05
 2週間ほど経って、仁王のルーティンが分かってきた。
 音楽の授業の時はほぼ確でサボっていて、他の授業のまちまちに抜けているけれど、小テストや実技の時はきっちり出ている。
 授業中呼び出されることにはクレームを入れたので控えめになったけれど、その代わり昼休みに一緒に屋上や和室に抜けることが増えた。
 彼にはサボりのスポットがまだ複数あるようだったけれど、刹那に教える気がないらしい。それならそれでいい。刹那も仁王との関係を維持するために彼のことをある程度は把握したいけれど、それは彼を見て分析すれば良いことだし、彼が踏み込まれることが嫌いなタイプだということも分かった。

 女遊びが激しいという噂だったけれど、今のところ刹那と恋人ごっこを始めてからは、そういう話は聞かなかった。
 むしろ仁王は刹那の目には、人混みから逃れてひとりになれる場所を探しているように映る。

 刹那はあえて馴れ馴れしく、しかしあくまで距離感を取って仁王に話しかけていたが、彼は刹那に対して気負うことも邪魔者扱いすることもなかった。
 二人でいる時間は独特なものだ。
 ずっと無言でいたかと思えば唐突に話しかけてきたり、返事をすれば独り言だったり、話しかけてきたのに返事を聞いていなかったりと、自由人だ。
 刹那の場合は、それは計算で相手のペースを崩すものだけれど、仁王はたぶん素だからタチが悪い。聞いたことないけど、絶対AB型だと睨んでいる。

「この前部員で遊園地行ってきたんじゃけどな、」

 刹那たちが過ごすのはたいてい和室だった。最近は梅雨入りが本格的になり始め、小雨が気まぐれに地面を濡らしていく。
 教室で食べる気分ではない時、どちらともなく寛げるこの青い畳の匂いがする部屋に来る。月曜日と金曜日が仁王とお昼を食べ、一緒に帰る日としていた。最初は水曜日だったけど、仁王の彼女として浸透され、女の子たちが仁王を取り囲まなくなるには週1では足りなかったのだ。

「うん」
 彼は返事があってもなくても気にしないが、一応刹那は本に目を落としながら相槌を打った。
「これ見てみんしゃい」
「ん?」
 画面を伸ばしてきたので、近付いて覗き込む。刹那は虚をつかれてプハッと吹き出した。
「待ってこれ真田くん!?耳とかつけんの!?」
「な、似合わんじゃろ」
 狙った通りの反応が返ってきて、仁王がニヤリも唇を緩ませる。スワイプして画像を見せてくれたが、幸村や丸井は似合っているのに、柳生や柳は地味に似合わなくて笑ってしまう。真田なんてもうひどい。
「え、これさ、真田くんぬいぐるみ持ってない?笑 ステラ・ルーってチョイス可愛すぎでしょ。罰ゲーム?」
「や、自主的に」
「いやいやいや、ペテンにかけようとしてない?」
「これはガチぜよ。あいつうさいぬ好きなんじゃ」
「うさいぬ……?!ねえさすがに騙されないって」
「ほんまじゃて」

 刹那は疑いの目で眺めたが、彼は相変わらず端正な顔で飄々とニヤつくばかりで、いつもの鳴き声で誤魔化した。それが本当かどうか刹那には見抜けなかったが、本当だったら面白い。それに、仁王がこうした、どうでもいいことを話しかけてくれるのは前進だったので、微笑んだ。

「ほんとだったら可愛いね。ちょっとキュンとしちゃう」
 仁王がなんとも言えない奇妙な顔つきをした。
「……可愛いか?これが?」
「かわいいよ。ギャップっていうか」
「女子はほんにすぐなんでも可愛いとか言うのう」
 仁王は嘆かわしそうに首を振った。

 話ながらも刹那は画面の中を好奇心を惹かれた風を装って熱心に見つめた。サッ、サッ、と横からスワイプして、お目当てを探す。
 ステラ・ルーの耳の真田、ジェラトーニの耳をつけた幸村、そしてダッフィーの耳をつけた柳。小さく口元に笑みを浮かべながらピースをしていたり、真田を見つめながらノートを取っている横顔など、学校では見られるはずもない柳蓮二のオフの姿に、刹那は叫びたくなる気持ちを必死にこらえ、興味がなさそうな顔をなんとか作った。
 可愛い。
 可愛すぎる。
 頬が赤くなりそうで息を止める。

 え〜、柳くん耳似合わなくて可愛い……。シーソルト・モナカを食べる小さな口を凝視して、口元をニヤつかせては慌てて顔を引き締める。見た目は貝殻で可愛いけど、モナカってところが和風な柳っぽいかもしれない。

「ずいぶん熱心に見よるのう。おまんもテニス部が好きなんじゃの」
 いつしか忘れていた男の声が間近で聞こえ、刹那はハッと冷や汗をかいた。別に、と言い訳を口にする。
「仁王くんも友達とはこういう風に楽しむんだな〜って。意外と年相応なところあるじゃん」
「その写真、俺映っとらんけど」
「……」
 画面ではピースする丸井と切原、そして見切れる柳が映っていた。
「なんじゃ、丸井のファンなんか?」
「テニス部を嫌いな女子なんか立海にいないよ」
「紹介してやろうか」
「……」

 ずいぶんしつこいな、と横目で睨むが、仁王の口元はいつも通り胡散臭げな弧を描いているだけで、感情は読み取れない。関わって思うが、仁王の相手をまっすぐ射抜く細長いキリリとした目は、いつも笑っているようにも、笑っていないようにも見える。
 ただ、美形の圧だけがある。
 刹那は仁王から離れて肩を竦めた。

「いらない。縁があるなら自然と仲良くなるでしょ」
「気長じゃのう」
 刹那のことを試そうとしたのだろうか。断った刹那に気を悪くする様子もなく、彼はそれ以上言うのを辞めた。丸井のファンだとか勘違いされたままなのは少し嫌だ。けれど、訂正するとそれはそれで逆に怪しい気もして刹那は何も言えなかった。

「顔だけならテニス部では仁王くんがいちばんかっこいいよ」
「……なんじゃ、俺のファンだったんか」
「顔だけなら」
「繰り返すな」
「それ以外はべつに」
「照れ隠しか?それならもっと可愛くしてもらわんと心動かされんぜよ」
「プリッ」
「真似するな」
「ピヨッ」
「イラつくのう…」
「言われる側の気持ち分かって良かったじゃん」
 仁王はブツブツと「ほんに可愛げのない……」とぼやいた。可愛げがなくて結構。
 柳の写真をもらうわけにもいかないので、そのまま刹那は壁にもたれ、目を閉じて脳内に柳蓮二を反芻して焼き付けた。
 クラスが離れてからはほとんど話もしていない。
 だから新規絵、しかもSSR級の柳を浴びれて、仁王には感謝しないといけないかもしれない。

「寝るん?」
「んーん」
「もうすぐ予鈴じゃよ」
「あー……サボる」

 午後1番の授業は地理だ。めんどくさいし、眠くなるし、地理なんて暗記科目は授業を受けなくても点は取れる。少し考えてそう答えた刹那に仁王が低く笑う。
「なんじゃ、優等生の刹那チャンも不良になってきたのう。俺の影響かの?」
「優等生だった覚えなんかないけど」
 むしろ学校側からは刹那は問題児の方だろう。小6は不登校で、今も精神科に定期的に通っている腫れ物学生なんて教師には扱いづらいに違いない。
 こうしてサボったり、仮病で早退することも割とあるけれど、大して強く言われないし、この長い前髪も風紀違反だが許されている。
 大人たちは関わりたくないのだ。
 刹那は見た目からして大人しそうで、普段は真面目で、成績もいい。強く言われたら泣き出してしまいそうで、それが原因で精神科に行かれてはやってられないんだろう。
 幸い、立海は歴史が古い伝統校とはいえ、完全な実力主義、結果主義だ。
 成績さえ上位をキープしていればある程度の融通は効く。そうでなければサボり魔の仁王雅治が無罪放免されているわけがない。

「じゃー俺もサボろうかの」
「えぇ…」
「嫌そうな声出すな」
 感情のままの声が漏れ、仁王が楽しげに言う。
 いけない、最近こいつの前で気が緩んでいる。演技しないのは仁王が自分を好きな女が嫌いだろうという打算からだが、イコールで素の自分で振る舞えるというわけではないのに。

「サボっても暇じゃない」
「そのまま返すぜよ」
「わたしは寝るし」
「俺も」
「ほーん」

 仁王はいつも寝ているけれど飽きないのだろうか。
 座布団に頭を乗せて横になった彼を眺める。寝るか、ご飯を食べているか、テニスをしているかしか、彼の起きている時の時間の潰し方を知らない。ずいぶん退屈そうな人生に見える。

 目を閉じる仁王を眺めていると、彼の顔でさっきのレア柳が上書きされそうだったので、刹那は考えることを辞めて反芻する作業に戻った。
 この前の誕生日に無記名で送った革製のブックカバーと竹栞は気に入ってもらえただろうか。使ってくれているか、彼を見掛けることも少なくなったので確認もできなかった。
 柳があの細くて長い指でページを捲り、花の刺繍のような模様が入った栞を挟むところを想像すると、脳内の中にしかない映像だというのに、あまりにも絵になりすぎて刹那の胸は甘やかに疼いた。
 そして毎回、柳のことをカッコイイと思ってしまう自分に幻滅する。
 柳は他人のことを美醜で判断したり、美醜で態度を変えない。そういうところが好きなのに、刹那自身はルッキズムに囚われている。柳に想いを馳せるたび、そんな自分が醜く思える。

*

「ねえ」

 家に入ろうとした時、背中に声が掛けられた。高くて、掠れていて、緊張感と怒りを孕んだ固い声。顔を見なくても分かる知った女の声に、刹那の身体を一瞬で興奮と嫌悪感がゾワッと駆け巡った。
 半笑いを浮かべて振り返る。
 案の定、そこには前永絵麻が立っていた。
 この家ではないけれど、前母と住んでいた神奈川の家に絵麻は何度も遊びに来たことがあるから、その時と被ってなぜか急激に懐かしさを引き起こした。

「仁王雅治と付き合ってるの、あんたでしょ」
「久しぶりだね」

 余裕ぶって微笑み、そう返した刹那に絵麻は「ッッッヂッ」とまるで鳥の鳴き声のような盛大な舌打ちを漏らして激しく顔を歪めた。

「なんでこの家を知ってるの?」
 ここは母の実家であり、小学の頃住んでいた団地は少し離れたところにある。絵麻の家もそっちのはずだ。
「つけて来たに決まってんじゃん。あんた今こんなとこに住んでんだね。相変わらず昔っから貧乏くせー家に住んでんだ」
「……」
 煽るような絵麻の表情に舌打ちを零したくなるのは、今度は刹那の番だった。眉根をピクリと動かし、沈黙した刹那に絵麻がまくし立てる。

「いつまでこんなこと続けるつもり?」
「あんたが生きている限り」

 刹那は即答した。

「どんだけあたしのこと好きなの?いい加減ストーカーみたいでウザいんだけど!どうせ仁王のことも好きじゃないんでしょ」
「どうかな」
「仁王に言うから。白凪は仁王のこと好きじゃないよって。利用されてんだよって」
「言ってみたら?雅治くんが、それでわたしと別れるかどうか、試してみたらいいじゃない」

 一瞬、絵麻の顔が泣き出しそうに歪んだ。それもすぐに怒りをたたえた睨み顔に変わる。
「テメーが雅治なんて呼ぶなよ!」
「なんでいけないの?わたし、雅治くんの"彼女"なのに」
「……」
 堂々とした刹那に怯み、絵麻が俯く。「なんで仁王も、こんな女なんか……」と潤んだ、小さな小さな呟きが聞こえて、刹那は優越感で全身に震えが走った。

 脳内で叫ぶ。
 仁王くん、本当にありがとう。付き合えて本当に良かった!受け入れてくれて良かった!

 今まで近づいて、刹那に恋をさせて奪ってきた男たちの中でも、絵麻は今回がいちばん傷付いているようだった。
 うれしくて、気持ちよくてクセになってしまいそう。お酒に酔った時のような酩酊感みたいなもので、刹那はクラクラした。

「ビッチのくせに!」
「なんとでも」
「興味無い男にいい顔してるヤリマンのくせに!あんたなんかが、どうやって仁王を落としたのよ!どうせお得意の股でも開いたんでしょ!」
「どうかな、試してみたら?前永だって、オッサン相手に磨いてきたベッドのテクがあるんでしょ?」
「……っ!黙れよ、ストーカーが!いつまであたしの人生ジャマしてくんだよ!」
 怒りか屈辱か悔しさか、絵麻は真っ赤になって刹那を睨みつけ、とうとう一筋ポロッと涙を零した。だが、刹那は瞬間的に沸いた苛立ちで喜びに水を刺された気分になった。
 最初に刹那の人生をメチャメチャに踏み潰したのは、前永絵麻のくせに。
 被害者面して……!

「とにかく、いつまでもあたしに付き纏わないでよ!」
 捨て台詞みたいなものを吐き捨てて、絵麻はスカートを翻して走り去って行った。刹那は拳を強く握り締めた。
 なんでストーカーのように、刹那が絵麻に執着しているように扱われなきゃいけないんだ。そう思って腹の底が黒々と渦巻くのに、でもやっぱりそれは正しかった。
 執着して、憎んで、許せなくて、いつも気が狂いそうになるのは刹那の方。
 今回ようやく絵麻を傷付けることには成功したけれど、でも絵麻は刹那みたいに、夜中にレイプされた日の悪夢を見て飛び起きることも、粘膜のぬるぬるした感触と殴られた痛みがフラッシュバックして嘔吐することも、死にたくて死にたくて仕方のない時だって、きっとない。
 刹那だってあんな女にされたことなんて早く忘れてしまいたい。絵麻のようにカラッとその場だけ泣いて、強かに開き直って生きれるのなら、そうなりたい。

 悔しくてたまらなかった。
 そして、認めたくはないが、羨ましくてたまらなかった。

 どうして絵麻は、レイプされてもあんな風に、次々と違う男と恋をして、他人を恐れることなく、ヘラヘラと笑って生きていけるんだろう。

 刹那は、やられたことに黙って泣き寝入りするようなお利口な被害者じゃなかった。ママに頼み込んでママのお客さんを紹介してもらって、刹那だって絵麻にやり返している。
 お金を払って絵麻をレイプして貰い、動画も撮影してもらった。
 もちろん、足がつくような真似はしていない。
 そのお客さんが準備した若い男たちが動いてくれたらしい。知らない男にレイプされた絵麻は動画の中では泣き叫んでいたし、殴られて、だんだん大人しくなってぐちゃぐちゃにされていた。
 彼女の親も騒いでいた。
 けれど、数週間もすれば絵麻はコロッとして、学校に笑顔で登校して、飽きもせず誰かと付き合ったり、開き直ってパパ活を始めたりして、「女であること」を素直に楽しんでいる。

 どうして、どうして刹那ばっかりずっと、あの時のことを忘れられずに苦しんで、絵麻は人生を謳歌しているのか、悔しくて、羨ましくて、妬ましくて、憎らしくて、刹那は絵麻のことを考えるとどうしようもなく泣き出してしまいたくなる。
 なんで、あの女ばっかりあんな風に……。

 目の奥が鈍く痛んで、刹那は暗くなった空を見上げ、ゆっくりと深呼吸した。
 あの女のことで泣くなんてたまったもんじゃない。
 わたしはそんなに弱くないはずだ。
 自分に言い聞かせて、意識的に笑顔を作ると、刹那は家のドアを開けた。

prev back next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -