01
 7月も2週目に差し掛かり、校内はもっぱら、近々ある球技大会の話題が飛び交っている。刹那は数合わせのドッジボールに適当に挙手し、委員会も関係ないため興味がなかったが、クラスの中心人物たちはクラTやら応援やらで盛り上がっている。

 仁王と付き合い始めてからひと月が経った。
 そろそろ噂も落ち着き、彼女がいることが定着している。彼女探しは一部ではまだ続けられていたが、諦めムードが漂っていた。

 刹那は放課後、とある教室に向かった。かねてから考えていた計画を、次の段階に移す頃合だった。
 教室の中では何人化の男女が集まり、顔を見合せて作業をしている。
 刹那はそっと入り、地味で気弱そうな見た目からは離れた、小さくもハッキリとした声音で呼んだ。

「──由比さん」
 振り返った彼女は釣り目がちの大きな瞳を丸め、不思議そうに「私?」と自分を指し示した。日に焼けた、やや明るい茶髪のショートカットがサラリと揺れる。
 彼女と話したことはなかった。
 刹那はうなずいて、「少しいいかな」とたずねた。

 由比が首を傾げながらも快く応じ、廊下でふたりは向き合った。
「ごめんね、忙しそうなところ」
「ううん、大丈夫だよ。球技委員に選ばれちゃってさ、こんな時間まで残されちゃって。それより、ええと、白凪さん…だっけ?私になにか用事?」
 明るい笑顔で色々話してくれるのは大人しそうな刹那に気を使ってくれたのか、性格なのか考えながら、刹那は本題に切り込んだ。
「テニス部のマネージャーって、今の時期でも体験入部できるかなって」
「体験入部?」
 意外そうな顔をしたあと、由比はスッと真面目な目になり、ジロジロと刹那を眺めた。微笑んだままその視線を受け止める。
 由比茜。彼女は2年生ながらに部長を努める幸村精市や副部長の真田弦一郎の幼なじみであり、テニス部2年マネのリーダーをしている女の子だ。

「してる、けど…今はもうすぐ関東大会があるし、面接からになるよ」
「うん、大丈夫」
「そ、っか…?あー、じゃあ面接はいつがいいかな…明日の放課後はあいてる?」
「うん」
「分かった。えーと、それじゃ授業が終わったらテニス部の部室前に来てもらえる?幸村は大会があるから、面接は私がすることになると思う」
「分かった。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げ、刹那は「それじゃあ」とその場を後にする。彼女は終始戸惑った様子で、「なんで今の時期に?」「こういうタイプの子が?」と浮かんでいて、やりづらそうだった。
 刹那が静かなのに、落ち着いた態度なことにも、見た目を裏切っていてギャップを感じていたことが分かる。

 刹那はふだん、見た目通りの引っ込み思案で大人しそうな性格を装うことが多かったが、テニス部のマネージャーになるのなら、毅然としていた方がいいだろうと、物言いをキッチリすることに決めていた。
 男所帯で、マネも気の強そうな女の子が多い中、オドオドしていたら浮くだろうし、運動部は基本、声がでかい。
 舐められたり、押され負けるようでは「有能」だと認識してもらうのは難しいだろう。


 図書室で仁王を待ったあと、いつものように東門に向かう。
「お、彼女来たぜい」
「お疲れ様」
「おー」
 テニス部に顔を覚えられ、少し会話するのも日常になった。遠巻きにしている女子たちからチリ、と背を焼くような視線も。
 今日は丸井、桑原、切原と共に柳生もいるらしい。

「口うるさいのは勘弁じゃ。迎えも来たことじゃし、もうええじゃろ?」
「仁王君は……」
 刹那の背に隠れる仁王にため息をつきながら、柳生が眼鏡をクイッと直した。
「何やらかしたの?」
「ちょいとサボっとっただけじゃ。最近暑いからのう」
「お友達を困らせたらダメだよ」
「プリッ」
「もう…ごめんね、柳生くん」
 言っても聞かないのを分かりつつ、いい子の彼女っぽいことを言って、苦笑しながら柳生に謝る。
「いえ、あなたのせいでは……。こうしてお話するのは初めてですね。私は仁王君の友達の、柳生比呂士といいます。いつも仁王君がお世話になっています」
 折り目正しい彼に、自然と刹那の背も伸びた。
 ジェントルマンの異名は知っているが、噂に違わずいぶん礼儀正しい。
「わざわざご丁寧に。えっと、刹那です、よろしくね」
「相手せんでええよ。柳生は硬っ苦しいきに」
「一度ご挨拶したいと思っていたんです」
「挨拶?」
「ええ、仁王君がきちんとお付き合いされる女性は刹那さんが初めてですから」
「そう…ですか?」
 仁王を見上げると、呆れたような、飄々とした仕草で肩を竦め、そっぽを向いた。逃げ出したそうだ。
 そんな彼を優しげに見つめ、柳生は柔らかい微笑を零す。
「色々と掴みづらい彼ですが、こんな風に恋人と登下校をすることは今までにないことで、刹那さんに気を許している証拠だと思うんです。ご迷惑をお掛けすると思いますが、これからも仁王君を…」
「やーめんしゃい、柳生。刹那、聞かんでええって、ほら、帰るぜよ」
「待ちたまえ、仁王君!まだ話は…」
「おまんは俺の父親か」
「ふふ、ありがとうね、柳生くん。これからも雅治くんと仲良くしてあげてね」
「ええ、刹那さんも」

 腕を引っ張られながら、刹那は振り返って手を振った。柳生や丸井が小さく振り返してくる。
 仁王はしばらく大股で歩くと、やがて手を離した。折り曲げた腕に、自分の腕を絡める。

「あはは、柳生くんって真面目だねー」
「ほんまありえん、勘弁して欲しいぜよ」
「仲良いのが不思議な感じだよね。仁王くんと全然似てない」
「…そうかの?」

 その返事に刹那は仁王を見た。深い意味はないんだろうけど、違和感をかんじた。仁王は道路をぼーっと眺めている。
 そうかの、と言うんだから、彼自身は柳生に何か似ている部分を見出しているんだろう。けれど刹那は、柳生のことを何も知らないから分からない。
 真面目で誠実そうだった。
 仁王と柳生が仲がいいのは有名で、あれほど紳士的で、仁王がきちんとした交際を誰かとしていることに嬉しそうな柳生を騙していることも、仁王に騙させていることも、ふいに胸が重くなる感覚がする。
「……柳生くんに…」
「ん?」
「……や、なんでもない」
 謝るのは筋違いな感じがして、けれど「柳生だけに打ち明ければ?」と言うのも、たぶん違う。仁王が言わないことには理由があるのだろうし、誠実そうな柳生くんが受け入れられるとも思えなかった。

 話題を変えるために、刹那はやや明るい声を上げる。
「そういえば、由比さんのところに行ったよ」
「……ああ、マネの話か。ほんまにやる気なんじゃな」
「もちろん」
「しばらく話題に上がらんから、気が変わったのかと思っとったよ」
「そんなわけないじゃん」
「ほう…」
 彼は呟き、刹那を鋭利な瞳で見下ろした。出会った頃のような真意を見抜こうとする、淡白な視線。それをまっすぐ、笑顔で受け止める。

「約束は守るよ」

 テニス部に迷惑をかけない。
 テニス部と恋愛をしない。
 先月のいつだったか、仁王に宣言した内容を刹那はちゃんと覚えている。

「今更、おまんがそんなことを考えとるとは思ってないぜよ」
 視線を緩め、夜道にぽつりと落ちる声で仁王が言う。
「ただ……」
「…」
「いつまで経っても、おまんが何を考えとるかは分からんのう」
「ふふ、仁王くんが言う?」
 そんな返答を求められているわけではないと分かりながら、刹那は笑って返した。誰にも一生分からない。こんな歪んだ気持ち。
 自分をめちゃくちゃにした人間に執着して、悔しい顔を見たくて、幸せになりたいのに、忘れたいのに、自分からあの女のことを考えてしまう。
 仁王に見抜かれていないことに安堵するような、見抜かれて何もかもを終わりにさせられたいような、相反する思いが胸の中に渦巻きながらも、刹那はいつも通りに綺麗な顔で笑っていた。

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