『どうかしら、ターキーさん』 キッチンミトンをはめてターキー宅で一番大きな釜戸から大きな陶器の皿を出す。中には熱々とろりと溶けたチーズが香ばしく焼けているグラタンが出てきた。 「うん。よく焼けている」 グラタンにフォークを刺し、マカロニと鶏肉を持ち上げる。絡んでくるチーズと美味しそうな香りはターキーの腹の虫を刺激した。口に含んで咀嚼する。その一瞬一瞬の動作を名前は心配そうに見守るが、ターキーが言いたいことは一つしか無かった。 「名前、とても美味しいよ。上出来だ」 それを聞いて名前は花が綻ぶように笑顔になり、『良かった〜!』と安堵のため息をついた。 「私が思っていた通り食べたかったグラタンだ。これならもう店を出しても大繁盛するだろう」 『そうかしら!』 「あぁ。誰が料理を教えてきたと思ってるんだい?」 『ターキー先生よ!』 名前は幼い頃、初めてターキーに出会い彼の作ったターキーを食べたその時から懐いていた。 食べることが大好きだった能井にたくさん美味しいものを食べさせてあげたいと思ったのも一つだが、何より名前は料理を作りそれを誰かが「美味しい!」と笑顔になる姿を見るのが好きだった。 それにターキーと料理を教わりながら作る静かで落ち着いたこの時間を気に入っていたのだ。 好きこそ物の上手なれというが、 その通りに名前はめきめきと料理の腕を上げ、今ではターキーの舌をも唸らせる。キノコ料理しか食べない煙でさえも名前の料理だけは食べる程だ。 自分の店を出すことだって、夢ではない。 「能井はまだ反対してるのかい?」 『そうなの。 煙の“花煙”のように店舗を構えればいいだろうって。資金なら煙が出すだろうから問題無いって言うんだけど…』 「名前はワゴンでいろんな所を回りながら店を開きたいんだったね」 『そう! 私、今まで能井ちゃんや煙に守られてばかりでこの辺りしか知らないもの… もっといろんな所に行って、人や景色やその地域にしかない食べ物の事を知りたいの!』 箱入り娘の名前にとって、誰の力も頼らずに世界を広げることは何よりの夢であった。 「名前の想いは能井に必ず伝わるよ」 『想いは伝わっているはずなの!…でも、』 名前は床を見つめて浮かない顔をする。 『能井ちゃん、私のお店の警備員になるからその時はクリーナーを辞めるって言うのよ』 「おや。 あんなに楽しそうにやってるのに?」 『そうよ!煙ファミリーになって能井ちゃん交友関係がとても広がったと思うの! “シンセンパイ”?の話をする時の能井ちゃん、ホントに可愛いのよ!お友達だって増えたし、毎日楽しそうなの! なのに、私のお店の警備員だなんて一日中私と二人きりなのよ?そんなの、実家と変わらないわ… 能井ちゃんのことは大好きだけど、こればかりは私が心を悪魔にするの!』 「ついに名前も妹離れを決めたんだね」 『そうなの! 今が私も能井ちゃんも頑張り時なの…!!!』 名前は噛み締めるように言うが、 ターキーはようやくかと半ばほっとしていた。 名前と能井、姉妹が仲が良いのは良い事だが、二人はあまりに依存し合いすぎていた。 どこに二十歳を超えても恋人を作らず姉妹の心配して一緒の風呂に入り、一緒のベッドで手を繋いで寝ることを好む姉妹がいるだろうか。 「ワゴンはもう手配したのかい」 『もちろん!この前ターキーと見に行ったあのワゴンにしたわ!』 「うん。あれならいいよ。 …そういえば、名前は免許持ってるの?」 『何の?お店を出す権利ならこの前申請してきたけど』 「いや。そうじゃなくてワゴンのだよ。車の免許。」 『え?』 「…名前、君は誰かが運転する車に乗って目的地に連れて行って貰うことが多いだろう。でも一人の力でいろんな所に行くなら車の免許はいるんじゃないかな」 『ホントだ!今すぐ取りに行ってくるね!』 「そうだ。名前、ついでに私に良い提案があるよ」 『提案?』 *** 能井はその日不機嫌だった。 それはここ最近姉である名前が毎日忙しそうにしており、会える時間が以前よりもうんと減ったからであった。能井は煙が自分に黙って名前にファミリーの仕事をさせているんだろうと睨む。 また勝手なことしやがって! 能井は煙のいるであろう書斎のドアを乱暴に開けた。 「おい煙! お前名前にオレに内緒で仕事させてるだろ!」 書類に目を通していた煙は突然の来訪に驚きはしなかったが、能井から出た言葉には思う当たる節が無かった。 それはそうだ。 名前はターキーの提案で能井には内緒でワゴンで移動レストランを開いていた為、多忙を極めていただけなのだから。 「俺からの仕事なんざ、頼んでも引き受けないことくらいお前が一番分かっているだろう。」 「ぐっ…… なら何でここ最近忙しそうなんだよ。この前名前ン家に寄ったら死んだようにソファーに寝てたんだぞアイツ」 ここで煙は名前が能井に移動レストランを始めたことを伝えていないことに気づく。煙は名前が産まれた頃からずっと姉妹を見守ってきた。名前が能井にそんな大事なことを言わない等よっぽどのことがあるのだと考えた。 (ちなみに何故煙は知っているのかというと名前が店を出す権利を申請した先の一番トップが煙だからである。直接言われた訳ではなく、監査書類上で知った。) 「…今日は広場だ」 「ア?」 「広場に言ってみろ。 青のリボンが付いたワゴンだ」 「…何だよそれ」 煙はそれ以上は言わなかったが、“ワゴン”という単語にピンときた。 最後に会った時に『ワゴンを運転するには免許がいるのよ!能井ちゃん知ってた!?』と新発見でもしたかのように自慢げに話す名前を思い出したからだ。 *** 広場にはいくつか露店が出ていた。昼時は広場の露店で軽食を買って昼食を済ませるものや、観光客用に売り出している。 するとほのかに嗅いだことのある匂いに気付いた。 腹の虫が盛大に鳴る。 能井の腹をこんなに鳴らせるのは、彼女の料理しかない。 能井は弾かれるように当たりを見回した。 すると煙の言う通り、ワゴンからアンテナのように立った棒に青いリボンが結ばれている。 青いリボン… 幼い頃、能井の伸びた髪をまとめるのに名前がくれたリボンも、青色だった。 惹かれるように身体は無意識にそのワゴンへと向かう。 受付からチラリと見えたのは灰色のマスク。そしてその頭からは鹿のように二本の角が生えている。 間違いない!! 「やっぱり名前だ!!!!」 『え? ワアーー!!!能井ちゃんっ!!!?!』 こうして名前は店を出したことがバレる。 そして能井は警備員にはならないものの、毎日来れる時には名前の店に通い、変に絡んでくる輩から今日も名前と店を守っている。 2020.10.07 |