奔放

* WWワンドロ・ワンライのSS
・ネームレス

*

 ネイビーの瞳がわたしを見つめている。青から藍に変わって行くような初夏の夜みたいな瞳だった。ザビニには夏が似合う。甘くて汗ばむような色気を放っていて、わたしには彼がひどく眩しい。それでいて波のように誰にも掴めない。
 わたしは暗がりに目を向けた。
 ザビニは喉元でくつくつ笑いを殺した。羞恥心をなんとか隠して、平気な顔を取り繕ってることなんか彼にはお見通しだ。
「それで、今週末は時間を取ってくれる?」
 ペットでも愛でるような声でザビニが言った。

 前回彼に誘われたのを断って、わたしは友達とマダム・パディフット・ティーショップでひたすら甘ったるい紅茶を飲み、ひたすら甘ったるい惚気話を聞いていた。友達は怒った顔で、「ここに来るくらいならフィルチにキスした方がマシ」と言い放った自分のボーイフレンドの無神経さにくどくど愚痴って、周りのカップルを羨む溜息をつき、最後には「でも彼もそう悪い人ではないのよ?シャイなところはむしろ可愛いし、私のためにマリア・クロスの素敵なソックスをこっそりチェックしてるの!お店に行くのは恥ずかしいからって通販を頼んだみたいで……彼の友達が教えてくれたんだけど……」と言い始めた。
 わたしは慣れたように聞き流して相槌を打った。
 結局のところ友達はボーイフレンドと全く良好だ。羨ましすぎてうんざりする。

「そうね、今週は彼とデートって言ってたから」
 一人で回るのはいやだから、と分かりやすい建前を用意して首を縦に振ると、ザビニは目を細めた。
「嬉しいよ。また君に振られるかと思ったから」
「代わりがたくさんいるじゃない」
 彼の奔放な恋愛なんか、ホグワーツのすべての生徒が知っている。彼は自由だった。だれにも縛られないし、だれのものにもならない。母親に似た奔放な魅力はいつだってだれかを振り回す。
「君の代わりは誰もいない。君には俺の代わりがいるの?」
 傷付くな。ザビニは切なそうに囁いた。思ってもないくせに。彼はずるい。そんな中身を伴わない彼の言葉ひとつひとつに、心臓が軋む自分が嫌になる。

 ザビニの節ばった手のひらがわたしの頬を包んだ。親指の腹で優しく撫でられる。さらりと髪を掬い、耳にかけると色っぽい手つきで耳の縁をなぞった。
「三本の箒に行こう。個室を予約しておくよ。煩いのは嫌いだろ?」
「あら、気が利くのね」
「当然。君に楽しんでもらいたいからね」
 眉根が寄る。ザビニがまた吐息だけで笑った。
「それに俺も、君を独り占めしたい。今みたいに」
 唇を指が掠っていって、ザビニの自信に満ちた顔が近付いてきた。視線が絡む。唇が触れ合う直前に、わたしは指先を挟んだ。キスをお預けされたザビニの物言いたげな目がわたしを見下ろした。

 肩を竦めて鼻を鳴らす。
「ベイビー、簡単に許すと思ったら大間違いよ」唇の端にリップ音を響かせて、挑発的に微笑んでみせれば、ザビニが面白そうに眉を上げた。ネイビーの瞳に熱が走ったのを見て、わたしの心にも熱が灯る。
 わたしはそのまま立ち上がった。彼の視線を背中に感じたけれど、わたしは振り返らない。

 火照った頬を無視して歩くとわたしは少し泣きそうになってしまった。友達が羨ましい。自分のものになった女の子にも、愛を注いでくれるボーイフレンドが羨ましい。わたしだって、彼の唇の柔らかさを、なんの不安もなく受け入れられる恋をしたかった。

 ブレーズ・ザビニには夏が似合う。
 ひと夏の淡い思い出の恋のように、寄せては返す飛沫のように、熱の残る汗ばむ夜のように、彼は鮮烈な感情だけまぶたに焼き付けて消えてしまう。
 人魚姫のように、この恋が泡に溶けてしまえばいいのに。

 でも、ネイビーの瞳が、わたしを捉えて離してくれない。


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