赤い糸 05…あれ、オレ今、なにをーー、 丸く見開かれた瞳。深く、一瞬でも気を抜けばその中へ吸い込まれてしまいそうなほど綺麗なオリーブ色。ただ、そこに映った自分の顔は、ひどい間抜け面だった。 かたん、と椅子を引く音に気付いた時には既にミノリは立ち上がっていて、ご馳走様でしたといつもより小さくか細い声が静かな店内に響く。 俯いて足早に出て行く後ろ姿を、レーガはなぜか追いかけることが出来なかった。 * 『私、たまにこの仕事が向いてないんじゃないかと思う時があるんです』 原因不明の大盛況で終わったランチタイム。その後片付けに追われていたレーガの元に、彼女は少し疲れた様子でやってきた。 いつもより元気がないその様子をおかしく思いつつも、申し訳ないが他の客もいる手前彼女にばかり構ってはいられないのが事実だ。 そんな焦りに胸中を支配される中、注文を受けてテーブルに背を向けると同時に背中で響いた声に、つい、振り向いてしまった。 『レーガさんは、今まで働いてきてそんな風に思ったこと、ありますか?』 『ないな。一度もない』 急ぐ気持ちから被せ気味に返してしまった答えに、オリーブの瞳が一度大きく揺らいだのが分かった。 その先を見ていられなくて、堪らずキッチンに早足で戻り包丁を手に取る。 先の言葉にフォローが必要なのは分かっていた。けれども、その時のレーガは、彼女と話していてはじめて感じた苛立ちのようなものに、心が埋め尽くされていたのだ。 自分は、この仕事に誇りを持っている。 祖父から受け継いだこのレストランを、長く愛される店にしたいと、その為ならどんな努力も惜しまないと、そう誓って今まで働き続けてきたし、これからもそうしていくつもりだ。 その想いが、彼女には伝わっていなかったのだろうか。そう思うだけで、何故だかとてつもなく胸が苦しかった。 彼女の目には自分が努力する姿が、あまり魅力的に映っていなかったのだろうか。 出来上がった品をテーブルに置いた時も、ミノリの表情は変わらなかった。 いつもならスプーンを一口口に運ぶごとに綻んでいくその頬は固く、時折飲み込むのにも時間がかかっているように見えた。 美味しくなかったのだろうか。それとも、やはり先程の自分の発言が良くなかったのだろうか。 例えそうなのだとしても、レーガはどうしても前言を撤回する気にはなれなかった。 『…オレはさ、この仕事に誇りを持ってやってるよ。ミノリには、それがないのか?』 『…っ』 ぱっと俯いていた顔が此方を向く。 しまった、と思った時にはもう遅い。 空になった皿にスプーンを置いて店を出ていく彼女の後ろ姿は、とても小さく、儚かった。 あんな言い方、するべきじゃない。 自分が守ってきたちっぽけなプライドと、なにより彼女に理解してもらえていなかったという苛立ちにあそこまで背中を押されるなんて、今まで思ってもみなかった。 此方を見つめるオリーブ色が、まだ鮮明に頭に焼き付いていて離れない。 今から追いかければ間に合うだろうか。いや、追いかけた所でなんて声をかける? 誰もいなくなった店内で一人、床にしゃがみ込む。 大体なぜあそこまで苛ついた?相手が彼女だから?どうでもいい相手なら何をどう思われようと気にはしない、それを、なぜ彼女にはーー ああ。 「…オレ、あの子のこと好きなのか」 言葉にしてみると、意外とそれはすんなりと心の中のモヤを取り払った。 そうか、オレはあの子が好きなのか。 好きな相手に理解されないからと拗ねた結果が、これか。 彼女の気持ちは見向きもせずに、ただただ自分の思いだけ理解してもらおうとぶつけてしまった結果が、これか。 考えれば考えるほど、情けなさが込み上げてくる。 彼女に、ミノリに、ちゃんと謝ろう。 そして、やっと自覚したこの想いを、伝えよう。 そう心の中で呟いて立ち上がった、その時だった。 ーーバタン! 大きな音を立てて開かれた扉の向こうに、青白い顔をしたリーリエが今にも泣き出しそうな表情で立っていた。 「…レーガ、さん…ミノリさんが…!」 心臓が、握り潰される音が、聞こえた気が、した。 (2014/04/12) |