居間から聞こえてくるTVの笑い声を背に晩御飯のチャーハンを作る。1人分だ。一年前までは2人分か極たまにもう1人の同居人が晩御飯を作ることもあった。そして決して広くないこのワンルームの部屋がなんだかとても広く感じ馴染めないのも一年前からだ。ジュワジュワと音を立てるフライパンをぼーと見ながらその調子を狂わせている同居人こと、彼女のことを考えた。 「絶対キッドの元に帰ってくるから、待ってて」 冬の寒空の中似つかわしくない暖かな笑顔を浮かべ旅立った。 彼女は春が好きだった。肺に浸透する空気を味わい冬を乗り越え生き生きと芽吹く新芽を愛し春独特の穏やかな気候を無邪気に慈しんだそんな彼女と俺は出会った。 ──楽しくやってるだろうか。一年前、彼女はやらなければならないことがあると言って俺には到底手の届かない遠い地に飛び立つことになった。 「心配しなくても大丈夫だよ。きっと帰ってくる。だから待ってて」 片手に大きめのキャリーバックを持ってそう一言残し別れの挨拶を告げた。いつ帰るのか、帰る保証はあるのか、その間に俺のことなんか忘れて他の男に靡くんじゃねぇか、次々に不安の言葉が喉まで出てくるもこれじゃあ信用なんてしてねぇじゃねぇか、と少しばかり見栄を張って 「心配なんかしてねぇよ」 そう言って笑って誤魔化す様に彼女の頭をくしゃっと撫でて、不安で押し潰されそうな言葉はぐっと呑み込んだ。 ジリジリと痛いくらいの暑さから逃れるのを理由に海に行こうと誘い付き合って初めて二人で出掛けた夏。初々しさが溢れたぎこちない距離。蝉のけたたましい鳴き声も苦にならないほど彼女を好きになるのは時間の問題だった。 一年前までは狭く感じたはずの食卓に出来立てのチャーハンと先ほどコンビニで買ってきた缶チューハイを置く。この異様な寂しさを吹き飛ばす為だ。いつもの定位置に腰を沈めながら無意識にカレンダーに目がいく。季節は巡り廻って冬になった。 彼女は残酷だとキッドは思った。待ち続けることの辛さに彼は直面しているからだ。期待させるようなことを、言わないでほしかった。突き放してくれればこんなに期待することもなかった。囚われることもなかった。彼女を愛し続けることもなかった。俺から突き放すことは出来ないからせめて─せめて彼女から突き放してくれれば─… 秋に二人で越してきたこのアパート。二人では狭すぎるんじゃねぇかと不満を溢したら「それほどキッドを近くに感じられるってことだよ」と言われたのを覚えてる。この時からもう彼女を一生守っていこうと誓っていた。 俺は囚われている。あの時から俺の時は止まったまま一向に進んでねぇ。春夏秋冬など気にする間もなく無惨にもただ意味の成さない"今"が通りすぎるだけだ。彼女と過ごした日々を思い出すこともない。何故なら片時も忘れたことはないからだ。 シンとしたアパートの一室でキッドはぼうっと物思いに耽っていた。どれくらい経っただろうか、先程まで騒がしかったTV画面にはいつの間にやら放送休止の文字が。暖かく少しばかり湯気がたっていたチャーハンも見るほどに冷めきっていた。寒い。とても寒い。冬はこんなに寒かっただろうか?キッドは瞬き一つし、深い溜め息を吐いた。もう寝るかそう思った直後、カチャン、と玄関が開く音がした。 あ?鍵かけ忘れてたか?、まさかこんな夜遅くに訪問者がいるはずもねぇ。気のせいかと思いもしたが、そういえばこの前こんな時間にトラファルガーが冷やかしに来たことがあったとキッドは頭が痛くなった。仕方がないと沈みかけた腰を再度浮かし玄関まで足を運んだ。 まさか そんな 俺は驚愕のあまり自分の目を疑った。何故ならそこには散々待ち焦がれていた一年前の面影を存分に残した彼女が、いたのだ。忘れるはずがねぇ。しかし靴も脱がず少し寂れた玄関で何をする訳でもなく下を向いて突っ立っている。 「ただいま、キッド」 最後の言葉を言い切る前に彼女はいきなり勢いよく抱きついてきた。まさかそんな咄嗟に抱きつかれるとは思っても見ず、半場タックルの様なその勢いのせいで俺はバランスを崩し背中からドスンと倒れた。 「…っ!」 倒れたままでも俺から離れる気もなくなくぎゅうぎゅうっと強い力を込めて抱きつくだけ。俺の腹んとこに顔を押し付けてる為表情は分からない。困った。でもそれ以上にやはり何かあったんじゃねぇかと心配で堪らなくなってその伏せられた顔を見せて安心させて欲しくてそっと彼女の髪に触れる。顔を見せてくれ。安心させてくれ。 「…たかった…」 「あ…?」 微かに聞こえてきたくぐもった声。 「キッドに、会いたかった…!」 バッと勢いよく上げられた顔はぐしゃぐしゃの泣きっ面で呆気に取られた。俺に…会いたかった…? そんなの…俺の台詞だろうが。 しばらく放心状態のままだったがぽろぽろ溢れる彼女の涙にはっと我に帰りどうしようもなく愛しいその背中にぎこちない動作で腕を回した。するとそれに応えてくれる様により強い力が彼女のその華奢な腕から伝わった。頬をくすぐる彼女の髪の毛も引っくるめて抱き締めた。一年前より伸びたその髪に月日を実感した。そして体全体で味わう新鮮な体温がああこれは夢ではないのだなと感じさせた。 会いたかった ずっとこの時を待ち焦がれていた 腰に回っていた手をスッと離し震える両手で彼女の頬を包み込む。そしてまるで確かめるように彼女の額、鼻、頬、口に軽く触れるようなしかし噛みつくようなキスを落とす。途切れないように。味わうように。彼女の途切れ途切れに吐かれる吐息が欲情を掻き立てた。少しばかり痛いだろうと分かりきっているも正直力加減なんて出来る訳がねぇ。愛しい。どうしようもなく愛しい。 「…くすぐったいよ」 そう言ってふふっと微笑みながら涙する彼女の目頭をそっと親指で拭う。もう離すものか、そんな自己中で我が儘な気持ちを壊れそうなくらい抱き締めることで表現する。 「バカ野郎…もう絶対離さねぇ」 「わたしだって、ぜったい離れるもんか」 寒さなんか感じなかった。 それはきっと再び訪れた春。 彼女が連れてきた春。 そしてこれからこの301号室で夜が明けてゆくのを二人で見届けていけるからだとキッドは思った。 企画サイト「アパートメント」様に提出 |