もうだめ。アタシ結構人に優しいと思ってるし、そうするように努めてたわ。人間そんな人に意地悪したっていいことなんか無いものね。でも、あまり優しくし過ぎるのも考え物かもしれないと最近気が付いた。

「あっギャリーさん、おはようございます!」

 家の近所の学生さんだと言うなまえは、何故かアタシに懐いている。彼女が入学して、この土地に越してきたばかりの頃。道に迷う彼女を助けてあげたことから知り合ったのだけれど。
 初めての一人暮らしのことなんて記憶の彼方で、自分の気持ちは覚えてもいない。けど、まだハイスクールを出たばかりの女の子が見知らぬ土地でひとりぼっち…なんて、寂しいに決まってる。だから、「気軽にいつでも頼ってね」だなんて軽々しく口にしてしまった。

「友達にお菓子の作り方を教えてもらったんです。ギャリーさんにも食べて貰いたくて…」
「あら!おいしそうねえ」

 …あ、つい普通に返事してしまった。
 こんないたいけな女の子が毎日毎日男の元に来るって状況は決してよくないと思うの。世間体から言ってね。

「じゃなくて。いつも言ってるでしょ?もう来ちゃダメ」
「なんでですか、わたし…ただ、ギャリーさんと仲良くしたいのに」

 なまえはアタシを睨むけれど、全く怖くない。可愛らしいとすら思えるわ。その顔に、ぷかあと煙草の煙を吐き出すとゲホンゴホンと噎せていた。

「わたしだって、いつも言ってます」
「煙草…ね。いいじゃない。嗜好品なんだから」
「ギャリーさんが不健康になったら、困ります」

 「誰が」って聞いても、良いかしら。アタシが困るのか、…この子が困るのか。
 もう大分短い煙草を灰皿に押し付けて、ため息をつく。

「お菓子を作ってくれたんでしょう」
「はい!」
「作ったものは仕方ないわ。でも、これっきりよ」
「わかってます」

 この台詞、三日前にも言ったわ。仕方ないから、でもこれっきりよって。先週も、その前も。何度も何度も。もう意味なんかきっと持っていないその言葉を、ひたすら繰り返しているのね。そんな皮肉を解っているのか、なまえはニヤニヤと笑いながら返事をした。
 彼女の持ってきたパイをひとくち。これはすごく、

「…美味しいわ」
「わー、良かったです」
「前に持ってきてもらった料理も美味しかったし、いいお嫁さんになるわね」
「いいお嫁さんにしてくださいよー」

 …返事、どうしようかしら。間が開いちゃったわ。

「?」

 キョトンとした顔でパイを食べるの止めてほしいところね。自分が言ったことを当然だと思っているのか、ふとした拍子に言葉が出たけど気付いてないのか。よく分からないわ。
 一先ず聞かなかったことにして、パイをもう一つ貰おうかしら。

「…アンタも好きね、友達いないの?」
「ひどい!それなりにいますよー」

 それなりに…ねえ。

「ひたむきな片思いにとやかく言わないでくださいよ」
「アタシに、よね」
「当然」

 ずずっと音を立てて彼女は紅茶を啜った。そしてほっとしたように「ふわぁ」とため息。彼女の頬がピンク色なのは紅茶が温かかったせいではないと思う。

「こんな口調なのよ、実りが無いかもね」
「ギャリーさんが男性を好きなんだったら、仕方ないと思います」

 やっと、なまえが来なくなるのかしら。もうこうしてお茶したりすることも無くなると思うと、寂しいわ。でも、良くないのよ。アタシと、こんな普通の女の子が仲良くするのは。
 彼女は真面目そうな顔で、アタシをきっちり見据えて言い放った。

「…わたしが男になるしかありませんよね」

 ああ…この子、重たいわ。
 重たい重たいと思いながら、毎回家に上げてお茶出して…こんな言葉に安堵しているアタシも随分重いのかもね。

「そうだ、ギャリーさん。禁煙には飴がいいんですよ」
「話題の切り替え早いわね…」
「おいしいキャンディがあるのであげます!」

 彼女がくれたのは黄色い包装紙に包まれたキャンディ、がたくさん。

「未来の旦那さん…いや、奥さんが不健康なのは嫌ですから」
「…冗談よ、さっきのアレ」





 キャンディを渡した、大切な友達とは笑顔で別れることが出来た。何度、心臓が止まりかけたことだろう。
 今日は美術館に行ってから、彼女と約束をしていた。時計を見ると、約束の十分前。…あの不気味な空間での時間は、無かったことになっているらしい。
 待ち合わせ場所まで歩いていくと、見覚えのある女の子が見えた。彼女もアタシを見つけて、ぱあっと笑顔になって駆けてきた。

「早いですねえ」
「……なまえ」

 あの、動く美術品たちに追い掛けられながら何度も思った。アタシがいなくなったら、彼女はどうなってしまうのか。彼女ともう会えなくなったら、アタシはどうなってしまうのか。
 あんな目に遭ったせいなのか、感極まってなまえを抱きしめるとちょうど腕にすっぽり収まった。小さくて、柔らかくて、いまにも壊れてしまいそう。けれど、ぽかぽか暖かい。

「ぎゃ、ギャリーさん…?」
「もう否定しないわ」
「え…あの、」
「人間、いつ死ぬか分かったもんじゃないわ。やりたいことやらなきゃね」

 首を傾げる彼女がいつも以上に可愛らしく見える。

「こんなアタシでも良いなら、いくらでも付き合ってあげる」
「本当、ですか?」
「もちろん。アンタのこと、…これでも好きだから」

 何度も飲み込んだ言葉だった。分からないフリをして、理由をつけて。でも、そんなことをしていてまたあんな所に引き込まれて、命を落としてしまったら元も子も無いわ。
 実は告白なんてしたことがなくて、ぎこちないものになってしまったと思ったのだけれど。アタシの言葉になまえは面白いくらい顔を赤くして、それを隠すように慌てて俯いていた。

「わ、わたし…ギャリーさんが好きです」
「知ってるわ」
「わたし、ギャリーさんは本当に男の人が好きなんじゃないかと…」

 …結構、本気で思ってたのね。

「でもなんで今日、こんな出会い頭に告白を」
「…色々あったのよ。お茶でも飲みながら話すわ」

 約束していたのは、アタシの好きな喫茶店だった。あのお洒落な店で話すには胃もたれしちゃいそうな肴だけれど、この際全部喋ってしまおうじゃない!
 頼りないほど細いなまえの手を引いて、ゆっくり歩きだした。


120701
優しさフィロソフィ

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