赤い糸 02



牧場主の朝は早い。

この町に来る前ののんびりとした朝を思い出して、ミノリは大きく息を吐いた。
あれからミノリはギルドに赴き、そこで紹介を受けたお隣のおばあちゃんーー名を、エッダさんというーーに、お世話になった。一週間もの間みっちりと牧場に関わる仕事の指導を受け、今は与えられた木造の小さな家、というか小屋で、一人朝の身支度を整えている。

「うん、綺麗に出来た」

洒落っ気のないミノリだったが、自分の髪だけは気に入っていた。
丁寧に結い終えた髪を鏡で確認して、仕上げにバンダナを着ける。
赤いバンダナはここに来る前に一目惚れして買ったものだ。
後頭部できゅ、とバンダナを結んだところで、その色から連想される彼のことをふと思い出した。
そういえば、まだあのレストラン行ってなかったっけ。
やることが多いあまり、毎日が目まぐるしく過ぎて、すっかり忘れていたのだ。
今日辺り、行ってみようかな。この間のお礼も改めて言いたいし。

「…まあ、まずはやることを終わらせないと」

ミノリは自分に言い聞かせるよう呟いて、外へと繋がる扉を開けた。

目の前に広がっているのはミノリの牧場だ。広い敷地内のうち、耕された一角にはかぶとじゃがいもの種が埋まっている。
まだまだ芽を出しそうにない膨らみだけれども、少し前におばあちゃんに教えて貰いながら育てたあのかぶの味を思い出すだけで、微かな希望が持てた。
美味しくなーれ。
そう願いながら、取り出したじょうろで一つ一つ水を注いでいく。
これが終わったら次は何から手をつけよう。
そんなことを考えながら動く日々は、思ったよりも充実していた。



漸く仕事が一段落したのは、まだ白に薄青がぼんやりと覗く程度だった空が、見事に真っ赤な茜色に染まる頃だった。
山を下りて来たミノリは、道の途中で詰んだ花を片手に、きょろきょろと彼が働いていると言ったレストランを探す。

「あった」

茜色に緑の屋根がよく映えたレストラン。赤いエプロンに緑の瞳をした彼とよく似ている。
外に並んだパラソルはテラス席になっているようだ。
窓口からそっと中を覗くと、カウンター越しに彼らしき人影が動いているのが見えて、ミノリは一寸の迷いもなく木製の扉を開けた。

「いらっしゃいませ。…あれ、あんた」

変わらぬあんた呼びに苦笑が漏れる。
笑顔で振り返った彼はミノリの姿に少しだけ驚くも、あの時と同じ爽やかな笑みを浮かべて手を振ってくれた。

「お久し振りです」
「久し振り。中々来てくれないから、忘れられたのかと思ってたよ」

レジを挟んで他愛もない会話を交わす。どうやらここは先に注文をしてから席に着くシステムらしい。
ぐるっと店内を見回すと、ミノリは自分以外にも二、三人客がいることに気付いた。
なんにする?と彼が問う声にはっとして、メニューの一番上にあったチェリーパイを注文する。

「じゃ、適当に座って待っててくれ」

そう言うと彼は踵を返して、キッチンの奥へ戻って行った。
渡し損ねてしまった野花を背の後ろに隠して、ミノリはカウンター席へと腰を下ろす。
流れるような動作で動く彼の姿はとても絵になっていて、いつしかミノリはまた見惚れそうになっている自分に気付き頭を軽く振った。





「お待たせしました。チェリーパイです」

すっとテーブルに置かれた品を見て、ミノリは心の中で小さく歓声を上げた。
シンプルな皿の上に、値段にしてはかなりおおぶりのチェリーパイが乗っている。
可愛らしく縁をチョコソースでデコレーションしてあるのは、彼がやったんだろうか。

「頂きます」
「どうぞ」

カウンター越しに腰へ手を当ててこちらを見つめる視線に、ミノリはどことなく居心地の悪さを感じながらもしっかりと手を合わせた。
一口フォークで切り分けて口に運ぶと、口の中に春の匂いが広がる。
ケーキに付いているのだろうか、一緒に出された紅茶もとても美味しい。

「すごく美味しいです」
「それは良かった」
「このチョコソースもビターで、この組み合わせならいくらでも食べられちゃいそう」
「…へえ、ミノリは味が分かるんだな」

感心したように呟いた彼の顔を、思わずまじまじと見つめてしまう。
私、自己紹介してたっけ?いつ?どこで?
ミノリの訝しげな視線を受けた彼は察したようで、軽く肩を揺らして笑うと、こほんと一度咳払いをした。

「小さな町だからな。新人の名前なんてすぐに広まる」
「…そういうものですか」
「あ、オレはレーガ。水曜以外は大体毎日ここで料理作ってる。牧場も大変だろうけど、良かったらまた食べに来てくれよ」

そう言ってごく自然にミノリの頭をぽんぽんと撫で、腕捲りをして洗い物を始めたレーガの姿から、暫くミノリは目が離せなかった。
本当にこの人は、女子のツボを心得ているんじゃないか。
素でやっているのか分かっててやっている確信犯なのかは分からないけれど、どちらでもタチが悪いのには変わらない。

「レーガさんってモテるでしょ」
「なんだ突然。…人並みだと思うけど」

絶対モテるに決まってる。
当然だ、こんなイケメンで料理も上手いとくれば、むしろモテない理由の方が少ないだろう。

「まあ、お客さんからプレゼントはよく貰うかな。花とか」
「そう、ですか」

ほぼ無意識に隠したままの野花をポケットにしまい込む。
なんとなく、彼の思う型にはまりたくなかった。
けしてそういった意味でこの人に花を贈ろうと思ったわけでは無いけれど、心の片隅に渦巻くもやもやとした思いがミノリをそうさせた。

「今日はそろそろ帰ります。ご馳走さまでした」
「ああ、またな。ミノリ」

久々に会って数分会話を交わしただけだというのに、ミノリの名を呼ぶその声は温かくて、ミノリも痛む胸を堪えて精一杯の笑顔を返す。

来た時と同じ扉を開けて外に出ると、肌寒い風に包まれた。
おそるおそる先程突っ込んでしまった花をポケットから取り出すと、ぴんと姿勢良く伸びていた茎が半分に折れてしまっている。

ごめんね。家に着いたら、花瓶に生けてあげるから。

肩を落とし折れた花を持って歩くミノリを、薄紫色の空だけが見つめていた。
裾に、茜色を名残惜しげに残して。




(2014/03/23)
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