わたしの父は、ポケモンに殺された

*夢じゃないよ
*人を選ぶ話だよ


 いつもみたいに、夜中の招集で飛び起きて赤い服を纏ったお父さんが颯爽と飛び出していく背中を、眠い目を擦りながら「頑張ってね、行ってらっしゃい」と見送ったのを覚えている。
 お父さんは振り返って、眉毛と唇をきりりと上げて「おう、任せてろ。お前も早く寝るんだぞ」と頭を撫でてくれた。
 お父さんのパートナーのヒヤッキーも、真似して得意げそうにヒャヒャヒャと笑って、ニコニコの細いおめめを釣り上げてカッコイイ顔でわたしを撫でた。

 消防士として、朝も昼も夜も、火事が起きたら瞬間的に準備をしてヒヤッキーと共に駆け出していくお父さんの背中は、大きくて、かっこよくて、誇らしくて大好きだった。
「いつ呼ばれるかわかんないから、お休みできなくてたいへんだね」
 忙しくてかわいそうだな、と思って何気なく言った言葉に、お父さんは笑顔で首を振る。いつもヒヤッキーみたいに明るく笑っている人だった。
「火事はいつ起こるか分からない。そんな時に、一番に駆け付けて俺のヒヤッキーがみるみる炎を鎮火させて、誰かを助けることが出来たら、それ以上に誇らしいことはないんだよ」
 誰かの命と心を救けることに誇りと喜びを感じているお父さんが、わたしのヒーロー。

 きっとまた朝起きたら、いつもみたいにベッドでグースカ寝坊助してるお父さんがいて、お母さんと「疲れてるだろうから、ゆっくり寝させてあげましょうね」とくすくす顔を見合わせて笑ったりなんかするんだろうと思いながら眠りについたけれど、朝になってもお父さんは帰ってこなかった。
 日が昇って起き出してきたわたしにも気づかずに、引き攣った声で泣いているお母さんを、わたしは、どうしたらいいのか分からずに呆然と立ち尽くしていた。
 あの日の記憶が、わたしの頭の中にずっと住んでいる。

*

 お父さんは帰ってこなかった。代わりに、家にお父さんの仕事のひとがたくさん来て、親戚の人もたくさん来て、やがてお坊さんもやって来て、お母さんとわたしをみんなが「大変だったわね」「これから力になるからね」「お父さんは本当に素晴らしいひとだった」と励ましていった。
 黒い服を着て、黒い服の人だらけの場所に連れていかれた。
 額縁の中にある笑顔のお父さんの写真と、四角い細長い箱と、泣いている周りの人たちと、干からびそうなほど落ち込んでいる久しぶりに見たお父さんのヒヤッキー。

 周りの景色も音も、どこか遠くで流れている気分だった。涙も出なくて、ただぼうっと目の前のことを見つめているわたしを、「ほらあの子、娘さんの……」「どうしてあんなに……」「幼くてまだ分からないのよ」「可哀想に」とひそひそ色んな人が噂しているのが聞こえていた。
「シオン、お父さんにさよならしようね」
 お母さんが真っ赤な目で箱の前にわたしを連れてきて、わたしは言われるままに箱を撫でた。とうとう箱にすがりつきながら泣き始めたお母さんがあまりにも小さくて、わたしはお母さんの頭を撫でてあげた。お父さんがしてくれたみたいに。

 箱は焼かれて、炎の中で小さな骨になった。
 その骨を拾いながら、お父さんは火事に焼かれ、眠る時も焼かれてしまうんだなと思って、お腹の中がカッと熱くなるような気がしたけど、それがなんなのか、その時のわたしには分からなかった。
 わたしは幼かったから。
 でも、何も分からないほど幼かったわけじゃない。
 お父さんが死んだことも、逃げ遅れたポケモンと子供を救けて炎に焼かれたことも、遺体がボロボロすぎてお父さんの身体を見せてもらえなかったことも理解していた。
 箱の中にお父さんがいることも、もう二度会えないことも分かっていたけれど、ただ、ただ、目の前のすべてに現実味がなかっただけなのだ。
 薄い膜が広がっているみたいに、全部がふわふわと流れていて……。

 段々とお父さんとヒヤッキーのいない生活に慣れていった。ヒヤッキーはしばらく、心に傷を負ってポケモンセンターに預けられていたけれど、やがてお父さんの同僚の消防士の元に引き取られた。
 お母さんとのふたり暮らしは寂しかったけれど、何年かすれば当たり前になる。生活にも不便はなかった。貯金もあったし、お父さんの死によって得た莫大なお金もあった。
 わたしを一人にしないように過剰に過保護になったお母さん。
 最初は嬉しかった。でも段々とうんざりして、最後には不安になった。わたしがスクールに行っている間、お母さんはずっと誰もいない家で一人でお父さんのことを考えているのを知っていたから。だから必死に新しく仕事を始めるように説得した。外に出て人と関わるようになったお母さんから、追い詰められたような鬼気迫る雰囲気や、余裕のない過保護さや、ずっと消えない目の下のクマが和らいでいって安心する。
 こうして、お父さんがいないあとも、わたし達は徐々に新しい生活に馴染んでいった。

 憔悴しているお母さんを見ていると、可哀想だとか、不安になったりとか、わたしが支えなきゃって思うのと同時に罪悪感も覚えた。
 寂しくて涙が出る時はあるけれど、わたしはお母さんみたいに身を削るように傷付くことが出来なかった。お父さんの死に実感を得られないまま、それすら風化するように時間が経ってしまった。
 お父さんが大好きだったはずなのに。

*

「シオンももう就職かぁ。早いわねえ」
 しみじみと母が言う。わたしは旅には出ずに、ポケモンスクールを卒業したあとは大学に進学する道を選んだ。
 就職先はふつうに、変哲のない中小企業の事務員で、面白味はないけれど山も谷もない安定した生活を送れるはずだ。

 明日から会社が提携しているアパートに引っ越すから、今日は母と一緒に暮らす最後の夜だった。トロピウスの果実酒を飲みながら、ほろ酔い気分の母が火照った頬で揺れている。
 十八歳にもなると、母も随分と歳を重ねていて、改めて間近で見た母の顔にシワが増えているのを見てなんだか言い表しがたい感傷が浮かぶ。
「やっぱりポケモンは飼わないつもりなの?ひとり暮らしに、寂しさを紛らわせてくれる相棒がいるっていうのはいいものよ」
 私にはあなたがいたけれど、母はそう言ってまたお酒を飲む。そろそろ止めた方がいいと思いつつも、返しづらい話題になったのでわたしは空いたグラスにさらにお酒を注いだ。このまま酔って寝てしまってくれたらありがたい。
「きっと忙しくてかまってあげられないだろうし、いらないよ」
「あらそう?そんなに嫌がらないであげてよ。ヒヤッキーにももう随分会っていないでしょう。知ってる?あの子、パパになったのよ」
「知ってるよ。ちっちゃいヤナップの写真送ってきたじゃない」

 未だに消防士として現役で活躍しているお父さんのヒヤッキーは、譲渡先の手持ちのヤナッキーと夫婦になったらしい。
 純粋におめでとうと思う気持ちと、なんだかちょっとだけモヤモヤする気持ちがあってわたしはヒヤッキーに会えなかった。ヒヤッキーが悪くないのは分かってる。幸せになってくれてすごく嬉しい。それは本当なんだよ。でも、心の片隅に、ひっそりとよぎる黒い思いがほんの少しだけある。
 お父さんを置いて幸せになる、ヒヤッキーや、わたしや、お母さん。それに冷めた感情になるわたしがいる。

「シオン……もういないのよ……お父さんはもう……」
 心の中を見抜いたような言葉を突然掛けられて、冷水を浴びせられたように心臓が跳ねた。
「どうしたの、突然……そんなの分かってるよ……って」
 お母さんは机に突っ伏して眠り込んでいた。
 今のは寝言だったのか。紛らわしい。
 眉根を寄せている母に毛布を掛ける。寝言であんなことを言うんだから、お母さんはずっと気付いてるんだろう。
 今まで口に出したことがなかったけれど、わたしはポケモンが嫌いだ。消防士だって嫌いだ。子供も嫌いだ。
 お父さんが大好きだけど、お父さんも嫌いだ。
 他の子や、他人のポケモンなんかより、わたしと生きる道を選んでほしかった。誰かを見捨ててでも、わたし達家族と生きていく人生を……。
 そう思うのは、わたしが幼いからなのだろうか。
 ありえない「もしも」を夢想しては、虚しさが降り積もるのは、もううんざりする。
「おやすみなさい、お母さん」
 髪に隠れる老け込んだ母の横顔を見て、わたしは部屋の明かりを消した。

*

 ポケモンが嫌いだと言うと、だいたい「まぁ……」と眉をひそめられたり、最低だと募られたり、愛護精神のない冷酷でひねくれた人間だと思われるから、わたしは早々にそれを言うのを辞めた。まるで罪人のように遠巻きにされると、わたしが本当に罪を犯したような気分にさせられる。ぜんぶを否定された気分になる。

 幸いそれを言ったのは分別のない子どもの頃だったし、父親を亡くしたばかりの子どもの背景を勝手に想像して、同情してもらえるから致命的な状況にはならなかったけど、口に出さなくなっても苦手意識はずっとあった。
 ポケモンも、ポケモンを可愛がるトレーナーも、戦わせるのも、一緒に生きるのも、共存とか愛護とか謳う社会も、なんもかんもぜんぶ馬鹿らしい。

 ポケモンは人間なんかいなくても勝手に生きていけるってことは、野生のポケモン達が証明している。ポケモンにはポケモンの世界がある。人間みたいな弱い存在を超越したポケモンを従えているから、人間が勘違いして余計なことを始めるんだ。
 ポケモンに命令を下してバトルしたり、野生ではまったく必要のない美しさについて競い出したり、ポケモンを使って金儲けを始めたり、人間がポケモンを助けようとして死んだり。

 人間は人間だけで、ポケモンはポケモンだけで生きていけるはずだ。

 社会人になって数ヶ月、疲れ切って泥のように眠る毎日が続いた。任される仕事自体は単調だけど、覚えるのに脳みそと精神力を使うし、単純に仕事量も多かった。それに歓迎会という名目の宴会が多くて、お酒に強くないから酔っ払って帰るのはかなり体力を消耗する。
 人間関係の構築も面倒だし、取引先との電話や、上下関係、社会人らしい立ち振る舞い、会議や宴会での下準備、仕事以外で覚えることが多くて毎日が飛ぶように過ぎていく。

 実家から出たのは初めてで、ホームシックに襲われるかと思ったけれど、そんなことは無かった。
 むしろ開放感のようなものがあった。
 寂しさを感じる余裕がないほど忙しいし、疲れているし、きちんとしなきゃとか、安心させなきゃとか、そういうプレッシャーから解き放たれて初めて自由になれた気がする。
 片親育ちで、母は苦労してきたし、わたしも色々な目に晒されてきた。父親の死で色々なことが変わって、他人からの目に敏感になって、その分他人に何かを口出しされたり、粗をつつかれないように気を張って生きてきたから、そういうものから逃れられたような気がする。
 気がするだけかもしれないけれど。

「シオンさんはポケモン持ってないんですか?」
 雑談の流れで同僚に問いかけられて、わたしは「来た」と思った。当たり障りのない笑顔を浮かべる。
「母子家庭なのでポケモンと暮らす余裕がなくて。一人で飼う余裕も自信もなかなか……。でも、可愛くていいですよね」
「えー、勿体ないですよ!トレーナーはポケモンの医療費とか無料だし、国の手当ても厚いからそんなに構えることないですよ」
「そうなんですね。考えてみようかな、もう少し生活が落ち着いたら、になりますけど」
 いくつか反論は心の中にあるが、「ポケモンはいいよ」とゴリ押ししてくる人は言い返すと愛情を否定された気分になる人が多いから、てきとうに前向きな答えを返しておく。
 満足したのか笑みを深め、初心者に向いているポケモンをつらつら語り出したのを、頷きながら聞いている振りをした。
「やっぱり研究所で扱ってる初心者用三匹は、懐いてくれやすいし、訓練もされてるしいいんじゃないかな。実家にフシギバナがいたけど、穏やかで気の良い奴ですよ。草タイプは水とか炎に比べて環境も整えやすいし」
「そうなんですね
「ノーマルタイプは都会にも適応しやすいから、そっちもいいかもしれない。ヨーテリーは人懐っこくて飼いやすいって聞くなあ」
「かわいいですよね」
「本当に!ムーランドになれば寿命も伸びてかなり長生きしますよ!進化もそこまで難しくないポケモンだからね」
「へえ、知らなかったです」
 こんなお愛想三大ワードみたいな対応でも、話すのに夢中になっているのか、そもそも反応なんて求めていないのか、相手に気にした様子はない。

「何のポケモンが好きなんですか?」
 その質問には、わたしは一瞬答えに窮した。好きなポケモン。そんなのいない。強いて言うならヒヤッキーだけど……。
「みんな可愛くて迷っちゃいますね。どんなポケモンがお好きなんですか?」
「えー、やっぱ相棒のゴウカザルっすかねぇ。でも、ロマンという意味ならボーマンダとかカイリューとか」
「かっこいいですよね。迫力があって」
 迫力があって、人の手など必要のないほど強いポケモンだ。ドラゴンタイプは人に慣れるのに時間がかかると聞く。なんでわざわざ、野生を殺してまで人間のために調教しようとするのかわたしには理解出来ない。
「ドラゴン系は気難しいからなぁ。旅してた頃も仲間には出来なかったんですよ。今から手持ちに入れるには宝の持ち腐れですし」
「旅をしてたんですか?」
「成人したばっかの頃ですけどね。バッジも六個くらいで諦めたんで、人に言えるような結果じゃないんすけど。シオンさんは出てないんですか?」
「わたしはアルバイトしながら大学に通ってました。旅に出るのは興味が出なくて」
「へぇ、変わってんすねえ」
 曖昧に微笑む。十歳になるとたいていの子供はポケモンと共に旅に出る。けれど、ポケモンと生きるつもりのないわたしには関係の無い文化だ。
 母も父も旅をしたらしいから、母にはずいぶん残念がられたけれど、安定した人生を望む気持ちは母だって身に染みて理解しているからそこまで反対されず、旅に出ない道を選べた。

*

 夏のある日、台風警報が出た。
 会社で残業をしていたから、電車に乗る頃には吹き荒れる強風と横殴りの雨に荒れ狂っていて、たまに黒々とした分厚い雲から細い雷の光が走っていた。
 なんとか電車が止まる前に最寄り駅に帰れたけれど、タクシーは捕まらない。大人数が並んでいるのを見て、十分ほどは諦めて濡れて帰ることにし、わたしは小走りで帰路を急いでいた。

 スーツはビショビショで、髪が顔に張り付いて鬱陶しい。
 住宅街の生活的な明かりを見るとどこか寂寥感のようなものが湧く。
 こんな嵐でも明日はふつうに出勤だろう。電車は復旧するだろうか。休みになっていた学生の頃に戻りたくなる。

 うんざりしながら走っていると、ふと家のそばのゴミ捨て場でほの赤い光を見た。
 一瞬立ち止まってその光を探す。
 風に吹かれて点滅するように、ゴミ袋の合間に、やっぱりチロチロと見え隠れしている。
 怪訝に思いながらもゴミ捨て場を通り過ぎようとして、目の端に赤い、小さなものがよぎった。黒闇の中で見逃してしまいそうなそれに気を引かれ、網を捲る。

 そこには一匹のヒトカゲがいた。

 体を丸めて震えながら、しっぽを抱きかかえている。驚いて立ち尽くすわたしに気付き、弱々しく目だけを上げたヒトカゲが、潤んだ助けを求めるような瞳をしているような気がして、わたしは目が合った瞬間弾かれたように踵を返した。

 みぞおちのところで嫌な鼓動がドクドク鳴っている。早い心臓の音と裏腹に、わたしの足は何故か遅くなっていた。今すぐ何も見なかったことにしたいのに、なにかの引力に引き摺られるように、頭の中にヒトカゲの姿が浮かんでいる。
 弱々しく、自分の体で何とか尻尾の火を守ろうとしていたちいさなヒトカゲ。雨足はどんどん激しくなり、横殴りの強風がスーツをビショビショに濡らしている。髪が張り付いて傘の意味をまったく成していなかった。
 いつの間にか止まっていた足を、また前に踏み出そうとする。

 ……。
 …………。
 ………………。

 わたしはイライラしながら、引き返した。よく分からない激情で傘を持つ手が震えた。ゴウゴウと耳元で風が唸っている。
 ゴミ捨て場の中には、さっきのままヒトカゲが震えていた。わたしは目の奥が痛むくらい冷え冷えとヒトカゲを見下ろした。

 網を捲り、傘を乱雑に立て掛けると、ヒトカゲが僅かに顔を上げた。炎はもっと弱まっているように見える。先から薄い煙が立ち上っていた。この炎が消えたらどうなるんだろう。ポケモンのことなんか何も知らない。
 ヒトカゲは少しわたしの顔を見て、小さく口を開けるとまた丸くなった。鳴き声を上げようとしたのだろうか。風に吹き消されるまでもなく、弱々しすぎて弟にも鳴らないくらいの鳴き声。
 輝きのない暗い瞳と、消えかけの炎が妙にわたしを苛立たせた。

 ポケモンなんか嫌いだ。
 特に炎ポケモンはもっと嫌いだ。
 お父さんを飲み込んだ炎、お父さんを焼いてちいさな骨屑にした炎。
 そんなもの消えてしまえばいい。
 嵐の中で消えてしまえばいい!

 そう思うのに……そう思うのに、わたしは何故か両手を握り締めるばかりで、立ち尽くしたままうずくまるヒトカゲを見ているだけだった。
 わたしには関係ない。このヒトカゲがどうなろうと関係ない。ポケモンは人間の手なんか必要ないほど強い生き物なんだから。

*

「もう、もう、なんで……!」

 傘を差して、腕の中にヒトカゲを抱き抱えてわたしは小刻みに走る。タオルをかけて雨を少しでも弾かせる。尻尾の炎はタオルに燃え移りはしなかった。
 腕の中のちいさなヒトカゲは意外とずっしりと重く、でもとても冷えていた。
 わたしは唸りながら傘で雨風邪を切り開いて進んだ。両目から涙が溢れている。悔しくて、悔しくて、何かに負けた気がした。ポケモンなんか嫌いだ。
 勝手に生きて勝手に死ねばいいのに!
 でもこのヒトカゲはそうしようとしていた。わたしに助けを求めるわけでもなく、あのゴミ捨て場の中で、ただ弱っていこうとしていた。
 ポケモンに人間は必要ないのに、なのに。

 家についてヒトカゲを拭ってやって、ベッドに寝かせる。多分あっためた方がいいんだろうと思って、冬用の布団も取り出して、巣みたいに包んでやる。
 ヒトカゲはぐったりしたまま目を閉じて、身体を投げ出していた。
 尻尾の火だけ布団から出して、すぐ消せるようにバケツに水も準備したけど、やっぱり火は燃え移らなかった。
 こういう時どうしたらいいか分からない。
 インターネットで検索して、ポケモンフーズとか、お粥とか、きのみのご飯の作り方を調べたけどそんなもの家にはないし。ポケモン関連のものを何一つ置いていないから。
 人間のごはんも食べられるらしいから、お粥と薄味のスープだけ用意して、最初に水を飲ませた。嫌がっていたけど、根気強く続けて、半ば無理やりに水を飲ませる。

 出来ることをとりあえずやって、ようやく一息ついた。
 ヒトカゲは眠っている。これで助かるかどうかは分からない。
 部屋を見回すと水浸しで、ため息を着いてびしょ濡れのシーツを着替えた。髪から滴る水滴にうんざりする。

 ご飯を食べ終わってもヒトカゲは微動だにせずにこんこんと眠っていた。風もないのに、炎がちろちろ揺れている。
 検索して出てきた画像や動画より随分と小さい炎だった。ぼうぼうと燃え盛っているはずのヒトカゲの炎は、今はまるでロウソクの火みたいだ。
 フッと吹けば消えてしまいそうだった。
 ヒトカゲは尻尾の炎が消えると死んでしまうらしい。
 呼吸音も聞こえないほど静かに眠り続ける、ベッドの中のヒトカゲ。

 生気というものを感じられないヒトカゲに、心の内側が何かザラザラする。

 このまま死んでしまうの?
 こんなに簡単に……人の救けなんて要らないほど特別や力があるくせに。

 わたしはよく分からない気持ちにとらわれて、眠り続けるヒトカゲをただじっと見つめていた。わたしはお父さんのことを思い出していた。
 多分お父さんだったら、わたしみたいに迷わず、このヒトカゲを助けようとしたんだろうな。後悔と怒りと、それ以外の何かが胸の中で渦巻いていた。

*

 瞼に影がかかり、わたしはハッと目を開けた。
 飛び込んで来た大きな緑色の目玉と、ゆらゆら揺れる炎に心臓が嫌な風にゴトッと音を立てたけど、すぐに思い出した。
「ヒトカゲ……」
 わたしはテーブルで眠り込んでしまったようだった。
 布団から這い出してきたヒトカゲが、わたしを覗き込んでいた。炎はさっきよりは火足を強め、ゆらゆら揺れている。
「……あー……」
 なんと言えばいいか迷い、仏頂面になってしまう。
「もう動いて大丈夫なの?」
「カゲッ」
 声は小さかったけれど、オレンジの手をちょこんと上げて、ヒトカゲはわたしを見上げた。口がにっこりと笑顔の形になり、牙が見えた。
 人懐っこい笑顔だった。
 多分、もう大丈夫そうだ。
「そっか……」
 わたしの胸の中を満たしたのはたしかに安堵だった。

 ヒトカゲがわたしの膝に恐る恐るのぼってきた。身体が固まる。動けないわたしに、了承だと捉えたのか、ヒトカゲはニコッとして膝の上で丸くなり、お腹に頭を甘えるように擦り付けた。
 その瞬間、分からないけれど、両目から涙がつるっと零れ落ちた。もういいか。もう……いいか。
 わたしはヒトカゲの頭にゆっくり手をかざした。膝の上でリラックスしているヒトカゲが、目を瞑って受け入れた。撫でてみると、オレンジ色の丸い頭は思ったより固くて、ザラザラした皮膚の感触がした。さっきまで冷たかったけれど、今はぬくもりが戻っている。

 いつからか思い出せなくなっていたお父さんの笑顔と、あの日の背中を思い出した。

 ポケモンってこんなにちっぽけなんだね。
 弱くて、ちっぽけで、暖かいんだね……。

 パチパチと火が燃える音が聞こえる。お父さんを焼いた炎なのに、その音はなぜか優しく響いた。それは、わたしの中に長くこびりついていた、黒い煤のようなものを燃やし尽くして行くようだった。

 お父さん、わたしでもポケモンを救けられたよ。お父さんみたいに。


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