03

 ハンコックのうなずきを受けて、死に体の奴隷の前でソニアが悲愴な覚悟を浮かべ、しゅるしゅると姿を変えていく。

「わぁっ…」
 口をあけて目を丸くするルミエール宮の間抜けな声が小さく響いた。その顔は、ずいぶん幼い、ただの子供のようだった。

「ヒッ!」
「化け物……!」
「おおきい〜…!」

 蛇の姿に変わったソニアは、巨大な広間でもギリギリに収まるほどの体躯を誇った。舌をチロチロと口元から出し入れするたび、尖った見事な牙がシャンデリアの光を受けて獰猛に輝く。
 巨大で、獰猛で、圧倒的な蛇。
 怯えを浮かべる天竜人の中で、ルミエール宮の言葉だけが場違いなほどのんきだ。

「すごい、こんなに大きくなるのね…ほんものの蛇みたい」
「ルミエール!」
「わぁ……肌もふしぎな感じ…つめたくて…ぬるぬる?つるつる……?おもしろ〜い!」

 ルミエール宮は他意なく、まるで無邪気に、紅茶のカップでもひょいと持ち上げるようにソニアの肌を撫でた。ソニアはビクッと巨大な身体を縮こまるようにして怯える。これだけ体格の差があるのに、ルミエール宮はほんの少女なのに、ソニアのほうが小さな女の子のようだった。
「蛇って初めて触ったアマス、ほんものもこんな感じなのかしら」
 母親の咎める声を気にも止めず、ルミエール宮はそう言って興味深そうにソニアを撫で、下から見上げた。両手をまるでねだるように掲げる。
 ハンコックは固まって動けずその様子を眺めていた。マリーも同じように動けないでいるのが分かる。

「もっと近付いてよく見せて」
 ルミエール宮の全ての挙動にいちいち怯え、ソニアは戸惑ったようにハンコックを見て、やがてそろそろと首をうねらせて顔を近づける。
「へーっ、髪も蛇になってる!ふしぎね…この蛇ってほんもの?」
「い、いいえ…」
「でもにょろにょろしてるアマス」
「え、えと、私の意思で動かせて…」
「ふーん?この姿でもおしゃべりできるのね。おもしろ〜い」
 キャッキャッと喜んで、髪を触ったり、体表を撫でたり、まるで新しい玩具でも手に入れた時みたいに少女は無邪気に笑っている。

「キバもほんもの?とがっててカッコイイわ。すてき」
 ソニアの口はルミエール宮を丸ごと飲み込めるほどに巨大なのに、ルミエール宮は小さな手で牙を撫で、ソニアのほうが驚いて仰け反る。
 豚の鳴き声に似た悲鳴が響き、豚が叫ぶ。
「ルミエール!あ、危ないだろう!」
「すぐに離れるえ!」
「そんな醜い化け物に触れるなんて…穢れてしまうアマス!」
「みにくい……?」

 その言葉にルミエール宮が眉をひそめ、首を傾げる。もう一度呟く。「みにくい……」

 そして小さく溜息をついた。
「まったく、みんな分かってないんだから…。可愛いと綺麗だけが、"美しい"じゃないアマス」
 知らないことを教えてあげる口調だった。
「はぁ…?」
「またこの子は、何を……」
「いい?えーと、あ!ほら、そこのテゾーロを見るアマス」
 後ろに控えた緑髪の男が、急に水を向けられ怪訝そうに顔を上げた。声には出さなかったが、その口が「あ?」と動くのが分かった。
「これは、綺麗でも可愛くもないけど、美しいアマス」
「美しい…?まぁ、顔は整っているようだけれど…?」
「そうかえ?」
「というか、こいつは戦闘用奴隷じゃないのかえ?」
「テゾーロは強いけれど、傍に置くのは美しいからアマス。ほら、よく見て。テゾーロはたくましくて、強くて、それがテゾーロのうつくしさアマス。"やせいてきな美"と言うんですって」
 テゾーロは肩を竦めた。ルミエール宮がソニアに視線を戻す。
「そういう意味で、ソニアのこの姿はテゾーロと似ているものなのかもしれないわね。強そうなうつくしさアマス」

 言いたいだけ言って、機嫌よくニコニコとルミエール宮は席に戻った。誰もが置いてけぼりだ。けれどソニアが、茫然自失から立ち直って、ハンコックをパッと見た。
 縦長の黄色い蛇の目がこれでもかと見開かれ、まばたきを何度かしたかと思うと、みるみるうちに潤んだ。
 ソニアは自分が「美しくない」ことで、三姉妹全員に危機が迫ることを心底怯えていた。だから、ルミエール宮に「強そうな美」だと認められたことで気が緩んだのだろう。そしてハンコックには認めがたいことだが……救いにも似た……喜びを感じている。
 けれど、ソニア。その考え方は危ういのじゃ。
 悔しげに唇を噛んでうつむく。
 天竜人の価値観や言葉に自分の心を左右されるのは、奴隷の生き方だ。わらわ達は心まで奴隷になりたくない。妹にも、気高さを保っていてほしい。この地獄で、洗脳されてしまってほしくない。
 ハンコックはルミエール宮の横顔を気付かれないようにギリギリと睨んだ。自分の心の動きを否定するように。

「さ、ソニアほんとうに強いかも見せてちょうだい」
 床を指をさしてコロコロと少女は無邪気にそう言った。ほら。やはり、天竜人は天竜人でしかない。ハンコックは何度も思ったことをまた思う。死に体の奴隷はもはや怯えもしない。諦めもない。ただ黒々とした石のような目で死を待っている。

 ソニアは、まばたきをし、従順に命令に従った。大口を空け、奴隷の薄い、柔らかな身体に牙を突き立てる。痛みがないよう、苦しみが少ないよう、心臓を一突きしてやる。口の中にブシュッと嘔吐きたくなるような人間の味が広がり、何回かビクビクッと痙攣したのち、二度と動かなくなった。ソニアは眉をギュッと引き絞り、深く深く目を閉じた。

「ほう……」
 豚のどちらかが感嘆の吐息を漏らした。
「ひと噛みでやるとは、なかなかやるえ」
「でも悲鳴がないのはつまらんえ〜」
「やっぱり強さもあるのね!気に入ったアマス!」
 キャッキャッと手を叩いてルミエール宮が喜ぶ。人間の死を前にしても、それを食事の肴にして和やかに会話する天竜人に吐き気がする。吐き気がする。

 次はマリーの番だった。ソニアの悪魔の実は「ヘビヘビの実 モデル"アナコンダ"」で、マリーは「ヘビヘビの実 モデル"キングコブラ"」。同じ蛇系でほとんど変わりがない。

 元々普通の人間より大きな身体で、蛇に似た顔をしているソニアと同じように蛇顔になり、巨大で長い体躯になったマリーを、ルミエール宮は変わらず面白そうに眺めている。
「へぇ…マリーも蛇みたいになるのね。こっちはポツポツの模様がついてる!身体の色も……もしかして髪の色に似るのかしら?ん…でも、ソニアより髪の毛の蛇は少ないのね」
 ブツブツつぶやいて、期待の眼差しで処刑をキラキラと見つめる。
 マリーも、慣れたように奴隷を見下ろした。
 髪の先からボッと炎が灯る。これはソニアには出来ない力で、わざわざこの殺し方をするのはルミエール宮の満足感を引き出すためだった。
 それから、悲鳴が足りないという豚共を満足させるため。…

 だけど、焼死は苦しい。
 マリーは自在の髪の毛で奴隷を絡みとると、ある程度焼いて悲鳴を響かせた。そして牙から毒を出し、噛み付いてその命を終わらせてやる。
 同情と罪悪感。
 マリーはまだ12歳だった。

 殺戮ショーと悲鳴に、豚どもと醜い天竜人が満足そうにうなずいている。
 ルミエール宮は美しいものを好むくせに、本人の本性は鳥肌が立つほどにおぞましい。醜い……醜い!
「ハンコック姉様…私…上手くやれたかしら……」
「…うむ。あやつらも喜んでおる」
「良かった…」
 マリーは安堵で腕を震わせた。その背中を撫でてやる。

 最後がハンコックの番だった。
 連れてこられた奴隷は女だった。痩せ細っていて、汚くて、死にかけの呼吸をしている。生きる希望をすべて失った女。奴隷として過ごした先に行き着く姿。
 反射的に浮かぶのは恐れと嫌悪感。こうはなりたくないという怯え。未来への嫌悪感。
 そして深い哀れみと共感……。

 これが男だったらハンコックは淡々と殺しただろう。けれど、目の前の枯れ枝は女だった。
 だから、ハンコックは慈悲を与えてやる。
 自分たちが生き抜くために殺すのだから、ほんの少し最期にいい思いをさせてやってもかまわないだろう。それは気まぐれでもあったし、反抗心でもあった。
 天竜人の屑どもが喜ぶような、絶望の断末魔をあげないような死に方を。

 ハンコックは静かに獲物の前に歩みを進めた。
 やつれて痩けた頬を掴み、俯いていた虚ろな目を見つめる。しばらくさまよっていた視線がハンコックを認識し、徐々にハッキリとしてきた。
 ゆっくりと、ハンコックという美しい宝石を前に頬を染めていく。ハンコックの美しさの前に老若男女の全てが関係ない。圧倒的美貌は暴力に似ている。全てから目を逸らして生きていたであろう奴隷に、現実が形を持って戻ってくる。
 それは残酷ではあったが、最期に、心を取り戻して、ハンコックを見つめることが出来る。

「わらわのことだけ見つめていればよい」

 慈悲に満ちた囁きを掛けて、ハンコックは腕を構えた。指でハートを作る。

「メロメロ甘風(メロウ)」

 ピンク色のハートの光線が貫き、奴隷は夢を見る瞳のまま石になった。ハンコックはそれを蹴って粉々に砕く。バラバラと石像が倒れ、ルミエール宮に向き直った。
 砕かなければ生き返らせることも出来た。だが、生き返らせて、そこのどこに希望があるのだろう。この箱庭のどこにも希望などないのだから、せめて宝石を眺めたまま死なせてやるのが、ハンコックの慈悲だった。
 ……そう死ねることが、もはや、羨ましいくらいだった。

「お…わったの?」
「はい」
「なんと…人間が石に……!」
「こんな死に方は初めてだえ!」
「血も飛び散らなくていいアマスね」

 天竜人たちは呆然として呆気に取られたあと、頬を紅潮させてフンフン鼻を鳴らした。気に入ったらしい。ハンコックは冷淡に顎を上げ、彼らに軽蔑の視線を送った。

 ルミエール宮がヨタヨタ寄ってきて、砕けた石の欠片を拾った。
「これが、さっきの奴隷?」
「はい」
「すごい……どうしてあれは石になったの?ハートを浴びたら、全員が石になるの?」
「わらわの美しさに見とれた者は、みな石になるのじゃ」
「美しさに……」
 彼女はみるみる頬を染め、感激に瞳を潤ませて叫ぶ。

「すごいっ!ハンコックになんてピッタリなの!素晴らしいアマス!あなたに見とれない者はきっといないもの!きっとハンコックは世界でいちばん強くなるわ!すごい!美しくて強くて……すごい!」
「……」

 そう。この世にハンコックに身惚れない者はいない。天竜人も、奴隷も、海兵も、街にいる人間も。
 この力があれば、ハンコックはルミエール宮だって石に出来る。
 指先がピクッと震えた。
 けれど、ハンコックはそうしない。……出来ない。
 今殺したところで、どこにも逃げる場所はないから。
 天竜人という世界の膿がいる限り、ハンコックは世界でいちばんになどなれない。永遠になれない。…
 また、心臓に憎悪が滲んだ。
 ハンコックは震えそうな腕を押さえつけて、石のような目で、淡々と喜ぶルミエール宮を見下ろしていた。

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