02
「作ったやつとか写真ないの?」
「あるぜー。んじゃー…」

 画面をスクロールして見せてくれた写真に刹那は「わぁ…っ」と幼い声を上げた。瞳がきらきらと光る。王道のショートケーキに始まり、チョコケーキ、カップケーキ、アップルパイ、そのどれもがプロの作品みたいに見た目まで凝っていて、ちいさく、可愛い。

「これ、売れるんじゃないの?」
 瞳をまあるくして素直に賞賛する彼女に、丸井ははにかむような、得意げなような顔で頬を掻き、「んじゃ、とっておき」と写真を見せた。
 マロンと洋梨のロールケーキらしい。
 ほんのりした薄茶色の生地に生クリームを塗り、上にチョコの欠片が敷いてあって、栗と洋梨が散りばめられている。ほんとに、店で売っているみたい。
「美味しそう…」
「だろぃ?これは去年の海原祭のやつ。ちょっと膨らみが甘くて3位だったんだよなー」
 気軽に言うが、ほんの少しだけ悔しさが滲んでいる。デコの技も磨いたし、とかフルーツが迷いどころだよな、旬もいいけど料理部が仕入れてるのはどれも品質がいいし…とか、興が乗ったのか色々早口で話した丸井は最後に「今年こそ優勝はいただくぜ」としめた。刹那ははぁ、と感心しきりだった。
 技術とか、品質とか言われても刹那にはよく分からない。
 でも、見せてくれたケーキが全部涎の落ちそうなほど美味しそうなことだけは分かった。

「すご…ごめん、すごいしか言えないんだけど、ほんとにすごい!めちゃくちゃ美味しそう!弟くんたち大喜びなんじゃない?」
「まぁな。オレに似て全員甘党だし。ジャッカルも美味いって太鼓判押してるんだぜ」
「だろうね。え〜、ほんとすご…」
「お前も甘いもん好きなの?」
「うん、好き。てか、なんでも好き。美味しいもの」
「分かってんな!…美味そうだろぃ?」
「丸井くんのケーキ?」
「おう」
「当たり前じゃん!こんなの食べなくても美味しいって分かるよ。目で見て、もう美味しい」
「ハハッ!じゃー今度作ったら持ってきてやるよ」
「えっ!…えっ!」

 一瞬言葉を失い、そしてまた言葉を失った。
 ケーキを?作ってくれるって?
 そんなことを言われるなんて思ってもみなかった。褒めていたのも、そんな、作ってほしいとアピールしているつもりじゃなかった。

「何が好き?」
「え、あ…え…」
「どうした?ショートケーキとかチーズケーキとか、好みあんだろぃ?」
「好みまで合わせてくれるの!?」
「当然だろぃ」
「や、そんな…申し訳なさすぎるっていうか…つ、作ってもらえるだけ……っていうかおすそ分けしてもらえるだけでじゅうぶんありがたいのに……」
「なんで急にそんな腰低い?そろそろ作ろうと思ってたし、弟たちのついでだから気にすんなよ」

 変な奴、と丸井が笑う。彼に押し切られて刹那はおずおずと、なんでも好きだけどビター系チョコケーキとモンブランが特に好き、と答えた。丸井は美味いよな、とうなずいた。
 まさか本当に作ってもらえるのだろうか。そんなまさか……。
 弟たちのついでと言いながら、刹那の好みを聞いてくれたということは、もしかしたら刹那の好みに合わせてくれるんじゃないだろうか。
 丸井がお裾分けしてくれるだけで、ほんとうに嬉しいのに。好みに合わせてもらったらどうお返ししたらいいか分からない。いや、でも社交辞令かも……。

 自分を律しようとしたけれど、「作ってやろうか?」というその申し出だけで、浮かれきってしまって、期待と歓びで胸が甘く痛むのを抑えられない。
 ただの社交辞令で、口約束で、丸井が忘れ去ったとしてもかまわないくらい、ただそう言ってくれるだけで、刹那は天にも昇るほどだった。
 あまりにも嬉しくて、そして申し訳なさと、どうしたらよいか分からなくて、刹那は丸井を押し切ってDollyの会計を払った。払ったあと、ケーキを作ることを押し付けているように感じたかもしれないと後悔した。そのくらい冷静じゃなかった。

 その日の夜はなかなか眠れなかった。
 本当に丸井は作ってくれるのかな……。もし本当に作ってくれたらどうしよう……?
 ドキドキして、ワクワクして、ソワソワして、楽しみで寝付けないという初めての経験に、自分で少し笑った。

*

 数日が経ち、落ち着かなくて仕方なかった刹那も「そんなにすぐあんな本格的なケーキ作れないよね」と約束を忘れそうになった、ある日の朝。
 明日から合宿だ。
 いつも通り早朝から練習に来て、部室の掃除をしていると、本当に本当に珍しく丸井が早くやって来た。刹那より早く来るのは柳、真田、それから部員の数名である。

「おはよう。どうしたの、今日は早いね」
「色々作業しててさ。お前いつもこの時間?早くね?」
「そう?真田くんとかもっと早いよ」
「そりゃーあいつはな」

 合宿に参加することが決まってから、刹那は準レギュについて仕事をしていた。部室の掃除も第一部室をメインにしている。
 丸井がラケバを置いて、着替えのために部室を出ていこうとした刹那を呼び止める。「持ってきたぜ、例の」ウインクしながらケーキボックスを持ち上げて見せる丸井に、バクン、と心臓が跳ねる。

「えっ…あ、え、ほ、ほんとに……?」
「おう。明日から合宿だろ?だから昨日からおやつの作り置きしてたんだよ。お前のリクエストにもバッチシ応えてやったから、期待していいぜぃ」
「み、見ていい?」

 テーブルの上に置いたボックスをおそるおそる、丁寧な仕草であける。指先が震えた。まさか本当に……。
 左右に開くと、中にはスイーツが3つ。チョコのカップケーキと、小さなモンブラン、メロンのババロア。飾り付けまで可愛くされた華やかな手作りケーキたちが並んでいる。

「……っ!」

 美味しそうに艶々輝いている。刹那の目には物理的に光を放って見えた。心臓の奥が震え、じ〜ん……と温かいものが溢れた。その熱は全身を巡り、目の奥を熱くさせていく。

 ど、どうしよう……。泣きそうだ。
 あまりにも嬉しくて、感動して……。

 でも、いきなり泣き出したら不審者もいいところだと思って、必死に喉の奥を締める。
 箱を開けた途端固まってしまった刹那に、当然歓声や喜びの声が上がるものだと思っていた丸井は、怪訝に「おーい?どうした?」と尋ねた。

「あ、ご、ごめん」
「気にいんなかった?」
「まさか!本当に……本当に嬉しい……すごく美味しそうで……可愛くて、言葉が上手く出てこない……」
「ハハッ、お前って大げさ」
「大げさじゃないよ!ほんとに嬉しいの!これ…全部わたしの?」
「おう。けっこー作ったからさ」
「今食べてもいい?」
「今?!いいじゃんいいじゃん、でもなんかちょい恥ずいな。味見死ぬほどしたけど、我ながらいい出来だぜぃ」
「やったー!どれから食べよう…全部もったいない…美味しそう…」

 保冷剤は入っていたが、冷蔵庫から出して運んでいるし、手作りだから出来るだけ早めに食べた方がいいらしい。迷いながらカップケーキを手に取る。
 ただのチョコじゃなくて、上にマシュマロが乗っていた。とろりととろけて、また冷えたものだ。どう作ったのかは分からないが、見た目も可愛いし、アラザンやカラフルなチョコで飾り付けられていて、うっとりと溜息をつく。

「ほんとに食べていい?」
「食えって。お前にやったもんなんだから」
「いただきます……」

 一口食べて、刹那は「お、美味しい……!」ととろけそうな甘い声をあげた。パサついてなくて、それどころかしっとりとしている。チョコの味が濃厚で、チョコのビターとマシュマロの甘さが絶妙に混じり合う。
「美味い?」
「うん!めちゃくちゃ美味しい!丸井くん天才だよ!天才的美味しさ!!」
「まぁな。でも白凪、マジで美味そうに食うな…オレも食いたくなってきた。一口ちょーだい」
「ヤダ!」
「はぁ!?オレが作ったケーキだろぃ!」
「絶対ダメ!ヤダヤダヤダヤダこれはわたしのケーキだもん!!!絶対ダメ!!」

 サッと逃げ出し、箱のケーキも守る。取られないようにモッモッと急いで口に入れる。丸井が呆れ顔をして、やがて「ハムスターみてえ」と笑った。
 刹那は警戒を緩めずに、威嚇しながら丸井を睨む。
「分かった、取らねーって。意外と食い意地張ってんだな」
「んんんんんーんんん!」
「わかんねーww」
 ごくん、と飲み込んで叫ぶ。
「わたしのケーキ!」
「分かったってwま、でもそんな喜んでもらえんなら作ってきて良かったわ」
「うん、ほんとに……めちゃくちゃ……めちゃくちゃ嬉しいよ……このご恩は必ず」
「武士?」
「あっ!」

 思い出したように声を上げ、慌てて刹那が携帯を取り出した。切ない顔で肩を落とす。
「写真撮るの忘れてた…可愛かったのに…」
 でもまだふたつ残っている。目を細めて、心底嬉しい、と滲む笑みに顔を緩ませ、刹那は何枚か写真を撮ったあと、大切そうな手つきでゆっくりと箱をしめた。
「これは今日、また味わって食べるね。丸井くん、ほんとに……ほんとにありがとう」
「どーいたしまして」
 あまりにも何度もお礼を言う彼女に、丸井は照れくさそうに視線を外して首を後ろをかいた。
「そんな美味かった?」
「美味しいのももちろんだけど…なんていうか、わたしのこと、考えて作ってくれたんだなーって分かるから、もっと嬉しくて」
「は?」
「カップケーキ、チョコの甘さ控えめにしてくれたでしょ?ビターチョコ使ってるの、わたしが好きって言ったからだよね。作ってくれただけでも死ぬほど嬉しいのに…わざわざ…」

 スイーツ作りが趣味の丸井にとっては、刹那にお菓子を作るなんてことは、別にそんなに大したことじゃないというのは分かっている。
 でも刹那にとっては特別なことだった。
 誰かが自分のために、何かを作ってくれる。自分のために労力を割いてくれる。刹那は料理が苦手だし、料理すること自体もあまり好きじゃないし、食に対して興味が薄い。美味しいものは好きでも、それを自分から積極的に求めにいこうとは思わない。
 それは、たぶん食に対して思い入れができる経験がないからだ。

 ママは小さい頃から忙しくて、刹那に手料理を振舞ってくれたことがない。もしかしたら離乳食や、その他作ってくれたことがあるのかもしれないが、物心ついた時からの記憶にはほとんどない。
 食事といえば外食か、出前か、お惣菜か、カップラーメンなどだった。
 一人で暮らすようになってからは尚更、自分しか食べないのにわざわざ苦手な料理をして、大して美味しくもないものを作ることに意味を感じず、てきとーなものばかり食べていた。

 誰かが自分のためにご飯や食べるものを作ってくれる。それは祖母と暮らし始めてから初めて知った、家族の温かさだ。家に帰って「おかえり」と迎えてもらう特別な胸の温かさと、料理は同じだ。刹那にとって、非日常で、特別なくすぐったさを感じるもの。

 丸井にとって刹那は友達と呼ぶほどの関係もない、ただの部活仲間でしかなかったのに。わざわざ好みに合わせて、3つもケーキを作ってくれて、保冷剤を入れて、箱に入れて、可愛い見た目にして……。
 その労力自体が刹那にとっては、本当に、涙が出そうなほど……。

 部室の冷蔵庫に箱をしまい、何をお返ししよう、と思う。
 嬉しくて、締め付けられた胸はもはや痛いほどだった。単純かもしれないが、刹那はもうすでに丸井のことが好きになっていた。
 恋だとか憧れだとか友情だとか、そういうものではなく、人として好きだ。興味を持つのともちがう。ただ、丸井という一個人が刹那にしてくれたことに感謝の念が絶えないのだ。
 部活中もにこにこと、気を抜けば鼻歌を歌う刹那に仁王が「随分とご機嫌じゃのう」と尋ねた。「うん!」
「ふん、ふふ〜ん」
 真剣な顔でテニスをする丸井を眩しげに見つめる刹那を、視線が追いかけてきていることは、上機嫌な刹那は気付かなかった。

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