08
 支払いを終えて店の前で待つと、仁王が戻ってきた。少し早めのお昼だったから、まだ時間はあるけど。
「この後どうする?戻る?」
「あー…」
 携帯を眺めた彼は「うわ」と小さな呻き声を漏らした。
「どうしたの?」
 無言で見せてきた画面にはメッセージ通知が映っていた。

『雅治、一体どこでサボってるの?せっかく学校での様子を見れるかもって、楽しみに来たのに!お姉ちゃんはきちんと受けて、みんなの前で堂々と正解してたわよ』

 多分お母さんからだろう。刹那は苦笑した。仁王はゲンナリとして、既読をつけないままポケットにしまい込む。言われなくてもわかる。まだ戻らないだろう。
 部活の時間はいつも通りだから、まだ4時間ほども空き時間がある。といってもそんなに長く仁王と時間を潰すなんて、何をしたらいいか分からない。本とかはあんまり興味無さそうな感じするし。
「んー、映画でも見る?」
「そうじゃの」
「おっきい映画館あったよね。時間調べてみる」

 だが仁王が「そんならいい場所を知っちょるぜよ」と歩き出した。いい場所?横顔を見上げると、チラッと視線を落として「ちと歩くけど、穴場があるんじゃ」と答えた。

 駅前を超えて、寂れた通りの方に向かっている。こっちの通りに来るのは初めてだった。少し昭和っぽい、レトロな趣が残っている気がする。
 興味深く眺めていると、仁王が尋ねた。
「どうやってサボったんじゃ?」
「え?」
「親に何も言われんの」
「ああ、うち緩いから。休みたいって言ったら休ませてくれるよ」
「マジか。サイコーじゃな」
「まぁね〜」
「体調不良とかじゃなくても許してもらえるん?」
「うん。親に仮病とか使ったことないかも」
「はー、ええのう。柔軟で」
 柔軟……。ママはイカレてるというか、ズレてるというか、常識がないという風にしか思ったことなかったけれど、不登校になった時も「刹那ちゃんが行きたくないならいいと思う!」で全肯定だったし、まぁ、柔軟といえば柔軟なのかもしれない。
 そんな風に考えたことがなかった。

 話しながら10分ほど歩いた場所で仁王が「ここじゃ」と立ち止まった。
 古ぼけた茶色い錆びた看板に、色の変わったレトロなポスター、近くは蕎麦屋さんとか、居酒屋とか、小汚いホテルとか、そういうのが立ち並んでいて、店先から眺めたカウンターには人がいない。
「ここ、映画館?」
「おん。ミニシアターっちゅうやつじゃな」
「へー。こんなところあったんだ」

 慣れたように入っていく仁王の背中を恐る恐る追う。昼なのに薄暗い。
「誰もいないけどやってるの?」
「チケット決めたら呼ぶ。そこに今日の上映書いとるけど、なんか見たいのあるか?」
 か、看板……。
 驚きながら演目を見るけれど、知っている名前がない。困っていると彼が後ろから解説した。
「個人経営じゃから、短編映画とか劇団作成映画とかが多いぜよ」
「ふぅん。仁王くんのオススメは?」
「名画上映なら外れがないのう」
「じゃ、それにしようかな」

 名画の欄を見ると、今日の上映は『タイタニック』と書いてある。かなり有名な古い映画だ。刹那は華やいだ声を上げた。
「え!これ前から見たいと思ってたの。やってるんだ!」
「たぶん違法じゃろうな」
「え?」
「じゃから捨て値でチケットが買えるぜよ」
 当たり前のように何か言われた気がする……違法なんですか?なんで仁王は普通の顔をしてるんだ。タイタニックって死ぬほど有名だから、たぶん権利関係がどうのこうの…個人の映画館で流していいんだっけ?だから違法?

 考えていると仁王は構わず店員さんを呼んでしまった。現れたおばさんは死ぬほど不機嫌そうで、ぶっきらぼうな態度だった。
 学生、チケット2枚でたった500円。
 本当に捨て値だ。
 でもお金取るから違法なんだろうな。なんだか笑けて来てしまう。なんでこいつこんな場所知ってんだよ。

 上映まで30分ほどある。
「ねぇ、近くにコンビニない?色々買いたいんだけど」
「何か食いたい派?」
「それはどっちでもいいけど。飲み物は欲しいかな」
「近くにセブンがあるぜよ」
 ポケットに手を突っ込んで先導する仁王はこれまたノタノタ歩き出す。
「仁王くんは?何か食べる?」
「俺映画は何もいらん派」
「おけ、じゃわたしも飲み物だけにしとく。隣で飲むのも気になる?」
「や、つか別に食ってもええよ」
「大丈夫!こだわりないから。でも静かに見たいタイプだと思うから最初に謝っとくね」

 申し訳なさそうな刹那に、仁王は首を傾げる。
「わたしたぶん死ぬほど泣くと思うから」
 彼は驚きを浮かべて素直に目を丸くした。意外そうに「泣くん?」と言う。
「えー、泣くよ。わたし映画とかドラマとかすぐ泣くよ。マンガとか小説でも泣くよ」
「ほー…意外じゃのう」
「そう?」
「泣きそうになっても隠そうとするタイプじゃと睨んどったんだが」
「わたしけっこう感受性豊かだよー」
「覚えておくぜよ」
 笑いながらも、内心「うわー」と思った。やっぱ見抜かれてるんだ。
 刹那は創作とか、誰かの境遇とか、自分に関係のないことになら素直に泣けるけれど、自分自身に付随すること──痛みや悔しさや悲しみ──は絶対に隠そうとするし、悟られないように振る舞う。仁王の分析は正しい。
 見抜かれたことが気恥ずかしくはあるが、今日映画を見て、その印象は覆されるだろう。
 よかった、と安堵する。
 映画に感動して泣くのを見られるよりも、強がりで自分の殻が強いと解釈される方が、より刹那の芯に近いから嫌だ。

 コンビニでお茶とタオルとポケットティッシュを買い込む。仁王は何も言わないが一応彼の分のお茶も買う。
 日が高く、空が晴れていた。

「結構映画とか見るの?」
「まぁ、割と」
「どんなの好き?」
「なんでも見るぜよ。本も映画もこだわりはなか」

 上映時間になるまで、シアターの前のソファに座って取り留めのない会話をする。
 仁王は尋ねたら意外と答えてくれる。
 前よりも変な鳴き声で誤魔化される頻度が減ったような気がするのは、気のせいだろうか。薄暗い建物の中で、光に満ちる道を眺めていたら、不思議な気分になった。
 こんな昼間から仁王とふたりで映画館に並んでいる。
 歳の近いとふたりで出掛けるのは、侑士以外だと初めてだ。
 ああ、厳密には初めてではない。絵麻の男を奪う過程でデートしたことはある。けれど、それは刹那はカウントしていなかった。だってまったく楽しくないし、いつも付き合うまでは進めず、告白してものらりくらりと引っ張って、絵麻の反応を見ては円満に終わらせていたから。
 そういう意味では仁王は、歴代の"奪った男リスト"の男たちと同じはずなのに、刹那の中で少し違う枠組みにいる。
 彼氏"ごっこ"だからか、仁王が刹那を好きではないからか、共感できるからか、そのすべてだろうか。

 仁王を横目で見上げると、ふと視線がかち合った。
「…何?」
「ピヨッ」
「……」
「変な感じじゃと思ってのう」
「あ、それわたしも今おんなじこと考えてた。恋人ごっこだからデートじゃないし、でも友達と遊ぶのとも違うし、変だなって」
「おまんから言い出したんじゃろ」
「ふふ、そうなんだけどね」
「普通に彼氏は作らんのか?すぐに出来そうじゃけど」
「仁王くんこそ」
「めんどいじゃろ」
「右に同じ」
「……このごっこはいつまで続ける気じゃ?」
「仁王くんに振られるまで」
「……」

 言葉を途切れさせ、仁王のお茶を飲む音が聞こえた。
 静かな空間に足音とざわめきが響いて、ゆっくりとした空間が一気に戻る。
「終わったみたいじゃの」
 シアターから人がぞろぞろ出てきた。といっても十数人ほどしか客は入っていなかったようだ。

 名画のシアターに行くと、まだ仁王と刹那しか客が入っていなかった。
 暗がりの中で仁王の銀髪がぼんやりと浮き立っていた。
 彼のシャープな輪郭と、髪に隠れた鋭利な横顔をそっと眺め、刹那は前を向いた。
 やっぱり、変な感じ。

*

*

 シアターが明るくなった瞬間、刹那はタオルで顔を覆ったまま腰を折った。唇を噛んで嗚咽を堪えるが、耐えきれなかった声が「ひぐっ」「ぅっ」とタオルでくぐもっている。
 エンドロールが終わっても余韻が全身を巡っていた。
 隣の仁王はしばらく刹那を放っておいてくれたが、とうとうとてつもなくやりづらそうに「……大丈夫か?」と声をかけた。
「ウ"ン"……」
「思った以上に泣いとるのう…」
「め"ちゃくちゃ良"か"った"……」
「それは何より」
 雑な返事だが声は引いている。
「そろそろ立てるか?」
「グスッ……」
 タオルで顔を拭い、刹那はうなずいて立ち上がった。その拍子にグラッと足元が揺れる。体力が奪われていた。おっと、と腕を掴まれたのを、礼を言ってやんわりと引き剥がす。

 外に出ると光が眩しくて、刹那はぎゅうと目を細めた。
「ほんとに良かったね……」
「そうじゃの」
「愛があった……」
「お、おう」
 感動しすぎて疲れ切っている刹那は、低い声でポツポツ感想を漏らした。仁王は緩やかに相槌を打つ。
「ジャッ…ジャックのことをさ…ずっと秘めたまま、でも彼をずっとさ……うっ……」
 だが、映画のことを話そうとすると、美しかった映像、素晴らしい演技、生き抜こうとした人間たち、そして彼らの間にあった愛を思い出して、落ち着いていた涙がまたぶり返してきた。
「まだ泣くんか…ほんまに涙脆いんじゃな」
「ごめ…」
「謝らんでもええけど。名作じゃったしな。あー、どっか座るか」
 通りにはまばらに人通りがあり、歳若い派手な仁王と泣いている刹那にチラチラと視線が集まっている。
 ヒクッと小さく嗚咽を漏らしながらも、人目にやや気まずそうな彼と、泣いているからか少し優しげな声に刹那は悪戯心を起こした。
 俯いて、彼の制服の袖口を掴む。

「ん、なんじゃ?」
「うっ……わ、別れたくない……!」
「はっ?」

 素っ頓狂な声を漏らしギョッとする彼に、刹那は声のトーンを上げた。
「ダメなところは全部直すから、お願い…す、捨てないで……!」
「おい、ふざけんじゃなか!人聞きが悪すぎるじゃろ」

 焦った彼の様子に、刹那は「あはは!」と声を上げた。
「この俺をペテンにかけようとは、気の抜けん奴じゃ」
「あは、ふふっ、仁王くんってさ、反応いいよね、けっこう」
 笑いながら涙を拭う。余韻と泣いた後の倦怠感は残っていたが、気を抜いたら泣きそうになるのは止まった。仁王をからかうのは面白い。
 苦々しく顔をしかめ、ポケットからガムを取り出して1枚口に入れる。
 チラッと見たのに気づいたのか「おまんも食うか」とくれたので「ありがと〜」と指先でつまむと、パチンッという軽快な音と共に軽い痛みが走った。
 思わず目を丸くする。

「パッチンガム?」
「ピヨッ。引っかかったのう」

 彼の形の良い唇が弧を描く。先程までの苦々しさが一切消えている。なるほど、嫌そうなのも演技だったのか。
 これは意趣返しだろう。
 にしたって……。
「小学生?か、可愛いイタズラ」
 ペテンというには微笑ましすぎる仕返しに、刹那を息を震わせた。
「しゃーないじゃろ、すぐ出来そうなペテンが今はこれしかなかったんじゃ」
 彼は肩を竦め、飄々としていたが、並んでいた歩みが早まった。クスクスしながら刹那はとてとて追い掛ける。
 追いつくとまた足を早め、また刹那はとてとて走り、何回か繰り返すと仁王は満足したのかペースを落とした。
 クールぶってるけど意外と子供っぽいところがあるんだな。男の子に滅多に思わないけれど、刹那は少し彼を可愛らしく思った。
 楽しそうに微笑みを浮かべている刹那に小さくため息をつき、仁王も小さく笑う。

 映画を見たら、そろそろいい時間だった。
「カフェとか行ってもいいがどうする?」
「え、仁王くん部活に戻ると思ってた」
「感想話し足りないんじゃなか?」
「んー、話したい気持ちはあるけど、どうせまた泣くし」
「それはペテンじゃなかったんか」
「まさか。嘘泣き出来るほど器用じゃないよ」
「どうだかのう。ま、感涙は嘘じゃないって分かっとうよ。お前さんかなり序盤から泣いとったからのう。微動だにせずつつーっと泣くから驚いたぜよ」
「うわ、見てたの…」
「そりゃあ、声が聞こえたき」

 映画に来たなら映画を見てろ。
 からかう口調に今度は刹那が、苦々しげに、気恥ずかしそうに視線をずらした。仁王は溜飲が下がったようにニマリと口端を緩めた。

「今日はありがとさん。助かった。金は月曜に返すきに」
「いーえー。わたしも意外と楽しかった」
「意外は余計じゃ。ほんじゃ、気ぃつけての」
「うん。部活頑張って」

 ヒラッと手を振り、猫背で学校に帰って行く仁王を見送り、刹那はゆっくりとまばたきした。
 彼にお礼を言われるのは、初めてだ。気遣いの感じられる言葉を向けられるのも。
 仁王くんってお礼言えたんだな……。
 内心で失礼なことをつぶやく。
 今まで、刹那がしてあげて当然、みたいなモテ男ムーブをかましていたのに。それはたぶん、わざとだったのかもしれない。
 もしそうなら、仁王に対して刹那の印象が少し上向いたのと同じように、仁王の中でも刹那の好感度が上がったんだろう。

 刹那は踵を返した。
 今日で色々話をできた気がする。今日は楽しかったな。なぜ楽しいと素直に思えるのか刹那は考えた。
 男なんか、嫌いなのに。
 今日を思い返して、仁王には、異性として消費される不安や警戒が軽減されるからかもしれない、と思った。
 恋人ごっこの契約に、お互い、恋をしないことや、無意味な肉体的接触を求めないことが結ばれている。仁王が刹那を利用したいと思う限り、仁王を異性として不安視しなくていい。
 だからか……。
 もちろん確実に安心は出来ないけれど。
 理由が分かると、刹那は肩がほっとして、まるで布団にくるまったときのような緩やかな気持ちに包まれた。

 恋人ごっこの契約がある限り、刹那は仁王を「男」としてではなく、「人間」として見れる。

 それはまるで……なんというか、自分が「普通」に戻ったみたいで、刹那は思わず瞼の裏が熱くなった。
 異性を気持ち悪く、自分を消費してくる敵だと警戒し、心を強ばらせるのではなく、対等な「人間」だと思えるのはずいぶん久しぶりで、うれしくて、なつかしくて。
 自分が一歩前に進むための、正常な人間関係を築いていくための道標のようなものを見つけた気がした。

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