02

*

 ルミエール宮の奴隷は驚くほど仕事がなかった。
 朝起きて身なりを美しく整え、ルミエール宮が起きてきたら紅茶を出し、食事の際に近くに侍り鑑賞物になり、読書の際などに適宜お茶や軽食を出す。それ以外はほぼ自由時間で、ルミエール宮に気まぐれに呼ばれた際に満足するまで鑑賞物になればいい。
 そのくらいだった。
 ただ、与えられた自分たちの部屋に引きこもるのは許されず、庭を見たり、姉妹で話している様子を眺められたりして、「放し飼い」されている……というのがもっとも当てはまるだろう。
 檻の中の動物のように、ハンコックたちは愛でられていた。
 雑用なども、美しい手が荒れるという理由でルミエール宮の奴隷は免除されており、城の管理や雑用は黒スーツにサングラスの、ルミエール宮の両親の奴隷たちが行っていた。

「今日は両親の城にお茶会に行くアマス」

 ハンコックたちが慣れ始めたある日、ルミエール宮がおもむろに言った。
「新しい奴隷をお父上様たちに見てもらうアマス」
 3人が付き添うのは決定なようだ。
「ご両親の城?」
「ここはわたくしの城アマス。お父上様たちは別のところにお住まいなのよ。兄上様にも別の城があるの」
 たしかに、この城でほかの天竜人を見たことはなかった。前の天竜人では一家が揃っていたから、ルミエール宮の家族が特別なのだろう。彼女はまだ8歳だった。

「なぜおひとりでお過ごしなのですか?」
 柔らかな金髪をていねいに梳かしながら、ソニアが控えめに尋ねた。ここ1週間ほどで、ソニアとマリーは「言葉を発する」ということに過剰に怯えることが少なくなっていた。
 それが歓迎すべきことなのか、そうでないのか、ハンコックには分からない。
 妹たちが恐怖で震える夜が減ったことはうれしいのに、ルミエール宮にそうしているのを見ると、手なずけられているようで裏切られた気分にもなった。

「お父上様もお母上様もわたくしのコレクションに部屋を与えるのは嫌がるんですもの。だから代わりにおねだりして、新しく城を建てていただいたの」
「城を……」
「護衛はテゾーロを連れていくアマス」
「はいはい」
 軽薄な口調で気軽にテゾーロという男が答えた。この男はルミエール宮のお気に入りで、どれだけ無礼な態度であろうが「美しい」という理由ですべて許されていた。
 金髪にたくましい身体、そして趣味の悪いゴールドの服。男らしい男で、ハンコックにはこの男のどこが美しいかまったく分からない。男というだけで汚らわしい。
 同じ奴隷だから話すことは時折あるが、できるだけ関わらないようにしていた。

「鎖を」
 テゾーロが持ってきた鎖に、思わず血の気が引いた。
 ルミエール宮に来てからはつけたことの無い、首元に繋がれる鎖だ。聞き慣れた、カチャカチャという耳障りな金属音が音を立てた。
「これを……つけるのですか?」
 体の震えを止めるように、自分を両腕でぎゅっと抱きしめてマリーが青い吐息を吐く。
「そうだけど……つけたくないの?」
「……」
 青白い顔の3人を眺め、ルミエール宮は眉を下げた。困ったように思案している。
「そういう顔は美しくないアマス。でも……つけないとわたくしが怒られるのよ。ほんとうは外しちゃダメって言われてるけど、こっそり外させてるの」

 だから我慢するアマス、と非情に告げ、ハンコック達と、そしてテゾーロにも鎖が繋がれた。なぜか谷底に突き落とされたような気分になった。
 最初からどこにも逃げられないのに、それを今更突きつけられた気分だ。
 ハンコックは、自分がルミエール宮に僅かに期待してしまっていたことを自覚した。
 天竜人なんかに、何かを望むことが初めから思い違いだったのに。そんなこと分かっていたのに。何も希望など持ってはいけないと。

 両親の城は歩いて10分ほどだった。掃き出し窓から庭園の向こうに見える城がそれだったのだ。天竜人同士意外と家が近いのだなと何となく思っていた大きな屋敷だった。
 ルミエール宮の城は白亜というのがふさわしかったが、両親の城は石造りで重厚で押し潰すような威圧感があった。巨大だった。
 ちいさな少女のちいさい背中を見ながらハンコックたちは俯いてしずしず歩いた。背中が突っ張って汗をビッタリかいていた。天竜人の不興を買ったら殺される。
 心臓を細かい針でずっと刺されている気分だ。

「よく来たアマス。待ってたのよ、もっと来てくれてもいいのに」
「もうこどもじゃないったら」
 抱きしめられ、腕の中でちょっと嫌そうに身をよじる娘に母親は「まぁ」とうれしそうに笑った。
「泣き虫なだだっ子がこどもじゃなくてなんなのかしら?」
「ウッ……だって欲しかったんだもの」
「昔から人のものでも欲しい欲しいとワガママ言って、困らせるんだから……」
 むしろ、それが可愛らしいと言う目で母親がルミエール宮を見つめ、ハンコックたちに視線を映した。娘に向けていた優しそうな眼差しは消え去り、頭からつま先まで検分するようにジットリと眺めた。
「たしかに着飾ると美しいアマスね……」
「でしょう?」
「昔からあなたの目はたしかだったものね。さすがだわ。さ、もうお父上様もお兄様もそろっていますよ」
「わーっ、戻られてるんですの? わたくしも早く外の国を訪問できるようになりたい!」
「まだルミエールには早すぎるアマス。奴隷も少なくてよ。戦えそうなのがいないアマス」
「海軍が守ってくれるんでしょ?」
「あいつらは臭くて汚くてルミエールは気に入らないと思うアマス」
「ふーん…」

 クン、と軽く首元が引っ張られ、ハンコックたちは歩き出す。外にもこうして連れ出されるんだろうか。何度も見たことがある、四つん這いにされたり、腕を拘束されたボロボロの奴隷が、天竜人に「散歩」されている様子を…。

 広間のような場所で、太った醜いそっくりな男が並んでいた。ルミエール宮が鎖を手放して走り出した。
「お兄様ーっ」
「ははっ、久しぶりだえ」
 いくらか若そうな豚にぎゅっと抱きついた少女にハンコックは全身が総毛立った。よくあんな汚らわしいものにあんな真似が出来る。美しい物が好きなはずなのに、家族になると話は違うのだろうか?
「ルミエール!奴隷を自由にするなんて」
 鋭く叱責を飛ばした母に、ルミエール宮は振り向いて舌をちょっと出しイタズラっぽいウインクをした。幼く、邪気のない安心しきった顔だ。
「ごめんなさい。でも大丈夫よ、わたしの奴隷は逃げないもの」
 ハンコックは唇を噛んだ。
 飼い慣らされているつもりなんか、彼女には欠けらも無い。

 広間に案内されたが内装も随分ちがう。
 奴隷の様子も。
 黒スーツの護衛たちは控えているが、奴隷らしきものは見えなかった。いつでも華やかに着飾った奴隷を侍らせているルミエール宮とは違うようだ。

「さ、今日は砂漠から取り寄せた茶葉があるアマス。ミントの葉を混ぜているらしいわ。お兄様のお土産よ」
「シャイ…なんとかと言うらしいえ」
「シャイベンナニャです」
「シャイベンナニャ」
 護衛に耳打ちされて兄が繰り返す。「へーっ、不思議な響きね!」
「菓子も買ってきたえ。チョコレイトがお前は好きだったろう?」
「まぁ、覚えていてくださったのね、うれしい」
 指先を擦り合わせて彼女はほろほろと笑った。ケーキに舌鼓を打ち、談笑する。そこに跪いた奴隷がいなければ美しい家族団欒の光景だった。

「ルミエール、新しい奴隷の具合はどうかえ?」
 大きい方の豚がたずねた。父親だ。
「お見せしたいと思ってたのよ」
 彼女はクン、と鎖を引っ張った。3人は誘導通りに立ち上がる。俯いたままだ。まっすぐ目を見るのは無礼だから。
「顔を上げて、背筋を伸ばして。美しいお前たちの顔を見せるアマス」
 豚が「ほう…」と嫌な色の含んだ吐息を零した。こっちにまでムワッと臭い息が漂う気がして、ハンコックは顔を背けたい衝動が皮膚の内側に走る。
「悪くないえ。わちきの奴隷にしてやってもいい」
 ゾッ。
 足の指を痛いほど丸める。
「ダメアマス!わたくしのよ!」
「はは、わかっている。そのくらいには見れるという意味だえ」
「ならよいけれど……」
 心臓を落ち着かせようと薄く息を吐いた。冗談じゃない。こんな、こんな豚のところへなんて…。

「悪魔の実を食べたんでしょう?どんな能力アマス?」
「あ、そういえばそんなことを言ってたわね。まだ見ていなかったアマス」
「ま、ルミエールったら」
「相変わらずだえ〜。余興にちょうどいいからわちきに見せるがいいえ」
「そうアマスね」
「地下の奴隷を適当に持ってくるえ」

 黒服が連れてきたのは、痩せこけ、今にも倒れそうな痩せこけた薄汚い男たちだった。四つん這いで引きずられ、呼吸音が水っぽい。
 前の屋敷でよく見た事がある、病気や怪我や、精神が折れてただ処分を待つだけの──息を飲むハンコックたちをよそに、その汚さにルミエール宮が嫌そうに鼻にシワを浮かべた。

「一匹ずつ手錠を外すアマス。お前たち、分かってるアマスね?」
 母親がガチャンと銃口をソニアに向けた。少しでも抵抗の意志を見せれば撃ち抜かれるだろう。黒服と護衛のテゾーロがハンコックたちを見下ろした。
「ん……?海楼石の手錠は?ルミエール、こいつらに手錠をつけてないアマス!?」
「あっ、お母様……ごめんなさい、忘れてたアマス」
「ルミエール!奴隷の扱いを適当にして……」
「だってしょうがないアマス!能力者だってこと、興味がなかったし、忘れていたんだもの。大丈夫アマス、この子たち逆らったことないのよ」
 うるうるした目で母親を見上げ、彼女がウッと黙った。しばらくして「はぁ……」と重いため息を吐いて扇子のようなもので口元を隠す。
「仕方ない子アマスね」
「はっはっは、手錠もナシに躾できるなんて、むしろルミエールは奴隷の扱いが上手いのかもしれないえ」
「あなたが甘やかすからいけないのですよ!」
「まぁまぁ、逆らったら殺せばいいえ」
 兄が宥める。
 ハンコックは唇を噛んでその会話を聞く。

 始めに見世物にされるのはソニアだった。
「姉様……」
 縋るように彼女は声を震わせた。マリーとソニアは人型ではなくなる。そのせいで言葉にするのもおぞましい罵倒や仕打ちを受けてきた。
 美しさにこだわるルミエール宮の審美眼に沿うとも思えない。
「大丈夫よ…」
 けれども、ハンコックは励ますように囁いてうなずいてみせた。そうするしかなかった。奴隷に選択肢などないのだから。
 すぐに殺されることもないはずだ。
 幸い、ハンコックは姿の変わらない悪魔の実を食べている。ルミエール宮がハンコックを気に入っている以上、ハンコックが大事にしていると分かっているソニアとマリーを簡単に殺すことはないはずだ。…
 希望的観測に縋るしかないことが、全身が痺れるほどに口惜しかった。

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