※パラレル設定
入学して半年が経った。幼なじみの葵に誘われて入部した書道部には未だに馴染めない。
そもそも小学生の時だって書道の時間は苦手だったのに、書道部に入るなんてちょっと失敗したかなあ、なんて今更考えたりする。俺にはもっと、合ってる部活があった気がするのに、全然思い出せない。
葵に「辞めるなんて根性ないなー!」とか言われそうだしっていうのと、帰宅部になっても暇なだけだしっていうの。今書道部を辞めない理由はその二つと、あともう一つ、それが一番大きいんだ。
「松風くーん!おはよー!」
弾むような明るい声は明らかに俺を呼んでいて、思わず口元が緩む。部室に入るなり聞こえたその声は、みょうじ先輩のものだ。とりあえず挨拶に応えておく。「こんにちは」と。
制服が汚れるからって割烹着なんか着てるこの先輩こそが、俺が書道部を辞められない一番の理由になっている。
「遅れてすみません、みょうじ先輩」
「ううん、私が早かっただけ。葵ちゃんは?」
「日直の仕事があるみたいです」
書道部っていうと正直パッとしない、と思う。現にここの部員は先輩と葵と俺だけで成り立っている。
廃部の危機を憂いでいた先輩は、一年が二人入部したことをすごく喜んでくれた。あの時の先輩の笑顔が、一番最初に先輩を好きになった瞬間だと思う。
先輩は葵が日直だと言うことに「大変だねえ」なんてしみじみ頷いて、持っていた文鎮を魔法の杖みたいに軽々と、くるくる回した。
「文鎮振り回すの止めてくださいよ」
「だってさ、魔法が使えそうじゃない?」
「夢が無いステッキですね」
「それに筋トレになるよ!松風くんもやろうよ!」
先輩は賞をいくつも貰うほど、書道に関しては俺から見て師匠レベルにも関わらずおちゃらけている。ちょっと前に文房具屋で見つけたとか言うピンク色の文鎮がお気に入りらしい。星型のシールでデコレーションされたそれは、パッと見は魔法のステッキだ。中身は勿論、文鎮なんだけど。
△▽
ある日、いつも通りに部活を終えた帰り道のことだった。俺の気持ちを知っている葵に後押しされて、みょうじ先輩と二人きりの帰り道だった。
少し緊張気味の俺と、「夕日が綺麗だねえ」なんて冗談めかして風流なことを言う先輩。先輩が楽しいかはともかく、俺は幸せだった。
「明日はきっと晴れますね」と言ったら、先輩は「まだまだ暑いから困るなあ」なんて笑った。確かに、もう秋だと言うのに暑い。
「松風くんはさ、書道部楽しい?」
「…えっ」
「結構地味だし、あの…辞めたかったら、いいんだよ」
先輩は「辞めても」という言葉をあえて抜いたように見えた。辞めてほしくないんだろうな、と、すぐに分かってしまった。当然、口が裂けても辞めると言う気は無いんだけど。
「みょうじ先輩、俺は書道部が好きです。字はあんまり、上手くないですけど、楽しいです」
「ほ、ほんとう?嘘じゃない?」
「本当です、嘘なんかつきません」
そう言うとすぐにへにゃへにゃした笑顔になって、ほっとしたように「よかったあ」なんて言うものだから、俺はまたみょうじ先輩を放っておけないっていうか、改めてこの分かりやすくて喜怒哀楽の激しい先輩が好きだなあなんて思ってしまうのだ。
そんな会話をしていた時だった。突風が吹いたかと思うと、白い煙に視線が阻まれた。今まで風もなかったというのに、あまりに突然の出来事で驚いて、咄嗟に先輩の手を握りしめた。先輩も突然の風と煙に驚いたのか、俺の手を握り返す。触ってしまった、なんて考える隙も無かった。本能的に、やってしまった。
煙が段々と薄まり、目の前に居たのは俺、そっくりの人間だった。目の前の俺が言う。
「うわ、本当に俺だ!」
ど、どういうことなのか、全くわからないんだけど。先輩をちらりと見れば、俺と目の前の俺を何度も何度も見比べている。
更に、俺のそっくりさんの背後からは見たこともない男の人と、男の子、熊?のぬいぐるみが出てきた。…なんだろう、この状況。
それから俺のドッペルゲンガーは顔を赤くして、続けた。
「しかも女の子と手、繋いでるし」
…恥ずかしい。先輩に謝って離そうと思ったものの、先輩はがくがく震えている。部活の後輩が二人いる。当事者の俺は意外にも落ち着いていて、これからどうなるのかな、なんてのんきに構えていた。
▽△
どうやら、話によると俺のそっくりさんは平行世界とか言うところから来たらしい。サッカーを守りたい、と言っていた。
「この世界の俺は書道部に入ったままだったから、正しに来たんだ」
…正しに?つまり、俺が書道部に入っているのは間違いってこと、なのかな。繋いだままの先輩の手を強く握る。
「俺は今のままでいいよ」
「えっ、だって」
「サッカー部に入ってる俺はみょうじ先輩とも会わないみたいだし、そんなの、絶対嫌だ」
サッカーという響きで頭がぐわんぐわんした。きっとこの、目の前の俺が言うように「サッカーをする俺」が正しいんだろう。よくわからない違和感の正体は、きっとこれだったんだ。
それでも、先輩に会えないなんて嫌だった。先輩を見ても「女の子」としか認識出来ないなんて、そんなの、嫌だ。
「でも、そうしたらサッカーはどうなるんだよ。君、っていうか…俺がやらなきゃ、駄目なんだ」
目の前の俺は悲しそうな顔で、縋るように言う。
「ね、ねえ、松風くん」
「…なんですか」
「正してもらった方が、いいんじゃないかな…?」
先輩はぎゅうぅと俺の手を握りしめる。正して欲しくなんか、無いのに。嘘つきだ。その嘘が優しさだと思ってるんだろう。
「みょうじ先輩、知ってましたか。ずっと俺、先輩に片思いしてたんです」
「なんで、このタイミングで」と先輩が言いかけた。
▽△
校内で真っ白い女の子を見つけた。いまどき見慣れない割烹着、だ。「エプロンじゃ駄目なんですか」と聞いたら「腕までカバーしたいんだよね!」と言っていた。変なところにこだわりがあるんだよなあ。
「先輩、こんにちは」
「ああ松風くん、おはよう」
ずれた挨拶も相変わらず。
「今度の日曜空いてますか?」
「え、うん。暇だよ」
そわそわしている先輩が可愛い。先輩を誘うのは初めてだ。
「試合、なんですけど。良かったら来て下さい」
…言ってしまった。
葵が言うには「自分のかっこいい所を見てもらえばきっと好きになって貰える」らしいから、試合を観戦して欲しいと思った。
みょうじ先輩とはついこの間出会ったばかりだ。たった一人で書道部をしている若干電波な人、というのが校内での専らの評判だった。実際、結構電波が飛んでるけど惚れた弱みなのか全く気にならない。……いや、たまに気になるけど。
先輩に「サッカー部って楽しそうだね!」と初めて声をかけられた時、緊張したようなカクカクしたその言葉と、笑顔が何故か気になってしまった。きっとその時から好きになったんだと思う。
「もちろん!絶対見に行くよ」
「わあ!嬉しいです」
「そうだ、私が松風くんに絶対勝てる魔法のアイテムをあげよう」
先輩が電波を発信しつつ割烹着のポケットから取り出した(その仕種が未来から来たの猫型ロボットに似ていたとは口に出さないことにしておく)のは、ピンク地に星型のシールが貼ってある…魔法のステッキ?
「はい、文鎮」
「えっぶんち…重っ!」
受け取るとずっしり重い。確かにこれは紛れも無い文鎮だ。習字の時に使う、アレ。
「な、なんですかこれ…」
「持ってるだけで筋トレ!」
多分だけど、先輩なりに応援してくれてるんだろう。
遠くで休憩が終わりだと円堂監督が言っている。そろそろ戻らないといけないらしい。少し名残惜しいけど、「それじゃあ」と先輩に言う。
「ちょっとだけ、待って」
「はい、なんですか?」
「ね、松風くんは知ってるかな。私ね、ずっと松風くんに片思いしてたの」
なんでこのタイミングなんだろう。このあと練習が手につかなくなるじゃないか。
どこかで聞いたような告白だった。ドラマにこんな台詞があったのかもしれない。よく思い出せないけど、不器用な言い回しだと思う。
なんて返そう。返事は決まってるけど、なんて言えば。…うーん、考えても仕方ないかな。思うように言えばいいか。
「俺も、ずっと前から片思いしてた気がします」
…口に出してから、気がする、って表現は良くなかったような気がしてきた。でも先輩がくすくす嬉しそうに笑うから、これで良かったのかな。
120508
割烹着の魔法少女
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