・ワンライ
・お題:毒
・シリ切れトンボ

*

 銀のスプーンが黒く腐食していく様子を思い出した。今では銀に反応する毒なんて滅多に使われないし、貴族連中が銀食器を好むのは見栄えと長持ちするのが理由だけど、私たちの銀のカトラリーはあらゆる毒に反応するように出来ている。
 冷めたスープに黒く変色したスプーンを、母は穏やかな顔で眺め、微笑んだ。母が私を一瞬見つめた。そのままスープを一口飲み、ゆっくりと椅子から転げ落ちた。私は呆然とそれを眺めていた。手に持った私のスプーンの色は変わっていなかった。

 帰ってきた父は亡骸になった母に縋り付き、人目も憚らずに声を上げて泣いた。父は母に支配され、母は父に支配されていた。私はそこに入り込めなかった。父に似ている私に父は一切の興味を向けてくれなかった。私には母しかいなかったのに。10歳の冬だった。
 父が母を殺したのかもしれないと、少し考えていたけれど、「どうして」「私を置いていくな」と涙と鼻水と涎を垂れ流して泣く父に、違うかもしれないと思った。

 長らく犯人が分からず、使用人を一新した我が家だったけれど、私は犯人を偶然見つけてしまった。死んだ後そのままにされている母の寝室に定期的に忍び込んでは、生前愛用していた香水をベッドに振りかけて寝るのが私の安寧だった。
 ベッド脇の戸棚に鍵付きの引き出しがあって、二重底になっているのを見つけた。そこに錠剤の魔法薬があった。スネイプ先生に見てもらったら、毒薬だということが分かった。即効性の高いもの。黒い洞穴みたいな目でスネイプ先生に「これを誰に使うつもりだったのかね」と問われて、私は思わず笑ってしまった。

 なんだ、ママを殺したのはママだったんだね。
 ママは……私のために生きようとしてくれなかったんだね。

*

 私の孤独と寂しさの中に1人の男の子が入り込んできた。
 艶やかな照りがある黒い肌、自信に満ちている高慢な瞳の輝き、ママと同じ青みがかった癖毛の黒髪。いつも人に囲まれているブレーズ・ザビニ。一つ年下だけど、彼には年上のような貫禄のようなものがあった。
 一人の時を狙っては話しかけてくる彼はあまりにも分かりやすくて、ストレートだった。最初は拒んでいたはずなのに、いつの間にか日常の中にブレーズがいた。

「やぁ、名前。それつけてくれてるんだ」
「ああ、まぁ。せっかくくれたものだし…」
 ソファで教科書を開いていたら、当たり前のように彼が隣に座り、肩に腕を回した。ローブの上からでもわかる、男の子の筋肉と人肌の生ぬるさ、距離感に私はドギマギとして、文字からは目を離さずに身体を固くした。普通の顔を装うのに精一杯で大した返事も返せない、つまらない女なのに、ブレーズは気にした様子もなく機嫌良さそうに話している。
「良かった。君のブロンドに良く似合うよ」
 耳元で揺れるシトリンのピアスは彼から貰ったものだ。イエローゴールドのラインで縁取られたシンプルなもので、私の髪と肌によく馴染んでいる。
 彼の分厚い手が耳たぶをそっと掠めた。反射的に震えそうになるのを必死に抑え、微笑もうとするけれど、顔にどんどん熱が昇っていく。
「ハハ、可愛いね。俺が相手で良かったよ」
「……どうして?」
「どんな男だって、君にキスしたくなるから」
 ブレーズは零れるように小さく笑って、強い眼差しで私を射抜いた。何も言えない私を、安心させるように彼の手のひらが背中を撫でる。
「何もしないさ。本当に手に入れたい人とは少しずつ仲良くなりたいんだ。君が警戒してるのは分かってるよ」
「警戒なんて……」
「いいよ、しても。俺のことたくさん警戒して、見つめて、考えて」
 ブレーズが頬に軽く口付けた。リップ音が耳の中で反響して、全身に鳥肌が浮かんだ。全身が沸騰したみたいだった。もうとっくに私は彼に捕まっている。

 彼と恋人になるのに時間はかからなかった。
 ホグワーツきっての遊び人と名高いブレーズは、私と付き合い始めると他の女の子を全て切った。頬を赤くして帰ってきたことも、廊下の端で責め立てられているのも、泣き縋られているのも見たことがある。
 申し訳なさと優越感がじわりと身体を満たした。

 なぜ、私なのか分からない。
 尋ねても甘い言葉を囁かれるばかりで、恋愛経験のない名前にだって誤魔化されていると分かる。彼が本気で私なんかを好きだとも信じていない。だって彼は表では私一筋だと振る舞いながら、本当は影で何人かの女の子と隠れて会っているって知っているから。
 それでもいいほど彼を好きになってしまった。


 半年ほど付き合っても、ブレーズは私に手を出さなかった。2人きりになって、情熱的なキスを交わしてそういう甘くて官能的な雰囲気になることはある。
 けれど、ブレーズが私の太腿を撫で、シャツの下に手を潜り込ませるたびに、私の身体は石のようになって彼を押し返してしまう。毎回、不満そうな顔をするけれど、ブレーズは引いてくれる。
「ごめんなさい、私……」
「名前が受け入れてくれるまで待つさ。大事にしたいからな」
「……」
 羞恥と情けなさと申し訳なさで涙が滲む私の目元を拭い、ブレーズが優しく私を抱き締めた。男の人に抱き締められるのは彼が初めてだった。スパイシーな香りが首筋から薫る。くらくらして、その先を知りたいと思う。思うのに……。
「でも何かあったのか?ただ恥ずかしいとか、緊張してるだけじゃないだろ?初めてなら、怖いのは当然だけどさ」

 トラウマがあるわけじゃない。
 でも、身体を重ねることに反射的な嫌悪感が浮かぶのは両親のことがあると思う。
 子供の頃から、深夜、母の声を聞くことがあった。お手洗いに向かうために両親の寝室を通る時漏れ聞こえてくる母の、途切れ途切れの苦しげな声や啜り泣き。父の怒鳴り声。殴られているのかと思って、恐ろしくて震えながらドアの隙間を覗いた。
 暗い部屋の中で二人の裸の影が浮かび上がり、絡み合って、母は泣きながら苦しんでいた。父は怒鳴ったかと思えば、あやす様な声を出したり、突然泣き出して謝ったりしていた。母を助けたかったけど私は怖くて、けれど足も動かせず、その様子を見ていた。
 二人共、朝食の時はいつも通りの何食わぬ顔で、何も無かったかのように振舞っていて、私は夢かと思ったけど、やっぱりたまに寝室から途切れ途切れの声が聞こえた。私は毎回耳を塞ぎ、母を見捨てるような罪悪感に襲われながら足早に部屋を通った。

 成長するにつれて夜の行為の意味がわかるようになった。
 父は歪んでいる。母を愛しているというより、執着しているし、縋って、依存している。きっと母の心が他に向いていたからだろう。
 子供の頃からたまに遊びに来る、母の古い友人だという気のいいお兄さんは、父がいる時は絶対に遊びに来なかった。9歳に上がる頃彼は死んで、母はそれからぼーっとすることが多くなり、父も不安定になっていった。いや、父は私に見せなかっただけで、きっといつも不安定だったんだろう。
「あの男の方がいいのか」「いつまであいつを忘れられないんだ」「あんな貧乏な間男」……。
 母が死んでからその言葉の意味が分かった。
 私の両親は歪んでいた。母に恋して無理やり金の力で結婚した父と、父がいながら過去の恋人と情を交わし続けた母。
 私はそうはなりたくないと思うのに、両親の一途さをきっと受け継いでいる。ブレーズが他の子を抱いているのだろうと思う度、体中が焦げ付いて、相手の子をくびり殺してやりたくなる。彼がきっと私を愛していないと知っているからこそ、彼に愛して欲しくなる。
 彼と体を重ねたら、私が両親のようになるんじゃないかと思って怖かった。
 ブレーズが何故私を選んだのか知りたい……。そこにどんな理由があったとしても、たとえ死ぬほど傷付く何かがあったとしても、ただ甘やかされて、いつ途切れるか分からない彼の愛に飛び込むのを恐れなくて済むような気がする。


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