奥様、お早よう御座います。朝がそんな挨拶から始まるようになったのは、もう二年も前になる。 気分が悪い。着替えて外を回れば何か食べる気分になるかもしれないと思い、夢に疲れた体を起こした。 下仕えの童が暇を持て余して廊下を行き来している。庭師が入ったのは一年前か。 閑散とした家には、その二人に、侍女が幾つかと、奥様と旦那様と呼ばれる者しかいない。妹夫婦は家を出ていった。 「若奥様、」 「止めてちょうだい」 庭師が垣根から薔薇をむしり、奥様に渡そうとすると、いかにも嫌そうな表情で奥様は拒否した。 「庭師を始めて何年になるの。薔薇には刺があるわ。理解なさい」 「理解しました」 「口ばかり」 食卓に如何ですか、と食べるんだか飾るんだか分からないような口振りで庭師は笑った。薔薇は白い。手を下げると花弁に滴った。 「私は兎を追いましょう」 不思議の国。抜け出せない。溺れなさい。揺られなさい。裁判にかけて差し上げましょう。 歌うように花の庭へ消える庭師に石をぶつけたい気分になったが、止しておいた。代わりにこんな旋律だったと思い出しながら、また庭を歩みだす。 「濃」 「上様、お帰りなさいませ」 夢が、夢で、夢の淵へ、夢のように、夢となっていく。庭師は枯葉を集め、落葉焚きをする。童は金平糖を瓶に詰める。奥様は夢を見る。旦那様は金の杯に酒を注ぐ。重力に負ける葡萄酒が、なみなみと滴り喉に落ちた。 |