夕陽が照らす色よりも少し赤い。
101107