本当は諦めるたび、虚しかった


 たまに話す、身内ってほどでもない摂津万里にわたしは勝手に親近感を持っていた。
 仲が良かったわけじゃない。
 彼氏というか、まあストレートに言うとセフレだった男とつるんでいた彼と高一の時会って以来、よく顔を出すバーに摂津万里は時折やって来て、気まぐれにダーツをしたり、カラオケしたり、酒飲んで騒いではまた気まぐれに帰っていく。
 全員どことなく気だるげで、やる気がなくて、モラトリアムを馬鹿みたいに謳歌して、そのことを特に深く考えるわけでもなく日々を退屈に過ごす、くだらないダラダラした空間が、その頃のわたしには絶妙にちょうどよく居心地が良かった。

 摂津は誰とも仲良くないのに、その場にスルッと馴染んで、でもやっぱり馴染めていないような男だった。気付いたら人の輪の中心になってるけど、誰も隣に並び立てないような気だるげな孤独を纏っている。
 でも二人で話していると、話すことが途切れなくなるような聞き上手で、大して仲良くもないのに、友達や親にも言わないようなことをポロッと零してしまうことが時々あった。

「聞いたよ。また他校の男の子シメたんでしょ」
「あー?まぁ俺ん敵じゃあなかったわ」
「口の端、切れてる」
「っつ!いてーから触んな」

 いつだったかな。高二の頃だった気がする。
 一人でカウンターでちびちびカクテルを飲みながら、テキーラ祭りしてる馬鹿どもを眺めていると、すっと摂津がグラスを持って隣に座ってきた。
 血の滲むカサブタをつつくと、嫌そうに凄みながら手を振り払って来たので、わたしはバカにしたように鼻で笑った。
 彼はモテるから、わたしに対して下心があるような態度を取らない。それが楽でわたしも何気なく彼にボディタッチすることが出来た。
「修哉もだけどさ、なんで男の子ってそんなに喧嘩好きなの?」
「べっつに好きなわけじゃねえよ」
「ふうん?じゃあ勝てたら楽しいの?嬉しいとか、達成感?」
「他のやつは知んねえけど、俺はただ退屈だからテキトーなやつ相手してるだけ。ま、骨のあるやつぶっ潰したらある程度はスカッとするし?」
「つまんなそうだね」
「っせ」

 摂津はそれきり黙って、グラスをグイッと煽って、だるそうにスマホを弄り始めた。軽快な音楽が流れる。前暇つぶしって言ってたゲーム、まだやってたんだ。
 修哉……わたしのセフレで、摂津とつるんでる花学の男だけど、そいつらの間で流行ってたアプリゲームはわたしは対して面白いと思えなかった。
「この前のテスト、総合五位だって?すごいじゃん」
「あー、まあ俺なんでも出来っから?」
「修哉にも教えてあげてよ。あいつ馬鹿すぎて、進級も危うそうだよ」
「ムリムリ。つーかお前が教えてやりゃいいじゃん」
「教えてみたけど、それ以前の問題だったんだもん。何がわかんないのか分かんないし、いくら教えても伝わんなくて」
「お前××高だっけ?頭いいんだな」
「別にそこまでだよ」
「頭良くねーやつは、他人のわかんねーとこがわかんねーって言わねーんだよ」
「それが分かるあんたこそ」
「俺はトーゼンじゃん。でも教えるとかはねーわ。あいつらに合わせてレベル下げてらんねー。つか教科書読みゃ一発だろ」
「それ。……摂津ってさ、なんであいつらとつるんでんの」
「なんでって?」
「だって合わないじゃん。話もノリも」
 摂津は一瞬手を止めてチラッと見下ろしてきた。すぐに興味無さそうに、手元の画面に目を落とす。
「やることねーとヒマだろ」
「ああ……誰かといると、時間は潰せるよね」
「そーゆーこと」

 打ち込めるものがないから、家で一人でいたらヒマで死にそうになる。でも人といても自分がピタッとハマる感じはしない。
 それを言葉にしなくても、摂津万里には伝わった。
 やっぱり摂津とわたしは似た者同士だ。わたしは親近感を強めた。たぶん彼もそう思ったと思う。

*

 久しぶりに毎日学校に通っていた。
 一学期ちょっとサボりすぎたから、そろそろ出席日数を本格的に調整し直そうと思って。
 学校では高嶺の花扱いというか、腫れ物扱いされてるから友達はいない。ちょろちょろ周りをうろつく取り巻きみたいなのはいるけど、わたしのステータスとか、人気とか、見た目とか、成績とか、実家のお金とか、そういうものに興味を持っているんだと分かる。
 あしらうのも面倒だから好きにさせているけど、うんざりする。

「あの、ずっと好きでした」

 木の下で告白されて、わたしは溜息をつきそうになった。さすがに可哀想だから押し殺したけど、またか、と思って疲れる。
 うちの学校はこの大きな木の下が告白スポットになっていて、呼び出されたのは一度や二度じゃない。
 真っ赤になって緊張した顔で返事を待つ、特に親しくもない人の顔を微笑みを取り繕ってじっと見る。同じクラスの男の子だった。たしかサッカー部で次期部長だか副部長だか、取り巻きの子が噂しているのを聞かされたことがある。

『わたしのどこが好きなの?』

 相手にそう聞いてみたくなったけど、辞めた。返って来る返事は分かりきってるから。

 可愛い。守ってあげたい。細くて華奢。落ち着いてて話してみたかった。肌が白くて消えてしまいそう。優しい。笑顔が可愛い。声が可愛い。指が細い。髪が綺麗。頭が良い。包容力がありそう。運動が出来る。誰にでも平等。いい匂いがする。顔が可愛い……。

 毎回壊れた機械みたいに、みんな同じことを言う。男も女も、子供も大人も……。
 わたしは申し訳なさそうな顔で、小首を傾げて、僅かに眉を下げ微笑んだ。

「ありがとう。気持ちはすごく嬉しいけど……」
「付き合ってる人とかいるの?いないんだったら、俺っ」
「いないけど、ごめんね」

 優しく、でも有無を言わせずキッパリ断る。
 セフレがいるって知ったらどう思われるんだろう。別に、どう思われてもいいけど。次の日の反応を考えて、内心密かにワクワクする。
 学校では病弱ってことになってるから、ただモラトリアムを楽しんでるだけって露見した時の、針のむしろを体験してみたくなる。
 でもきっと、今とそんなに変わらないだろうな。
 遠巻きに腫れ物扱いされて、笑顔で近付いてきて、下卑た視線が飛んできて、影で噂話される。今とぜんぜん変わらないだろう。

 何日かして、告白のことが噂になると取り巻きの子たちに取り囲まれた。
「ねえ、××君に告白されたの?」
「されたよ」
「えーっ!教えてよ!付き合うの?」
「ううん。申し訳なかったけど断ったの」
「そうなの?もったいない!」
「××君すごいカッコイイのに!」
「いいなぁ、わたしも可愛かったらなぁ……」
 わたしは苦笑いして曖昧に流した。
 一人の子が、笑顔の下で、嫉妬を目に滲ませているのが分かった。
「肌も綺麗だし、白くて細いし、目も大きくてパッチリしててさ、羨ましいよね〜。わたしなんて化粧しててもこれだよ?」
「あはは、ありがと」
 フォローするのも面倒で、わたしは笑顔でただ賞賛にそう返す。そんなことないよ、って返すのも嫌味だし、疲れるし、褒め合いも終わりがないし、どうしても上から目線になる。
 可愛い、の下に滲む羨望も、嫉妬も、卑下も、コンプレックスも、下心も、ぜんぶ全部疲れる。
 この子はあのサッカー部の子が好きだったんだろうな。
 関係ないのに、申し訳なさとかいたたまれなさが浮かぶのも疲れるから、わたしは笑顔で蓋をする。わたしにはどうしようもないことだ。この子がわたしに色んな思いを募らせたり、拗らせたりするのもどうしようもない。

 褒められるのも、好かれるのも、嫌われるのも、わたしにどうしようも無い。
 でもこんなこと言っても、誰にも共感してもらえないから、自慢だと言われるから、傲慢だと思われるから、わたしは誰かに分かってもらいたいと思うのを辞めるようになった。

 好きで可愛く生まれたわけでもないし、好きになって欲しいと思ったことも無い。
 わたしはただ、見た目じゃなくて、誰かに本当の……。いや、そんなこと思ってもとっくに無駄だって分かってる。

*

 数ゲーム投げた頃、摂津が「飽きたわ〜〜」と叫んだ。叫んだという割には喉のところでつっかえるような、だるそうな叫び方だ。
 椅子に寄りかかって手足を投げ出し、喉を仰け反らせている。
 周囲の人間が彼のガラの悪い声と態度にビクッと様子を伺うのに、つい呆れた笑いが零れた。
 いつもの花学の三人と、わたしと、もう一人のセフレ(彼女だっけ?忘れた)の女の子でボーリングに来たけれど、両隣はぽっかりと無人の空間が出来ている。ガラ悪い集団に近づく人はいない。
 これ幸いと二組分のスペースを陣取ってダラダラ重い球を投げていた。

「なんか身体動かしてーわ」
「外に公園あったよ」
「そんなガッツリの気分でもねえけど……まあいいや。バスケかなんかあんだろ」
「ちょっと抜けてくるけど、誰か行く?」
「オレら続けてるわー」
「うぃー」

 行くのはわたしと摂津だけみたいだ。自販機でお茶を買って公園に向かうけれど、寂れた公園にはゴールポストすらなかった。
「はぁ?なんかねえのかよ!」
 軽く摂津がベンチを蹴ると、古ぼけたベンチが限界を迎えたように小さくメシッと鳴った。
「やめなよ、小学生じゃないんだから」
「っせーなー」
 機嫌悪そうに壊れかけのベンチに座ってお茶を飲み始めた摂津を他所に、わたしは近所の子供が誰かが置いていったボールでもないだろうかと、ちいさな公園を一周して回った。
 公衆トイレの裏に、泥まみれになったバレーボールが転がっている。
 砂場のそばの蛇口で丸洗いして、ビショビショのままベンチに戻る。まだ空気が残っている、ちょうど良い重みの黄色と青のバレーボールが懐かしくて、身体を動かしたくなった。
「ねえ、これ見つけた」
「お……って濡れてんじゃねえか!」
「しょうがないじゃん、きたなくて使えたもんじゃなかったの」
 鞄からタオルを取り出して水気を拭い、手の中でクルクル回した。
「バレーやろうよ」
「いいぜ。でもやったことねえ」
「すぐ慣れるでしょ、摂津なら」
「ははっ、まあな」

 子犬みたいな顔で笑った摂津に少しだけドキッとした。恋とかじゃないし、恋とか分かんないけど、いつもつまんなそうな摂津がごくごくたまに楽しそうに笑うと、なんか嬉しさが湧き上がってくる感じがする。
 多分みんなそうなんだと思う。
 じゃなきゃ、ひねくれてる修哉がこんな協調性の欠片もない、偉そうな摂津といつまでもつるんでるわけないと思うから。
 摂津にはどこか人にそう思わせるところがあった。

 レシーブとトスとアタックの仕方を教えて、何回かラリーを続けていると、摂津はみるみるコツを掴んだ。最初は不格好で笑うしかなかった無様な体勢も、軽くアドバイスしてるうちに勝手にわたしを見て微調整していく。
 久しぶりにする対人は楽しくて、摂津が上手いからさらに楽しかった。

「うめーなー、お前」
「まーねー」
「経験者?」
「中三までやってた」
「ふうん」
 ラリーしながら会話する余裕も出てきて、トスを挟みながら摂津が興味無さそうに相槌を打つ。自分から聞いてきたくせにと思うけど、こいつはいつもそうだ。別に何にも興味が無い。
「分かんねーけど、だいぶ上手いんじゃね?」
「まあレギュラーだったし」
「なんで辞めたんだよ?」
「んー、うちの高校バレーガチだったからだるくて」
「あー」
 納得の声を漏らす。そうそう、バレーはそこそこで良かった。中三の時には既に楽しいバレーは出来なかったから、引退試合が終わって「もういいか」と思った。

「部活とかしないの?」
「はぁ?ガチで言ってんの?」
「フッ、なわけないけど。でも退屈なら部活で汗流すのも青春じゃない?」
「ありえねー」
「どうせやることも無いんだし。部活も入ったことないでしょ?」
「みんなでナカヨクとか、俺が出来るわけなくねぇ?」
 鼻で笑うような声は、冷めていて、平坦だった。
 だからわたしも冷めた声で返した。
「似合わないだろーね。部活って人間関係狭いし」
「だろ?つーか、部活とか続かなかったしな」

 ぽつっと言ったのが聞こえて、返し方が分からなかった。そっか。摂津もダメだったんだ。
 いい感じに高く返ってきたトスに、トスを返す振りしてアタックを打つ。
「あ゙っ!?テメッ」
「あはは!」
 腕の変なとこに当たったボールがポーンと遠くに飛んでいく。
「さっさと取ってきて、下手くそ!」
「テメー、初心者にガチになんじゃねーよ!ぜってー返してやる」
「ムキになってんじゃん」
「なってねーよっ」
 小走りでボールを追いかける摂津の背中を見て、意外と部活とかも似合いそうなのに、と思った。一度熱くなるのを経験して、諦めたわたしと違って、ずーっと平坦な人生を歩んでいる摂津なら、多分何かにハマれる気がする。
 部活じゃなくても、何か見つけたら……。
 でも、やっぱりそんな摂津は想像がつかなかった。

 意外と接戦して盛り上がり、疲れた〜と笑いながら二人でベンチに並ぶ。
「あいつらからLIME来てら。もう少しで終わるってよ」
「動きたくない」
「呼ぶわ」
「お茶」
「ん」
 言わなくても蓋を開けてくれて、おお、と思う。意外と彼女に甲斐甲斐しいタイプ?
 汗ばんだ身体には、ぬるくなったお茶もひんやりして染み渡る。
「やっぱバレー楽しいな〜」
「おっまえ大人気なさすぎんだよ。バカスカ打ちやがって」
「だって摂津が続けてくれるからさ。後半とか普通に拾ってきたじゃん。アタック普通に強いし」
「ま、俺ですから?」
「うざっ」
「ふはっ」
「ふふ」

 流れる雲を見てぼーっとしながら汗が引くのを待つ。
 遊びなら、バレーは楽しい。久しぶりに少しガチで出来たのも楽しかった。二年ぶりだけど、案外動けるものなんだな。体力はゴミみたいに下がってたけど。
「バレー今でもいけんじゃね」
「やー、もういいよ」
「ふうん。もったいねー。って言われ慣れてんだろーけど」
 もったいない、に冷める前に付け足されたフォローに、なんだか心が軽くなる。ああ、やっぱり摂津は分かってる人なんだなって。
「……中一の頃ね」
「おう」
 だからなのかな。喋るつもりはなかったのに、流れる静かな雰囲気につい言葉が零れてしまう。
「結構マジでやってて」
「……」
「うちの中学のチーム強いとこでさ。わたしは絶対ユニフォーム欲しくて、自分で言うけど結構頑張って、一番最初の試合でユニフォーム取ったんだよね」
「すげーじゃん」
「でしょ?一年生では三人だけだった。それで、大会でも正セッターの代わりに何試合か交代で出たりして、結構いい感じだったんだ。けど……」
「……」
「大会の打ち上げで、三年とか二年の親が監督とコーチになんでわたしがベンチ入りなんだって言ってたんだ。強かったけど、年功序列が強いっていうか、応援団とか親も積極的に出て来てて、古い意識のとこだったんだよね。レギュラー外された先輩にも嫌われてたし、他の先輩にも馴染めてなくて」
「……」
「一年で、三年のキャプテンと監督含めて家族ぐるみで仲のいい子がいたんだけど、その子は他の先輩にも可愛がられてて……。その子の親もなんでうちの子じゃなくてあいつなんだって。小学生の頃から正直めっちゃ仲悪くて」
「あー……」
「そこ親が口出してくる?って思ったけど、所詮負け惜しみじゃんって気にしてなかったよ。勝ち誇ってすらいた。でも、次の試合でわたしはベンチから外されたの」
「うっわ」
「そんでさ、思ったよね、あ、そういう感じなんだーって。そっからバカバカしくなって。……頑張ることが……」
「それはそいつらがわりーよ。だっせえ」
「はは、ほんとに。結局三年が卒業したらわたしより上手いセッターいなくてレギュラーになったけど、もうめんどくさくてテキトーに流してた。試合に勝っても負けてもぜんぜん夢中になれなくてねー」

 ペットボトルのお茶を飲む。
 なんでこんなこと話してるんだろう。
 摂津は気だるげな顔で、「萎えるだろ、それは」とかテキトーに返してくれる。ぜんぜん親身じゃないし、心籠ってない顔だし、でもそれがちょうど良かった。
 思い出すと今でもムカつくし、あーあって気分になる。
 多分あそこで頑張れてたら、今こんな人間になってないんだろうなってたまに思う。

 バレーが、好きだった。
 でも結局そこで、もーいいやってなってしまう人間だったんだよね、わたしは。

 その話を人にしたのは摂津万里が初めてだった。その時の妙な気恥ずかしさと、気まずさと、それを隠す自分の飄々とした声、なんでもないのを装うために心を硬くする感覚、どうでも良さそうなのにいつもよりちょっと柔らかい摂津の横顔、それにほっとしたこと。
 たまにそれを思い出す。

*

 高三になってめっきり摂津を見かけなくなった。わたしは相変わらずダラダラ生きてたし、いつものバーでだべっていたけれど、彼が顔を出すことはなくなっていた。
 大学は私大に行くって最初から決めてたから、進路に悩むことも無い。

 ある日、イライラしながらやってきた修哉達が堰を切ったように摂津の悪口を言い始めた。いつもつるんでいた二人がここまで言うのは珍しい。そりゃ、たまに小馬鹿にしたように陰口めいたものを言うのはあったけど、こんなに敵対心をあらわにしてるのは初めてだった。
 わたしに話し掛けてるつもりもなさそうな、多分わたしを捌け口にしているだけの悪口を聞いていると、あの摂津万里が演劇を始めたということが分かった。
 それで、O高最強とか言われてる兵頭とかいう人も。
 その名前は知っていた。
 修哉達が話していたし、摂津が喧嘩を売りに行ってボコボコにされて以来、妙に突っかかっているのも知っていた。

 摂津が演劇……。

 あんまり想像がつかない。垂れ流される聞くに絶えない罵詈雑言を流して、舞台に立つ摂津万里を想像してみる。舞台には興味無いけど、天鵞絨町に住んでいるから、町中で触れる機会はあった。
 なんかコント?みたいな小芝居を俳優?が道でやっているのもたまに見かけるし。
 でもああいうのって、ストーリーが分かりやすすぎるというか、わざとらしくて見るに堪えないというか、共感性羞恥を掻き立てられていつも少し見ては通り過ぎていた。
 ああいうのを摂津がやるのだろうか。
 見たいような、見たくないような。

 寂れた劇場でしけた演技をする摂津万里を想像すると、強烈な物悲しさがあった。道を外していく人間が行き着く先って感じがする。
 そっちに行っちゃったかー。
 顔良いし、声いいし、モテるし、モテ方もわかってるし、地下アイドルとか、舞台俳優とかある程度似合いそうな感じもあるだけに、なんか、こう……。
 普通に大学とかに行って、飲みサーやヤリサーでモラトリアム過ごして、テキトーにそこそこいい会社に入って、テキトーにそこそこいい業績残して生きていく摂津も、ありそうなだけに切ないけど、そっちの方がまだ社会に適応出来てるのに。あーあ、摂津はそっちに行くのか。
 わたしはLINEを開いて、文字を何回か打っては消して、やっぱり何も送らずに画面を閉じた。
 芸能系に進むと決めたなら、別にそれでいい。わたしがかける言葉はないし、かける言葉もなかった。
 ただ、なんとなくもの悲しかった。

*

 ビロードウェイの街路樹がほんのり黄色に染まっている。
 新しく出来たカフェ開拓しようと歩いていると、人だかりが見えた。黄色い悲鳴がキャーキャー湧いてるから多分どっかの劇団員がいるんだろう。
 お芝居してるのはいいけど普通に邪魔なんだよな。
 人を避けるように横を通ると、チラッと演じている人が見えた。スーツ?っぽいのを来ている2人組。生地がいいのか陽光の下でてろてろ光って視線が吸い寄せられる。

「久しぶりだなベンジャミン、もうすぐ手術なんだろ?」
「わぁっルチアーノさん。そうなんだ、もうすぐ……」
「成功した暁にはなんか持ってきてやるよ。なにか食いてえもんとかねえの?」
「うーん、食べたいものありすぎてなんでも嬉しいよ!」
「そりゃそうだよな。病院食より百倍うめえもん食わせてやる。あのドケチも弟のためにゃ財布の紐が緩むだろうさ」
「にいちゃんドケチなの?やっぱりボクのために色々我慢とかしてるのかな……」
「バーカ、気にすんなよ。あいつの節約はもはや趣味だ。節約馬鹿の変態なんだよ」
「誰が変態だ、性病野郎」
「うぉっ、ランスキー!性病じゃねえっつの!」
「弟に近づくな、余計な病気が移る」
「ほんとに似てねえ兄弟だよな……」

 笑い声が上がる。聞き覚えのある声にびっくりして、わたしは思わず食い入るように眺めてしまった。
 ハットを被った明るい茶髪の男の子。やっぱり摂津だ……。

  拍手が起きて人がはけてからも呆然として顔を見ていたら、チラッと視線があった。お?と目を丸くして近付いてくる。
「見てたんかよ」
「え、マジで摂津?」
「それ以外ねえだろ(笑)」
「や演劇始めたのは知ってたけど〜〜、、意外と上手いね、ふつうに」
「やぁめろ、マジ。なんか恥ずいわ」
 視線を逸らして鼻の頭を軽く掻く摂津が新鮮すぎて目をまたたかせる。いつも面倒くさそうでダル〜って態度だったから、ちょっと照れてる?みたいな表情に初めて摂津を見る気分になった。

「万チャンその可愛い子誰っスか!?まさか彼女!?」
 赤髪の男の子がわたしと摂津の顔をキョロキョロ見てキンと叫ぶ。摂津ともう一人の目つき悪い人に挟まれると小さくて可愛く見える。
「彼女じゃねーよ。ダチ」
 友達認定されてたんだ。
 顔に出さなかったけどわたしはびっくりした。じわじわと嬉しさが立ち上る。
「えー、ちょー可愛いッスね!さすが万チャン!おねーさん、オレたちの公演に興味ある感じっスか?」
「うーん?うん。そうかも」
「やった!オレたちMANKAIカンパニーの秋組なんスけど、今度旗揚げ公演あるんで良かったら!」
 チラシみたいな紙を渡される。
 スーツを着た摂津ともう一人がソファに座っている写真がオシャレに映っている。
「なんて素敵にピカレスク……」
「そうッス!マフィアのお話なんスけど、みんなアクションすごいし迫力やばいんで!」
「摂津主役なの?」
「あー、まあな」
 顔を上げると、摂津はチラッと余所見したあとフッと得意気な顔をした。
「もう一人の人も主役?そこのスーツの人ですよね」
 背景みたいに何も喋らない顔の怖い人に話を振ってみると、ビクッとして眉をしかめて睨んで来た。怖。
「あ、ああ……そうッス」
「さっきランスキー?って呼ばれてたよね。兵頭十座……えっ、兵頭十座?」
「おー。そいつ」
「O高最強の?演劇とかするの!?」
 思わず口をパカンと開けると、兵頭くん?はますますゴクアクな表情をした。怒ってるのかな。

「十座サン顔コワイッスよ!」
「そうか?……わりぃ」
「あ、怒ってないんだ。良かった」
「別に、怒ってねえ」
「いつまでくっちゃべってんだよ。そろそろ帰ろうぜ。じゃま、公演よろしく」
「うん。頑張って。どうやって見るの?」
「公式サイトから日付指名して……あ〜、や、俺渡すわ。いつ空いてんの?」
 スマホのスケジュール確認して日付を言う。
「千秋楽ね。おけ」
「せんしゅーらく?」
「公演の最終日ってこと」
「ふーん」
「あとでLIME送る。関係者席でいいよな?」
「わかんないから任せる」
「オケ〜」
「来てくれるの楽しみにしてるっスね〜!」
 ベンジャミンの赤髪の男の子がブンブン腕を振って、それにクスッと笑いながら手を振り返す。兵頭くんがペコッと頭を下げて、摂津が手を軽く上げた。
 すごいな、O高最強に頭下げられちゃった。

 三人と別れたあと、チラシ?を見返してふと思った。
 摂津があんなにイキイキしてる感じ、わたし達といる時には見たことなかったな。
 ベンジャミン君も、ぜんぜん摂津に萎縮してる様子じゃなくて、みんな対等って感じで。
 寂しいような、良かったね〜って親心みたいな。

*

 ドキドキするような、ソワソワするような気持ちで席に座る。この前見かけた感じではふつうに演技うまかったけど、知り合いが演じてるって思うと笑えちゃうかもしれない。始まる前から無性に恥ずかしいような気持ちにもなる。
 近くの席の女の子が「秋組は雰囲気違うね〜」「青春系もコメディもアウトローも書けるの、綴くんすごすぎない?」「ルチアーノとランスキーのコンビ良すぎ」「摂津万里、顔、良……」「いや臣くんしょ〜」とか話しているのが聞こえてきて身をよじる。
 席が全部埋まってるから人気みたいだ。こんなにたくさんの人が摂津達のお芝居を見に来ているんだと思ったら、なんかわかんないけど、胸が少し熱くなる。

 放送が流れて、会場が暗くなった。
 舞台が始まる。

*

 舞台の幕が上がっても、わたしは立ち上がれなかった。
 周りの人達が席を立って拍手している。爆発したみたいな喝采が会場を満たしていた。
 わたしもこの舞台に拍手を送りたかったけど、涙が止まらなくて、嗚咽が零れて力が入らない。

 別に泣くような話じゃなかったのに、ぼろぼろぼろぼろ、涙が零れてくる。

 舞台に立つ摂津は今までとぜんぜん違かった。
 物語に惹き込まれる以上に、摂津や、兵頭くんや、ベンジャミン……七尾くんや、その他の人たちのあまりにも楽しそうな演技に夢中になった。
 だるそうで、無気力で、厭世的な摂津はそこにもういなかった。

 明るくなった会場がまた暗くなって摂津達がまた出てきた。わたしは号泣する声を必死に抑えようとしたけれど、清々しいような顔で「ありがとうございました!!」と腰を折って深々と頭を下げる摂津を見たら、「ぅ〜、、!」と唸るのを止められなかった。
 アフタートークで兵頭くんとの最初の仲の悪さとか、左京さん?が厳しいこととか、舞台初めての人が多くて大変だったとか、そんな話をみんなで楽しそうに話している。
 摂津の表情が見たことないくらいクルクル変わって、輝いている。

 そっか。摂津は見つけたんだね……。

 摂津はわたしに似ている。そう勝手に思ってた。
 だから、彼が斜に構えるのを辞めて、プライドとかも捨てて、全力で夢中になれるものを見つけたんだってことが、なんか、なんか、わたしまで救われたような気がした。
 頑張ることを諦めたわたしには、あまりにも眩しくて眩しくてしょうがなかった。

 なんかわかんないけど、わたしにもまた、見つかるかなって、胸が締め付けられる。
 両目からぼろぼろ涙を流しながら、わたしは見逃さないように、舞台の上の楽しそうな摂津を必死に見つめていた。

*

 フラフラになりながら劇場のロビーで休む。一回泣き止んだけど、公演の内容が蘇ってまた泣いちゃって、なかなか外に出れなかった。
 見る前は共感性羞恥とか言ってたけど、ぜんぜんふつうに摂津の演技は凄かった。物販が売ってたからパンフレットだけ買った。
 あとで写真撮って送ろう。どんな反応するかな。

 スンスン鼻をすすってたら手の中のスマホが震えた。ピロン。LIMEが鳴る。

『今どこ?』
『ロビー?だけどなんで』
『楽屋来いよ(笑)なに帰ろうとしてんだよ』
『え、いいの?』
『いいだろふつーに』
『ごめん差し入れとか何も持ってきてない』
『いーって』

 顔出そうと立ち上がり、自分の状況を思い出す。こんな泣いてるのに会えない。やっぱ帰ろうと思ったけど、支配人さん?に「万里くんのお友達ですか?ご案内しますね」ってあれよあれよと連れてこられてしまった。
 どんな顔すればいいんだろ。
 顔を拭って、笑顔を浮かべる。

 ちょっと緊張しながら楽屋に入ると、喧嘩してる摂津と兵頭くんが視界に飛び込んできた。
「お疲れ様です……」
「あっ、オネーサン!どうだったッスか!?」
「七尾くん……だっけ?すごかった!なんか、弱々しくて、儚げで、でも明るさもあって、七尾くんとぜんぜん違うキャラなのにちゃんとベンジャミンで……。ごめん、うまく言えないんだけど」
「嬉しいッス!へへ……」
 七尾くんがはにかんで、摂津たちに声をかける。
「もー万チャン!お友達来てくれてるッスよ!」

 メンチを切りあってたふたりが離れて、摂津が汗だくの顔でわたしを見下ろした。薄紫の目の奥がキラキラしている。
「どーだった?俺らの舞台」
「うん、めちゃくちゃすごかっ……」
「うぉっ!?」
 言い終わる前に、目からぽろっ、と雫が垂れて、わたしは慌てて俯いた。

 摂津が「俺ら」って言うのがめちゃくちゃ胸にジーンと来てしまった。
 わたしと同じで一匹狼気取ってたのに。

「は、何泣いてんだよ(笑)」
「だっ……なん……すご……よか……」
「ァハハハ!何言ってっかわかんね〜」
 吹き出した摂津がわたしの腕を取って近くの椅子に座らせる。しつこく喉で突っかかるみたいに笑いながら、背中を撫でられて、ぅわ恥ずかし……とか知らない人の中でバカかよ情けない……とか考えて、ますます泣けて涙を手のひらでグイグイ拭った。
「落ち着いた?」
「うん」
「ビビったわ〜泣くとこあった?(笑)」
「やなんか……楽しいこと見つかって良かったねって……」
「俺が?」
「うん」
「お前俺のバーチャンかよ!」
「親心が……」
「誰ポジだよマジ(笑)」

 摂津って意外とツッコミ気質なんだな。また新しい顔を見つけた。くつくつ笑う摂津に釣られてわたしも喉の奥で笑った。
 ルチアーノ、ランスキー、ベンジャミン、ボス、刑事さんの人たちに感想を伝えて、迷惑かけてすみませんと謝って、わたしは立ち上がった。
「もう帰んの?」
「うん。あのさ、」
「あ?」
「気付いてたと思うけど、あんたのこと勝手に同類認定してたんだよね」
「あー。まあ近付けてたとこはある」
「そゆとこあるよね。まあだからさ、なんか今日の摂津見てたら、わたしもなんか、ちゃんとしよっかなあって思った」
「俺に影響受けた?(笑)」
「うん」
「素直かよ。まあいんじゃね?あー、なんか打ち込むのって、悪くねえし」
 見上げた横顔がちょっと気まずそうで、わたしは声を上げて笑った。


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