ダメダメなシュラウドくん

 ベッドに手と足を投げ出し、打ち上げられた魚のような虚ろな瞳で、イデアはのぺーっと天井を見ていた。何もする気が起きない。暇なわけではなかった。むしろイデアは常に割と忙しい。積みゲーも積み本もあるし、魔法工学を研究に終わりはないし、個人的にネットで色々仕事を受けたりもしているし、オルトのメンテやボドゲだってやることは履いて捨てるくらいある。
 けれど今はそのどれもやりたいと思えなかった。
 心はすっかり麻痺していて、痛いだとか焦りだとかそういう感情はない。ただひたすらに身体が重たかった。
 ボーッと今日の自分を思い返す。…


「グリム氏は最高ですなあ。監督生氏は毎日これを味わえるなんて羨ましいですぞ」
「腹を嗅ぐなっ!ふなあ、コイツ撫でるのはうめぇけどなんか気持ちわりいんだゾ」
「まあまあグリム氏、お堅いことを言わずに」
 自室に監督生を呼べるくらいになったイデアだったが、部屋に他人がいるとどうしても落ち着かず、特に女の子の監督生が狭い空間にいると、色々な意味で意識してしまうのは避けられなかった。グリムのモフモフは至福でもあり、精神安定剤でもあり、歯止めでもあり、だからそれもいつもの延長だった。
「はあ……でも本当にいいよね。グリム氏泊まっていかない?ダメ?高級ツナ缶も買ってあるよ?」
「おっまえ!分かってるな!子分にしてやってもいいんだゾ」
「ヒヒッ、光栄の極み」
 モフモフの奴隷と化しているイデアに、監督生がわざとらしくムスーーっとして、からかうように笑った。
「グリムだけですか?わたしはイデア先輩に会いに来てるのに悲しいなあ」
「えっ」
 軽口だと分かっているのに他人にこんなわざと拗ねたり甘えたり上げるようなことを言って繋がるコミュニケーションを取ったことがないイデアは、間抜けな声を出して固まり、視界をウロウロさせた。
 照れていると受け取った監督生がさらに近寄ってきた。
「わたしとグリムはセットなんですから、グリムにモフモフするならわたしにもしないとダメですよ?」
 グイッと何かをせがむように頭を近付けて、監督生はにやっと瞳に笑いを浮かべていた。イデアをからかっているのだ。
 イデアはカーーっと身体が熱くなった。照れもそうだし、苛立ちもあった。ちょっと裏切られた気持ちにもなった。
 自分だって他人を煽ることで仲良くなったつもりでいるくせに、自意識過剰なオタクなので、からかわれるとバカにされた様な気分になってしまうのだ。

 何も言わないのを不審に思ったのか、監督生が「イデア先輩?」ときょとんと顔を上げた。監督生はパジャマみたいな胸元のゆるいトレーナーを着ていた。ほんの一瞬谷間が見えてイデアは顔を逸らした。無防備だよな。何故かふと彼女がいつもつるんでるエースに肩を組まれているところや、フロイドに抱きつかれている姿、ヴィルに頬を指で触れられているところを思い出し、流れるように言葉が出てきた。

「僕に媚び売っても意味無いよ、ただの陰キャであるからして……あっ、それともみんなにしてるのかなw頭なでなでしてほしきゃぴって?wさすがモテ陽キャは違いますなあw」
 ヘラヘラ言いながら、言い過ぎだと冷や汗が出そうなのに、口は止まらなかった。すっかり言い終わってしまい、監督生もイデアもシーンと口を噤んだ。
 監督生を何を言っても微笑んでいるからイデアに調子に乗りすぎたのだ。怒った?嫌われた?イデアは震えながら監督生を見た。

 彼女は怒っていなかった。イデアと目が合うと、監督生はゆっくり微笑んだ。明らかに覇気がなく、眉が垂れ下がっていた。
「イデア先輩の……コミュニケーションの取り方は理解してるつもりなんです」
 ポツリと呟く。その声は寂しさが滲んでいた。
「でも……その。なんと言うか……。仲良くなれたのか、嫌われてるのか……分からなくなる時があります。媚びを売ったつもりじゃなかったんですけど、誤解を招いてしまってすみません」
 髪の毛をくるくる弄って、いたたまれないように監督生はパッと弾けるような笑顔を浮かべた。でも、それでも眉根は悲しそうで、イデアはザクザク刺された気分になった。刺したのはイデアなのに。
「変な空気にしちゃってごめんなさい!あと、変なこと言って……」
「あ、ま、待って」
「はい?」
「べべ別にさ本気で思ったわけじゃないしそんな本気で受け取られても困るでござるよだ、だって君なら分かってくれるっていうかそういうアレでござるよそんなwふつうにw」
「わざと言ったんですか……?」
「え。いや、わざととか、そういうつもりじゃない、けど……」
「イデア先輩と一緒にいるの楽しいです」
「ヘヒュッ」
「でも……わざと傷付くこと言われるのは……悲しいです。失礼しますね。おやすみなさい」


 それから5時間が経っている。
 イデアは監督生たちが帰ったあと、ズルズル滑り込んで、ベッドまで這ってバタンと倒れ込んだ。最初はボーッとタブレットをいじったりしていたけれど、頭の中が監督生の顔と言葉に埋め尽くされていて、とても何も手につかなかった。
 頭にいっぱい言い訳が浮かんだ。浮かんでは消えてまた浮かんだ。
 だってさ、人間と深く関わったことがないんだよ。ちゃんと話したのはネットの人ばっかりで、言葉とかもそっち系ばっかりでさ。
 君みたいな友達の多い陽キャには分からないだろうね。
 ネタにマジレスは草。
 だいたい男の部屋にノコノコ入ってきて触ってくださいなんてどんなビッチだよ失望するわ……。
 自己保身の言い訳は湯水のように湧いて、監督生をディスる言葉も次から次へと思いついた。その度に脳裏に、悲しいのを我慢して健気に笑顔を浮かべて、「イデア先輩と一緒にいるの楽しい」「傷付くこと言われるのは悲しいです」と伝えてくれた監督生の顔が浮かんだ。
 自己嫌悪で死にそうだった。

 頭を撫でてと言われた時の瞬間的に血が沸騰するようなトキメキも、白い肌に吸い寄せられてしまう視線も、オタクな自分を強調しないと平静でいられない緊張も、ぜんぶわかってるのかわかってないのかぽやぽやした顔で、イデアを掻き乱す。
 このまま嫌われたら楽なのに。でもそうすると全身が寒くなって、心の中に隙間風が吹く。

 イデアの言葉なんかに傷付いてくれた彼女。それはイデアに心を許して向き合ってくれているんだってちゃんと分かっているのに、理由をつけて逃げてしまう自分が嫌いだった。
 それでもやっぱりイデアに動けないのだ。
 天井をボーーっと眺めながら、どうしよう、どうしよう、と悩んでいるのだ。


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