13
 バスに揺られて一時間もすれば、騒がしかった車内もすっかり静寂に支配されていた。イビキも聞こえる。高速に乗って景色はのどかなものに変わり、遠い山が隆々と立ちはだかるのが見える。

 関東大会は三日間に渡って開催される。今年の開催場所は茨城で、ホテルに前入りする予定だ。立海は当然優勝するので、三泊四日することになる。
 刹那の乗るバスは二軍以下の四十名ほどが乗車しており、もう一台借りているバスの方はレギュラーと準レギュラー、そして滅多に顔を見せない顧問が悠々と乗っている。
 顧問はテニスの知識がほとんどない教師で、幸村の説得という裏取引で、お互いの利害が一致し、一年の頃からほとんど部活に出てこないらしい。公式大会くらい。さすがに民間のホテルに学生が宿泊するとなると保護監督者が必須だからだ。
 つまり、それ以外の時はいない。
 お気楽顧問なのだ。話が分かる教師でなによりである。
 私立でも公立でも、運動部の顧問や監督なんて百害あって一利なしの面倒な仕事なのだろう。

 刹那の隣に座っていた宮部は同学年で同じ三軍マネであり、乗った最初は色々話しかけてきたが、静かになり始めた頃に暇つぶしで英単語帳を開いた刹那を見て絶句したのち、なにも話さなくなった。早々に寝入ったらしい。
 なんでみんな勉強すると引くんだよ……。
 音楽を聴きながら単語帳を何個か周回していると、バスがパーキングエリアに止まる。起こさないように財布とゴミを持ってそっと外に出た。
 エアコンの効いた車内から外に行くと蒸し暑い熱気が全身を包んだが、生ぬるい風はすこし開放感がある。伸びをすると関節がパキポキと小さな音を立てた。

 新しい飲み物を買って少しぶらついていると、丸井、桑原、切原がソフトクリームを買っていた。
「美味しそうだね」
「よー」
「白凪、お前も食うか?」
「買おっかな」
「じゃあ一緒に注文しようぜ。何にする?」
「バニラ」
「おう」
「ゴチになりまーすっ」
「ったく……」
 切原は調子のいいことを言って、仕方ねぇなと桑原が財布を出した。苦労人なんだな……。アイスを受け取って、刹那が「ありがとう、はい」と四百円渡すと、桑原は「え?」と理解の及んでいない声を出した。
「え、ソフト代…」
「別にいいのによ」
「優しいんだね。でも大丈夫、自分で払うよ」
「いいのか?」
「ふふ、なにそれ、奢ってもらう理由もないしさ」
「白凪……!お前良い奴だな……」
 なぜか感動してジーンと震える彼に刹那は憐れみを覚えた。切原と丸井は会話を全スルーして「まいう〜!サンキューなジャッカル!」「あざーすっ」と満面の笑みで味わっている。
 ソフトをペロッと舐めると、優しい甘さが広がった。夏に食べるアイスは最高だ。甘さは控えめなのにこっくりと濃厚で、好みの味だった。

 青い空に真っ白な入道雲が浮かんでいて、その後ろに山がのぞいている。あまりにものどかで明日には関東大会だと言う実感が湧かない。

「三人とも何試合か出るんだよね。緊張とかする?」
「キンチョー?試合で?」
 意味が分からないという顔で言われ、答えがなくても切原がまるで緊張していないということは分かった。
「オレはちょっとソワソワしてるぜ…」
「マジ?オレはそんなだなー。新人戦の時はさすがにしたけど個人戦だったし。関東レベルじゃオレらのダブルスに勝てる奴はいねえだろぃ。なっ」
「ブン太…!ああ、負けねえよ」
 なにやら輝かしい友情ドラマが目の前で生まれた。二年なのにすべての対戦相手を関東レベルと言い切れる自信は素直にすごい。嫌味ではなく、シンプルに。全国常連校の立海においてもそれほど二人のダブルスが完成されているということだ。
 テニスの実力の機微は分からないけど、ことダブルスに限れば部内で二人に勝る敵はいないということは、刹那にも分かる。
「二人って付き合い長いんだっけ?」
「九歳からだな」
「すごっ!だから以心伝心な連携が取れるんだね」
「へへっ、まーな!」
「ブン太の後ろを守れる奴はオレしかいねぇよ」
「ハイハイ、仲良しでいっすね
「うわ、可愛くねー」
「だって何回それ言ってんすか?ダブルス専門ってどうしてみんなバカみてーに相棒自慢ばっかするんすかね」
「お前には協調性っつーもんがねーから一生分かんねぇだろうよ」
「オレはシングルスプレーヤーだからいいの!」
「立海って我強い奴多すぎじゃね?シングルス希望ばっかりだよな」
「はぁ?だってシングルスは花形っしょ?それに結局テニスは個人競技じゃないっすか」
「それは違うぜ、赤也。呼吸を合わせる一体感と楽しさは、一人でするテニスとは全く違う景色なんだ」
「ふーん」
「はは、まだ分かんねぇか。ま、お前もいずれダブルスは通るだろうから、コツくらいはわかっといた方がいいぜ。そのあたりを教育すんのは…柳になると思うけど」
 明らかに興味のない切原に桑原が苦笑する。
「でも立海の課題だとは思うぜぃ。ダブルスはただ強い奴が二人組めばどうにかなるもんじゃねー。けど今の立海はダブルスとして噛み合うペアが少なすぎる」
「幸村もわかってはいるだろうが」
「分かってる…とは思うけど…幸村くんだし。でもさぁ、幸村くんほどダブルスからかけ離れたプレーヤーもいねぇからな…」
「はは、たしかに」
「部長はシングルスにおける日本の頂点っすもんね」

 日本の頂点……。
 三人の会話が全然理解できない刹那でも、その言葉の重さはズシッと来た。そうか、立海が頂点だから、当然幸村くんが頂点なんだ。
 すごいチームにいるな、と改めて思う。
 レギュラーでもない選手がこれほど自然と立海のテニスについて考えを深めている。刹那はこの思考に実感を伴う理解を得なければならない。

「ダブルスとして芽がありそうなペアはいないの?」
「うーん…」
 今は学びのチャンスだ。尋ねた問いに丸井と桑原が唸る。
「やっぱ柳は突出してんじゃね?」
「柳くん?」
「シングルスとしても鬼つえーけど、小学の頃はダブルスで有名だったらしいし、実際あいつとするのはやりやすい」
「人に合わせるというより、人を使うのが上手いタイプのダブルスプレーヤーだ。誰とでも噛み合うんだよ」
「やりやすいと言えば、仁王もけっこう…」
「ああ、たしかにな」
「だろぃ?あいつは柳とは逆だな。自由に振舞ってるように見せて、限りなくペアに合わせ、穴を埋めるプレー。ジャッカル以外ならオレは仁王が一番やりやすいかな」
 仁王ってそんなテニスをするんだ。意外だ……。
「けどあいつシングルス希望だろ?」
「まーなー。でもそもそも仁王のやりたいプレーって相手を翻弄するプレーだろぃ。ペアに制限されるダブルスは相性わりぃのかも」
「だが、柳生とは仲もいいし、上手くピースがハマれば化けると思うぜ。立海でレギュラー狙うなら先輩が抜けたあとのダブルスがメインになるわけだしな」
「そういや最近柳生とよく話し込んでるな。なんか企んでんじゃね?」
「ハハッ、あいつらしいぜ。立海にダブルスプレーヤーが増えればいいよな」
「意外とダブルスも奥が深いんすね。丸井先輩ってなんも考えてねぇと思ってました」
 ボカッ。丸井が赤也をグーで殴る音だ。
「いでっ!暴力反対!」
「このくらいですんで感謝しろよ」

 立海の課題。プレーヤーの性質。シングルスとダブルス。
 三人の会話がぐるぐる頭の中を巡った。
 でも、なんとなくは分かる。1on1とチームの違いなんだろう。どう違うのか。

 じゃれあう2人。眉を下げて笑う桑原にそっと尋ねる。
「ダブルスで見える景色ってどんな風なの?」
「うーん。隣にいる奴を心から信じて歩み出せる爽快さ…かな。あいつがいれば勝つ。そんな…ハハッ、なんかこれちょっとクサいかもな」
 彼にとって景色は感情で、つまり丸井ブン太だった。

 関東大会前だからなのか、三人にあてられたのか分からないが、「覚えるべきこと」ではなく、初めて「立海のテニス」を知りたい、と思った。
 支えるべき同世代が造る立海のテニスを。

*

 宿泊施設と提携しているテニスコートは大会と同じハードコートが使用されている。大会会場にほど近いホテルのため、コートは予約制だ。
 今日は四時間ほどしか使用出来ない。
 コートを占有するのはレギュラーたちで、四コートあるうちの一コートで代わる代わる準レギュラーたちが練習をしている。

 部活の大会前というのは基本、当代のレギュラーの練習のためにすべての部員がサポートに回る。話で聞いた昔の…バスケのミニバスも変わらないから、たぶん、どの部活動でもそうなんだろう。
 ボール拾い、球出し、ラリーの練習相手になるレギュラーたちを見つめながら、刹那は稲葉の隣で解説を受ける。ノートに纏めながら、この選手の特徴は、だとか今サイドに打った理由は、だとか、気付いたことをとにかく口に出す脈絡のない情報の渦を書き留めていく。整理はあとにするつもりだ。自分にない視点から生まれる情報というのはどれも新鮮で面白い。

 本来なら刹那はボール拾いやラケットの調整、選手のケアをするべきだが、稲葉が幸村の許可をもらい、刹那の育成にかかってくれていた。
 二軍の予定だったが、次代の準レギュラーやレギュラーにつく一軍になる可能性もあるという。三年のマネがごっそり抜けるから一軍のマネの人でも足りなくなる。
 刹那は幸いなことに柳の覚えがめでたい。
 このまま全国の後は一軍につくことも想定して、足りない知識を補わなければならない。幼い頃からテニスに触れ合ってきた選手のみならず由比のようなマネのいる中で、テニスの最低限の知識だけではなく、テニスの技術や戦術についての知識をつけるのは、武器ではなく、スタートラインだ。
 バスの中で読むのは英単語帳ではなかったな、と刹那は少し反省した。
 読むべきなのはテニスの指南書だった。
 意識が足りない。その意味が最近、ようやく分かる。丸井たちの会話もそう。彼らは雑談でテニスを選ぶのではなく、テニスを中心に毎日が回っている。

 身体は動かしていないが、普段使わない部分の脳を動かしたような疲労感がずっしりと全身を包んでいた。
 部屋は三軍マネが一部屋に纏められている。
 LIMEの通知を確認すると、母から『刹那ちゃん、この前お誕生日だったよね?おめでとう〜!ママから可愛いバッグやお財布をたくさん送っておいたから使ってね』と来ていた。
 誕生日は一週間前だけどな…!
 まったく、と呆れながら『ありがとう!楽しみ〜!』と返しておく。
 ママは頭があんまり良くなくて、物覚えも悪い。それに基本的に金の亡者だから、お客さんの誕生日だとか、お客さんとの記念日だとか、そういうものしかチェックしていないのだ。一週間で思い出しただけ今年はマシかも。去年は完全に忘れ去られていた。まぁ、刹那はまだ子供だし、刹那の誕生日なんてママにメリットを提示出来ない、意味を持たない数字に過ぎないのだから仕方がない。

 夕食までノートでもまとめ直そうかな、と考えていると侑士からグループ電話がかかってきた。
 侑士と、彼の従兄弟の謙也は毎日のように電話をしている。忍足家に居候していた時は二人の会話に混ざることもあったが、刹那が神奈川に行くことになってグループ通話をすることが増えた。
 侑士と謙也は毎日のように電話しているが、短時間だし、タイミングや気分が合わない時は参加しないので、刹那が奴らと話すのは週二〜週四程度だ。
 あの従兄弟どもの仲の良さにはちょっと引く。

 人がいない廊下に出て、ソファに座る。周りの部屋はすべて立海テニス部が借りているので騒音にはあたらないはずだ。

「もしも〜し」
『お、今日は出るん早いなぁ。暇やったん?』
「暇やった暇やった、てか侑士こそいつもより電話の時間早ない?いつもご飯の後とか寝る前じゃん」
『前にも言ったやろ?大会前やから今日ははよ終わるんやって。明日5時起きで集合しないとあかんのやから…はぁ。移動は跡部の用意するヘリなんやけどな』
「待って待って情報量の過多が!なに?ヘリ?大会?」
『跡部って頭おかしくてな。やから、茨城まで正レギュラーはヘリで移動するねん。スケールどうなってんねんって話やろ?もう慣れたんやけどな』
「茨城…?大会…?」

 跡部のヘリの情報も気になったが、茨城の大会がさらに気になった。ていうか。
「ん?ぁえ?もしかして関東大会の話してる…?」
『それ以外何があんねん』
 呆れた口調で侑士が答える。
 刹那はポカン、と口を開けた。
「氷帝ってそんな強かったの?」
『そやで』
「侑士、レギュラーって言ってなかった?」
『そうやで』
「…………」

 知らなかった……。今まであんまりテニスの話を注視して聞いていなかったし、侑士と話す時は大体、テニスの強さの話よりも、部活動の友達の話や、侑士が好きな恋愛小説や映画の話ばっかりだったから。
 関東大会に氷帝が出て、侑士がレギュラーとして出るということは、知り合いと侑士が戦う可能性があるということで……。

「もしかしてうちの学校と当たる?」
『立海か。まぁ決勝では当たるんとちゃう?そっちが負けへんかったらの話やけどな』
「決勝の前までは当たんないの?」
『当たらへんなぁ。ウチもそっちもシードやしなぁ』
「シード…?え、氷帝って県大優勝したの!?」
『そうやで?なんべんも言うとったんにお前は……。テニスに興味無いにしても程があるわ』
「聞き流してた…」

 じゃあ氷帝ってめちゃくちゃ強いじゃん!!
 テニス部に入って少し触れただけの知識でも、その凄さがわかった。しかも、部長をしているという跡部も侑士もまだ二年だ。幸村と真田みたいなものなんだろうか。ということは、やっぱりめちゃくちゃ強いじゃん……。

 ドキ、と二つの感情が生まれた。
 侑士を応援したくなる気持ちと、侑士の情報が立海に役立つのではないか、という下心だ。

 柳が頭脳明晰な情報通であることは立海生の周知だ。そして、その情報を巧みに操るデータテニスをすることは、立海テニス部の周知だ。
 そっか、侑士が氷帝でレギュラーをしているなら、しかもその氷帝が都大会で優勝するレベルなら、マネージャーとして柳くんの役に立つ可能性があるんだ…。

「………」
 さすがに怒るかな?と刹那は迷った。
 だけど、相手は侑士だしな…。最後には「はぁ…自分に怒っとる俺の方がアホらしゅうてかなわんわ」とうんざりしながらも、諦めて許してくれるはずだ。
『どうしたん?』
「あのさぁ……あとでまた謝罪はするけど、最初に言っておくね。ごめん」
『はぁ?』
「侑士を利用しようと思って」
『はぁ……?』
 突拍子のない刹那に、侑士は考えることを辞めたらしく、ため息をついて『意味わからん』とぼやく。
『またなんか難儀なこと考えてるん?まぁええわ、ようわからんけど好きにしたらええんとちゃう』
「怒んない?」
『刹那に怒ったところで意味無いやろ』
「分かってるじゃん。試合応援してるね。侑士のこと一番応援してるから、心の中で。立海よりも侑士を応援してる」
『急に気色悪いんやけど。なんなん?』
「死ね」
『ひどいこと言わんといてや』
「バカがよ」
『アホ!関西人にそれは言ったらあかんで!』
「死ね。わざとだし」
『ガキやなぁ。女の子なんやからあんまし悪い言葉使ったらあかんやろ?』
「うるさいうるさいうるさい。ねぇそれよりさ、侑士の試合っておばさんとか見に行くん?」
『いや、さすがに茨城まではこーへんやろなぁ』
「ほーん。じゃあ侑士の試合とか氷帝の人録画したりしないの?後で見返したりするように」
『撮るけど…なんでなん?』
「見たいじゃん」
『なんで?』
「見たいから」
『話にならんわ。自分、テニス興味なかったやろ?』
「なかったけど、出てきたよ。ファンクラブにも入ったしね。立海にいるとテニスに興味はなくてもテニス部の話題には関わらざるを得ないんだよ」
『ファンクラブ……どこもあるもんやねんなぁ……』
「氷帝はアトベサマのだけ入ればいいから選択肢がなくて楽だよね。こっちなんかファンクラブ同士の派閥とかあって、揉めてる子とかもいるよ。わたしは近づかんようにしてるけど」
『こっちも別に楽ではないで。ああいうんは画面の中を眺めとるんがいっちゃん平和やねん』
「それな〜。まぁ、とにかく、侑士の試合が見たいの。侑士のだけ編集するのめんどいやろうし、USBか何かにデータでテキトーにちょうだい。あとでおばさんにも見せてあげようよ」
『いらんいらんいらん。余計なことせんといてや』
「いいから!お願いね!分かった?返事は?」
『俺の意思どこ?』
「ありがとう!さすが侑士!」
『はぁ……まぁええけど……。渡すのこっち来たときでもええ?』
「ん」
『全国終わった後やな。そういや姉ちゃんは大阪帰らんのやって。八月の頭にはもう家にもおらんわ』
「えっ!?なんで!?えりちゃんおらんと意味ないやん!」
『北海道行くんやって。友達の別荘で避暑旅行やなんて、優雅でええよなぁ?弟は毎日真夏の炎天下で汗水垂らして練習してるっちゅーのに』
「アトベサマにおねだりすれば?」
『アホか。あいつに気軽に物頼んだら斜め上のスケールで返ってくんねんで?下手に避暑地なんか頼んでみ。シベリアまで連れてかれてまうわ』
「何者なんだよアトベサマは…」
『跡部様は跡部様やねん。取り扱い要注意やねんから…。そんでな、自分に忠告しときたいねんけど』
「なに?」
『跡部の動画が流出なんてした日にゃ財閥の関係者がすっ飛んで来るんやから下手なことはせえへん方がええで。俺は今言うたからな』
「あー……」
『LIMEやUSB間の移動くらいならまだマシやけど、ネットに出たらすぐ特定されるんやからな。氷帝じゃ盗撮も厳しく管理されてるんやし、ファンの子らも恐ろしい子ばっかやねんから。刹那も気ぃつけるんやで』

 なるほど、動画の企みを跡部サマに繋げたのか。立海の女の子が欲しがっていると思ったのだろうか。てか神奈川にまでアトベサマのファンがいる前提なのヤバくないか?

 侑士は刹那のことをほとんど知っているし、刹那も侑士にはなんでも打ち明けられるが、テニス部のマネになったことはまだ言っていない。別に隠そうと思ったわけではなく、話題に上がらなかったし、言うほどのことでもなかっただけだった。
 立海のテニス部に入ることと、侑士が氷帝テニス部であるということが頭の中でイコールにならなかったというか……。刹那にとって侑士は侑士だ。だから立海と氷帝で学校も分かれてから、こんな風に交わると思わなかった。不思議な気分だ。
 刹那が極度の男嫌い……というよりも男性恐怖症に近いことも知っているため、まさか男子テニス部にいるとは想像もしていないだろう。

 たぶん、伝えたら侑士は刹那を哀れむだろう。この愚かで無意味な「復讐」のすべてを、侑士は否定しない。否定はしないが、彼は刹那が繰り返すこれを「自傷行為」だと言う。反論する言葉を持たないし、心のどこかでそれを認めている自分がいる。

「うん、分かった。でも別にアトベサマのだけじゃなくて、ふつうに侑士の試合も見たいからちゃんと載せてね」
『えぇ……』
「えぇ、じゃない!大会も、何回も言うけど応援してるのは侑士だから。これでも」
『なんか刹那に言われるとキショいなぁ……』
「死ね!でもね侑士、これは事実として言うけど、勝つのは立海だよ」
『……へぇ、珍しいやん。刹那が…』
「じゃ動画よろしくね〜!」

 なんかボソボソ言っていたのをブチッと切って言い逃げする。侑士を応援するのも、侑士に勝ってほしいのも、侑士を利用するのも本心だ。それは矛盾せずに成立する。
 刹那は最悪の幼馴染だった。
 幼馴染というほど、年数は経っていないけれど。なにせ、小五からの付き合いだから、まだ三年目だ。一年と半年に満たないくらいの期間忍足家に住んでいた(?)というだけであって……友人だとも思われていない可能性がある。
 それは、今の会話でも分かる通り、刹那の侑士に対しての態度が最悪のせいなのだが。

 侑士は昔からなんでも出来るし、頭も良く、大人びていて、テニスも強かった。何回か大会を見に行ったこともあるけど、いつも勝っていた。
 だから負けるところがあまり想像できない。
 けれどきっと、立海が優勝するだろう。
 幸村精市が負けるところの方が想像出来ないからだ。
 彼のテニスを間近で見たことは少ないとは言え、普段の練習でも、練習試合でも、幸村精市は常に圧倒的だった。神の子と呼ばれるゆえんが分かるような、人を畏怖させるなにかを持っている。
 侑士は立海の誰かに勝つかもしれないが、優勝するのは立海だ。
 侑士は……誰と当たるんだろう。
 立海と戦う侑士は、あの、汗だくなのにどこか涼しげにも見える、冷静で、ふてぶてしい態度が崩れたりするのだろうか。
 刹那には、侑士が「敵」であるということが、あまりにも実感が湧かなかった。

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