冬の寒きを経ざれば春の暖かきを知らず

 ふたりの男女が背中を丸めてしゃがんでいる。とあるいつかの昼下がりだった。陽が柔らかく降り注いでいる。

「冬にも咲く花があるんだね。椿しか知らなかったや」
「椿も綺麗だよね。でも常緑樹だから、花壇には向かないんだ」
「この…シクラメン?はどんな花?何色?」
「いろんな色が咲くよ。それどころか咲き方も様々でね」
「咲き方も?って?」
「ふふ、一重咲き、フリル咲き、八重咲き…桜みたいに色んな花びらの形があるんだ。冬はやっぱり寂しい印象になっちゃうからね、この花壇は色も花びらも華やかに纏めようかと思って」
「素敵だねぇ。でもみんな、冬に屋上なんて来るかなぁ」
「たしかに。ガーデンシクラメンは耐寒性が強いと言っても日当たりが良くないと育たないから、他の花壇は難しくてね。でもいいんだ、俺が見に来るから。咲いたら華道部に活けてもらって、学校にも飾ってもらいたいな」
「いいじゃん!わたしも見に来るよ。華道部に友達いるし、一緒にお願いするよ」
「本当?ありがとう、白凪さん」

 幸村くんは柔らかく微笑んだ。男の子なのに、まるで穢れのない天使みたい。
 いつも柔和で穏やかだけど、花のことを話している幸村くんは、いつもよりもっと楽しそうで声が弾んでいる。美化委員で同じにならなかったら、きっとこんな一面知らなかった。

 わたしは花が好きだけど、あんまり詳しくはない。元々レジンアクセサリーを作るのが好きで、ドライフラワーを扱うことがあったから、委員決めの時に美化委員が人気がないのを見て、立候補したのだ。お花をお世話するのも楽しそうだし、綺麗に咲いたらきっと嬉しいだろうなあって思ったから。
 それに、枯れちゃう前に少し分けてもらって、自分でドライフラワーを作れたら、材料費が浮くかもしれないなぁっていう下心もあった。
 そこでペアになったのが、幸村くんだった。
 幸村くんはガーデニングが趣味らしく、花について詳しかった。今も軍手を汚しながら、花壇を掘り返して、腐葉土で土を整えている。地植えをする時は植え付け場所を整えるのが重要なのだと美化委員の活動の中で知った。

 ずっとしゃがみこんでてちょっと腰が痛い。でも、けっこう楽しい。幸村くんは「花いっぱい運動」の企画を立てて、リーダーとして推進しているから、春にも夏にもこの花壇は綺麗な花で溢れていた。
 花を育てるって、思ったより泥臭いし、地味だし、めんどくさいし、重労働なんだけど、花が咲いた時は感動して、少し泣きそうになった。
 まるで自分の子供が大人になったみたいな感動っていうか。
 自分の子供で栞を作ったり、イヤリングやバレッタを作るのも、今までにない充実感と達成感がある。今つけているバレッタも、夏に咲いたペチュニアの花弁を使っている。美化委員の活動の中で、今まで触れたことのなかった花の名前を知り、色んな花を使って作ることで自分のレパートリーも増えていい事づくめだ。

 花は素敵だ。
 今から育てるシクラメンも、きっと好きになる。
 どんな花なんだろう。
 ドキドキして、ワクワクして、心が浮き足立つ。

「寒い時期にも花が咲くなんて、なんかすごいや。枯れちゃったりしないかな」
「大丈夫だよ。花は強いんだ。花ガラ摘みとか葉組とか、ちょっと手間はかかるけど、その分だけ生命力を蓄えて、花は応えてくれる」
「たしかに。植物って繊細なイメージがあったんだけど、意外と生命力強いよね。美化委員になって初めて知ったなぁ」
「ほんと、冬の寒きを経ざれば冬の暖かきを知らずって言葉の通りだよね」
「え?冬?」
「ことわざだよ。植物は辛い冬を越えてこそ、春に美しく咲くことができる。人間も一緒で、苦労を経験するからこそ生きることの楽しさを見出すことができる。いい言葉だと思わない?」
「うん…なんか深いね!ごめんバカな感想しか言えないんだけど、でも、うん、すごいなぁってなる」
「フッ、あははっ、そうだろ?花を見てると力をもらえるんだ」
 地面を眺めながら、瞳を輝かせて少年のように幸村くんが笑う。
 わたしもなんだか嬉しくなって、頬が勝手ににっこりする。
「咲いてくれるのが今から楽しみだね」
「うん、楽しみだ。きっと綺麗な子になるよ」

 陽射しで彼の藍色の瞳が星のようにまたたいた。光が睫毛にのってきらきら跳ねている。土で頬が少し汚れていたけれど、陽光を背負った彼は楽しそうで、わたしは思わず見とれていた。

 幸村くんが倒れる、直前のことだった。

*

 冷たい風が頬を叩く。雪は振っていないけれど、立海は海のすぐ側だから、風が強くて、切るように痛い。
 屋上にはやっぱり全く人がいない。
 冬にこんな寒い場所に来るのなんて、美化委員か、気まぐれなサボり魔くらいだ。
 寂しい屋上で、白、ピンク、紫、赤、咲き誇る花壇がわたしを美しく迎えてくれる。

 シクラメンは無事に咲いてくれた。
 苗を幸村くんの指導の元、美化委員たちで植え、詳しい育てかたや水やりの時間帯、気をつけることを学んで、わたし達はこの子達を育ててきた。
 他の花壇の花も、綺麗に咲いてくれたけど、やっぱりいちばん思い入れがあるのはこのシクラメンちゃんたち。土を掘り起こすところから手をかけたから、思い入れも深い。

 ぜんぶ綺麗で可愛いんだけど、わたしのお気に入りはフリル咲きの子だった。花びらが意匠の細かい豪華なワンピースみたいで、ラブリーで、使い幅も広そうだ。
 見ているだけでもぜんぜん飽きないの。
 いくつかダメになってしまった子もいて、その時は悲しかった。ごめんね、ごめんねって罪悪感でいっぱいになって……咲くことが出来なくても、根が枯れていなければまた生まれることができるって、幸村くんが言っていたから、分かっているんだけれど、上手く咲かせてあげることができないとやっぱり切ないよね。

 きっと、咲きたかったのに。

 だから、他の子が綺麗に花を咲かせることが出来てうれしい。
 でも枯れるまでは気は抜けない。
 今日もわたしは、シクラメンちゃんたちに水をやる。

 彼女たちを眺めていると、綺麗で、可愛くて嬉しいのに、ふと寂しさが浮かぶ。
 この子たちをいちばん愛して、気にかけてあげていたのは幸村くんだった。わたし達は幸村くんに教わりながら、拙いながらもなんとかお世話できていただけで、いちばん頑張ったのは幸村くんだったし、いちばん楽しみにしていたのも、いちばん声をかけてあげていたのも幸村くんだった。

 花は、声をかけると綺麗に咲くらしい。花も生きてるんだって。愛情を受けた分だけ美しくのびのび育つし、ウワサじゃなくて、実際に比較して育てた結果の論文もあるらしい。
 幸村くんって博学だ。
 だから幸村くんはよく優しく話しかけていた。

「綺麗に咲くんだよ」
「風が冷たくはないかい?」
「お水美味しい?栄養をたっぷりとってすくすく育つんだよ」

 そんなふうに愛してもらったこの子たちは、今、素晴らしく咲き誇っている。華道部の友達にお願いして、ほかの花と一緒に活けてもらう約束もした。
 校内に飾ってもらったら、色んな人に見てもらえるだろう。
 でも…。わたしは悲しくなる。
 せっかく綺麗に咲いたのに、幸村くんには見てもらえない。それが悲しくて、寂しい。

「…幸村くんに会いたい?」

 返事がないことは分かっていたけど、わたしもいつしか当たり前になっていたクセで、シクラメンちゃんに話しかけた。
 風で花が揺れる。
 わたしには、それが彼女たちからの返事に思えた。


 思い立ったが吉日と、昼休みにF組を覗く。後ろの方の席でスッと背筋を伸ばした姿を見つけ、良かったと胸を撫で下ろす。

「柳くん、柳くん」
 話しかけると、彼はゆっくり顔を上げて上品に首を傾けた。うわー、幸村くんの友達って感じだ。
「…白凪、だったか?」
「名前知ってたの?さすがだねぇ」
 話したことは無かったから驚いてしまった。データマンだって有名だし、テニスでは参謀とか言われてるし、同学年じゃ1番頭がいいけど、まさか学年全員の名前を覚えてるのかな?
 でも、さすがの柳くんでもわたしの用事は分からなかったらしく「俺に何か用事か?」とたずねた。

「あのね、屋上の花が綺麗に咲いたの!」
 テンションのまま言ってから、言葉が足りなすぎたなって思ったけれど、柳くんの脳みそはどうなってるのか、一瞬戸惑ったように沈黙して「…ああ」とうなずいた。
「白凪は美化委員だったか」
「そんなことも知ってたの?」
「精市と作業していたのを見かけたことがあるからな。屋上の花…見舞いか?」
「そうそう、幸村くん楽しみにしてたから、持っていってあげてほしいなって」
「自分で行かないのか?」
「え?」
 思わずキョトンとしてしまう。
「自分で…ってわたしが?」
「ああ。心配してくれているんだろう。見舞ってやれば、精市も喜ぶと思うぞ」
「そうかな…そこまでの仲じゃないのに、いきなり押しかけても迷惑じゃないかなぁ」
「…いや、迷惑だなんて思わないさ。白凪が良ければ花を持っていってやってほしい。それに、部活が終わる時間だと病院の面会時間が終わってしまうからな」
「あー、そっか…」

 日が暮れるまで部活をしているテニス部。ファンの友達が言うには、幸村くんが戻るまで無敗を掲げて、今まで以上に練習に熱を入れているらしい。男の子の友情って感じで、なんかいいよね、そういうの。

 柳くんから病院の場所と、病室を教えてもらい、お礼を言って教室に戻る。
 さっそく今日行きたかったけれど、どうしようか迷った。
 生け花は頼んだばっかりで、そんなにすぐしてもらえないから、いくつか花を摘んでお花屋さんで花束を作ってもらおうかな……。
 でも、ガーデンシクラメンは背が低い。あの子たちだけで花束にするなら、少し映えないから、ほかの花壇の子も摘んでいくか、お花屋さんで他の花を一緒に束ねてもらおうか……。シクラメンちゃんたちが、脇役みたいになってしまうだろうか……。

 うんうん唸って、頭の中に浮かんだ選択肢に沈黙する。
 どうしよう……。
 病院のお見舞いに、ふさわしくないと分かってる。でも、チラチラよぎる考えが消えない。

 本当は、鉢植えで渡してあげたかった。
 根のまま持っていってあげたら、長生きするし、お世話する手間があって、幸村くんが嬉しいんじゃないかなって。でも、お見舞いにダメだって分かってるから、嬉しくないかもしれない。
 うーん……。
 悩んで、悩んで、「うん」とうなずく。
 怒られたら謝ろう。
 だって、きっと生きているまま幸村くんに見てもらった方が、幸村くんのそばにできるだけ長くいれたほうが、シクラメンちゃんは嬉しいと思うから。

 そうと決めたら、久しぶりに幸村くんにメールを送る。今日お見舞いに行くね、とそれだけ送るのが少し緊張した。同じ委員というだけで、そこまで仲がいいってわけでもないから、気を使わせちゃうかも。
 送ってから、病院って携帯使えるのかな、って思ったけれど、放課後確認するとメールが返ってきていた。

『嬉しいよ、白凪さんが来てくれるなんて。待っているね』
 社交辞令かもしれないけれど、とりあえず今日行っても大丈夫そうで、わたしはほっとした。

 鉢植えを持って、緊張しながら自動ドアを通る。彼の入院している金井総合病院はとても大きくて、誰かのお見舞いに1人で来るのは初めてだったし、鉢植えを持っているから、ちょっとだけ人の視線が気になる。
 受付をして病室を教えてもらう。
 エントランスにいる人たちは私服の人が多かったけど、病室が並ぶほうに近づくと、薄緑の服を着ている人とすれ違うことが多くなっていく。きっと入院している人たちだ。

 『幸村』と書いてある部屋を見つけ、ドアの前で小さく深呼吸し、ドアを開けた。

 日当たりのいい部屋だった。目に飛び込んできた光景に驚いたような、目を奪われるような不思議な感覚で少しの間動きが止まる。
 カーテンが束ねてあって、窓から射し込む陽射しと真っ白な壁に囲まれる緑の病院服を着た幸村くんが、ベッドに座って外を眺めていた。白い部屋の中で彼だけが色がある。
 横顔は長い髪の毛でどんな表情を浮かべているのか見えなかった。

 ふいに、驚いたように幸村くんが振り返った。
「…白凪さん?本当に来てくれたんだ」
 慌ててわたしはうなずき、ベッドのそばに歩み寄った。彼の視線になんだか急に鉢植えを持っていることがいたたまれない気分になる。

「ひ、久しぶりだね」
「そうだね。今日はわざわざありがとう。屋上のシクラメン、咲いたんだね」
「うん…あの、良くないかもって思ったんだけど、綺麗に咲いてるから、できるだけ長持ちしてほしくて……」
「ふふ、気にしないよ。ありがとう」

 どもってしまうのは、久しぶりで彼との話し方を忘れたせいじゃなかった。
 微笑む幸村くんは相変わらず花みたいに綺麗だった。でも……。
 幸村くん、痩せてる……。
 わたしはなんだかうまく彼の目を見れなくて、逃げるように部屋を見回した。

「これ、どこに置いたらいいかな?あったかそうな窓際かなぁ?でも、お水を上げやすいように向こうの棚のところの方がいい?」
「窓でいいよ。目に入るところで眺めていたいから」
「分かった。咲いた子の中でいちばん綺麗な子を連れてきたの。一重咲きが好きって言ってたでしょ?あと、わたしのお気に入りのフリル咲きの子」
「覚えてたの?」
「教えてくれたこと全部覚えてるよ!なんてったって先生の教えですから」
「先生って、いつの間に俺、先生になってたの?」
 胸を張ってみせると、ふふっと幸村くんが柔らかく声を零す。だんだん緊張がほぐれてきて、彼との話し方を思い出してくる。自分が普通に話せていることに安堵する。

 窓際に置くと、幸村くんがベッドから降りようとした。
 点滴が繋がっている白くて細い腕。思わずギョッとする。
「立ち上がって大丈夫なの?」
「…平気だよ。歩くくらい」
 一瞬寄せられた眉根に、しまったと思ったけど、口から飛び出した言葉はしまえないし、馬鹿なわたしには上手いフォローの仕方も思いつかなくて、そっか、とだけつぶやく。
「それならいいんだけど…」
「心配してくれてありがとう。でも本当に平気だから」
「うん」
「それより、すごく綺麗に咲いてるね。白凪さんが見てくれてたの?寒かっただろう?」
「まぁねー、木枯らしがビュウビュウ!でも、わたしも早く見たかったもん。シクラメンちゃんが咲くところ」
「アハハっ、ちゃん呼びになってる」
「あっ、ついいつものクセで…」
「可愛がってくれたんだね。うれしいな。それにこの病院もけっこう遠かったでしょ?」
「そうでもないよー」

 ふたりでシクラメンちゃんを眺めながら、屋上や他の場所の花壇の話をしていたけど、だんだん話すことがなくなってくる。
 そういえば幸村くんとは委員の活動の時しかちゃんと話したことがないんだったと思い出す。
 委員の時は、作業してるからそれの話をしてればいいし、終わったら解散だから会話に困ったことはなかったけど、こうして改めて何もない時に話すとなると、幸村くんのことを何も知らなくて何を話せばいいか分からないや。
 沈黙がなんとなく気まずい。
 普段ならそんなに気にならないけど、場所が……白い病室と、前に見たときよりずっと弱々しく感じる幸村くんが、なんだかわたしが場違いなような気分にさせた。
 病気と闘っている人に、病気について聞くのもためらわれて、でも学校生活のことを話すのはなんだか、それもそれでたぶん無神経な気がする。

 なんとなく髪をいじるわたしに気を使ったのか、「座ったら?立ってると疲れちゃうだろ?」と言った。
 その優しさが幸村くんらしくてうれしいんだけど、帰るタイミングが分からない。

「飲み物も出さずにごめんね。少し待ってて」
「えっ、いいよそんなの!わざわざ…」
「お見舞いのが余ってるんだ。オレンジジュースでいい?俺、ジュースはあまり飲まないから」
「ああ、うん…」
 ニコッと幸村くんが笑うと、入口近くの棚からグラスを取り出し始める。その優しい言い方なのにおそろしくマイペースな感じが、ああ、幸村くんだなぁって、こんな場所でこんな時なのにわたしはなんだか少し笑いそうになった。
 病気で弱々しく見えてどうしたらいいか分からなかったけど、変わっていなくて、ようやく久しぶりに幸村くんと話している実感が湧いてくる。

 部屋の中を歩き回る幸村くんは、ゆっくりだったけど、そんなにつらくはなさそうだった。そう見えてるだけかもしれないけど。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 テーブルがないから手渡されたグラスをそのまま受け取る。冷たい。部屋の中がエアコンで暑いくらいだからちょうどいい。
 こんなに暑いと、花には少しつらいかもしれないなぁ。
 仕方ないけど少し寂しくて、植木鉢を見つめる。
 この部屋がなんでこんなに居心地が悪いか分かった。学校で花の手入れをしている時間と違って、この部屋には寂しさしかないからかもしれない。

「今日は本当にありがとうね」
 幸村くんのほうも話すことがないのか、また最初のほうの会話を繰り返した。
「ううん、わたしも顔が見れてよかった。……学校に来れそうな日はあるの?」
「うーん、まだ少し難しいけど。もう少し体調が良くなったら一時退院できるって言われたんだ。そうしたら花壇を見に行きたいな」
「そうなんだ、良かった。花も幸村くんのこと待ってるよ」
「白凪さんは待っててくれないの?」
「えっ、もちろん待ってるよ!学校のみんな待ってる!テニス部も、前より練習に熱がこもってるって柳くん言ってたし」
「ああ、真田もそう言ってたな。俺がいてもいなくてもその熱量を保つべきだけど」
「わー、なんかそれ、部長っぽい」
「ふふ、部長だからね」
「幸村くんもけっこう体育会系なんだねー。ふだん、ふわふわしてるから、なんかちょっと意外なかんじ」
「なに、それ」

 そう言って、幸村くんがふわふわ笑う。やっぱり、ふわふわしてる。
「意外といえば、白凪さんがお見舞いに来てくれるとは思わなかったな」
「それね、柳くんにすすめられたの。最初はシクラメンちゃん、柳くんにお願いしようと思ったんだけど」
「そうなんだ?」
「うん、でも練習で面会時間終わっちゃうからって言われて、たしかにって思って。来れてよかった」
「俺もうれしかったよ」
「ほんと?でもほんとに良かった、幸村くんにシクラメンちゃんを見せたかったの!可哀想だもん、せっかく綺麗に咲いたのに」
「……可哀想?」
「うん!」

 花を育てるうちに、いつの間にか花に感情があるような気がしていた。だから、会わせてあげたかった。美化委員どころか、たぶん校内の誰より自分が咲くのを待ち望んでいた人に、綺麗に咲いた姿を見てほしいはずだから。
 わたしだったらそう思う。
 可愛いと思ってほしい人に、可愛くした姿を見てほしいなって。
 そう考えたら、わたしってさながら恋のキューピット?
 ちょっとちがうか。
 ひとりでそんなバカなことを考えて、ひとりで嬉しくなって笑っていたけれど、幸村くんを見たら、戸惑って笑顔が引っ込んでいった。
 さっきまでふわふわ微笑んでいた幸村くんが、今は……戸惑うくらい、冷たい雰囲気を漂わせている。
 びっくりして、わたしは口を噤んだ。

「なんだ、君も他の人と同じなんだね」
「…えっ?」

 ちいさく呟いた言葉が驚くくらいに冷たかった。聞き返したのは、聞こえなかったからじゃなくて、その声の冷たさとその内容が理解できなかったからだ。
 他の人とおなじ?
 でも幸村くんは皮肉げに唇を歪ませた。初めて見る表情だ。
 よく分からないけど、たぶんわたしが言わないほうがいいことを言ってしまったんだと分かる。こういうことがわたしにはよくある。
 咄嗟に謝りたくなるけど、よく分かっていないのに謝ると、ますます人は怒ってしまったり、さらに傷つけてしまったりするから、わたしは眉を下げておろおろと彼をうかがうことしかできない。
 幸村くんは自分を落ち着かせるように深く呼吸をして、微笑んだ。それはやっぱりいつもと違う、苦さと苛立ち、そして悔しさに似たものが滲んでいる。

「可哀想だった?」
「え?」
 幸村くんは、やっぱり唐突だ。わたしは繰り返した。今度は幸村くんは言い直してくれた。
「関係ない人にまで同情されるほど、俺って君の目にも可哀想に映るんだね」

 言われたことを数秒かけて理解する。刺々しい言い方にキョドってしまって、胸が痛んだけど、理解して「ああ」と思わず笑ってしまった。
 なんだ、ただの勘違いだったんだ。
 それはホッとして生まれた笑顔だったけど、幸村くんがムッと眉をしかめる。
「何か面白い?」
 あわててわたしは首を振る。
「あ、ごめん、安心したら笑っちゃって」
「安心?なにが?」
「だって怒らせちゃったのかと思って。わたしってほら、ばかだし、無神経って言われるから」
「うん、まぁ、それで?」
「それでって?」
「それで終わり?」
「え?うん、そうだけど…」
「……はぁ、なんだか気が抜けるな。白凪さんってちょっと変わってるよね」
「えへへ、よく言われる」
 わたしが笑うと、幸村くんは仕方なさそうにため息をついた。変わってるってよく言われるし、たいていの場合嫌味なんだって友達が言ってたから、幸村くんのも嫌味なのかと思ったけど、声が柔らかいし笑ってるからちがうと思った。
 呆れ顔で笑ってくれて安心して、「それで?」の意味が遅れてわかる。勘違いをといてなかった。

「幸村くんは可哀想より、寂しそうって思う」
「……」
「あ、さっきのやつ、答えてなかったから」
「うん、それは分かるよ…」
「そっか。だから可哀想は幸村くんにじゃないよ。シクラメンちゃんが可哀想だと思ったの」
「…シクラメン?」
「うん。わたしだったら、お洒落したら友達とか彼氏に見てほしいなって思うもん」
「可哀想って……花のこと?」
「そうだよ。シクラメンちゃんも、せっかく綺麗に咲いたのに、大事に育ててくれた人に見てもらえないのは可哀想だなって。紛らわしくてごめんね」

 幸村くんの形のいい瞳がきれいにまあるくなった。
 そして、俯いて肩を震わせると、「あは、あはははっ」とお腹を抱えて笑い始めた。

「えっ、なに?」
「いや、うん…はぁ、なんか俺が馬鹿みたいだ」
「なにが?」
「白凪さんってさ、前から思ってたけど面白いよね。あはは、はぁ……」
「わたし!?」
「普通思わないよ、自分に重ねて、咲いたのを見てもらえないのは可哀想とかさ。やっぱり変だよ、君って」
「変って、ひどい、だって幸村くんが花は生きてるって言ったのに!」
「ああ、そんなこと言ったね。良かった、白凪さんが俺の思う通りの素直な子で。変っていうのも褒めてるんだよ」
「褒められてる気がしないよ!」
「本当に褒めてるよ。俺が卑屈なだけ…いや、でも普通俺に言われたって思うだろ?やっぱり白凪さんが変わってて面白いだけだよ」

 幸村くんはひとりで失礼な自己完結をして、笑いすぎて滲んだ涙を拭っている。そんなに笑う?変わってるって言われても、全然嬉しくないし、わたしから見たら幸村くんの方が全然変わってる。
 でも、さっきの冷たい幸村くんがいなくなって、今は陽の下で咲く花みたいにパッと笑っているから、わたしもなんだか嬉しくなってしまった。
 他の人みたいに「変わってるね」とか「不思議ちゃんだよね」とか言ってくる人たちと違って、幸村くんの言い方は、なんだか親しみがあるような気がした。

「なんか、やっぱり幸村くんって花みたい」
「花?俺が?」

 幸村くんを見ていたら、ふと前に言っていたことを思い出した。
 この部屋も、幸村くんも寂しそうだと思ったけど、そんなことなかったんだ。

「幸村くんが言ってた通りだったね。人間も花と同じだって」
「白凪さんって唐突だよね」
「幸村くんに言われたくないよ!」
「ふふっ、それで?俺が花みたいだなんて、自分で言うはずないんだけどな」
「ほら、好きって言ってたでしょ?えっと…冬の寒きを経ざれば春の暖かきを知らず、だっけ。素敵な言葉だったから、調べて覚えたんだよ」
 幸村くんがぱち、ぱち、とまばたきをする。
「きっと今は冬なんだね」
「……」
「春がいつかは分からないけど、幸村くんもいつか咲く日が来るんだなって思ったら、やっぱりほら、花みたいじゃない?」
「春か……ははっ、そんな風に考えたことなかったな……」

 幸村くんは笑ったのに、声が震えている気がして、わたしは思わず彼を見つめた。幸村くんもわたしを見ていた。

「うん、そうだね。冬の寒きを経ざれば春の暖かきを知らず……忘れてたよ、そんな言葉」
 彼が急にわたしの手を掴んだ。肩が揺れる。
 幸村くんの手は、細いのにわたしよりずっと大きくて、意外とゴツゴツしていた。そして、わたしの手よりもずっと冷たかった。
「ありがとう、白凪さん。この花も、君も……」
 瞳を細めて見つめられて、心臓がドキドキとしてくる。幸村くんの声は少し掠れていて、その向けられる笑顔がなぜか、泣きそうに見えた。涙なんて浮かんでいないのに。
 わたしはなんて返せばいいかわからなくて、曖昧にうなずくことしかできなかった。
 幸村くんがそのまま俯いて黙ってしまったから、わたしも何も言えずに、ただ顔が暑くなる感覚と、幸村くんの優しく包んでくる手のひらがゆっくり温かくなって行く感覚を、静かに感じていた。


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