赤い糸 06いつからだろう。 彼のことを好きになったのは。彼が女の子と話しているだけで、胸が締め付けられるようになったのは。 いつからだろう。 叶わない想いなのだと気付きはじめたのは。彼を諦めようと、努力しはじめたのは。 ーーミノリ。 思考を外に向けるだけで、彼の声が容易に想像出来てしまう。 いつでも優しく、あたたかいあの声が。 ーーミノリ。 あんなこと、言うべきじゃなかった。 何よりも自分の店を大事にしている彼の想いを、踏みにじったのは自分なのだ。 愛想を尽かされてもおかしくない。 …嫌われてしまっていても、おかしくない。 * 「…さん。…ミノリさん、目が覚めましたか?」 落ち着いていて、けれどもはっきりと通る声に呼ばれて、ミノリはゆっくりと瞼を開けた。 白い天井を背に、こちらを真剣な表情で見つめていたのは、この町の看護師であるアンジェラだ。 何度か町で挨拶を交わしたことのある彼女にミノリが目を向けると、アンジェラは小さく溜息を吐いて、無理のしすぎです、と呆れた声で告げた。 「…ここは、診療所、ですか?」 「そうよ〜、偶然外に出たらミノリちゃんが道で倒れてるんだもの。びっくりして心臓が口から出るかと思ったわ」 アンジェラの後ろからカルテを持って近付いて来たのは医者のマリアンだ。 白衣から聴診器を取り出してベッドに横たわるミノリの胸元に暫く当てると、納得したように頷いてカルテに文字を書き込んでいく。 「居合わせたリーリエと一緒に中へ運んだんですが…何も覚えていないんですか?」 「…すみません、倒れた時のことも曖昧で」 「後でよくお礼を言っときなさい。すごく心配してたんだから」 「はい、ご迷惑をおかけしました」 そうミノリが頭を下げると、マリアンとアンジェラは顔を見合わせて肩を竦めた。 「あのねミノリちゃん。あなたが倒れた原因なんだけど、一番は過労で、その次がストレスだと思うの。あなたは少し、周りに気を使いすぎ」 「…私たちはこれが仕事ですから。迷惑などと思っていません」 ぽんぽん、とマリアンに頭を撫でられて、ミノリの瞳が潤む。その横で静かに微笑むアンジェラはマリアンからカルテを受け取ると、パーテーションの間を抜けてミノリの視界に入らない位置へと姿を消した。 「誤解しないでやってね。あのこもあれで心配してるのよ」 「はい」 マリアンにそう言われ、ミノリは迷いなく頷いた。 目を覚ました時に見たアンジェラの表情を思い出せば、彼女が本気でミノリのことを心配してくれていたのは疑う余地もないことだ。 「この町の人は、本当にあたたかいですね」 「そりゃそうよ〜、なにしろこのあたしが愛して止まない町なんだから!」 自慢げに胸を張るマリアンに、ミノリはたまらず笑みを零す。 来たばかりの時はただただ殺風景に見えた町が、本当はあたたかく優しい色に彩られていることに漸く気付けた気がした。 住人たちの個性とその優しさによって彩られた町は、とても美しいとミノリは思う。 ただ一人、赤いエプロンの彼を思い出すと少しだけ胸が痛むけれど。 次に会ったら、ちゃんと謝ろう。 そうミノリは心の中で呟いて、柔らかい布団の温もりにゆっくりと瞼を下ろした。 * 「…それで、あなたはこんな所で何をしているのですか」 「っ、…」 ギルド内にある診療所の外、出入り口である扉のすぐ横で腕を組み壁に寄りかかっていたレーガに、アンジェラは声をかけた。 カルテを持って扉を開けた瞬間、跳ねるように俯いていた顔を上げた彼は、一瞬バツの悪そうな表情を浮かべるもすぐにアンジェラへと向き直る。 「…ミノリが倒れたって聞いて」 「もう目を覚ましましたよ。そんなに彼女が気になるなら、直接会いますか?」 訝しげな視線を向けるアンジェラに、レーガは斜め下へ視線を逸らす。 「…いや、今日は帰るよ。オレがいたってこと、あいつには言わないでくれ」 じゃ、と片手を上げて去っていったレーガの背中を、アンジェラは暫くじっと見つめた後、再びカルテを握り締めて診療所へと戻って行った。 (2014/04/16) |