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一生気付かないでいて

「あと五分も歩けばすぐ着くわ!」

 そう言ってナミはニッコリとわたしの手を引いて、軽い足取りで進んでいく。夜でも太陽のようなオレンジの髪が眩しい彼女は、今日知り合ったばかりの、大学の後輩だった。
 今日は保育サークルの歓迎会があったのだ。飲み会の時の呆れたような、つまらなそうな横顔と違い、肩あたりで切り揃えられた髪を靡かせている。
 キュッと握られた手のひらが人肌で生ぬるかった。
 わたし達は飲み会を早々に抜け、彼女のオススメのレストランに飲み直しに向かっていたのだった。

 大して言葉を交わしたわけでもないんだけど、ナミにはずいぶん気に入られたらしい。年下には思えないプロポーションの彼女の後ろ髪を眺める。
 展開が早すぎて、いいとも悪いとも言う前に、気付いたら「良かったら飲み直さない?いい店知ってるのよ。お酒もご飯も美味しいし、知り合いの店だから色々融通もきくし」と手を握られていた。

 今日の飲み会は元々あまり参加したくなかったのだけれど、実際顔を出して案の定早々に帰りたくなった。
 保育サークルとは名ばかりで、去年新しい部長に引き継いでからどんどん飲みサーみたいになっていた。それに加えて今年ナミという新入生の美女が参加すると聞いて、関係ない人たちも大勢集まってきていたのだ。
 部長は、悪い人ではないし、本来のサークル活動にもしっかり励む人なんだけど、いかんせん酒好きでお祭り好きだった。
 自分で言うのもなんだけど、わたしもかなり可愛いほうだ。わたしが所属してからはサークル活動には理由をつけて断り、飲み会だけ参加するような人たちが増えていたし…。だからもう、活動は飲み会が半々くらいにまで増えていた。これからはもっと増えるのかもしれない。

 憂鬱だったけど、それでも始めの1時間くらいは、酔わないようにちびりちびりとお酒を舐め、寄ってくる男子たちをてきとうにあしらっていた。女の子たちはあんまり寄ってこない。いつものことだ。
 つまらないな、と冷めた目で他の人を観察していると、同じようにつまらない、という顔をした派手な美人が目に入った。それがナミだった。
 男の子たちに囲まれ、1年生だというのにジョッキのビールを勧められている。完璧な愛想笑いは男をあしらうのに慣れているように見えた。笑顔の裏には「うんざり」だと浮かんでいる。
 わたしは立ち上がって、彼女の隣に座った。
「新入生にそんなにグイグイ飲ませたら、怖い先輩だと思われちゃうわよ」
「ロザリーさん!」
 わざとからかうように微笑めば、名前も覚えていない男の子は「や、そんなつもりねっすよ」と慌てたように、そして少し嬉しそうに手を振ってモゴモゴ何かを言った。
 女の子は突然会話に混じったわたしを、きょとん、と目を丸くして見ている。橙のような、明るい茶のような綺麗な二重の瞳だった。丸くなっていてもどこか勝気さをうかがわせる。
「わたし教育学部2年のロザリー。あなたは?」
「あ、私も教育学部で…ナミよ。じゃない、ナミです」
 敬語を使うのに慣れていないらしく、ぎこちなく言い直した彼女にクスクス笑ってみせる。周りの男たちは、今日の飲み会でいちばんかわいいわたしと、いちばん美人なナミが揃っているのを見て鼻を伸ばしていた。
「わたし、ナミちゃんともっと話してみたいな。ね、ふたりっきりにさせてくれる?」
 語尾を少し伸ばし、おねだりするように男たちに向かって言えば、名残惜しそうにしながらもまばらに去っていった。

「大丈夫だった?余計なお世話かとも思ったんだけど」
「ううん、助かったわ。あいつら…あの人たち、少ししつこかったから」
 あけすけな物言いにまた笑うと、彼女は少しバツが悪そうに首を竦めた。そして、緩やかに笑みを浮かべる。見た目通りに気は強そうだったが、その微笑みは子猫みたいだ。
「サークル初日からこんな飲み会大変よね?でも、いつもこんなんじゃないんだよ。今日は浮かれてるけど、活動はけっこう本格的なの」
「そうなんですか?良かった。ただの飲みサーだったらすぐ辞めようかと思いました」
「保育士に興味が?」
「そうですね…児童教育がちょっといいなーって」
「じゃ、良かった。真面目な学生さんを引き止めることに成功出来たわよね?」
「ええ!」
 顔を見合せて、どちらともなくカチンとグラスを鳴らす。

 ナミの飲みっぷりは素晴らしかった。ビールをゴキュゴキュ飲み下し、ぷはーっと実に美味しそうに息を吐く。わたしはすごく強いというわけでもないけど、彼女はかなり飲めそうだ。そしてすぐに生のおかわりを頼んでいる。
「飲むペースが早いのね。酔ってしまわない?」
「ああ、大丈夫です。私かなりザルなんですよ」
「ほんとに助けは必要なかったわね」
「いえ、そんなこと…」
 彼女は口を噤むと視線を伏せた。睫毛が影を落とすくらい長い。彼女は言葉に迷い、照れたようにはにかんだ。
「私こんなんだもの…庇ってもらうのってあんまりなかったから。それが女の人なら尚更」
「こんなんって?」
「気も強くてお酒も強いのよ」
 苦笑して、またお酒を流し込む。たしかに強いしハイペースだ。勝気なのもすぐに分かった。
「でも、慣れていてもあしらうのってめんどうだよねぇ」
「…!ほんとにそうよ」
 肩を竦め、ウインクをするとナミは嬉しそうに息巻いた。わたしたちはたぶん、中身はぜんぜん似ていないんだけど、境遇はすこし似ているんだと思う。
「ナミちゃんは美人だし、スタイルもいいもんねぇ」
「それを言ったらロザリーさんだって」
「ああ、ロザリーでいいよ。敬語もいらない。慣れてないでしょ?」
「やっぱり分かる?」
「ふふ、ぎこちなかったよ」
「仲がいい先輩、みんな緩かったから」
 彼女は舌をペロッと出すと、「私もナミでいいわ」と言った。
「今日はまだいるの?それとも帰りたい?」
「帰りたいけど…抜けてもいいのかしら」
「わたしと一緒に出たらいいよ。つまらないもの」

 部長や友人に声をかけ、ちょっと迷っているナミを連れ出した。外に出るとこもっていた熱気とお酒のせいで熱くなった頬に、夜の涼しい空気がスーッと染み渡った。
「やっと開放されたァ〜」
 店に出た瞬間、ナミが腕を伸ばして気持ちよさそうに夜空を仰いだ。素直な感情表現に笑ってしまう。でも気持ちはよくわかった。

「ロザリーはもう本当に帰るの?もし口実なら良かったら飲み直さない?」
 あっ、と妙案を思いついたようにナミが顔を輝かせて振り返った。まぁ、明日は午後からだし…と曖昧にうなずくと、ナミは嬉しそうに弾ける笑顔でわたしの手を取った。

 そして、冒頭に戻るというわけだ。

*

 西口の方は富裕層向けの住宅街が立ち並ぶ。そんな場所にあるその店は、柔らかな明るいグリーンの壁と、赤い屋根が印象的なオシャレなレストランだった。広いテラス席もあって少し敷居が高く思える。
 窓から店内の照明が漏れ、音楽が漂っている。
 木の看板には「Baratie」と掘られていた。バラティエ。バラティエ……心の中で何度かつぶやく。聞いたことがあるような……。
 考えているうちに、ナミは気負った様子もなく重そうな赤い扉を開いた。ドアベルの音でカウンターのコックやギャルソンたちが振り向いた。そのうちの一人が、実に俊敏な動きでササッと寄ってきた。
「ナミすわぁ〜ん、いらっしゃい、待ってたぜ〜♥」
「急で悪いわね」
「君ならいつだって大歓迎だ」
 見覚えのある低くて甘い声、クネクネした態度、柔らかにさらりと耳に垂れる金髪。わたしは目を見開いた。

「サンジくん!?」
「え?」
 つい、と視線をあげた彼もわたしを見て同じように涼し気な目元を丸くした。
「ロザリーちゃん!?」
「やっぱりサンジくん!?うそ、うわー久しぶりね!卒業式以来だから…丸一年ぶり?バラティエってそっか、サンジくんのバイト先……」
「綺麗になったなぁロザリーちゃん、もちろん昔から可憐な花のようだったけど、今はそこに清廉な大人っぽさが加わって……」
「相変わらずだね、ほんと」

 盛り上がるわたし達に置いていかれたナミが、眉を釣りあげて「何なの?知り合い?」と困惑している。

「あ、っとすまんナミさん。とりあえず席に案内するよ」
 カウンター席に座り、ナミはクレオパトラ、わたしはカルーアミルクを頼む。メニューも豊富だけど、書いていないカクテルも「お任せあれ」と請け負うのを見ると、ずいぶん本格的らしい。
 シェイカーをかまえる彼に思わず声をかける。
「サンジくんが作るの?」
「ん?ああ。カルーアもシェイクするつもりだけど大丈夫かい?」
「うん、ふわふわの方が好きだから。でもすごいね、バーテンダーも出来るんだぁ」
 料理が上手いことは知っていたけど。
 カシャンカシャンと氷が鳴る心地よい音、黒スーツの彼が煙草を咥えながら頭の横で慣れたようにシェイクする姿は絵になっていて、吸い寄せられるように彼を眺めてしまう。

「それで、ふたりは友達?」
「うん。高校で3年間同じクラスだったの」
「へェ〜、3年間ってすごい確率ね」
「ナミとサンジくんは?」
「幼馴染なんだ」
「腐れ縁みたいなものかしら」

 素っ気ない言い方に、サンジが「そりゃないぜ〜ナミさん」と大げさに泣き真似。幼馴染……いいなぁ。
「そっか、たまに話に出てきたナミさん、ってナミのことだったんだ」
「あぁ。ナミさんとロザリーちゃんが知り合いっつうのも驚いたよ」
「今日知り合ったんだぁ」
「サークルの飲み会でね」
「世間狭ェな!」
 鼻にシワを寄せ、クシャッとぐるぐる眉毛を下げて笑う顔は、少し幼く見えた。黒いスーツに青いシャツ、そしてヒゲ。久しぶりに見たサンジくんはかなり大人っぽくなっていたけど、笑顔は人懐っこい。
 彼は高校で当然のように爆モテしていたし、友達も多かったけれど、どこか孤高の雰囲気があった。でも今この瞬間にそんな壁一枚向こう側にいるような雰囲気はない。
 ナミの前ではこうなるんだなぁ。
 そりゃあ彼女に毎回毎回振られるはずだ。
 彼は女好きだけど誠実だ。なのに毎回「私ばっかり好きな気がする」とか「ほかの人を好きなんでしょ」なんて振られるんだけど、女の勘は鋭いから。
 昔からあんまり自分の話や自分の友達関係のことを明かさなくて、サンジくんはミステリアスだった。その一端を垣間見れてうれしいけれど、3年間友達でも、サンジくんの輪の中にわたしを入れるつもりがなかったのは分かっていたから、今日この店に来たのは彼にとってはあまり嬉しいものではないのかも。

「どうぞ、レディたち」
 グラスに注がれた濃厚なクレオパトラと、雪のような泡が美しいカルーアミルク。
「乾杯っ」
「乾杯。……わ……美味しい……!」
 ひと口飲んで、わたしは感嘆のつぶやきを漏らした。口当たりが軽くて、アルコールの苦い後味が甘さによってビターに和らいでいる。
 舌の上を泡が転がって喉の奥をするんと滑り落ちていった。

「気に入った?」
「とっても!」
「良かった」

 包丁の手を止めて、一瞬カメラのフラッシュみたいに笑う。流れる音楽にピッタリ嵌る魅力的な男の子。
 店内は大きな水槽に囲まれて、ゆったりと熱帯魚が踊り、青い照明が海のように照らしている。
 かっこいいのは知ってた。
 でもサンジくんって、こんなにかっこよかったっけ。

「先につまみ食べてて」
「あ、ベーコンチーズ!これ美味しいのよね。お酒に合うし」
 こんがりと焼き目のついたベーコンの間からチーズがとろ〜りと垂れる。立ち上る香ばしい香り。
 急にお腹が空いてくる。居酒屋でも軽く食べてたけど、安い店だし、早く出たこともあってあまり食べられなかった。

 白身魚のヴェネツィア風マリネ?とえびとインゲンのオムレツを出される。量はふたりで食べるには少し少なめで、お酒の入ったおなかにはちょうどいいくらい。
 彩りも豊かですごくオシャレだ。
 わたし達のおしゃべりにたまに口を出して、話しながらだったのにあっという間にこんなに美味しそうな料理を作ってしまえるなんて。
「いただきます……あひっ」
「わ、大丈夫か?やけどしてない?」
 猫舌だから舌が火傷しそうになって、あわてて水を持ってきたけれど、待ちきれなくてはふはふしながら口の中で冷ました。
 たまごがふわっふわで、口に入れた途端とろけていく。えびがぷりぷりと歯の間で跳ねている。
「ん〜…美味しい〜……!」
「ハハ、めちゃくちゃ美味そうに食ってくれてる。作りがいがあるなァ」
「ほんとにすごいよ、手が止まらないもん」
「アハハ!口についてる」
 ナミがおおらかに笑って、綺麗な指でわたしの口元を拭った。年下の子に……ちょっと恥ずかしくてはにかむ。サンジくんはそれを見て「なんて眼福なんだ……♥」とハートの煙を作っている。

「サンジくんの料理食べるのは初めて?」
「んー、ほぼ初めてかなぁ。たまにお弁当分けてもらうことはあったけど、本格的なのは食べたことなかったから。こんなに料理上手だったんだぁ」
「ガキの頃からここで働いてるから」
「そうなの?」
 わたしは驚いた。その事実よりも、自分のことをほぼ話さないサンジくんが、こんなに簡単に自分の情報を開示することに。
「この店おれの保護者みてェな人がやっててさ」
 どこか誇らしそうに頬をかく。
 保護者みたいな人……。その言い方になんだか複雑な家庭環境を感じ取ったけど、サンジくんの顔はその人が大好きだと物語っていた。わたしはなんだか嬉しさと微笑ましさと複雑さが入り交じった感情を抱いた。
「ゼフさんの料理は本当に美味しいのよ。昔五つ星のレストランでシェフをしてたんだって」
「へ〜すごい人なんだ!」
「あんなクソジジイおれがすぐ抜いてやるさ」
「まだ壁は高いんじゃない?」
「意地悪言わないでくれよ、ナミさぁん……」

 悲しそうな顔を作って、ナミが「冗談よ」と笑っている。
 この少しの時間でこんなに新しくサンジくんのことを知った。それは全部彼女がこの場にいて、わたしが彼女に気に入られているからなんだろう。

「デザートは食べるかい?みかんのジュレ作ったんだ」
「食べたい!ベルメールさんの?」
「そうだよ。この前仕入れたから新鮮さ。さすが甘くて実も多くて最高のみかんだ」
「当然じゃない!」

 ふたりはなんだか共通の話題で盛り上がっている。
 ナミが気付いて「あっ」と説明した。
「ベルメールさんっていうのは私の育ての親なの。田舎でみかん農園を営んでて、この店に卸してるのよ」
「そうなんだぁ、楽しみ!」
「死ぬほど美味しいから期待してて!私ベルメールさんのみかんが大好きなの!」
「もう冷やしてあるけど、食べる?」
「食べる!」
「じゃあマリネ食べちゃうね」

 サンジくんと違って、ナミは自分のことを話すことにオープンのようだった。育ての親。サンジくんと似たような複雑さを感じる。共感しあうのかもしれない。
 マリネをひとくち食べる。油っぽいのに口当たりはサッパリしていて、レモンがちょうどよくきいたマリネを口に入れて、もぐもぐ楽しむ。とっても美味しい。
 今日のごはんでいちばん美味しいかも。
「ぜんぶ食べちゃわないでよ」
 からかうようにナミも横から取っていく。
「ごめんごめん、これ好きだなぁ」
「よかった、ロザリーちゃんは海鮮が好きだったはずだから、気に入ってもらえるかなと思って」
「……」

 わたしはサンジくんをまじまじと見つめた。
「……?どうしたの?」
「……」
「えっ、無視!?そんなに見つめられるとドキドキしちまうよ…もちろんおれなんかで良ければ一生見つめ合っていたいけど…♥」
「何言ってんのよ」
「よく覚えてたね」
「?」
「お魚が好きって」
 たしか教室にいた時、話の流れでそんなことを言った覚えがあるけど。
「もちろん覚えてるさ。ロザリーちゃんとのメモリーは全部この胸に刻まれてるぜェ〜♥」
「……さすがだねぇ」

 いつも通りなサンジくんを乾いた笑いで受け流して、グラスに口をつける。わたしもだよ。そんな言葉をお酒と一緒に飲み込んだ。赤くなりそうな顔は、お酒で火照った頬で誤魔化せていると思う。

 あーあ。ずるいなぁ、やっぱり。
 忘れていたはずの恋心が、またじんわりと形を持ち始めていくのが分かった。
 誰にも言ったことがないし、付き合いたいとも思っていなかったけれど、わたしはサンジくんが高校3年間の間、ずっと好きだった。
 好きで仕方なくて、簡単に交際したくないくらい、好きだったのだ。仲のいい友達ポジションになれるようにわたしなりに綿密に、慎重に近付いて、その甲斐あってたぶん同じ高校の女の子の中ではわたしがいちばん仲良くなれたと思う。
 ナミのように、彼の内側に入ることは出来なかったけど。

 貝殻の模様が入った可愛いお皿のジュレに歓声をあげるナミと、彼女を見つめる優しい眼差しのサンジを盗み見た。
 誰にでも優しくてメロメロになるサンジくん。
 だけどこんなに「愛しい」というように……、「大事だ」と語る彼の顔は初めて見た。
 思い出した瞬間失う恋の予感にため息をつく。
 早いところ終わらせてしまおう。

「ね、ナミとサンジくんは付き合ってるの?」
 あくまでサラリと、でもちょっとからかいを含んで。そんな風に、ふつうに、恋バナが好きな女の子みたいに。
 けれどナミは全く動揺もしなかった。
「付き合ってないわよ」
「おれはいつでもナミさんと付き合いたいけどなァ」
「え、だってよナミ!」
「もちろんロザリーちゃんとも♥」
「あぁ……」
 呆れた声が漏れる。高校の頃から、こんなふうに思ってもいないようなことを簡単に言う人だったなぁ。本命かと思ったナミにも言うのか……。
 最初は嬉しかったけど、もうそんなノリの言葉を喜ぶ気持ちなんか、ぜんぜん湧かない。
 女子ふたりにジトッと睨まれ、サンジくんは「うっ…」とバツが悪そうに肩をすぼめた。
「二人とも分かってるだろ!?おれはいつだって本気なのに……」
「本気で人類の半分に恋してるんでしょ」
「その通り♥さっすがナミさん♥」
「そんなんだからいつも彼女と続かないのよ」
「ウ"ウッ……!」
 鋭い指摘がクリティカルヒットし、サンジくんは胸を抑えてよろめく。わたしも追撃した。
「ほんとうだよ。高校の時もいつもおんなじ理由で振られてたもんね」
「ロザリーちゃんまで……!」

 傷付いたと態度でおいおい訴えてくるサンジくんはスルーだ。彼がいつだって誰にだって本気なのは知ってるけど、同時に誰も特別じゃないのだ。
 それはむしろ残酷なことだと思う。女の子の痛みを思い知ればいいんだ。
 ちょっと意地悪な気持ちになりながら、ナミをじっと観察する。
 彼の「特別」はナミなのかなって思ったけど、彼女の「特別」はどうなんだろう。浮かんでいるのは呆ればっかりで、その視線にはたしかに「恋」はないかもしれない。

「恋人はいないの?」
「今はいないのよね。あんまり恋愛に時間割きたくないし」
「ふーん…。サンジくんとお似合いだと思ったんだけど、勘が外れちゃったかぁ」
「あんたまで辞めてよ」
「ふふ。じゃ、サンジくんに彼女が出来てもやちもち焼いたりしないの?」
「妬くわけないじゃない。むしろ心配になるわ。彼女が出来ても女好きは変わらないんだから、相手の子が不安になるのも当たり前よ」
「ふーん……?それって…」

 わたしは口を噤んだ。ナミが「?」と疑問符を浮かべる。わたしはニッコリ笑って首を振った。
「それってほんとにそうだよねぇ。いつか受け入れてくれる子がいるといいけど」
「さぁ、どうかしらね」
「二人ともなんでそんなに今日はおれに冷たいんだァ〜〜…はっ!愛情の裏返しってやつか……!」

 それって、ナミもそう思うの?
 そう言おうと思ったけどやめた。傍目から見ていると、サンジくんもナミも、お互いを「特別」に思っているんだなって分かるけど……無自覚なら、わざわざ自覚させるようなことは言ってあげない。
 諦めようと思ったけど、わたしにもチャンスはまだあるのかも……。
 サンジくんの「特別」になれるチャンスがまだ少しでもあるのなら、どうか二人とも、一生気付かないでいてほしい。

*

 ナミのペースに合わせて飲んでいたら少し酔ってしまった。彼女はまだぜんぜん平気そうだ。
 そろそろ終電だというので店を後にする。
「二人とも送るよ」
 荷物を纏めたサンジくんに呼び止められてドアのところで立ち止まる。
「いらないわよ。まだ片付けとかあるんでしょ?」
「あー大丈夫、最近バイト新しく入ったんだ。下積みから覚えさせねェと」
「そんなこと言って、いつも最後まで残って手伝ってあげてるじゃない」
「う、そうだけど…そんな酔ってるのに帰らせられねェよ」
 二人の視線はわたしに向かっていた。
「え、わたし?大丈夫だよぉ、少しふらっとしただけ」
「口調もふわふわしてんよ。駅まで送る」
「ま、そうね。私は平気だけど、この子お酒弱いみたいだし少し心配だわ」
「この子……」
 わたしは年上なのに、威厳というものが全くない。ナミって何だかお姉ちゃんみたい。そう言ったら「私は妹よ」と言われた。えーそうなんだ。わたしも妹だし、末っ子でナミと一緒だった。なのになんでナミはこんなに大人びててしっかりしてるんだろ。

 ヒールをカツカツ慣らしながら歩く。お酒のせいか少し機嫌が良くて、腕をぶんぶん振って小さくふんふん歌う。
「うっ…ロザリーちゃん可愛い……」
 後ろからそんな小さな声が聞こえてますます機嫌がよくなった。
「家どの辺なの?」
「わたし北口のマンション〜。ナミは?」
「駅近なの?いいわね。私はここから4駅くらい乗ったところ」
「サンジくんは?バラティエ?」
「いや店には住んでねェよ?」
 ツッコまれてきゃらきゃら笑ってしまう。
「一人暮らし始めたのよね?」
「まァね。おれも北口のほう」
「そなんだ〜」

 北口は駅前の通りはショップやカラオケや居酒屋が立ち並んでいて、10分くらい歩くとマンションやホテルが並んでいる。

「じゃ私はここで。サンジくん、ロザリーを頼むわね」
「任せといて」
「送り狼になんてなったら…」
「なんねェよ!おれの信用度低すぎ…!?」
「ウソウソ、分かってるわよ。じゃあね。ロザリーもまた大学で」
「ばいばぁい」

 手を振って、去っていくナミの背中を眺める。そわそわしながら見つめるサンジくん。たぶん、ほんとはナミを送りたかったんだろうな。
「わたしは一人で平気だよぉ。ナミの方行く?」
「え?ううん。ロザリーちゃんを送ってくよ」
「そ?」
「それにわざわざ電車乗ってまで送るってちょっとな」
「あはは、たしかに心配性すぎかもね」
「だろ?じゃ、行こっか。歩ける?」
「うん」

 歩けなぁい。言ってみたらどうなるかなと思ったけど、どうせタクシー呼ばれて終わりだろうから。そんなのもったいない。
 久しぶりだしゆっくり歩いて帰ったほうがたのしい。


 深夜だけど、駅はまだ人がかなりいた。
 大通りを過ぎて、だんだん行き交う人が減っていく。少し歩くと公園があって、寂れた滑り台や風で小さくキィキィなるブランコをなんとなく眺める。

「なんか懐かしいねえ」
 そう言うと、サンジくんは煙草を吹かしながら「あァ、おれもちょうど同じこと思ってた」と目を細めた。

 わたし達の通っていた高校は、大学と同じ地区にある。駅はちがかったけど。昔からバラティエで働いていたなら、たぶんサンジくん達の地元も近かったんだろう。
 小中は違うけど、もう少し家が違う場所にあったら、わたしも彼の幼馴染になれていたのかな。……どっちにしろむりかも。
 わたしは幼稚舎から私立に通っていたから。

「学校帰り、たまに一緒に帰ったよな」
 生活圏も、住んでいる場所も違う。でもたまに帰る時間が同じになることがあった。今思えばサンジくんのバイトがない日だったのかな。あと、学園祭の準備で遅くなった日とか…。
「わたしの家、駅と真逆なのにわざわざ送ってくれて…昔から優しかったよねぇ」
「ロザリーちゃんと一緒にいたかっただけだよ」
「今も?」
「え?」
 戸惑ったように見下ろしてくるサンジくんの切れ長の瞳をジーッと見つめてみる。今まで彼に「女の子」を出したことはない。これはほんのちょっと軽いジャブのつもり。
 でも彼はちょっと困ったように眉を下げた。ほっぺたがほんの少し血色が良くなった……気がするのは願望かな。
「わたしは一緒にいれてうれしいよ」
「……っ!お、おれも…」
「卒業して以来会ってなかったもんねぇ。久しぶりに会えて嬉しい」
「あ、そっち……」

 わたしと彼は友達だったけど、休日に二人で遊ぶような仲ではなかった。学校帰りにどこか出掛けるとかもしたこともない。打ち上げにみんなで行ったりとかはあったけど。
「ヒゲ生やしたんだね。似合うねぇ」
「ほんと?やっぱ若造がスーシェフしてるとナメられっからさ」
「スーシェフ?」
「副料理長のこと」
「え、すごい!有名店なんでしょ?」
「古株ってだけさ」
 煙を吐くサンジくんは、得意げではなかった。なるほど、思うところがあるらしい。すごいことだと思うけど、こういうのはたぶん、人からあれこれフォローしても意味ないんだろうな。
 だからわたしはただ微笑んでおく。
「美味しかったよ。また食べたいな」
「いつでも来てよ!ロザリーちゃんならいつでも歓迎だよ」
「でも予約とか難しいってナミ言ってたよ」
「そんなの言ってくれたら席空けておくよ!」
「あ、しょっけんらんようだ〜」
「うん♥おれスーシェフだからいいの♥」
 軽くぶりっ子したらちゃんとメロメロしてくれるからサンジくんと話しているといい気分になる。でも、一人で行くことはないだろうな。
 だって、3年間一緒でも教えてくれなかったもの。
 なんてね。踏み込まなかったのはわたしだけど、ちょっとだけ拗ねているわたしもいる。めんどくさいな。

「あ、ここ」
 二十階建てのマンションを指差す。
「ここ?家賃めっちゃ高いとこじゃなかった?」
「まあねぇ。ほら、うち親が過保護だから」
「愛されてるんだな」
「……はは」

 軽く笑って、「今日はありがとう。またナミと行くね」と見上げた。高校の頃よりずっと背が高い。月を背負うように煙草を咥えているのが、なんだか恐ろしいほど絵になる。
「待ってる」
「サンジくんのおうちはどのへん?」
「あっちの方のマンション。スーパーの近くの」
「え、近いね!」
 彼が言ったのは、本当に近いマンションだった。たぶん歩いて十分くらい。大きいスーパーがあって、たまにそっちまで行く。この辺りのスーパーは23時にはしまっちゃうから。
「世間って狭いねえ」
 しみじみつぶやくと、「ハハ、ほんとに」と彼も破顔した。

「……それじゃあばいばい」
「うん」
「……」
 沈黙が落ちる。
「……?」
 彼は何故か突っ立ったまま動かない。
「帰らないの?」
「ロザリーちゃんがエントランスくぐるの見守ってる」
「何それ。もう酔いも醒めたのに」
「でも心配だから」
「ありがと。じゃ、おやすみね」
「おやすみ」

 心配されるのはくすぐったいけど悪い気はしない。
 まだクスクスしながらカードキーをかざしてロックを外し、振り返るとほんとにまだ彼が立っていた。笑って手を振ると、サンジくんは嬉しそうにぶんぶん手を振った。わんこみたい。

 エレベーターで階に上がって、部屋に着くと、ベッドにぼふんと倒れ込んだ。
 あー、このまま寝ちゃいたい。メイクは落とさなきゃ……明日は講義は午後からだけど、9時からバイトだ……やっぱりお風呂は入ろう……。
 つらつら考えてぼーっとしていると、自分の服から少し煙草の匂いがした。それになんだか胸がきゅうと疼く。

 携帯を開いてSNSアプリを開いた。少し迷ってメッセージを送る。前の会話は数ヶ月も前だった。サンジくんは意外と用事がないと連絡をして来ないし、すぐに会話を切りあげる。

『今日はありがとう』
 それだけ送って、スリープを押した。枕に顔を押し付ける。
 あ〜〜〜。やっぱり好きだなぁ。
 今日のことを思い出して、ため息がもれた。誰にでもそうだって分かってはいるけど。
 こんなの、わたしのものになってほしいって思っちゃうよ。

*

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