赤い糸 03



「みなさん、この町に新しい仲間が増えることになりました」

そうギルド長であるベロニカが発表したのは、まだ道に雪が少し残る寒い冬のことだ。
待ち兼ねた新しい牧場主が来るということで、同じくこの町の牧場主であるフリッツやエリーゼたちが各々闘志を燃やしたり喜ぶ姿を眺めながら、レーガは一体どんな奴が来るのだろうと想像を巡らせた。
話によると、どうやらその牧場主は女で、しかもフリッツと同等に若いらしい。
自然といつも店に来る若い女性たちを思い浮かべて、肩を竦めた。
まあどんな相手が来ようと、自分はいつも通りあの店で腕を振るうだけだ。そう、思っていた。
あの日、買い出しに向かった貿易ステーションで、彼女が降ってくるまでは。

とっさに受け止めた体は牧場主というにはあまりに小さく、細かったのをレーガは覚えている。
かばっと音がしそうなほど勢い良く頭を下げた彼女は、レーガが想像していたような女性像とはあまりにかけ離れていて、まだ垢抜けない子供っぽさのようなものを持っていた。
挨拶ついでに自分の働いているレストランを宣伝して別れた後、名乗り忘れていたことに気付いて振り返った時には、彼女は既に声の届かない距離を歩いていて。
赤いバンダナから伸びた髪が交互に揺れる様子がなんとなく可笑しくて、まぁまたすぐに会えるだろうと引き止めなかったのが数週間前のこと。
その時のことを、今、少しだけレーガは後悔していた。

「…来ないな」

一番混むランチタイムを終え、テーブルを拭きながら日も暮れかけた空を窓越しに見上げる。
無意識に口から出てしまった言葉に反応するかのように、背中の後ろで小さく空気が揺れた。

「…そんなに待ち遠しいのか?」
「…別に。そういうわけじゃ」

食後の珈琲を飲みながらこちらを窺っているのはレストランの常連でもあるクラウスだ。
持っていたカップを下ろして机に肘をつくその姿に、レーガは不満げに体を向けた。

「五回」
「は?」
「俺がここに来てからお前が漏らした溜息の回数だ。…一度会っただけだというのに、そんなに気になるのか?」

正直、そんなもん数えるなよ、と言いたい。
レーガは興味深げにこちらを探る瞳から逃げるように背を向けた。
別に、クラウスが思っているような意味で彼女が気になるわけじゃない。
ただ、今後常連客になるかもしれない相手を気にするのは、レーガにとって至って当たり前のことだ。
キッチンに戻って冷たい水で布巾を絞っていると、きい、と扉の開く音がしてレーガは顔を上げた。

「いらっしゃいませ。…あれ、あんたは」

扉の向こうに立っていたのは、丁度話題にあがったばかりの彼女だった。
思いがけない偶然に緊張して僅かに声が掠れてしまったが、彼女は気付いていないようで、数度他愛ない会話を交わして注文を終えた後カウンター席に着く。
他にもテーブル席は空いているのに、わざわざそこに座らなくてもいいだろう。
心の中で呟くと同時、小さく響いた笑い声に顔を上げると、空になったカップを置いて身支度をしていたクラウスと目が合った。
クラウスは心底可笑しくて堪らないといった風にこちらを見ると、ごちそうさま、と手でジェスチャーをして静かに外へ出て行った。

「…お待たせしました。チェリーパイです」

不味い、少しぶっきらぼうになっちまった。
慌てて彼女の反応を窺うと、彼女はレーガの言葉など気にもとめていないかのように瞳を輝かせていた。
こういうところは年頃の女の子らしいと思う。
一口口に運ぶなり美味しい、と漏らされた声に思わずレーガまで笑みが零れた。

「ミノリは味が分かるんだな」

さり気なく呼んだ名前は彼女のものだ。
貿易ステーションで別れた後偶然出会ったベロニカにその話をしたところ、そう教えてくれた。
案の定驚いた表情を見せる彼女が面白くて、今度は掠れないように、と一度咳払いをして息を吸う。

「小さな町だからな。新人の名前なんてすぐに広まる」
「…そういうものなんですか」

詳細を伝えなかったのは面倒だったからじゃない、そう言うことで彼女の反応がどう変わるのか見てみたかったからだ。
フォークを握ったまま難しそうな顔をしている彼女に、レーガは殆ど無意識に手を伸ばしていた。

「オレはレーガ。水曜以外は大体毎日ここで料理作ってる。牧場も大変だろうけど、良かったらまた食べに来てくれよ」

名を告げると同時に触れた髪はさらさらとしていて、名残惜しく思いつつも手を離す。
意を問うようにじっと見つめてくる視線に耐えられず、溜まっている洗い物に向かった。

「今日はそろそろ帰ります。ご馳走様でした」
「ああ、またな。ミノリ」

数度会話を交わした後立ち上がった彼女を目で追う。
去り際に向けられた笑みはとても純粋で、無垢なものに見えた。

またな、か。

さっきまでの彼女の様子ならきっと、ああ言わなかったところでまた来てくれるだろう。
それでも、そう言わずにはいられなかった。
自分の中に起こった些細な変化を感じて、思わず頬が緩む。

窓の外を見ると、射し込んでいた西日が沈んで、代わりに静かな夜が顔を見せていた。
一見見惚れてしまいそうになるその景色に、レーガはディナータイムに向けた仕込みが終わっていないことを思い出して、慌てて洗い物の手を止め、冷蔵庫へ走ったのだった。


(2014/03/24)
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