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一回り、土間


「先輩は泣いちゃ駄目です」

そんなの不合理だ、と孫兵は思うけれど、湿った手の平のせいで涙は出ない。ぐすぐすは合唱で、夏を思わせる。緑色をしているのは孫兵なのに、役割を取られてしまった。
三治郎も虎若も孫次郎も一平も、各々孫兵にすり寄って好き勝手泣く。言う。先輩は泣いちゃ駄目、が唯一はっきり聞き取れた言葉だから、他にもっと何か言っているかもしれない。

大事にしていた燕の卵が、見事に期待を裏切った。残された巣にあったものだったから、八左ヱ門は、期待をするな、と言っていた。
毎日大切にした。温めた。献身的な一年は、見ていてかわいらしかった。八左ヱ門の言っていることは確かに正しい、と分かりながらも、どこか期待してしまっていた。

「巣立ったんだよ」

慰めの言葉は嫌いだった。口先で慰めたって、誰も救われない。孫兵は、言葉を選び損ねたかもしれない、と思った。こういう時、八左ヱ門は何を言ってやるのだろう。孫兵には分からなかった。分かれば苦労しないが、分かったとしても同じ効果を期待するのは難しい。

「空に、巣立ったんだ」

少し言葉をつけ足して、言い直す。空に。地面に落として割れた。朝食を思い出す。鮮やかな黄色は夏の色だろうか。ひまわりの色。悲しい色だった。
目の前の一年は皆同じ色を纏っている。空の色。巣立った先を探す。ずいぶん近い空があるのに、彼らは気付かず上を見る。口を開けて、合唱を止めて。

「みんなでお墓を作ろう」

先輩、泣かないで、と孫次郎が言った。ごめんなさい、と三治郎が、先輩、虎若も、一平も。

八左ヱ門がどんな期待に裏切られてきたのか、孫兵には分からない。明確な境界を感じて、どこかに手を伸ばす。まだ、と突っ返される感触が、心地良いくらいに優しい。冷めた世界で、八左ヱ門は何かを待ち続けている。それは孫兵には分からない。分からなくてよかった。

蛙みたいではない、まだ、巣立ちの春だった。