私は世間知らずだ。 社会の仕組みを知る為に銀行勤めの厳格な父の勧めから公安の事務員になった。公安で勤めれば職場で公安勤めの立派な男性と出会い、結婚にこぎ着ける可能性が高まるという父の考えは手に取るように分かった。とは言うものの、事務の仕事は私に向いていた。臨機応変なんて無い。言われたことを行い、枠に嵌った順序をこなしていけばいい。 そこで出会ったのがクァンシさんだった。 公安対魔特異課の方でデビルハンター。綺麗な女性で、右目を怪我しているのかいつも黒い眼帯をなさっている。 初めて話したのは彼女が県外出張の書類を持ってきた時。書類を渡してくれた指先が紙で切れていて痛そうだったので絆創膏を渡した。その時驚いてたのか目を丸くしていた。見ず知らずの人間からお節介に絆創膏を渡されたら驚くし嫌だったのかもしれない。慌てて謝ったけれど彼女は「そうじゃない。嬉しかった」とお世辞を言ってくれて、「巻いて欲しい」と私に傷口へ絆創膏を巻くことを許してくれた。その時の穏やかな表情が鮮烈で、その日から彼女が忘れられなかった。 *** あれからクァンシさんが事務局の前を通らないか、誰か来る気配があるとつい目で追ってしまう癖が出来てしまった。 例え彼女が前を通ったとしても、こちらを見ていれば会釈をする。もしくは目が合って口角を上げるくらいしか出来ないのに。 だけどこの間なんて、どうかしていた私はお菓子にメッセージとくまのイラストを書いて渡してしまった!!!毎日命懸けで悪魔から私たちを守ってくださっている方に“頑張ってください”なんて!!!しかも語尾にはハートマークを付けて!!!! 私はなんて大馬鹿者だろう!!! クァンシさんの何者でも無いのに、 気持ち悪いことをしてしまった。 それから数週間はクァンシさんを見ることも無かった。見限られたのかもしれない。当然だ。あんな気持ち悪いことをしたのだ。事務局の前を通らなくても外へ行く方法なんていくらでもある。 そうだ。事務局の前を通って外へ出るよりも、反対のドアから出た方が街へ出やすい。 今までクァンシさんの優しさに漬け込んで調子に乗ってしまっていたのだ。 あぁ、私はどうしてこうも世間知らずなんだろう。 デビルハンターとして女性で名を挙げているような人が、私のような一般事務員に優しくして下さっているだけでも有難いのに。それを疲れている中無理してここを通って下さっていることに気が付かないなんて。本当に最低だ。 私の気分は深海の底を撫でるかのように落ち込みに落ち込んでいた。 「名字さんいる?」 あまり聞いた事の無い声に私は顔を上げる。 そこには事務の女性の先輩たちが黄色い声を上げて盛り上がっていた話題の人、岸辺さんだった。 ちなみにその時私は彼のバディであるクァンシさんの方を推したが先輩達は“あの女怖くない!?”と一蹴りされてしまい落ち込んだ。 『はい、私ですが…』 「…あぁ、君か。」 黒い目は優しそうに弧を描いているが、私にはどこか静かで冷ややかに見えた。 きっとデビルハンターの方というのはそういうものだ。クァンシさんが優しいだけ。 「これ、クァンシから」 『え…!』 それは一通の手紙だった。真っ白な封筒は閉じられていて、宛先に私の名前があり、差出人に名前は無かった。 『あの、クァンシさんは…』 「今入院してるんだよ」 『!そ、そうだったんですか…』 心配しなければならないのに、私は安堵の気持ちの方が大きかったのだ。 ここに来ないのは嫌われた訳では無かった。 それだけが何よりも嬉しくて私の気持ちは深海の底からあっという間に海面へ顔を出す。 「…来週まで入院する予定なんだ。君が見舞いに来てくれると、クァンシも嬉しいと思うよ」 『あ…』 「じゃ、俺はこれで。」 手を挙げてふらりと立ち去ろうとする岸辺さん。 『あ、あの、』 「なに」 『入院先の病院は…』 「大学病院だよ。」 『ありがとうございます。 あ!お、お手紙も!わざわざすみません』 「いいえ」 岸辺さんは最後まで親切だけど何処か距離のある人だった。 *** 岸部さんがいなくなった後は先輩たちから「どういう関係なのよ!!」「ラブレター!?」と胸ぐらを掴まれ揺すられた。クァンシさんからの手紙だということを伝えると蜘蛛の子を散らすように離れていった。家に着き、ソファーに体を埋めながらその事を思い出し溜息をつく。 そうだ、手紙!クァンシさんからのお手紙! 慌ててバッグからファイルに入れて大事に持ち帰った手紙を出す。 大事に、大事に、丁寧に封を切った。 “ 名字 名前様 またあなたの笑顔が見たい。 クァンシ ” 『クァンシさん…っ』 明日、病院へお見舞いに行こう。 そしてちゃんと伝えよう。 私も貴女との時間が楽しみだと。 どうしよう私、クァンシさんに恋をしている。 2020.08.08 |