伸ばした髪の手入れはもう、板に付いてきた。それでも面倒だとは思うけど。私服はほとんどがスカートで、しゃがみ込むなんてしてはいけない。
それだけ生活環境が変わって、姉になっても中身は大して変わっていないみたいで、昔から大好きなSF作家の小説だけは捨てられない。

新作が出ると聞いて本屋に寄ると、雷門の制服。宇宙人にアンドロイド、挙げ句の果てには未来都市なんて小説を姉はあまり好きでなかったし、そういった小説を買うところは見られてはいけないと警戒したけれど、蘭丸くんだ。彼なら、あの作家が好きだって知ってる。

「奇遇だね、蘭丸くん」

声をかけると蘭丸くんは「本当にな」との、にこやかな返事をかえしてくれた。

「どんな本買うの?」
「暇だから、漫画でも買おうと思って」
「面白そうなのあった?」
「…うーん」

特に無いらしい。

「これから時間ある?」
「うん。暗くなるまでなら」
「よし、じゃあちょっと行きたいところがあるんだ」

蘭丸くんは帯に「何万部突破」とかなんとか書いてある漫画の単行本をいくつか手に取り、「みょうじはなにか買うのか?」と聞いた。
重量感のあるハードカバーを見せると、「好きなんだな」と笑った。…昔から、時間旅行には夢を見てるんだもの。




「知ってるか、これ期間限定なんだ」
「美味しいね」

蘭丸くんの行きたいところとは可愛らしいケーキ屋さんだった。どこか頭の中で思い浮かべるヨーロピアンな雰囲気を持ったそのお店は、蘭丸くんに言わせると「男一人で入りにくい」らしい。蘭丸くんなら一人で入っても違和感ないと思うんだけどなあ。なんて言ったら、おそらく怒られる。

「前に地方紙でおすすめされててな。気になってたんだ」

色とりどりのフルーツが乗ったミルフィーユを蘭丸くんはどんどん食べ進んでゆく。ケーキセットと称され、ミルフィーユに付属されてきたストレートティーには口を付ける気配もない。
蘭丸くんに対して、どう接すればいいのか分からなかったけれど「なんでも好きなもの奢るよ」と言われて、「好きなもの」を強調されたような気がして、甘さが控えめだというチョコレートケーキを頼んだ。飲み物はコーヒーにした。変な目で見られないか、とか、私が私の好きなものを頼んで、蘭丸くんに嫌われないか不安だったけれど、そんなこともなかったみたいだった。

「蘭くん、美味しい?」
「……ああ。食べる?」
「うー、どうしようかな」

調子に乗りすぎなのかもしれない、昔みたいに「蘭くん」と呼んでみた。蘭丸くんは何事もなかったように返事をした。ほっと肩を撫で下ろす。

甘さ控えめと唄っていながら、そこまで甘さを控えていなかったケーキをなんとか食べ切った。美味しかったけれど、しばらく甘いものはいらないと思う。

「今日は付き合ってくれてありがとう」
「こっちこそ、奢ってもらっちゃったし」
「今度またどこか行こうな、あー…なまえ」

久しぶりに名前を呼ばれた気がする。少し、いや、すごく嬉しい。姉になろうと決めていたのに、自分でいる方が随分楽だ。




学校では誰にも話し掛けられることはない、蘭くんが時たま話し掛けてくれるけど、それも稀だった。男の子だし、私とずっといるのも気恥ずかしいみたいだった。嘲笑う嫌な声が私に向けられないだけ、ましだと思う。拓人くんには姉らしく振る舞って話しかけるけれど、相変わらずいい顔はされない。
寂しいけれど、これで十分な生活だと思っていた。

ある日、普段通りに拓人くんに話しかけても、口を開いてくれなくなった。

「もう俺に話し掛けるの、止めてくれ」

拓人くんは泣きそうな顔だった。なにか悲しいことがあったのか聞こうとしたのを遮られてしまった。

「彼女が嫌がるんだ」

彼女って、誰?



知らなかった。拓人くんには付き合ってる女の子がいて、今まで彼女は私が彼に話し掛けるのをよく思っていなかったのだそうだ。それでも幼なじみだからと拓人くんは私の相手をしてくれていた。でも、とうとう別れ話すら出されてしまった。

「ごめんね、そんなことも知らないで」
「俺こそ。…あのさ、困ったことがあれば、力は貸すつもりだ」
「うん、ありがとう」

拓人くんは目に涙を溜めていた。きっと、私に悪いって思ってるんだろう。私が悪いのに。

いつまでも小さい頃のままでみんながみんないるはずなくて、拓人くんは姉が好きだったけれど、今は別の女の子が好きなのだ。私はずっと、姉になればみんな幸せだと思っていたのにな。
姉が死んだことが受け入れられない母はにこにこしてくれるし、姉が好きだった拓人くんも悲しまずに済むと思った。…違うみたいだ、少なくとも拓人くんは。




家に帰るとお母さんが「今日はこれ買ってきたの」と楽しそうに甘いお菓子を並べる。

「お母さん、私甘いもの苦手なんだけど」

そう言ったら、母は目を見開いて私を見た。怖くなって、母になにか言われる前に自分の部屋に閉じこもった。


110720

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