「名字ちゃん、クァンシと付き合ってるの?」 公安内の別棟に建てられた部署へと繋ぐ静かな渡り廊下。そこで声を掛けられたのは親しい事務局の先輩等では無い。 公安対魔特異課のトップとして知られる マキマさんだった。 事務的なことで一度だけ話をしたことがある。 ほっそりとした綺麗な人で、手は白魚のよう。 一目、マキマさんと目が合えば金縛りにあったかのように身体が動かなくなる感覚になる。身体の奥から小さな恐怖が生まれるような、いつもそんな感覚に陥るのだ。 「怖がらないで。名字ちゃんとお喋りしたいどけだから」 『あ…、すみません』 「ううん。急に話し掛けられたらびっくりしちゃうよね」 クァンシさんと目が合った時にはどきどきして“私を見てくれた”と嬉しい気持ちが高まるのに。 なんて、マキマさんに失礼なことを考えてしまっていた。 「私じゃなくてクァンシなら良かった?」 「そんなこと、ないです」 どきりと心臓が跳ねる。 マキマさんは不敵に口角を上げた。 マキマさんも今から自分の課へ戻るそうだ。同じ方向なのだから一緒に帰ろうということで、今私の隣にはマキマさんが歩いている。 「で、付き合ってるの?」 『あ…』 なんとか免れたと思っていた先程の話は、まだマキマさんは覚えていた。目を逸らし、出来る限りマキマさんに気持ちがバレないようにする。 「私、同性同士の恋愛とかあんまり気にしないよ。悪魔と人が恋してたっていいと思ってる」 マキマさんの価値観は噂と違って温厚で少し驚いた。 「名字ちゃんが気にするようなら、ここだけの話にしておくよ」 この優しい言葉に弱い私は咄嗟にマキマさんと目を合わせてしまった。 「やっぱり付き合ってるんだ」 頬がかあっと熱くなる。いたたまれなくなった私はマキマさんにもう気持ちを晒したくなくて、『失礼します』と走って事務局へ逃げてしまった。 息切らして帰ってきた私に先輩が「どうしたの?」と尋ねるが上手く返事が出来たかどうか分からない。私の頭の中は先程のマキマさんとのやり取りでいっぱいだった。 どうしよう。クァンシさんとの関係を認めてしまった。 マキマさんにバレてしまった。 *** 公園に現れた名前はそれは青い顔をしていた。そして勢いよく私に頭を下げる。 『クァンシさん、ごめんなさい…』 私達は休憩時間になると本部近くの公園で食事をする。勿論仕事で本部を出ている時は別だが、私も名前もなるべく食事は一緒に食べるようにしている。 時間が合わずすれ違い別れ話に、なんてことは交際する者達にとってはよくある話だ。私達はそうならないよう、コミュニケーションの一環として食事は一緒に取ることにしていた。 今日も公園に待ち合わせ、いつものベンチに座っていると浮かない顔で名前が来た。いつもは私よりも早く来るのに。そして開口一番に謝ったのだ。 「私は謝られるようなことをされた記憶が無いよ」 『いいえ!してしまったんです!私が!クァンシさんにも立場があるのに!弁えず! 私が…!』 「名前、落ち着いて。一旦座って」 『はい…』 私の隣に座った名前は『これ、今日のお弁当です』とひよこの風呂敷に包まれたそれを私にくれた。 付き合うようになってから、私の昼食は毎日名前が作ったお弁当だ。色彩豊かで栄養バランスも良い。ケンカをした時は私の嫌いな食材も入っているが、それ以外は私の事を考えて作ってくれている愛情が詰まったお弁当。私はこのお弁当の蓋を開ける瞬間がいつも幸せで好きだ。 「今日も美味しそう」 『私のことは気にせず、食べてください…私は食欲がありません』 「名前、“いただきます”は一緒にしよう」 一緒に手を合わせ食べる幸せを私に教えてくれたのは名前の方だというのに。私が顔を窺うように下から覗き込み目を見つめる。名前はこの仕草に弱い。頬を少し赤らめながら渋々『…分かりました。』と頷き、名前も持ってきた小さなバッグからお弁当を取り出した。名前のお弁当の風呂敷は犬の風呂敷。私が選んだもの。 二人で手を合わせて「いただきます」と声を揃えた。 蓋を開けるとやはり今日も色彩豊かで美味しそうだ。今日は鶏そぼろと卵と桜でんぶの三色ごはん。そしてアスパラベーコンとミニトマト、ほうれん草のお浸しが入っている。 「やっぱり美味しそう」 『デザートも持ってきました』 食欲が無いと言いながらもデザートを出す名前が愛おしい。 バッグからもう一つタッパーを出し蓋を開ける。中にはうさぎの形に切られたりんごがいくつも入っていた。こういうちょっとした手間を掛けるところが名前の可愛いところである。 だが当の本人は相変わらず浮かない顔で目を下に向けている。 私はりんごを一つ摘み、名前の可愛い小さな口へ運んだ。 『む、』 「名前の落ち込んだ顔をずっと見ているのは辛い。 ゆっくりでいいから、名前の言葉で話して」 私の目を見て安心したのか、小さくしゃくり、と音を立ててりんごを噛み咀嚼する名前は静かに頷いた。 飲み込むと『さっきなんですが…』と事の経緯を話し始めた。 「……そうか。マキマが関係を知ったのか」 『はい。』 落ち込む名前の姿を見て、私は一つの考えが真っ先に浮かんだ。 名前は私との関係が恥ずかしいんじゃないだろうか。 同性同士の恋愛を受け入れられる人は多くは無い。人一倍恥ずかしがり屋でなるべく目立たずに過ごしたいと願う彼女にとってみれば、とんだ災難だったのではないだろうか。だからマキマにバレた時も同性愛者だということがバレた、恥ずかしい、という気持ちになったのかもしれない。聞きたい。名前に真意を聞きたい。でも私が聞きたくないことを名前が言ったら、知らなければ良かったと後悔するかもしれない。私は悩みに悩んだが決心し、尋ねた。 「名前はマキマにバレた時、どう思った」 少し、声が震えたかもしれない。 私の問いに俯いていた名前が弾かれるように顔を上げて私を見た。 『クァンシさんに迷惑を掛けてしまったと思いました』 迷惑とは 一体、どういうことだろう。 『クァンシさんは男性が多いデビルハンターの中でもずば抜けて仕事が出来ると聞いています。綺麗だしかっこいいし、何よりとっても優しくて!本当に魅力的な方です!岸部さんが好意を寄せる気持ちは本当に分かります!』 「…ありがとう」 目をキラキラさせて鼻息荒く名前は言う。不意に褒められ、私の気持ちはほわほわと癒され、和らいだ。岸辺は余計だが。 だがどうしてこれが迷惑に繋がるのか。 『でも私と来たら地味で、何をやっても鈍臭くて自慢出来るものは何もない、つまらない奴で… そんな私とクァンシさんが、つ、付き合ってる、だなんて、マキマさんの口から誰かに噂されたらきっとクァンシさんがなんでアイツ?って評判が悪くなってしまいます。 だから、クァンシさんの迷惑にならないように私の心の中だけそっと閉まっておいて、二人になった時、クァンシさんの前だけでこの気持ちを出していこうと思ってたんです。』 段々尻すぼみしていく名前の言葉に私はつい笑ってしまった。 『な…! 私は本気ですよ!?』 「ごめん。あまりに名前が真面目すぎるから」 『まじめ…?』 名前は小首を傾げる。 この娘は根っからの真面目な子だから自分がどれだけ肩に力を入れているのか自分でも分かっていない。 「そこまで考えてもらえて私は嬉しい。…それに、マキマにバレた所で別に構わないよ」 『そうなんですか…?』 「うん。噂も広まれば良いと思ってる」 『えぇ!?どうしてですか!?』 名前は知らない。一緒に過ごしてきて、公安内には幾人か彼女を同僚以上に思っている者がいることを。だがそんなことを言っても名前は信用しないだろう。 私との関係が知れ渡れば、牽制にもなるというのに。 「…まぁ、君が自分で思っている以上に君は魅力的だということだよ」 言葉を濁した私に『どういうことなんですか!』と彼女は困惑の顔をする。 他の男に言い寄られて名前が嫌がるようならば、私が守るだけのことだ。 *** 「名前に問い詰めたらしいね」 「…聞いたの、クァンシ」 マキマは琥珀色の瞳を長いまつ毛で影を作りながら言った。 黙っていれば、美しい女だと思う。 「酷く青い顔をしていたよ」 「それは可哀想なことをしたかな」 「私達の関係を知ってどうしたかった」 私の問いかけにマキマはうーんと顎に手を掛ける。 「興味本位、かな。 最高水準のデビルハンターが好きになる女の子ってどんな子だろうって思ったの」 「それを知ってどうするつもりだ」 紫煙を吐く私を見て、マキマは不敵に口角を上げた。 「名字ちゃんは偉いよ。 私と目を合わせようとしないの。あまり会話をするつもりも無さそうだった。きっと本能で危険回避しようとしてたんだね」 「…マキマ、頼むから名前にだけは手を出さないでくれ」 「名字ちゃんのこと、大好きなんだ」 「あの娘以外は死んでもいいと思ってる」 マキマは更に口角を上げる。 私の返答をお気に召したようだ。 「大丈夫。最初から何もするつもりはないよ。本当に興味があっただけ」 「…そうか」 あまり納得はいっていないが、今日の夕食はハンバーグだと名前が言っていたから私も早く帰って名前と一緒に食べたいので切り上げることにした。 「それにしても、岸部さんが可哀想だね。ずっと片思いなんじゃない?」 「人間のメロドラマに興味でもあるのか?」 「私、ビー級映画って宝探しみたいで嫌いじゃないの。意外と面白いのがあったりするでしょ?」 私達をお前の余興にするな。 2020.08.19 |