×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -






名前と交際を初めて一年が経つ頃。


『父に、会いませんか』


と誘われた。







彼女は母親を悪魔によって亡くしているので父子家庭だと話していた。父親も厳しい方だと聞いている。
父親が名前に公安勤めを勧めたのも給料が安定している“ 男 ”と結婚するきっかけ作りの為だと前に話していた。


そんな中、私を何と言って紹介するのだろう。


友達、

先輩


恋人、なんて言った日には名前は勘当されるかもしれない。



「無理に紹介しなくてもいいんだよ」


静かに聞く私を名前はまた静かに見つめる。ふさふさの愛らしいまつ毛をを伏せた彼女は口を開いた。


『クァンシさんとは、長いお付き合いをしていきたいので…
父にも私が好きな人を知って欲しいんです』


そしてはにかむ。


『それに今回は怒られたり会ってくれなかったりするかもしれないけど、
何度も会っていけば許してくれるかもしれないから』


あまりの可愛さに私はそこが人がまばらにいる公園であることを忘れ、隣に座る名前の頬にキスをした。








“許してくれるかもしれない”




その言葉が引っ掛かる。やはり、名前もすんなり認めてもらえるとは思っていないようだ。
これからどうなるのかなんて考えたくもない。今はただ、名前との時間を慈しむだけだ。




***




名前の父親と会うのは来週の日曜日だった。

家だと父親が激情しやすいかもしれないので、喫茶店で会うことにしている。
名前が事前に私の事を話しておき、初めて会って「女じゃないか!」とならないようにしておく作戦だ。


「どうしたクァンシ。今日は煙草の量多くないか?」
「……」


岸辺に言われて山積みになった車の灰皿に気付く。


「今日名字さんが休みだから機嫌悪いのか?」
「…それもあるがそうじゃない」
「どういう意味だ」




私は少なからず緊張していた。



名前を育ててくれた大切な父親に会うのだ。
嫌な印象は持って欲しくない。
だが同性同士の恋愛等、認めてくれそうにない気もする。


「…来週、名前の父親と会うんだ」
「そうなのか。
…え?名前って、名字名前?」
「そうだ」


突然何も言わなくなったので岸辺に目を向けると、あいつは目を見開いている。何なんだ。


「遊びじゃなかったのか」


どこまで失礼な男だ。名前の前でそんなことを言ったら殴り倒していたところだ。
しょうもなさ過ぎて窓を開けて外を見ながら紫煙を吐いた。


「遊びだなんて思ったことは一度も無い」
「…そうか」





遊びだなんて。




先日名前に“長いお付き合いをしていきたい”と言われた時、どれだけ嬉しかったことか。


デビルハンターはいつ死ぬか分からない。
先の未来なんて考えられない。

それでも一緒に未来を見ようとしてくれている名前の存在は、私にとって愛おしく、とても大切な存在になっている。

こんなにも誰かの事を想ったことはないかもしれない。

あの娘のことを想うと心臓が焼け付くように熱くなる。




その日はドーナツを買って帰った。名前がたまに買ってくるドーナツが急に食べたくなり同じものを買って帰った。今日はずっと名前のことを考えていたからだろうか。

最近はずっと名前の家に帰っていたからそもそも久しぶりに自分の家のドアを鍵を開けたな。

一人の部屋はあまりに静かだ。

ドーナツも、前食べた時ほど美味しくなかった。味が変わったんだろうか。せっかく自分の嗜好の為だけに買ってきたのに、残念だ。




***



次の日。書類を提出するついでにドーナツのことを話そうと事務局に立ち寄ったが、名前の姿は無かった。近くにいた事務員の子に声を掛けると


「名字さん、今日は微熱があるそうでお休みなんです」
「そうか… ありがとう」
「いいえ」


昨日は指定休だったから、もしかしたら昨日から体調が悪かったのかもしれない。
仕事終わりに公衆電話から名前の家の電話へと掛けてみるが、繋がらなかった。寝ているのかもしれないな。
明日来たら、またその時に話そう。




だが、名前は次の日も、そのまた次の日も休んだ。こんなことは初めてだ。


「名字さんがこんなに休むなんて初めてですよね」
「うん。多少体調悪くてもクァンシさんに会う為に体這ってでも来てたもんね」
「ですよね。会ったら治ったって言ってましたもんね」
「もしかしたら名字さん、何か事件に巻き込まれたんじゃ…」
「や、やめてくださいよ!そんな物騒な!」


事務局の近くを通るとそんな声が聞こえた。









次の日。今日こそ絶対名前と話そう。
そう思い事務局に来た私は、顔見知りとなった事務員さんに話し掛けた。


「名字さん、ご家庭の事情で退職したんですって…」
「え…」
「何も聞いてないですか?」


それは思ってもみない言葉だった。


「名字さんのお父様が退職届を出しに来られたんですって。」


やはり、父親が関係していたか。


「名字さん、お父様が酷く過保護だって言ってましたもんね」
「ねぇ。なんだか気の毒だわ」


隣に立つ岸辺が「名字さん辞職したのか」と無機質に尋ねてくる。無視していると


「クァンシに愛想尽かしたんじゃないのか?」


なんてふざけたことを言ったので「黙れ」と頬を殴っておいた。指定休の前の晩、あんなに愛し合ったのに急に会いたくなくなったから仕事を休むような子ではない。

それに、長く付き合っていきたいと言ってくれた。自分が言ったことをころころと変える岸辺とは違うのだ。



もしかしたら本当に事件に巻き込まれているのではないだろうか。
連れ去られたり、…いや、それはないか。休む時には本人が必ず朝欠勤の連絡を入れているようだ。

とにかく今日は名前の家に行ってみよう。
体調不良なら身体が心配だし、何より名前自身が今どんな様子なのかが気になる。


蹲る岸辺を横目に私は決意した。






***



その晩のことだ。私は仕事終わりに名前の家へ立ち寄った。

何度インターホンを押しても玄関が開く気配は無い。不躾ながらドアに耳を当てると中には人が動く気配はあった。
三回ノックし、「名前、私だ。クァンシ」と声を掛けた。


「心配だから来た。名前が嫌なら、今日は帰る。
欲しいものがあればいつでも…」


その時、ガチャリとドアノブが鳴りドアが少しだけ開いた。チェーンは繋がったまま。
隙間から見えた彼女は髪をおろし、顔はあまり見えなかったがあまり調子がいいという様子には見えない。


「名前、大丈夫…?」


私の問いかけに反応し、俯いていた名前が少しだけ顔を上げる。やっと目が合ったのに、不安そうに揺れている。


『クァンシさん…』
「どうし…、

名前、」


一度名前を呼んだかと思えば、ボロボロと涙を流したのだ。


「どうしたんだ、何があった」
『…っ』
「開けて、ねえ」


何を言っても名前は頑なにドアを開けない。チェーンを外そうとはしなかった。


『…ごめんなさいクァンシさん…っ
ごめんなさい…っ!!!』



喉から込み上げるように言われたその言葉と共にドアが勢いよく閉められる。


私は何が何やら分からないまま、手を添えたままのドアを見つめ、その奥から聞こえる名前のせせり泣く声を聞くしか出来ない。


彼女に何かあったのは明らかだ。


だけどその夜は何度声を掛けても名前が出てくることは無く、私がその場から立ち上がったのは朝日が上り始めた頃だった。

ドアノブが動く音がして、ドアが開いた。


『…ずっと、そこにいたんですか』
「…待っていればいつか開けてくれると思ってたから」


ドアの奥で名前が困ったように小さく笑い、チェーンが外された。




















『紅茶でいいですか』
「うん」


泣き腫らして乾いた声でも名前は思いやる言葉を掛けることが出来るのか。


室内はカーテンで光が全て遮られていて暗い。洗濯物も、シンクには洗い物も溜まっている。綺麗好きな彼女を見てきたからどこか違和感があった。


招かれていつもの二人掛けのテーブルに座る。

紅茶のいい香りが広がる。
一睡も出来なかった頭にはあまりに優しすぎた。











静寂が訪れた。



俯く名前の顔は下ろした髪が邪魔でよく見えない。しきりに左側の髪を触ることも少し違和感がある。普段はそんなに髪など触らない子だ。


『えっと…』


名前が口を開いた。


『父に話したんです、クァンシさんのこと』
「そうか…」
『……そこまでは計画通りだったのになぁ。』


また、左側の髪を触った。少し頭が揺れた時、名前の顔が少し見える。

気の所為だろうか。




「名前、顔を見せて」




びくりと名前の肩が揺れた。


『…えっと、あの、その、…前に、お話しましたよね。父のこと。少し、怒りっぽいって…クァンシさんのこと話したら、お父さん怒っちゃって、だから、その……』


名前は、どこか父親を庇うような言い方をしていた。


『……私の言い方も良くなかったのかもしれないから…だから、…驚かないで下さい』
「……」


そう言って名前がぎこちなく顔を上げる。
主に左側の目の上から頬にかけて。
目の上は赤黒く腫れ上がり、目の下から頬に掛けても赤く、少し青いところも出始めて痣になっていることが見て取れた。


「…どうして早く言わなかったんだ…」
『…心配掛けたくなくて…会ったらクァンシさん、絶対心配すると思ったから…お仕事もあるのに私のことで心配掛けたくなくて……ごめんなさい』


名前はまだ、私に心配をかけまいとするのか。


「名前の心配をしたいと思うのは、私のわがままかな…」


そう言うと名前は口を紡いだ。


「名前は、私が熱を出したらどうする」
『お見舞いに行きたいです。私に出来ることがあれば、その全部をしたいです』
「私もその気持ちなんだよ。名前に何かあるのなら、私が出来る全てのことをしてあげたい。それで何か解決するのなら、私はそれを惜しむことは絶対に無い。

…名前に“長く付き合っていきたい”と言ってもらえて、私は本当に嬉しかったんだよ。私は悪魔の姿にもなれる化け物だ。そんな私にもこんな言葉を掛けてくれるのは君だけだ。

だから、頼むから“心配をかけたくない”なんて、他人行儀なこと言わないでほしい」


言い終わる頃には名前はまたボロボロと涙を流し、両手で顔を覆っていた。













「お父さんはいつから手を出すように…?」


涙が止まる頃。
私の尋ねたことに、名前は話し始めた。


『…母が亡くなってからです。
母はお日様みたいに温かくて優しい人でした。父は厳しい人でしたがその中には私たちを思いやる優しさがありました。二人がいてこそ我が家はバランスが取れていたんです。
……母が亡くなって父は変わりました。私達に厳しいのは私達を思いやってのことではなく、自分の思い通りにしたいが為に言うようになりました。そして思い通りにいかないと手を上げるようになって……

今回も久しぶりに実家に帰ったんですけど、父は昔のような厳格だけど優しい目をしていたんです。仕事の話をすると“そうか、そうか”って頷いてくれて…。だからクァンシさんのことも話したら行けるんじゃないかと思って話したんです。そしたら、

…父に、目を覚ませと言われました。悪魔討伐をやるイカれた奴らの傍にいるから頭がおかしくなったんだ。って…

でも…私、気の迷いなんかじゃないんです。クァンシさんを想う気持ちは本当になんです。
それを父に伝えると、その……』



名前は殴られたであろう左側の前髪を撫で隠そうとした。



「…話してくれてありがとう。」


その手に触れると名前はうるんだ瞳で私を見つめた。握り返してくれた掌は熱かった。


『クァンシさん、好きです。貴女が好き。
もう、クァンシさんに会えないというなら私、もう命なんか要りません』
「命って、」
『父が明日来るんです。私を実家に戻すって。頭が正気に戻るまではどこにも出さないって。どうしようクァンシさん…っ私、また叩かれちゃう…っお父さんにまた叩かれちゃう…!』
「名前、落ち着いて。私がいる。今目の前にいるのは私だよ、落ち着いて」


矢継ぎ早に言う彼女を落ち着かせるようにゆっくりと背中を撫でると、少し呼吸を落ち着かせた。


「大丈夫だよ名前。私はここにいる」
『私が男性なら…もっと堂々と
貴女に好きだと言えたんでしょうか』
「…」
『どうして私は女に産まれてきてしまったんだろう…っ』
「…違う。私は名前が女だから君を好きになったわけじゃない。
名前だから、好きになったんだよ」



もう、限界なのかもしれない。



「名前、私と逃げよう」







***




『ドーナツ買ってきましたよ』
「ドーナツ…」


名前に渡されたドーナツの箱を開ければ、それは私が先日買って食べたドーナツと同じものが入っていた。
前に私がそれを選んで美味しいと言ったからまた買ってきてくれたのか。

でもそのドーナツ、味変わっていたよ。
この前私が一人で食べた時、美味しくなかったんだ。
なんて、せっかく名前が買ってきてくれたのにそんなこと言えるわけもない。

コーヒーより紅茶が好きだという名前はティーポットに紅茶を入れ、カップを二つ用意している。









三週間前の、名前が辞職して私が家に行ったあの日。

名前に一緒に逃げようと誘ったあの日。


「日本を出よう」
『日本を…』
「日本を出れば、もう私達のことを知る者はいない。私達が一緒にいても不思議に思う人はいないだろう。」


私の問い掛けが想定外だったようで、名前は初めこそ目を点にして驚いたが思考が落ち着いてくると伏し目がちに睫毛を揺らした。


『…私が国外に逃げようとしたことを父が知れば、父は私を探し出して家へ戻すでしょう。そしたら私はもう、二度とあの家からは出れないのでしょうね。』
「…」
『だから、私を殺して』


私は名前がついに追い詰められているのかと思い、焦燥から心臓がぎゅっと苦しくなった。



「何言って、」
『私を悪魔か何かに殺されて死んだことにしましょう。そうすれば、父はもう私を探しません。』



名前の提案はこれまた想定外のもので、驚くのは私の方だった。彼女は時々とんでもないことを思いつく。この期に及んで思いつきの冗談を言うような余裕は私たちには無い。
名前は自らを死を偽装し、この世から消えようとしていた。


「…君はそれでいいの」
『…帰りを待たれるより、諦めてもらえる方がずっとマシです』


それからは簡単だった。私の知り合いに“髪の毛から身体の一部を作ることが出来る”者がいる。そいつに頼み、名前が死んだ時に残った身体の一部として父親に渡す為の偽造品を作ることにした。そいつは名前の遺伝子の分かる物をくれと言ってきた。
名前は小指を切り落とすから頭(生首)を作ってくれとこれまた物凄いことを言い出したが、私の決死の引き止めにより、長い髪を切り毛束から指を作って貰うことにした。

名前の長い髪は短くなった。知り合いが契約する悪魔の力により、名前の遺伝子そのままの指が三本出来た。
これを“悪魔の被害にあった名字名前の残った数少ない遺体”として提出する。

名前の父親へそれを渡すと膝から崩れるように落ち、涙を流していた。父親はその口から懺悔のような謝罪の言葉が溢れていた。
そんな姿を見ると罪悪感が胸に湧き出るが、私は必死に名前から聞いた今まで父親にされた暴力の数々を思い出し、想いを殺す。



「…俺だけでも良かったんだぞ、名字さんの父親にアレを渡しに行くの」


岸辺はバディだからいずれ気付くだろうと思って打ち明けていた。


「…名前とこれから生きていくのは私だ。私は“名前の最後”を彼に届ける義務がある」
「…まぁ、これで名字さんは自由の身ってわけだな。」


名字宅から帰る車内。岸辺はそう言い、煙草を蒸した。


「…岸辺、お前経理に知り合いの女はいるのか」
「…は?」




***



閑話休題。
話を戻そう。今に戻る。


『今日はアップルティーにしました』


ティーポットから紅茶を二つに注ぎ、香りを楽しむ彼女は普段通り、穏やかだった。
あの痣も今はもう薄くなっているから、髪を下ろしていれば殆どの人は会っても気付かないだろう。


「航空券、取れたよ」
『…公安の方が手配して下さったんですか?』
「…今回の件は、公安としてはあまり関与したくないようだ。
代わりに岸辺が引き受けてくれた」
『岸辺さんが…』
「あいつは、…顔が利くから」
『お知り合いが多いんですか?』
「…巷の女の子はああいう顔が好きみたいだよ」
『そうなんですか。
私はクァンシさんのお顔が一番好きなので知りませんでした』


なんてニコニコとしながら平然と言う。


「…よくそんな恥ずかしい事言えるね」
『もうこれからは一緒に居られるんですから。どんどん言って、どんどん慣れて、こんなやり取りを当たり前にしたいです』


そうだ。これからはもう一緒にいられる。

部屋で一人静寂に耳を痛めることも、周りの目を気にして手に触れることすら億劫になることも無くなる。


『さ、食べましょう。ドーナツ』


名前に差し出された例のドーナツを受け取り、恐る恐る口に含む。一緒にいる時にまたあの味だったら納得しないと。

と、
思っていたが、ドーナツは初めて食べた時と同じくらい、いやもっと美味しいと思えた。




「名前、あのね」



私の話を最後まで聞いて名前はくふり、と笑い、


『クァンシさんは寂しがり屋さんになってしまったんですね』


と言った。
前はそんなことなかったのにな。
私をこんなものに変えてしまったのは君だよ名前。

寂しがり屋の化け物デビルハンターなんて不気味だね。
そんな生き物とこれからずっと一緒だなんて、これは呪いだな。



それを聞くと名前はさらに嬉しそうに笑って、なんて素敵な呪いなのと頬を赤らめた。




2020.09.01