「静雄さんっ!」
静雄と呼ばれたバーテン服の男は立ち止まり、振り返った。制服姿の少年が静雄に向かって駆けてくる。
彼は竜ヶ峰帝人という来良学園の学生だ。最近友人宅で行われた鍋パーティで静雄と知り合い、その後も何度か会話を交わしたが、二人の間に特に深い交流があるわけではない。その上、静雄が帝人に呼び止められるのはこれが初めてだった。静雄自身、帝人を見掛けても引き留めてまで話そうとはしなかったし、それは帝人も同様だったのだが。しかも静雄は、帝人に対して控え目で行動派ではないといった認識を持っていたので、彼の行動に少なからず驚いていた。
「わぁっ、」
だが、帝人は静雄を目の前にして躓いたのかバランスを崩してしまう。その結果、倒れないようにと静雄を支えにしたのだった。帝人はは勢いに任せて静雄の腹に体当たりするように倒れこんだが、彼はびくともせずそれを見ていた。ぽろり、と銜えていた煙草が落ちる。傍から見れば帝人が抱きついているようにも見えるその状況は、静雄を少なからず動揺させたのだ。
「わ、すいません!」
「お、おう…」
帝人はバーテン服にしがみついていた手を離すと一歩後ろに引き下がった。気恥ずかしさが残る静雄は、視線を空へと移す。どんな空かなんて見ている余裕も持ち合わせていなかったが。
「あ、の」
「なんだ?」
「今、仕事中ですか?」
「いや、今日の分はもう終わったけど」
「えっと、じゃあ、その…」
静雄が帝人を見ると、彼はそわそわと視線を彷徨わせる。静雄はその大きな瞳が閉じられたり細められたりするのに見入っていた。帝人が時折困ったように上目遣いで静雄を見るたびに、静雄は頭を抱えそうになる。――自惚れているわけではないが、帝人は俺と一緒に居たいのではないか?
「その…」
「俺、昼飯まだなんだよな。付き合えよ」
「えっ」
「…ダメか?」
「そんなことないです!」
帝人は嬉しそうに瞳を輝かせて笑った。その笑顔にまた抱き締めたいような衝動に駆られて、静雄はまた頭を抱えたくなった。
100319