お前もお前も全員死ね讃歌 2

*

「高沢ってバスケ部に何やらかしたの?」
 ある日の放課後、部活終わりにだべってるあいつらに尋ねた。その頃には花宮くんの性根が思った以上に歪んでることに慣れてたから、その花宮くんをそこまで怒らせたことが気になっていた。
 だって花宮くんってこの世の人間みんな見下してるし、色んなことに常にムカついてる。いちいち潰してたらキリがないと思う。だからストレス発散にラフプレーして遊んでるのかなって私は思っていた。

「怒るっつーか目障りなだけ」
 その言い様が蝿をはらうみたいに淡々としている。
「潰すくらい目障りになったんでしょ?理由ないの?」
「前の職員会議で高沢がバスケ部のコーチ掛け持ちするとかって言い出したんだよ」
 山崎くんが思い出してイラついたように答えた。
「え?なんで?テニス専門でしょ?」
 たしか高沢は小学から大学までテニスをやってて、高校大学でけっこういいとこまで行ったのが本人の自慢らしかった。今は女テニのコーチをやってて、今年はいつも地方大会で負けてた女テニが県体まで進んでいた。初戦敗退だったけど。

「だからそれで調子乗っちゃったんでしょ?バスケなんか門外漢のくせに、スポーツの精神性は共通だとか根性論持ち出しちゃってさ」
「誠凛の件が学校の耳に入ったからな」
「俺たちが負けたのも理由にしてるけど、こっちWC予選参加だからな?IH予選で上位まで進んでんだよ」

 なんでも、WC?っていう冬の大会で、バスケ部は本戦に進むことなく負けたらしい。その負けた相手っていうのが、去年霧崎と戦って大きな怪我が出たチームで、まあ花宮くんが潰したんだけど、その選手がその怪我の影響で大会後に手術のために渡米したとか。
 大会中の事故とはいえ(故意だけども)、学校として顧問が相手高校に正式に謝罪したらしく、バスケ部が予選で敗退したこともあいまって、監督も生徒が務めるのはどうかと高沢が言い出したようだ。
 他にも公式戦で怪我で退場する生徒が多いことに目をつけられ、顧問の先生もいつも見てられるわけじゃないし、生徒だけの環境で熱が入るあまりにやる気を空回りさせてしまうのは仕方ないことだけど、実力があるだけにもったいないとか、自分ならその熱意をさらに高めて結果に繋げられるとか、まあ綺麗な根性論に熱くなった。
 技術的には知識がなくとも全国区の花宮くんがいるから、自分は生徒を監督し、頼れる大人として精神面で引っ張る役割を担うだとか。
 自分がテニス部で成功したのも大きかったんだろう。
 スポーツに理解のない、いや興味のない霧崎第一だからこその弊害だね。その恩恵も今まで花宮くんたちは受けてるけど。

 実際女テニのやつら、なんか妙に部活にがんばってたもんね。数年前まで女バレと変わらないお遊び部だったらしいけど、四年前高沢が来てからは愚痴言いながらも勝てると楽しいみたいな普通の部活をしていた。
 いきいきして、あれはあれで楽しいんだろう。気持ちはわからなくもない。中学の頃はわたしも普通に勝ちを目指すバレー部にいて、面倒だし疲れるけど楽しいときは楽しかった。ま、私はもうあんな熱血部活動をする気はないけどね。

「っざすぎて目眩しそう。頭にババロアでも詰まってんだろマジで」
 出たババロア。でもガチでイラついてそうな声だ。
「災難だったねー」
 自分の口から出たのは思ったよりどうでも良さそうな声だったけど仕方ない。だって長かったんだもん。なんかややこしかったし。でももしバレー部に高沢が出張ってくると思ったらだるい。てか、文武両道を掲げてるわけでもない、学力重視の私立で高沢もよくやるよね。
「なんであいつ霧崎に来たんだろうねー」
 うちの学校、運動部に力入れてるのはゴルフ部くらいなのに。馬術部は運動部?なのかな?それくらい。ここ二年くらいでバスケ部予算が増えてるのは花宮真がいるからだもんね。それ以外は普通に大人になって社交で使われるスポーツが優先されるのは名門校として当たり前だ。
 運動部なんかより、国際交流部とか弁論部とか文学部とか生物部とか、あと茶道部華道部書道部あたりの文化部の方がよっぽど学校から目をかけられてる。
 霧崎において運動部なんか勉強の合間のリフレッシュとか、思春期の児童の健康的な体力育成とかそのくらいの意味合いしかない。それでも体育で事足りる。
「高沢の兄嫁が霧崎卒だからそのコネだな」
「へー」
 さすが花宮くん、詳しい。潰すにあたって相手の情報は調べ済みってわけか。どうやって入手してんだよ、怖っ。
 高沢もバスケ部に口出さなかったら教師ではいられたはずなのにね。やっぱこの人は敵に回しちゃダメだな……。私はしみじみそう思った。

「そろそろ大詰めに入る。タイミングはこっちで指示する」
「はぁい。じゃ、最後にわたしもちょっと調整する〜。一哉手伝って」
「いいけど何?」

 私はニッコリした。
 やっぱり恋愛を盛り上げるための障害は鉄板だよね!


 一哉に言って、わざと高沢の前で一哉にうろちょろしてもらう。単純でストレートな作戦だ。
 チャラくて派手でモテる原一哉と、真面目で大人しくて地味に可愛い系の私。共通点はない。クラスも違うし、コミュニティも性格も違う。

 一哉とちょっと仲良い素振りを見せたり、スキンシップ……軽く肩を組んだり、頭を撫でたりしてもらい、私は困ったなという顔をして見せる。わざと高沢を見て、助けを求めるような顔をする。
「原〜、名字は大人しいんだから困らせるような真似はやめなさい」
「は〜?別に困らせてねーし、あんたに関係ないじゃん。名前困ってんの?」
「う、ううん」
「ほらね」
「デカい奴に高圧的に来られたら断れないだろ!優しいからってそれを利用するような……」
「はいはい。ったく、うるさいな〜。人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られるって知んねーの?」
「えっ」
「今頑張ってアタックしてんだから、邪魔しないでよね〜」
 私は高沢をチラチラ見ながらも照れたように俯く。そんな感じのことを何回か繰り返すと、二人になったとき高沢からアクションがあった。

「最近原と仲がいいみたいだが、付き合ってるのか?」
「えっ……」
「いや、何、生徒の恋愛事情に口を出すつもりはないんだが、名字は押されているように見えたからな。お前は引っ込み思案だからああいうタイプに強く言えないんじゃないかと思って」
「いえ、でも原くんは意外と優しくて面白いです。えへへっ、ご心配かけてすみません」
「そ、そうか……」
 口元を引き攣らせる高沢にしめしめと内心笑う。でもこいつはプライドが高いのでフォローを入れるのもきちんとやっておく。
「もちろん原くんがからかってくるのは恥ずかしいですけど……本気じゃないと思うし」
「どうだかな。ま、彼氏が出来ても学生の本分は勉強だ」
「それはもちろん!それに彼氏だなんて……私が好きなのは……」
 ぽーっと、訴えかけるように高沢を見つめる。目を丸くした奴に、慌てて「あ、いえっ!なんでもないです!でもその、私好きな人がいるので……!相手にされないって分かってても、頼もしくて、気にかけてくれるその人のことが好きなんです……」

 数秒、沈黙が流れる。
「名字、俺は……」
「なんか変なこと言っちゃいましたね、すみません!失礼しますっ」
 照れて逃げ出した私は背中に物言いたげな視線が刺さるのを感じる。しめしめ。ここまで時間をかけて仕込んだし、たぶん、キスくらいはしてくれるんじゃないか?
 花宮くんに何頼もう。私は弾んだ足取りで廊下をスキップした。

*

 ギラギラした夜の街を泳ぐ。星も月もない夜でも都内はいつでも人工的な星空が広がっていて、なのにどこか薄暗くて下品な色合いがする。
「ありがとう、今日は楽しかったです。また連絡しますね。次はお寿司食べたいな。銀座とか赤坂とか……」
「僕も楽しかったよ、名前ちゃん。赤坂で知り合いが店をやってるから予約しておくよ。空いてる日、送るね」
 もう半年は会ってる人と唇を合わせる。ホテルでチェックアウトして、あとは帰るだけってひととき。リップも綺麗に塗り直したのに取れてしまった。名残惜しさを演出する。
「お寿司に行く前にショッピングに行こうか」
「ほんと?嬉しいです!ありがとうございます。ふふっ、楽しみにしてますね」
 周りは同伴、パパ活、デリヘル、そんなのでありふれてるけど、人に見られたいものでもないから私が先に後にする。さっきまでニッコリ微笑みを浮かべていた顔は、ホテルを出た瞬間真顔になった。付き合いが長くなってきて、おてあては大人で十万円。JKの付加価値も大きい。
 いくら社長令嬢とは言え、そんな大きい会社じゃないから、たった数時間でこの額は美味しい。でも、お金は問題じゃないんだよね。
 もらった封筒を適当にカバンに突っ込んで、誰でもいいから上書きしたくなった。普段はおっさんとヤるのになんの感情も浮かばないけど、たまに冷静になっちゃう。これが賢者モードってやつなのかな。女にもあるんだなぁ。

 セフレを何人か脳内で浮かべたけど、一番手軽で相性がいい一哉が真っ先に浮かんだ。実家暮らしなのが難点。でも今あいつの気分だなー。
 メッセを送っても既読がつかない。
 電話すると、しばらく経って眠そうな声がした。
『っせえな……なに……だれ……』
「あー、出た!良かったー、今からあんたんち行っていい?」
『はぁ?今……うわっ、十二時…最悪、寝落ちしてた』
「今日親いるの?」
『んー……いや、いねー。でも弟いんだけど』
「部屋遠いから聞こえないよ。今から行くね〜」
『はー……ざっけんな……』
 もごもご文句を言ってたけど、最後まで聞かずに電話を切った。一哉は寝起きが悪くて、機嫌はそこまで悪くならないけど、頭が回るのが遅い。言い返してくる声も覇気がなかった。

 ナンパやスカウトを無視してイヤホンをつける。制服は家だから明日取りに帰ろう。一哉の朝練に合わせて出ればじゅうぶん間に合う。化粧水セットもあいつのでいいし、リップとマスカラはある。マツエクしてるからビューラーはいらないし、ファンデなんかしなくてもぷにぷにほっぺただ。
 道を往く人々はネオンの明かりのせいか、笑っててもみんなどこか病んでるみたいだった。
 私もそう見えるのだろうか。

 マンションのロックを解除して部屋の前でメッセを送るとすぐにドアが開き、顔を見るなり前髪から見える口元が歪んだ。
「うわ、マジで来たよ」
「おじゃま〜。こんな時間にごめんね〜?でも会いたくなっちゃったの」
「帰りたくなかっただけっしょ」
「バレてる」
「はぁ……てか酔ってね?」
「ちょっとだけね〜」
 この家は何度か来たことがある。相変わらず、神経質なくらいオシャレで隙のないリビングだ。今両親はいないらしい。パパはカメラマンで海外出張中、ママは元女優で今はアパレルの社長。色んなところに講演しに行っている。お兄さんはもう家を出てるから、今いるのは中学生で反抗期真っ最中の弟くんだけだ。
 勝手知ったるというように一哉の部屋に向かって、クローゼットからハンガーを取り出した。適当に棚を漁ってデカいトレーナーに着替える。
 そこら辺に着ていた服をかけるとファブリーズを振りかけた。

 一哉はまだ眠たそうに鞄を漁って、テーブルに課題を広げた。
「え、今から?」
「明日小テストあんだよ…」
 心底だるそうに答える。うわー、真面目。でも進級試験前だし当然か。7組が明日なら8組もすぐだな。後で見せてもらおう。でもとりあえず。
「ねー」
 本格的に課題を始めちゃう前に、私は腕を引いて一哉の唇に吸い付いた。「うわ、」嫌そうな声を出されたけど無視して舌を入れる。ちゅるちゅる脳みその内側で官能的な音が響く。
 まだしばらく続けたかったのに、強い力で引き剥がされてしまった。不満げに一哉を睨む。
「ありえねーんだけど、お前おっさんとヤってきた帰りっしょ?」
「うん!」
 わざといいお返事をした。
「ほんと最悪っ、死ねよお前!きたねーオッサンと関節キスしちゃったじゃん、オエッ」
「あはは!」
 キャラキャラ笑って、本気で嫌そうな一哉の反応にすでに何かがちょっと満足した。

「まず風呂入って!あと歯磨いて!めちゃくちゃ綺麗に!」
「はいはい」
 きたねー、オエーッて言う割に洗ったらセックスはいいんだ。矛盾のような矛盾でないような、潔癖なような潔癖じゃないような。複雑でもなんでもなくてただシンプルなのかもしれない。

 シャワーを頭から浴びて、一哉のボディーソープでおっさんの体液を洗い流す。舐められた首、胸、乳首、脇腹、背中、股、膣、内腿……全身に漂っていた加齢臭混じりの他人の唾液の匂いが、泡と共に排水溝に吸い込まれていく。代わりに、柑橘系の少し甘い匂いが私を包んでいる。
 一哉の匂い。一哉はこれに香水とタバコとミントみたいな匂いがするけど。

 あー、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
 全員死ねと思った。全員死んでしまえばいい。
 あのおっさんも、お父さんも、お母さんも、高沢も、学校のやつも、一哉も、バスケ部も、ヘラヘラ笑ってるやつも、鬱病患者みたいなやつも、ネオン街を歩くやつらも、ぜーんぶ死んじゃえばいい。
 非日常を求めて始めたパパ活も、普通が煩わしくて作ったセフレも慣れてしまえばただの日常だった。

「お待たせ〜シャワーありがと〜」
「お前風呂なげーよ」
「まだ起きてたんだ。課題終わったの?」
「八割は」
 あとは写さしてもらう、と一哉がベッドに身を投げ出した。テストに出そうなとこだけ自力で解いたらしい。一哉にはそういう要領のよさと、なんていうの?本能的なカン?みたいなものがある。
「電気消して」
 スイッチを押して隣に潜り込む。一哉はもう随分とねむたそうだった。前髪を指先で掻き分けると、いやそうに手を掴まれて、涼し気な感じの目元が半分閉じている。
 私は目を閉じた。一哉がキスを落として、ふにふに触れ合うだけの子供みたいなキスをする。
「んー、いやごめん、オレがちねむ……」
「うん、いいよ」
 最初はヤりたかったけどシャワーがっつり浴びた後また汚すのめんどいし、一哉とキスしてずいぶん、なんだろ、荒んだ感じ?が消えたので私はうなずく。
「あっそー……」
 肩に乗るのは嫌いだし(だって首が痛くなるから)、一哉も腕が疲れて腕枕が嫌いだから、私は一哉の胸板のほうに頭を寄せた。背中に腕が回って、乾かしたばっかりのつやつやな髪の毛を手のひらが撫でる。パジャマからタバコの匂いがして、あ、寝る前に吸えば良かったと思った。でもこのぬくぬくした場所から出るのは嫌だし、この寒いのにベランダに出るのも嫌だ。
 しかたなく、私はタバコの匂いだけで我慢することにした。

「ねー……なんで家かえんねーの?」
 もうほとんど眠りに旅立った声で頭の上からぽつんと声が落ちる。
「反抗期だから」テキトーに答えると少し一哉が揺れた。
「なにそれ。盗んだバイクで走り出すの?」
「十七歳だからね」
「なんもかかってねーじゃん。エンコーさぁ、どーやって黙らせんの?前ゆってたやつ……」
「……」
 それにはちょっと答えあぐねた。だってこいつにこれ以上、弱みを握らせたくないし。中身までは知られたくない。
「お父さんのネタ握ってるから、いつでも脅せるんだよ。破滅するから」
「親脅迫って……相変わらずやべー」
 ククッと喉の辺りで低い声で笑う。「便利でしょ?」
「うん。サイコーだね……」
 それから一哉はしゃべらなくなった。

 お父さんは会社の社長だけど、婿養子だ。だからお母さんが離婚したらお父さんはあっという間にただの人。二人とも歳がいってるけど、コブ付きだとしてもお母さんは再婚の引く手あまただろう。うちの会社はおじいちゃんが大きくしたし、今も相談役として収まっている。
 そんで、お父さんは愛人を飼っている。というか不倫をしている。というか、子供もいる。お母さんはたぶん知らないし、おじいちゃんはもちろん知らない。
 私は中学生の時偶然それを知った。そしてちゃんと証拠も撮った。その後も裏付けをとって、確信を深めた。
 不倫を知ってもお母さんは離婚しないかもしれない。
 たぶん普通に仲はいいし、世間体もあるし。お父さんは有能で会社もうまく回していて、人望もあるから、今更トップが変わる影響も大きいだろう。
 でもお母さんが許してもおじいちゃんとおばあちゃんは絶対許さない。一人娘のお母さんはこれ以上なく可愛がられているし、初孫で一人孫のわたしも溺愛じゃ足りないくらい甘やかされている。

 私がバラしたらお父さんは破滅だ。あんな汚らわしい人破滅すればいいと思うけど、便利なのはたしかだし、破滅のタイミングを私が握っているのも気分がいい。
 たいていの我儘はお父さんは聞くしかない。
 身体を売ってることをお母さんとかおじいちゃんが知ったら発狂するけど、その時はお父さんに誤魔化してもらえるし、どうにもならなかったら、お父さんを理由にすればいい。年頃の娘が、実の父親の罪を知って非行に走る。なんてありがちで、想像の余地がふくらむ背景なんだろう。
 分かりやすくって笑えるくらいだ。

 規則的な心臓の音と、いつしか聞こえてきた寝息を聞いていると、私も微睡みの中に落ちて行った。一哉は気を遣わなくていいから一緒にいるのが楽だ。そういう存在が私にはすくない。
 手放してもいいものばかり作るようにしてたから、一哉もいつでも手放せるけど、一哉も同じなんだろうなと思ったら、こいつから捨てられるのはなんだかムカつく気がした。

 男なんてみんな一緒だ。

*

 決行はバレンタイン。私は手作りチョコを持っていった。手作り(に見える)チョコ。コンビニの生チョコを百均で買った箱に入れ替え、百均で買ったパウダーシュガーを振りかければ、簡単に美味しいJKの手作りチョコの出来上がりだ。ワンコインで製作時間十五分。お手軽だね。
 ちなみに友チョコは買ったやつ。バスケ部にも他の男子にも特に用意はしてないけど、パパ達にはワンコイン生チョコ。機嫌は取っておいた方が得。

 一日中、高沢に物言いたげに視線を投げ、目が合ったら慌てて俯く。みたいなことを何回かして、授業終わりに、歴史の質問をしに近づいた。
「先生、ちょっと分からないことがあって」
 もちろん建前だ。
 適当な質問に答えてもらって、最後にひっそりささやく。
「あの、あとで二人でお話できませんか?相談、したくて……」
 ノートで顔を隠してポショポショ言うと、高沢はニマニマするのを抑えて胸を反った。「ああ、それじゃ放課後社会科教室で準備してるから、そこなら時間を取れると思う」
「ありがとうございます、高沢先生っ」

 他の女の子たちにも数人から囲まれて、高沢はずいぶん楽しそうだった。早くあの顔が愕然と歪むところが見たいなって思うのは、一哉たちに毒されたのか、元々私の性格が悪いのか。どっちもかな。
 廊下にいる高沢に聞こえるように、ドアの近くで小芝居を挟んでいくのもわすれない。
「名前〜、オレにチョコくんないの?」
「あ、うん……ごめん、準備してなかった」
「ええーっガチ?でもチョコ持ってきてたじゃん。誰にあげんの?」
「友達と交換するんだ」
「出た〜女子達のアレ。手作り?」
「ううん、市販のだよ」
「ふーん。女子って手作りのをこうか〜ん、みたいなのが好きなんだと思ってた」
「うーん、私は手作りは特別な人にしか、やらないかな……」
「本命だけってこと?」
「内緒っ」
「え、今年は作ったの?ねえねえ」
「な、内緒だってば」

 高沢がソワソワ私たちを見ているのに、サムい芝居をしながら、一哉と視線を合わしあって爆笑するのを必死にこらえる。
「マジできもいんだけど」
「さすがオッサンキラー」
「嬉しくねーよ」
 小声でヒソヒソ小さく笑う。
 放課後、二人になったとき一哉と古橋くんあたりが控えることになっている。それで決定的場面を捉えて二人が脅しに出てくる。こんな時でも花宮くんが前に出ないのはさすがだ。でも、絶望して歪む顔が見たいから、影で見ているらしい。清々しいくらいに趣味が悪いよね、あの人。

 放課後ついに3ヶ月の種まきの成果を回収する時間がやってきた。ボールペン型のボイスレコーダーを渡されて、使い方もレクチャーされた。本気すぎる。捜査かよ。なんかワクワクする。

「先生……」
 内申の興奮で暴れまくる心臓を必死に抑え、私は教室に入った。わざとらしく背中にチョコを隠している。期待と緊張でバクバクしてときめきと勘違いしてしまいそうなくらいで、たぶん今顔がほてっている気がする。
「ああ、待ってたぞ」
 高沢も期待を隠せない顔で二チャリと笑顔をうかべた。小鼻が膨らみ、下心が見える下卑た笑みに私は少し冷静になった。ボールペンはもう作動してある。

「相談事があるんだろう?俺でよければ力になるから、安心して教えてくれないか?」
 白々しく吐き気がするようなことを言う高沢に、しかしイラつくよりもワクワクした。
「ありがとうございます。そ、その、本当は相談っていうか……」
 モジモジして、私は赤い顔で、いかにも必死だというように可愛くラッピングされた箱を、腕をピンと伸ばして差し出した。高沢が目を丸くする。
「ほ、本当はチョコレートを渡したくて……いつも先生にはお世話になっているので」
「……っ、チョコレートって、普通に渡してくれればよかったのに。わざわざありがとな」
「恥ずかしかったんです……。でも、受け取ってもらえて安心しました。お口に合うか不安ですけど……」
「え?手作り……なのか?」
「は、はい。でもカンタンな生チョコですし、味見した時はちゃんと美味しく出来てたので、多分大丈夫だと思うんですけどっ」
 ぺぺぺぺ、と汗を飛ばすような小動物系みたいにあせあせ言う。高沢は少し頬を赤くした。一哉とのやり取りを思い出してるんだろう。キモッ。

「ありがとう、名字。大事に食べるから」
「は、はいっ」
「……」

 そこでやや甘酸っぱい沈黙が流れる。しかし、高沢は自分から突っついてくるつもりはないようで、でも失敗なんか絶対出来ない。
 仕方なく私から口を開く。

「高沢先生はいつも優しくて、よく気にかけてくださって、私すごく感謝してるんです」
「名字は努力してるからな。真面目で勤勉で、でも少し抜けてるとこがあるから心配でな」
「う、耳が痛いです。でも、それならドジで良かったかも……」
 ここで上目遣いで見つめる。
「だって、こうして高沢先生と仲良くなれたから……」
「名字……」
「これからも色々進路とか、相談したいこともあるので……もっと先生と親しくなれたら嬉しいです……」

 高沢と数秒見つめ合い、私は袖をそっと掴んだ。奴の喉がゴクリと上下するのを見計らい、目を閉じる。
 息を飲む音がして掠れた声で名前を呼ばれた。「名字……」瞼に影がかかり、私は掴んでいた手を離した。頬に手を添えられ、唇に高沢の吐息がかかる──。驚いたみたいに目をかっぴらくと、目の前に鼻と唇のドアップがあった。

 柔らかい感触がして、私は脳内で「オエェーーッ」と叫んだ。ドンッ、と胸元を押す。
「えっ!?高沢先生、どうして急にキスなんか……」
「……はっ?だってお前が……」
「ひ、ひどいです、信頼してたのに、そんな目で見られてたなんて……」
「はぁ!?名字、お前が先に誘ってきたんだろう!」

 怒り出して私の腕を掴む高沢に、私はほくそ笑み大袈裟な声を上げた。
「いっ痛いっ、高沢先生!」

 その途端、剣呑な空気切り裂くような嘲笑が響いた。
「やば〜、教師のセクハラとパワハラ場面はっけ〜ん」
 その声に仰け反るようにして高沢が怒鳴る。
「なっ、だ、誰だ!?」
「アッハハ!ほんとにやったよ!決定的瞬間激写〜!古橋も撮れた?」
「ああ。キスも体罰も完璧だ」
「もう切っていいよん」
 今のはわたしに向けられた言葉だろう。録音を止めて、ボールペンを原に投げ渡すと、少し操作して音声が流れ出した。

『名字……』
『えっ!?高沢先生、どうして急にキスなんか』
『い、痛いっ!』

「よく撮れてるな」
「やマジで名前ナイスだわ!流れ作んの上手すぎ!自己保身つえ〜!」
「当たり前でしょ」
 万が一真剣交際だなんて逃げ道使われたらと思うと吐き気がする。てかわたしごと教師と恋愛だとかこいつらに流されても最悪だし。
「ねえ、私にも写真見せて」
「ああ、見て見て、めっちゃいいアングルだよ。ハハッ、目開いてんのわざとっしょ?あ、手も離してる。アハッ、流れ作ったのに完璧にいきなりキスされた女子生徒になってんだけど」
「当然計算だよ」
 私は、スマホを見せるために少しかがんで一緒に覗き込む一哉の胸倉を掴んだ。
「うっ!?あ、ちょ──」
 高沢に塞がれた唇で一哉の唇を塞ぎ、ねっとりキスしてやると、一哉が仰け反って腰を曲げた。ゲホゲホ咳き込む。
「やると思ったクッソ!死ねよガチで!」
「テメーも道連れに決まってるだろ安全圏で笑ってんじゃねー」
 オッサンにまじでキスされた私を嘲笑している気配がしたので、とても気分がいい。オッサンの間接唇で悶え苦しめ。どうせすぐ忘れるだろうけど。
「な、な、な……!?」
 顔を真っ赤にして(怒りと屈辱で)、混乱で二の句が告げなくなっている高沢が間抜けに私と一哉を何度も高速で見ている。もしかしてまだ分かってない?
「一体何を見せられてるんだ。さすが下半身女だが、今は盛ってる場合じゃないだろう」
「黙ってよ。あんたにもキスしてあげようか?」
「やれ!いけ!」
 囃し立てる一哉と、めちゃくちゃ瞬間的に重いオーラを発した古橋に、高沢が割り込んだ。

「何をふざけてるんだお前ら!?これはなんの冗談だ!?」
「え、ほんとに分かってないの?」
 思わず鼻で笑ってしまった。
「私はあんたのことなんか微塵も好きじゃないし、あんたはただのセクハラ淫行教師。理事長と教育委員会に訴えようかな?この証拠を持って」
「な……」
 机の上で足を組み見下ろすと、奴が絶句した。まだ理解しきれてないっていう顔。いやーめちゃくちゃ楽しいな、これ。花宮くんたちがわざわざ他人を潰そうとする気持ちが分かっちゃったかも……。

「じゃ、交渉タイムに入りまーす。いらっしゃいませ〜」
 ドアがガラッとあいて、花宮くんが入ってきた。なるほど、ここから出番なのか。
「ふはっ、よくやった名字」
 えっ。まさか褒められると思わなくて、私はドキッとしてしまった。ときめきとかじゃなくて、努力を正当に評価されたことが、なんか嬉しくて。てか、人に褒められて嬉しいのっていつぶりだろう。
「は、花宮?」
 高沢がさらに混乱している。
「証拠送っといたよん。これボイレコね」
「ああ」
「誰か残るか?」
「いらね」
 しっしっとはらう仕草をした花宮くんに頷くと、一哉と古橋くんが教室から去ろうとし始めたので、慌てて後を追う。チラッと振り返ると、実に悪魔的な邪悪な笑みを浮かべていた。
 あーあ、交渉内容は教えてもらえないのか。
 もっと絶望する顔を見たかったのに。
 じゅうぶんめちゃくちゃ楽しんだけどね。ふふっ、長く我慢した結果があの瞬間に実を実らせて集結したかと思うと、えも言われぬ達成感がある。

「あー、面白かった!」
「クセになるよね、あれ」
「男バスが歪んでる理由が分かったよ。てか、一人にして大丈夫なの?ないと思うけどさ、もし、暴れられたりとか……」
 証拠も置いてきちゃったし、ボイレコだけでも〜とか、追い詰められて花宮もろとも〜とか、ああいうタイプならなってもおかしくない気がする。
 懸念したけど、二人はさらりとしたものだった。
「へーきへーき」
「あんなのにやられるほど、花宮は弱くないからな」
「ふーん」
 ならいいけど。
 花宮くんって喧嘩も出来るんだ。ほんと、優等生ってどの面下げてって感じだよね。彼の演技力はすごすぎて、何事においてもすごすぎて、もう何も言えない。

*

 悪辣な笑みを貼り付けている花宮が上機嫌に帰ってきて、部室は俄然騒然となった。
「予定通り?」
 瀬戸くんが聞くとニヤリと口端を釣り上げる。この二人ばっかりで分かり合ってるのずっこいな。
「どーなったの?」
「お前らは知る必要ねえよ」
「中身じゃなくて結果はいいだろ」
 一哉をあしらう花宮くんに山崎くんが食い下がる。私だって、ここまで協力してあの場面だけで終わりじゃ物足りない。

「あいつは自主都合で退職。でもまだ使い道はあるから証拠は握っとく」
「高沢に使い道なんかあるの?」
「あいつっつーか、身内がな」
 あー、兄嫁がどうとかなんか瀬戸くんとヒソヒソしていたっけ。なんだぁ。
 つまらないと思ったのが顔に出ていたのか、花宮くんがふはっと笑った。
「安心しろよ。猿でもわかるように一から百まで説明してやったら、青ざめた顔で震えてたぜ。人間不信になるなありゃあ」
「あは!調子こいてたナルシが人間不信?ケッサクだね!」
 手を叩いて喜ぶと、花宮くんがソファに座った。

「お前は想定以上に役に立ったしな。約束通りなんでも聞いてやるよ」
「それ本気だったんだ。高沢と一緒に使い捨てられるかと思ってた」
「気付いてたんだ〜やっぱ」
 一哉がガムを膨らませながら飄々と言う。気付くに決まってるでしょ。私をどんだけバカだと思ってんだろ、こいつ。
「もう心配はしなくていいの?」
「好きなように思ってていいぜ」
「じゃ、私にも証拠ちょうだい」
「ふはっ」何が面白いのか花宮くんが眉毛をくしゃっとさせて小さく笑う。「一哉、まとめて送っとけ。ボイレコは後でコピーしてやるよ」

 それにようやく安堵した。
「もちろんあんたが私に余計なことしないなら、私も余計なことはしないよ」
 先んじて釘を打っておく。私にコピーを渡すなら、私が例えば、さっき言ったみたいに教育機関に訴えたり、お父さんに言っても、高沢の使い道には影響がないってことなんだろうけど、チクチク嫌味を言われるのもうんざりするからね。
 花宮くんは、分かってんじゃねえか、とでもうなずいた。ほんと偉そう。でももうそれにすっかり慣れてしまった私がいる。

 この非日常も終わっちゃうのか……。
 そう思うと少し寂しさ……いや、つまらなさが胸に浮かんできた。

「で?結局舐め犬にすんのか?」
 むしろそれを望んでいるように聞こえる声で、古橋くんを横目で眺めている。古橋くんの眉は僅かに歪んでいて、それは最大限の嫌悪の顔だった。残りの三人もワクワクした顔つきをしている。花宮くんというかこいつらは身内の不幸も嬉しがれるから得な性分をしている。なんで仲良いんだろ。ふつうだったら絶交してそうなものなのに。
 でもこの空気感が居心地がいいのもたしかだ。

「さすがにしないよ。古橋くんってセックスもマグロそうじゃん」
「ぶはっ!」一哉が吹き出して、腰を曲げた。「だからお前ほんとさ〜〜〜!!!ギャハハハッ、マグロ、はーっ、そういうとこマジで好きだわ」
「クッ、ハハ!マジで顔に似合わねーよな!」
「ふははっ、言われてるぞ古橋!」
「本当に死んでくれ」
 私もニヤニヤして、息をついて呼吸を整える。松本くんも爆笑してるし、瀬戸くんも肩が震えている。古橋くんって何気に反応良くて面白い。

「花宮くんはこれからも誰かの人生を潰していくだろうし、近くで見ていたくなっちゃったな」
「ふぅん……」
 この時点で彼はもう、私が何を言いたいか分かったらしい。
「この世の人間全員大嫌い。だからまた次も使ってよ。私役に立つと思うよ」
「……」
 ニヤニヤしながらも全員の目が、ぬらっと射抜くような光を帯びた。初めて部室に来た時みたいに、少し緊張したけれど、私は微笑んで花宮くんを見つめた。
 フン、と鼻を鳴らし彼が小さく笑う。
「役に立たねえ駒は即廃棄処分だからな」

 パッ、と胸に花が咲く。
 瀬戸くんは肩を竦め、古橋くんは溜息をつき、山崎くんは屈託なく笑い、松本くんが肩を叩き、一哉がパチンとガムを鳴らす。
「クズの掃き溜めへようこそ」
 一哉がチェシャ猫のように唇を歪めた。

 ──ああ!なんだか、人生讃歌したい気分だった。

*


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