ケイトがただ煙草吸ってるだけ


 起きた瞬間に分かるじゃん。あー……今日はダメなやつー……っていうの。体調の話じゃないよ。メンタル?とも違うかも。病んでるってほど深刻じゃないし、大したことじゃないんだけど。てか誰にでもあると思うんだよねぇ。起きた時からもう「なーんもやる気しないわ」っていう日が。

 今朝がその日で、目覚めた瞬間から、あ、これはムリだなって。身体が気だるくて、脳髄が全身に起き上がりたくないって信号を発してる。
 オレ寝起きはいいんだけど、今日は倦怠感で寝返りを打てば隣のベッドでゴソゴソ人が動いてる音が聞こえて眉根を寄せる。いつもなら「トレイくんオハヨー!今日も早いね〜」とかってテキトーにニコニコするんだけど、今はそんな気分じゃないからしばらく寝たフリをさせてもらうことにした。
 あー、このままサボれればいいんだけどな。絶対許してもらえないし、体調不良とかって騒がれるのもめんどいから結局起きるしかない。脳内でつらつら言い訳を探しては、他人への対処のほうが面倒で結局オレはしばらく目を閉じたあと、気合いを入れて起き上がった。

「お、起きたのかケイト」
「んーっ、おはよ!って、もう準備万端なの?」
「ああ、仕込みがあるからな」
「あぁ……」
 思わず呻き声が漏れてしまうて、慌ててニッコリ笑顔を貼り付ける。
「そーだ、今日はなんでもない日のパーティーがあったね!オレは薔薇係だから、一緒の子は〜っと」

 覚えてるけど意味もなくスマホを開いてそれぞれの当番を確認する。目が滑っていくのをしかめ面にならないように眺めた。
 あーフラミンゴ係エーデュースコンビか。あのふたりが一緒だと高確率で騒ぎ起こすからめんどくさいんだよね……。
「俺はもう行くけど、お前も早く準備しろよ」
「はーい!行ってらっしゃい☆」

 ドアの向こうに出ていったのを確認して、「あ〜〜……」と仰向きに倒れた。
 パーティーか……。だっっる……。
 オレ今日ニコニコするメンタルないんだけどなぁ。
 惰性でマジカメを開いて通知を確認するとけっこうメッセやらコメントが来てたけど、返す気力がない。
 立ち上がって準備……する前に。

 オレは鍵をかけた引き出しから小さな箱を取り出した。ブラックのボックスから煙草を一本取り出して左手に挟み、ライターをカチカチ鳴らす。そろそろ油切れそうだなー。
 先端を咥えてカチッと歯で潰し、深く息を吸い込む。
「ハーッ……」
 溜息みたいな息とともに薄い煙がフッと空中に広がる。また吸い込む。冷えた煙が上顎を撫でて喉の奥を滑り落ちて、肺に滲み沈んでいく。
「朝から吸えるってサイコ〜……」
 漏れた声は覇気がなかったけど、オレはしみじみ思っていた。相部屋ってこれがあるから嫌なんだよね。トレイくんは絶対こういうのうるさいから、彼の前で吸ったことはない。

 ……寮長時代は一人部屋だったから良かった。
 さすがにもう慣れたけど、起きて目覚めのメンソ吸うルーティンがいきなり崩れて、しばらくは落ち着かなかった。寝起きの一本はやっぱり生き返る……。
 灰は携帯灰皿に捨て、ボーッと無心に吸っているといつの間にか短くなっていた。もう一本火をつける。
 これ吸ったら、仕方ないから準備始めよっか。今日もがんばれ、けーくん。

*

 本当に無理。オレは早足で裏庭に向かっていた。午後の授業が終わって、あとはパーティーを残すだけだけど、まだ時間の猶予がある。
 ヤニ切れもあるし、イライラしてるのもあってオレは急き立てられるような気分だった。昼休みからバチ切れてたんだけど、オレは必死に我慢していた。
 っていうのもハリネズミ係の子たちがふざけてるうちに一匹逃しちゃって、総出で捜索に当てられてたの。おかげで昼休みはなくなるし、出張パン屋さんの限定メニューは買えなかったし、リドルくんを宥めるのにメンタル消費したし。今日はできるだけ省エネで過ごしたかったのに。
 イライラを表に出さないようにいつも以上に笑顔を意識して、オレの中のなにかがゴリゴリ削られていった気がする。ほんと、めんどい。

 裏庭は人があんまりこない。
 木以外に何もなくて、柱も乱立してて一日中ちょっと薄暗い雰囲気で、こういうとこに来るやつは滅多にいない。たまにカツアゲを見掛けるくらい。
 小さなボロボロのベンチがあって、そこは穴場だった。静かで、学園内で一人になれる数少ないオレのお気に入りの場所。
 石壁の影になっていて外からは隠れられて、でも誰かが中を通るときは話し声や足音がよく聞こえる。

 ドカッとベンチに腰掛けると嫌な音がした。寿命来そう。まぁボロいしね〜。野ざらしでところどころ腐ってる。ホントはこんなのに座りたくないけど背に腹は変えられない。
 鞄の内ポケットに巧妙に隠した煙草を取り出して、携帯灰皿を取り出した。
 あーーーーーー。
 しんど。
 煙を吸い込むとなんとかマトモな落ち着きが戻ってきた。煙草ってすごくない?どんだけイラついてても興奮してても、深呼吸してるようなもんだから、自然と心が平坦に均されるカンジ。

 学校では吸う場所は少ないくせに、っていうか吸うのはダメなんだけど。少ないくせにストレスは時も場も選ばずそこら中に散らばっててマジでムリ。優しくない。人に。
 足を組んで、無表情で空を仰いでいると、なんか自由だーって思えるんだよね。
 煩わしいこと何もなくて、こうやって一人になれる時間がほんとうに染みる。
 オレいわゆるヤニカスに分類される方だと思うし、煙草ないと死ぬんだけど、ニコチン中毒ってよりこういう時間が好きなんだと思う。無になってなんにも考えずにゆっくり息を吸えるっていうかさ。

 吸い溜めしようと三本目に火をつけ、空を仰いでいたのが悪かったのか、オレは人が来たことに気付かなかった。
「あ」
 男子校らしからぬ鈴みたいな可愛い声がして、心臓がバクン!と鳴った。エッ?マジ?だれ?!今までここに人が来たこと無かったのに!
 完璧に強ばった顔で声がした方を見ると、オンボロ寮の監督生ちゃんが小さな驚きを浮かべて立ち竦んでいた。

 ア。終わったわ〜……。
 数秒お互い見つめ合っていた。オレは内心で誤魔化さなきゃ!って汗をかいてたけど、もう手遅れすぎてどうでも良くなってもいた。マジで……監督生ちゃんに見られるとは……。
 異世界から来たという彼女はNRCにあるまじきいい子で、控えめで、清楚で、可愛い子だった。ハーツラビュル生たちとも仲がいいし、今日のパーティーにだってくる。
 うわもう……気まずすぎ……。

 何時間にも思えた沈黙ののち、監督生はぺこりと小さく会釈して、無表情で近付いてきた。その雰囲気が妙に疲れ切っていて、オレは何も言えなかった。笑顔を浮かべる余裕がなかったってのもある。
 そのまま彼女はベンチに腰を下ろして、慣れた様子で足を組んだ。スカートから見慣れた……煙草の箱を取り出して、左手で風を避けてライターで火をつけた。伏せた睫毛に炎が反射してヂカヂカしていた。
「フー……」
 監督生ちゃんは膝に肘をついて気だるげに煙を吐き出した。どう見ても手馴れている。

 おお……マジか……。
 だって監督生ちゃんっていつも柔らかな微笑を浮かべてて、心が広くて穏やかで、いつもニコニコで……。でも今の雰囲気は草枯れたダウナーな女の子っていうか。煙草がアンバランスなのに妙に似合ってもいる。
 なんとなくしっくりきた。
 普段の彼女だったら「えっ、ケイト先輩煙草吸われるんですね……!?あ、すみませんお邪魔してしまって……」とかってフォローしてくれるはずだけど、今は座った目でオレのことなんか見えもしないように、無言でスパスパやっている。オレと似た感じなのかも。ダメな日みたいな。
 煙草吸う時カチッて鳴ったから監督生ちゃんもメンソ吸ってるんだな〜。へぇ〜。いや、どうでもいいんだけど。ちょっとだけ親近感。

 しばらく謎の時間が流れた。お互い煙を吐き出す音だけが聞こえてて、オレも監督生ちゃんも黙ってスマホをいじってる。画面を眺める目はお互い死んでいた。その時間が妙に居心地良かった。
 彼女は一本吸い終わったらすぐさま二本目に火をつけた。吸うペースはやっ。オレより早いかも。
 横目でたまに見ているのに気付いたのか、フと彼女が視線を上げた。
「──別に言わないので」
「ああ、うん」
 ヤニタイムでオレの何かが充電されたと思ったけど、全然そんなことはなかったらしく、オレの出した声は思ってたより冷めていた。愛想悪すぎ?怖がられる?一瞬思ったけど、もうフォローするのもだるいっていうか。
 吸い終わった彼女が立ち上がり、携帯灰皿をしまった。円形の立体型の灰皿だったのに、ボタン?を押すと一気に小さく縮まっていく。あれ割と高いやつだよね。欲しかったけど灰皿にそんな出すのもなぁって思って買わなかった。ガチ勢じゃん。

 監督生が小さな小瓶を取り出して、制服や髪、それから周辺にプシュップシュッと何かを散布すると、周辺に漂っていた煙草の匂いが一瞬で消えてなくなった。
 煙に慣れきった鼻がいきなり無臭になり、違和感を感じるくらいだ。え、すご。
「それなに?」
「香水です。ていうか消臭剤?」
「どこの?オレも欲しいんだけど」
「非売品ですよ。ルーク先輩に依頼して調合してもらったものなので」
 さっきまでの、なんとなくお互いにあった無言の時間を割いてしまったけれど、オレは意外なほどぬるっと話し掛けられた。なんだろ、これ。監督生ちゃんの顔にもいつもの微笑はないし、オレも無表情だろうけど、それが気まずくもなんともない。ダウナーな空気感、認めたくないけどオレに似合うみたいで、彼女にも良く似合う。
「あー、狩りで使う用かぁ」
「らしいです。モストロのラウンジ経由で特別にお願いしてます」
「ハハッ、ガチじゃん」
 感情の籠ってない笑い声。素を出しすぎてる自覚あるんだけど、取り繕う気はもうなかった。

 帰りそうな雰囲気の彼女に、煙草を挟んだ手を軽く上げる。軽く会釈して歩き出そうとした監督生ちゃんがふいに振り返った。
「寮で吸えないならオンボロ寮使っていいですよ。煙草部屋作ってるんで」
「え、いいの?」
「はい。それじゃ」
 淡白な顔で監督生ちゃんはそのまま去っていった。それはほんとに助かる。マジで。オンボロ寮かぁ……。
 今まで監督生ちゃんとは近くもなく遠くもなく、賑やかなオニーサンポジにいたけど、これからはなんとなくもっと仲良くなる。そんな気がした。吐き出した煙がくゆって、雲と重なって消えていった。


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