・クロスオーバー
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・夢小説ではありません
・名前のついたモブがいます
・にっかり青江と安室透



 雨が降っている。しとしと。しとしと。空には重たい暗雲が立ち込め、昼だというのにずいぶんと薄暗い。土砂降り、ほどでは無いが、傘が必要なくらいには雨足の強い、風のない日。遠くのほうでゴロゴロ不機嫌な雷様が鳴っている。
 こうなると、客足がぱったりと途絶えてしまう。
 昼時だというのに、ポアロの店内には腰を落ち着けた客がふたり、さんにんいるだけだった。
 のんびりしているというにはすこし閑散としすぎている店内。

 まあ、こういう日もあるだろう。
 秋の初めは季節が変わりやすい。

 安室はカップを磨いたり、珈琲豆をブレンドしたり、夕時の軽食の下拵えをしながら、ゆっくりと時間を過ごす。
 今日は店長も梓もいないけれど、ひとりで落ち着いて回せるくらいには余裕がある。おそらく今日もコナンが夕飯を食べに来るだろうから、少し手間のかかるものを試作してみても良いかもしれない。

 そうだな、作りやすくてアレンジのしやすいパスタなどは新メニューとして妥当だろう。手に入りやすい林檎をアクセントにしたものや、まだ少し季節には早いけれど、秋刀魚を使ったものもいいかもしれない。あるいは秋茄子やツナを入れてみようか。

 微かに浮き足立つような安室だったが、そんな彼とはうらはらに、どこか落ち着かない様子の客がふと目に入り、安室は意識を留めた。
 どこか浮かない表情のその女性。本を開いているが、ようく見ると、目が同じ動作を繰り返していて、ページが進んでいない。
 そわり、そわりと体を揺らし、定期的に入口の扉に視線を遣るさまは、何かを待ちわびているようで。こんな雨の日に誰かと待ち合わせだろうか。
 それにしてはずいぶんと、不安げで、そう──怯えているような。

 この女性は何回かポアロに足を運んでくれているので覚えている。名前はたしか、楠本、だったはずだ。
 いつもカウンターから少し離れた、一番奥のひとりがけ席で、昼時に本を片手に珈琲を嗜んでいるから記憶に残っていた。今日は珍しく4人がけの席に座っている。
 いつも文庫本を2時間ほどで読んでしまうから、早読みと集中力に感心していたものだが、どうも、今日は様子が違う。

 
 カロンカロン、ベルが鳴り響く。扉が開いて外の雨が見えた。影と、人影が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
 安室は用意していたタオルを持って客のもとへ行く。先程の楠本が、ほぼ立ち上がるようにして客を見た。安堵といった表情。横目で見ながらお荷物を受け取って、タオルを2枚お渡しする。
「やあ、すまないね。ずいぶんぐっしょりと、奥まで濡れてしまったよ。……洋服のことだよ?」
「そうでしょうね、生憎の雨足ですから」
 卒のない返事に、翠に照る髪の毛から雫を滴らせる青年は、肩を竦めてみせた。
「つれないねえ。でもこの手ぬぐいは助かるよ、ありがとう」
 水気を吸い取るように丁寧に髪の毛と顔を拭くこの青年は、常連と言っても良い客だった。
 京極青江。人が良いがミステリアスで、どこか淫靡で、掴みどころのない。

 渡したタオルを2枚とも使い、青江はまっすぐと楠本の席に向かった。安室はむくむくと好奇心が湧き上がるのを感じる。
 彼はいつも外の景色がよく見える窓際の席を好んでいたし、楠本と青江が知り合いだったとは知らなかった。

 青江が歩いたあとには、びちゃり、びちゃり、と水音が響き、靴の中まで濡れてしまっているのがわかる。店内を掃除して、テーブルの下にタオルでも敷いていただいたほうが良いかもしれない。

 カウンターからは遠い席なので、会話は微かにしか聞こえないが、今日は常よりもうんと静かだ。

「お待たせして申し訳ないね。此度は依頼ありがとう」
「い、いえ、お待ちしてました。それで、依頼は受けてくださるのですか?」
「せっかちだね。そんなに欲しがらなくても、君をきちんとよろこばせてあげるよ」
「悠長にしてられないんです!」
 鋭く怒鳴るような甲高い声に、楠本は自分でびくりと怯え、声を潜める。

 小さくなってしまった声に、安室は聞き耳を立てるのを辞め、おしぼりと水をトレーに乗せ、彼らのもとへ向かう。

 会話を邪魔しないように、青江の前と、その隣へそっとおしぼりと水を並べ、小さく頭を下げて安室は下がろうとした。
「ヒッ」
 しかし、喉の引き攣れるような声に思わず振り返る。
 楠本はざっと血の気のなくしたような土気色の顔で、安室が置いた水を見ている。いや、空白の席を見ている?

 戸惑いながらも、尋常でない様子の楠本に、体調が悪いのかと放っておけず声をかけた。
「どうかされましたか?お顔の色が優れないようですが……」
「な、なん、」
 震える唇でうまく言葉が継げないようだ。青江はと言えば、何がおかしいのか、にっかりと笑んでいる。
「大丈夫ですか?よろしければ、店の奥でお休みになりますか?」
「なんで!」
 言葉を遮るように悲鳴のような声が響いた。そこで気付いた、楠本は心底恐怖におののいている。

「なんで3つも水を出したの……!?そこにいるの!?ねえ、あ、安室さん!見えてるの!?」
「はい……?」
 余裕のない楠本の要領を得ない言葉に首を傾げて、はた、と思う。

 なぜ僕は3人いると思ったんだ?誰も座っていないのに。

 思えば、ベルが鳴った時からそうだった。
 自然と、客が2人来たと思い、タオルを2枚お出しした。疑問に思うことも無く、空白の席に誰かいるような気がしていた。

 疲れているのだろうか。最近は近隣で事件が起こることも多く、探偵業、喫茶業、裏稼業、警察業と休む間も無かったから。
 無意識のうちに身体にがたが来てきたかもしれない。

 そんなことを一瞬のうちに考え、曖昧な笑みを浮かべる。眉を下げ、腰を下げ、柔らかい声音で人好きするように。
「申し訳ありません、どうやら少しぼんやりしていたみたいで。いけませんね、のんびりした日だからと言って気まで緩んでしまうなんて」
「あ、ただのミスならいいの……いいの……」

 何故かあからさまにホッとした楠本に疑問を抱きつつ、多い皿を下げようとした安室を青江が止めた。
「いいよ、下げなくて。これでちょうどいいのさ」
 にっかり。青江の笑顔はどこか人に疑念を持たせる。何か釈然としない気持ちを抱え、安室は下がったが、どうしても気になってしまい2人の会話を気にかける。

 店員としては宜しくない態度だと自覚はあるが、探偵として好奇心がある程度盛んなのは仕様がない。
 できるだけ悟られないよう背中を向けつつ、後ろに集中を向ける安室。
 忙しない楠本が立てる物音と、布を裂くように小声で叫ぶ声、そんな楠本をもはや馬鹿にしているようにすら聞こえる落ち着き払った青江の声。まったく相性が良いようには思われない。

*
 
「まあ落ち着きなよ」
 小刻みに身体を震わせ、殺されでもするかのように青い顔をした目の前の女性に、青江は苦笑しつつ柔らかく声をかけた。
 ……つもりなのだけれど、どうにも他人に不信感を抱かせてしまうらしく、依頼人の楠本はさらに怯えを深めてしまった。
 まあ、仕方の無いことだろうけどねえ。
 なんせ、彼女が怯えている幽霊が今ここにいるのだから。

「い、い、いるんですか、今」
「いるよ」
 楠本は喉をならして、体を強ばらせながら涙を浮かべている。余裕が無い人間というのは得てして攻撃的になるから、宥めてやりたいが。
「どうにかしてください!お金なら出しますから!」
「そんなに怯えなくて大丈夫さ。僕が傍にいると、こういう類は大人しくなってくれるし」
 その言葉でようやっとすこし落ち着いたようだった。ぬるくなった珈琲を彼女が嚥下する。
 視えないというのがどういう感覚か青江には分からないが、こんなにも精神を消耗するとは、人間は儚くていけない。
 彼女の場合自業自得なので特に同情は沸かないけれど、青江は仕事はきっちりするタイプだ。

「それで、この子をどうにかして欲しいということだけれど。いちばん簡単なのは君が取るべき手段を取ることなんじゃないかなあ」
「取るべき手段……?」
「君の心を縛り付ける罪悪感を消す方法があるだろう?」
 具体的なことは何も話していないはずなのに、何もかもを見抜いたような深遠な瞳で見つめてくる青江に、恐怖とは別の、背筋に寒気が走るような底知れない感覚が走り、楠本は口を噤む。

 彼の言いたいことは分かる。
「君にとっても激しく、熱い感情を持っているみたいだからねえ。これは、恨みのことなんだけれどね」
「分かってる、分かってるけど……」
 唇を噛み、楠本は体を前後に揺らす。焦りと苛立ち。

 この子はまだ怨霊にはなっていないけれど、なりかけている。人を殺すほどの力を得てはいないだろうし、殺したいほどの恨みを持っている訳でもない。
 哀しみの叫びに囚われ、償いを望んでいる。いまは、まだ。

 踏ん切りのつかない様子の楠本に青江は内心呆れてしまう。己の命より名声のほうが大切とは、人間は、業が深い。
 でも気持ちが分からないわけではないし、彼女が恐怖よりも自分の欲を優先させたい人間なら、それを叶えてやろう。

「そう、じゃあ仕事の話をしようか」
 青江はにっかりと笑んだ。
 霊能探偵。それが彼のひとつの顔だった。



 青江は懐から巾着を取り出して、紐を解いてゆく。筆で波打つように文字が書かれた札や、風の音が鳴る鈴、緑と白の糸で編まれた御守り、真白の陶石に入れられたお神酒。
 こつ、こつ、と並べていくと、楠本が前のめりになり、青江の隣にいた霊が嫌がるようにざわつくのが分かった。先程から興味を抑えられないといった雰囲気の店員が、胡散臭げに青江に視線を投げかけてくる。

 ううん、ここのハムサンドは気に入っていたから、店員に嫌われてしまうのは嫌だなあ。

「さ、ここにあるのは退魔だとか、結界がとか、清めに効果のある品だよ。君はどんな力を望むのかな」
「それはもちろん、あの子が消えてくれたら──」
「やれやれ、除霊、浄霊はなるたけ自然なかたちでやりたいんだ。今すぐには出来ないよ。君はどうしても僕のおねだりは聞いてくれないって言うんだろう?」

 青江の刀は浄霊には適さない。
 霊を苦しめながら、消滅させるだけだ。祓魔の霊刀。どうしたって、未練を遺し、救いを望む彼らに穏やかな終わりを与えてやることは出来ない。
 霊を無理やり斬ることが出来るからこそ、青江は違うかたちで霊と接することを諦めたくない、と思っていた。

「話が違うじゃない!」
「君が嫌ならしかたないよねえ」
 無理強いはしないよ、と道具を片付け始める青江に、楠本は慌てて縋り着いた。
「待ってよ!わかった、じゃあ、じゃあ、期間まででいいから!ぜんぶ諦めるから時間をちょうだい……!」
「一定期間の安全だね。それならこれかな」
 青江はお神酒と、札と、御守りを見せる。
「穢れを落とし、家に結界を張り、君を隠す効果がある。5万、5万、15万」
「に、20万……」
 楠本は値段に一瞬怯み、迷っている。
「効果はどれくらい持つの?」
「ひと月ほどかな。突然この子が君を愛しくて仕方なくなっても、1週間は保つと思うよ」
 ま、所詮ただの浮遊霊なので、本物の神が効果を与えた道具があれば、身を守ることくらいは容易いだろう。過剰防衛とも言える。
 退魔の札もあるが、今回はそれは出さない。結界を張るだけに留めているのは、商売のためと、そこまでサービスしてあげる義理がない、という理由でもある。

「絶対これで大丈夫なのよね」
「霊障は止まるだろうね」
 大丈夫、とは言わない。
 青江の隣にいた霊が瘴気を僅かに濃くした。怒りが募っている。会話の成立し、理性を保つ霊は少ない。
 だからこそ、彼女を同席させて、穏やかな解決策を取り持ってあげたかったのだけれど、青江では力及ばなかった。
 微かな同情と罪悪感が浮かんだが、栓のないことだ。

 石切丸だったらどうするだろう。
 太郎太刀だったら。
 たぶん、青江に甘いと言うだろう。この世ならざるものに感情を向けるのは良くない。青江のように霊の逸話を持ち、影響されやすい刀なら尚更。
 自分でもそう思うが、性分だった。
 瞳に逸話の霊が憑く青江にとって、人間も霊も、儚くて、愚かで、哀れで、愛しい(かなしい)存在なのだから。


*

 楠本が青江に言われるがまま、お金を取り出すのを見て、安室は見て見ぬふりをしていられなくなった。
 封筒にきっちり現金で20万。
 青江はパラパラ数えると「毎度」とにっかりと笑む。

「少しあこぎなのではないですか?青江さん」
「おや、安室さん。そろそろ僕らはお暇させていただくよ。美味しい珈琲ごちそうさま」
「ありがとうございます。……いえ、ではなく、お話はちらりと耳に届いていましたが、なにかに悩んでおられる様子のご婦人から……」
「僕で力になれたなら幸いだよ」
 青江は聞く耳を持たず、安室に頓着する様子がない。ひらひら躱され歯噛みする。というか、答えになっているかも怪しい。
 彼はポアロの良い客だったが、語気を少々強めてしまうのは致し方ないだろう。だいたい、聞こえてくる会話や売りつけたものが胡散臭すぎる。
 こんなにもあからさまで堂々とした霊感商法を初めて見た。

「良いですか、今のは立派な犯罪行為ですよ。詐欺、恐喝に当たる可能性があります」
「人聞きの悪いことを言わないでおくれよ。まあそうだね、訴えられても嫌だから、彼女が望むならその品は返してもらおうかなあ。もちろんお金も君に返すよ」
「なっ……」
 楠本は手酷く裏切られたように表情を絶望に染める。
「君のしたいようにしていいんだよ?」
 目を細める青江はさながらねっとりとした蛇のようで……。
 安室が言葉を重ねる。
「青江さんも悪い冗談のつもりだったのですよね?なにか悩みがあるなら僕もお聞きしますよ。これでも探偵の端くれですし、どんな現象にも科学的な根拠が示されているものです」
 深く落ち着きのある安室の声に楠本は心が揺れているようだった。
 べつに青江としては彼女が安室を頼っても構わないけれど、それでは被害はおさまらないし、青江としてもなんとなく面白くない。

 みすみす引き下がり、被害を見過ごしたとなれば、また神剣とは程遠いなどとチクチク言われてしまうかもしれないしねえ。
 青江はちょっとだけつついてみることにした。
 荷物を纏め、椅子を立ち去ろうとする。そして、わざとらしく振り返る。
「ああ、そうそう安室さん、この椅子を拭いておいてくれるかな。どうしてか、濡れてしまってね」
 椅子からは、水がぴちゃん、と滴り落ちていた。
「本当だ、こんなに……。荷物が濡れていたのでしょうか、中身は大丈夫ですか?」
「ありがとう、心配ないよ。それに、びしょ濡れなのは仕方ないよねえ。雨の日の川はずいぶん流れが早いもの」

 ガタン!
 楠本が立ち上がった。

「話してないのに……」
 青江は笑んでいる。

 ぴちゃん、
  ぴちゃん、

 水音が耳の中で反響している。


「か、うから!買うから、青江さん!どうにかして、どうにかしてよ!!」
 突如、頭を抱えて叫んだ楠本に慌てて安室が駆け寄る。
「大丈夫ですか、楠本さん。病院に……」
「お願い、売って!」
「でも、詐欺になってしまうかもしれないだろう?」
「ならないから……私が望んでるの……詐欺でも恐喝でもないから……早く……早く売ってよ……」
 とうとう彼女は泣き出した。水の音が、水の音が消えてくれないの。

 目の前で交わされる現金と、胡散臭い道具たち。
「君が証人になってくれるよね。僕は脅しも、押し売りもしてないってさ」
「彼女は混乱状態にあるようです。そのような彼女に言葉巧みに不安を煽るようなことを……」
 青江が肩を竦めた。笑みも消えて、つまらなそうだ。
「なんぎな方だねえ。まあどうしても気になるようなら、彼女斗直接話すか、警察に通報なり好きにするといいよ。僕は神に恥じるような真似はしてないからねえ」
 神?
 突然の胡散臭ワードに一瞬きょとんとする。
 どうにも青江という男は掴めない。話し方も穏やかで、妖しげだけれど悪い人ではなさそうだと思っていたのに、安室の見込み違いだったのか。
 楠本もすっかり青江の話術にやられてしまったようで、話を聞いていてもたしかに押し売るような真似も、過剰に恐喝したり、恐怖を増長させる真似もしていなかった。
 だが、だが、安室の目の前で札だの御守りだの酒だのという霊感商法に20万もの取引を許さざるを得ないとは……!

 カロン。
 どこか気の抜けた楠本を置いて出ていった2人の背中に、「ありがとうございます」と声を投げかけながら、安室をあの妖しい詐欺師をしょっぴいてやると決意した。

 爽やかな笑顔の下で苛烈な負けず嫌いと正義感が疼く。

 しかし、彼女も彼女だ。
 いくら心が弱っているとはいえ、この現代に霊能探偵とかいう胡散臭い輩を頼ろうとするだなんて。有能な探偵ならいくらでもいるじゃないか。
 とりあえず、もう変なものを安室のテリトリーで買わないように、話を聞いて解決してあげよう。

 濡れた椅子を拭きながら、へたるように座る楠本を見てふと思った。

 あれ、さっき2人帰らなかったか?

 しとしと。しとしと。
 薄暗い空から、何かの足音のように雨が振り続けている。




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