不思議、と市は言った。 「どうした」 「黒潮、知っているでしょう?」 図書室にがらんと二人きり。市の声が嫌に響く。とん、と置いた本の音がうるさい。 「日本の東を流れる海流か」 「そう。それ、どうして黒潮って言うか知っている?」 「いや…伝説でもあるのか?」 いいえ、首を振りながら、市は少し嬉しそうに微笑んだ。 「黒潮はね、プランクトンが少ないから水が透明なの。目を凝らせば、海の底が見えるくらい。海の底は光が届かなくて暗いから、黒潮って呼ばれるようになったのよ。…ねえ」 「何だ」 「透明なのに黒なんて、まるで、」 (昔のあなたみたい) 「まるで?」 「まるで、不思議ね」 「?…不思議だな」 会話を終わらせるようにちょうどチャイムが鳴って、この話はおしまい。 |