01
「合宿?」
「ああ。叔父の管理しているペンションを貸してもらえることになってな」
 8月に入り、全国前に泊まり込みの合宿の提案が持ち上がった。一軍たちが参加するそれに刹那にも話が回ってきた。マネージャーとして参加しないか、と柳や由比に誘われ心臓が鼓動を刻む。
「わ、たしも参加していいの?」
「良くなかったら誘ってないよ!あはは!それにほら…空気は早めに知っておいた方がいいっていうか…ね?」
 イタズラっぽい光を瞬かせて、由比が流し目を送る。心が引き締まる感覚と浮つく気持ちを抑えて、無難に微笑んでおく。
「役に立てるように頑張ります」
「あはは!白凪さん隙がないね〜」
「白凪なら言わずとも分かっていると思うが、合宿次第だ、と言っておこう」
「ふふ、うん、でもやることは変わらないよ」
「待ってそれかっこいい!私も言ってみたい!やることは変わらない……どうどう?」
「ふむ…二割増アホに見えるな」
 キリリとキメ顔した由比を、柳が真顔でからかった。「ちょっと!」彼女が背中をバシッと叩く。

「白凪さんは準レギュについてもらうことになると思う!私はレギュラー達の方ね」
 ペンションは山中にあり、一般の旅行客やキャンプ客も来るらしい。棟がいくつかあり、そのひとつを立海で貸し切るようだ。
 詳細を雑談混じりに交わしていると、外の方から切原のデカい声が近付いてきた。

「オレその日研修旅行っすよ!もうちょい遅らせられないんスか!?」
「お前は連れて行かないよ」
「なんで!?なんで!?は!?」

 ぞろぞろとレギュラーたちが部室になだれ込む。切原が幸村にまとわりついて喚く。
「補講が再開するだろ?今年はまだレギュラーじゃないんだし、補講を優先するべきだからね」
「ただでさえ教師方に便宜をはかっていただいているのだ。これ以上遅れを取り、迷惑をかける訳にはいかん」
「柳の叔父さんもわざわざ調整して貸し切ってくれてるわけだから、お前だけのために遅らせることも出来ないし」
「は……意味わかんねー……」
 目がじわじわと充血していく。噂の「赤目モード」だ。間近で見たことはないが、こうなると攻撃的なプレースタイルになり、キレやすくなるらしい。バトルアニメ?
 どうやら切原は合宿を置いていかれるようだ。
 同情は覚えるけれども、不穏そうな切原のそばにいたくなくてススス……と部室を後にしようとしたが、丸井たちがドアの前を占領していた。お、と捕まってしまう。
「赤也の奴、こんなとこで赤目になるなよな」
「プリッ」
「バカすぎて置いてかれるとは…さすがにちょっと可哀想だよな」
「しかし、妥当な判断ではありますね」
 眼鏡をくいっとあげて柳生が冷静に言う。前からそんな感じはしていたが、柳生は意外とシビアで冷たいところがある。寄り添う意見を言いそうなイメージがあるが、別にいつもそんなことはないんだよな。

「ほんとありえねえ!!」
「落ち着け。喚いても仕方ないだろう」
「これを機に自分の態度をきちんと省みて、補講を真剣に受けるのだ」
「自主勉強にも取り組むんだよ。合宿先から電話でチェックするからね」
「あーもう、うるせえうるせえ!」
「赤也!」
「分かってるっすよ!でも何も今言うことないじゃん!置いてかれるんすよオレ!準レギュなのに!!来年にはレギュラーになるのに!!!…はぁ……もーいいっすよ、先輩らいないうちに死ぬほどごほーびもらってお菓子パーティーしてやりますから」
「え?」
 刹那は思わずポカンとした。
 ご褒美?お菓子?それって……。幸村もまばたきして、怪訝に尋ねた。
「白凪さんのこと言ってる?」
「そっすけど?」
「ああ、ごめん、まだみんなに言ってなかったかな。合宿は白凪さんも来てもらうことになったから」
「えっ!?」
 切原だけではなく、丸井や桑原も驚き声をあげた。情報共有されてないのかよ。
「今日か明日のミーティングで言おうと思ってたんだけどね」
 頭の後ろに視線を感じた。振り返ると仁王が刹那を見つめていた。感情が読めねえ〜…。とりあえず、胸の前でこっそり小さくピースして見せると、唇の端がフッと釣り上がった。

「へー、合宿来るんだ。一軍しか参加しねえのにすげえじゃん。まだ一ヶ月だろぃ?」
「そう。ありがたいことだよね」
「面接した時、真面目そうな子だなーって期待してたけど、本当に真面目だし、こまめだし、ずーっと動いててすごいの!一緒の合宿に行けて嬉しいな!てか、ちゃんとやる気のあるマネが増えてくれたのが嬉しい!部員にキャーキャーしたりしないしさ!」
 ギュッと抱きつかれて体が揺れる。由比が流れるように刹那の左半身に巻きついて、華やかな声で刹那のイメージアップキャンペーンを開いてくれている。
 由比とはすごく話すとか、仲がいいというわけでもないのに、妙に好感度が高いなーと思っていたのだが、それは人懐っこい気質に加えて刹那の仕事振りを見ていたからだったようだ。
「たしかに白凪ってあんまり幸村たちに興味ないみたいだよな」
「あー。てかオレ今思ったけど、白凪がなんか話しやすいのって、女らしい感じで来ねーっていうか、そんな感じするからかも」
「あは、ディスってる?女らしくないって?」
「ちげーよ!なんつーか…分かるだろ?」
「分かるよ丸井、だからキャーキャーしてないってことでしょ?色目を使わない?っていうか?白凪さんはちゃんと女の子らしいもんねー」
 ねー、と刹那に向かって由比が同意を求めた。微笑んでおく。テニス部のファンらしい態度を取らないだけで勝手に好感度が上がっていくなんて、濡れ手に粟すぎる。ただひたすら男嫌いというだけなのに。

「女らしいか?」
 丸井が実に失礼な疑問を口にした。一言余計だよな、こいつ。
「えー、らしいと思うけどなぁ。ほら、髪の毛も艶々だし、傷んでないもん。ケアしてないとこうはならないよ。でしょ?」
「うん」
 ポニーテールをサラッと揺らされ、刹那は頷く。急に由比の距離感が近くて馴れ馴れしいから、少し慣れない。
「それに最近毎日同じシュシュしてるよね。可愛いこれ!お気に入りなの?」
「あ、これは…」
 そうなのだ。刹那は部活の時毎回ポニーテールにしているが、ミニシュシュでまとめており、白の柔らかな生地に、控えめにパールが揺れる小花の装飾がしてある。
 はにかんで、刹那は答える。
「うん、これ、すごくお気に入りなの……」
 ほっぺたが赤くなりそうなのを抑えるのが大変だった。ぽわんと血色の良くなった頬で、刹那は珍しく、本心から喜びの滲む笑みを浮かべた。

「白凪、合宿の詳細について文面でも説明を送るため、後でグループに招待してもかまわないか?」
「あ、うん、ありがとう」
 柳が話しかけてきた。三強と切原の揉め事は一旦の終着を見せたようだ。
「フ、その髪飾りの話をしていたのか?お気に入りだと聞こえてきたが」
「あ、う、うん……すごく……」
「毎日つけているようだからな。似合っていると思うぞ」
 思わずどもってしまう。柳は微かに悪戯めいた微笑みを落とし、そう褒めると去っていった。由比が「何あれ?」と首を傾げていたが、刹那は爆発しそうだった。

 このミニシュシュは、誕生日プレゼントとして柳がくれたものなのだ。LIMEで粗品を送る、と言っていたが本当にもらえるとは思わなくて、すごく可愛くて清楚で、大のお気に入りになった。
 柳には祝ってもらった時、個人情報の類はあまり他人に広まってほしくない、というのは伝えてあり、刹那の誕生日を祝ってくれたというのも誰も知らない。
 送った本人がそれを踏まえてからかってきたことに、心臓がきゅーーっと痛くなるほどしめつけられて、死ぬほどドキドキする。
 柳くん、ずるい……。す、好きだ……。
 どうしても顔が火照るのは我慢できそうもなくて、刹那は挨拶もそこそこに「予定あるから!」と部室から逃げ去った。

*

 校門までダラダラと連れ立って歩く。後ろの方で切原が「カラオケとか行きません?」と誘って、丸井に「ムリ」と一刀両断されているのが聞こえる。「オレ置いてかれるのに!!!」「しつけえ笑」
 駅の方に向かうのは刹那、仁王、丸井、桑原、切原だ。柳生はチャリ通だった。特に身のない会話をしていると、ふと丸井が「そーいやさー」とガムを膨らませた。

「仁王って彼女とどーなったの?」
「ああ…」

 あっ。毎日部活で会っているから恋人ごっこを忘れていた。そういえば、夏休みに入ってからは"彼女"として仁王に会っていない。

「別れた?最近見ねえけど」
「いや?大会前だから待ってもらっちょる」
「会いてえって駄々こねられねえ?」
「全然」
「うわー、聞き分け良っ。いいなー」
「え、仁王先輩まだ続いてたんすか?長くね?」
「仁王にしては長いよな」
「まぁのう」
「まさか本命?」
「ハハッ」
「乾いた笑いすんなよ、雅治くんサイテー!」
「キショ」
「殴るぞ」
 自分の話されるのがいたたまれなさすぎる。仁王はどんな感情で刹那の前で刹那の話をしているのだろうか。
 駅でそれぞれ分かれると、なぜか丸井が一緒になった。

「あれ?こっちの線だっけ?」
「や、行きてえとこある」
「どこ行くの?」
「××駅のDollyってカフェ」
「え?ほんと?あー」
「知ってる?」
「うん、まあ」
 というか、刹那はそこに向かうつもりだった。宿題は終わったけれど、休み明けのテストに向けて毎日勉強は必要だし、全国大会後からは小説の執筆を始めようと思っている。
 文学部の顧問から言われた「スポーツ」を題材にした連載だ。これは方便ではなく事実として、刹那は文学部を掛け持ちしていて、スポーツの話を書く。
 スポーツとか爽やかな話も良さそうですよね、とさりげなく誘導したのは刹那だけれど。

 ××駅は刹那の最寄りで、カフェもめちゃくちゃ近い。本当は今日一度家に帰って、iPadを取りに行ってからDollyにでも行こうかと思っていたが、丸井が行くなら辞めようかな…と結論づけたが、彼はその安定の丸井印の天才的コミュ力を発揮して「お前も行く?あそこのケーキめちゃくちゃ美味ぇよな!」と無邪気な笑顔を浮かべてみせた。

「ん、んん…」
「まさかお前もあそこ知ってるとはな!店員さんも優しいし、ケーキも軽食も全部美味いのに、いつも微妙に混んでねえんだよな」
 行くとも行かないとも答えない、迷った末の曖昧な返事を肯定と捉えたらしく、ニコニコと行く前提で話を進めている。
「駅前からちょっと歩くもんね。客層の平均年齢も高いし。逆によく見つけたよね。それも彼女?」
「ふつーに自分で見つけた」
「どやって?」
「や、ふつーにマップでカフェで検索したり、歩き回ったり」
「ほーん。でも、最寄り近くない…よね?線も違うし…」
「オレけっこーひとりで色んな駅降りて、散策とかしてんだよ。美味い店は全部知りてーじゃん」
「すごい熱量…」
 定期圏内でもないはずなのに。丸井の食に対する意欲は本物だ。駅で降りて、Dollyに向かう。
 Dollyは15分ほど歩いた住宅街のほうにほど近い場所に建っていて、可愛いおばあちゃんが経営している。息子さんがキッチンを担当していて、若い女の子のアルバイトが数名いる小さなカフェだ。お客さんは常連らしい老齢の方々や、たまにサラリーマンやOLらしき人、バイトの子の友達っぽい学生などだ。
 いつもなんとなく閑散としていて、静かで、木造の落ち着いた雰囲気だった。長く居座っても嫌な顔ひとつされないどころか、サービスなどもしてくれて勉強がとても捗るのだ。

 店内を慣れたように進み、少し広めの席にふたりで座る。
「今日はおばあさんいねえみたいだな」
 軽く見渡して丸井が言う。水を運んできた若い女の子が「あ!丸井くん!ちょっと久しぶりだね?いらっしゃいませ〜」と気さくに、そして嬉しそうに話しかけてきた。
「ちわっす。限定メニュー食いに来ました」
「インスタ見てくれたの?ありがとう〜。マンゴーロール?」
「それっすそれっす。マジ美味そーで、これはぜって食わねーと!って」
「アハハ!悠吾さんも喜ぶよ〜。隣の子は…友達?」
「はい、同じ部活で」
「そうなんだ、来てくれてありがとうね」
 チラッと刹那を見て、店員が笑う。小さく会釈を返す。まぁ、彼女には見えないだろう。この店は家から近く、認知はされているのだが、いつも前髪を上げているから今の刹那のことを認識できないようだ。それに、この人はけっこうな頻度でバイトに出ているのを見かけるが、丸井にするようにこんなに親しげに話しかけられることはなかった。
 本当にモテるな…と呆れるような、感心するような。
 
「マンゴーロール注文しちゃう?」
「そっすね、でも他にも色々見るんで」
「了解です。じゃ、決まったら呼んでください」

 メニューを開いて、唸りながらあれもこれも、と眉間に皺を寄せて唸る丸井。
「そんなにたくさん食べるの?」
「食いてえけどさすがに金がなー。でもここ来たら紅茶のパウンドケーキは食っときたいし…」
「じゃあわたしがそっち注文しようか?取り皿もらってシェアする?」
「マジ?いいの?」
「ん、最初に切り分けよ。代わりにわたしにもちょっとちょうだいね」
「えー、仕方ねぇな」
「ちょっと、自分は分けてもらう分際で」
「ははっ、いいぜいいぜ、シェアしよ。飲みもんは?」
「紅茶ラテ」

 丸井が注文してくれたので、届くまでの間、刹那は黒いリュックから参考書とノートを取り出した。彼がギョッとして、刹那を二度見する。
「一応聞くけどさ、何しようとしてる?」
「見ての通りだけど…」
「課題…じゃねえよな?」
「うん」
「え、なんで勉強しようとしてる?」
「ふつうに…今日ここに勉強しに来る予定だったから?」
「マジかよ、ヤッバ。まー、お前が貴重な休みに勉強したいならかまわねーけど、オレの前ではやめてくんね?ケーキ食ったらすぐ帰るからさ」
「あ、うん…。ごめん、失礼だった?気にしないかと思ったけど…」
 別に話すこともないし、丸井も気にしないかと思ったのだが、一緒にいる時参考書を開くのは退屈だと言っているように感じてしまったのだろうか。
 そう思って謝ると、丸井は首を振った。
「や、そこは気にしねーけど、うめーモン食う時に勉強のことなんか考えたらメシがまずくなるだろぃ。ふつーに具合悪くなる」
「な、何その理由」
 意味がわからない理由すぎて刹那は吹き出した。だが丸井はいたって真顔だ。美味しいものを食べながら勉強する時間は刹那にとっては楽しいひと時だし、糖分を取りながら頭を回せば効率もいいと思うのだが、丸井は耐えられないらしい。
 食へのスタンスがどこまでも一貫していてすがすがしい。

「てか課題は?なんでわざわざ参考書?うわ、これ三学期の内容じゃん」
「課題は終わったから、ちょっと先の分野に手を出そうかと」
「理解できねー…つか終わったの?マジ?見せてくんね?」
「やだよ」
「ケチ!」
「持ってきてないし、貸したら返ってこなさそう。丸写ししそうだし」
「オレをどんだけバカだと思ってんだお前!難しそうな場所はテキトーに答えるに決まってんだろぃ。今までどんだけ写してきたと思ってんだよ」
「威張ることじゃないよ」

 課題の愚痴やら、教師の愚痴やら、適当に話しているとケーキが運ばれてきた。取り皿にパウンドケーキを半分切り分けて丸井に渡す。そして彼の頼んだマンゴーを五分の一くらい取って、残りは彼に差し出した。
「そんだけでいいの?」
「うん」
「そっちのはこんなにくれんのに?」
「別にいいよ。食べたかったんでしょ?」
「うわー、お前良い奴だな!」
 瞳を輝かせて少年のようにニカッと笑う丸井に、ああ、丸井が人に好かれるのはこういうところかもなぁ、と感じる。遠慮はしないけれど、人懐っこくて、喜び方が大きい。褒め言葉が桑原と同じところなのも微笑ましい。

「さっそく…いっただきまーす!ん〜っ、まいう〜!!」
 彼は実に美味しそうに食べる。撮るの忘れてた、とスマホで食べかけのロールケーキの写真を撮って、大口でバクバク飲み込むように掻き込むが、一口一口をじっくり味わっていた。
「ここ、生クリームがなめらかなんだよなー。中に入ってんのはペースト…いや、ピューレか?ミントとマンゴーってめちゃくちゃ合うな…」
 味わいながらも真剣な表情で分析する丸井に刹那は驚いて目を丸くした。スマホをフリックして何か書き込んだりしている。
「メモ取ってるの?」
「ん?ああ。記録に残しとこうかなって。つっても別に本格的なモンじゃねーけど」
 見せてくれた画面のメモ機能には、撮った写真と簡単な食レポや、推測したことが箇条書きで並んでいた。料理をしない刹那からは充分本格的に思えたし、そもそも美味しいものの調理方法やアレンジをメモしようと思ったことすらなかった。
「え、す、すごくない?作るの?」
「おう、オレスイーツ作んの好きなんだよ。試合前のカロリー補給とか弟たちのおやつとか自分で作った方が安上がりだしな」
「え、え、え、すご!え、すご!」
「ははっ、さっきから同じことしか言ってねえ笑 ま、オレだし、当然だろぃ」

 素直に嬉しそうにへへん、と笑う丸井に、刹那は素直に尊敬が溢れた。ケーキを?作る?
 簡単なカップケーキとかならともかく、カフェで食べるようなスイーツをメモして、アレンジをする。まったく刹那の中にはない発想だし、一人暮らしが長いため、料理の難しさと面倒臭さを知っているからこそ、その労力に割く丸井の意識にも尊敬が湧く。

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