ズバットに救われたとあるモブの話

ただのモブトレーナーの話です。


*

 重たい闇の中、とある森の一角で、ちろちろと舐めるような炎が揺らめいている。森に溶け込むような暗いカーキ色のテントを背後に、たきぎを囲む1人と1匹。
 分厚い毛布にくるまり、暖かいスープを両手で持ち、時折火花が爆ぜる音を聞きながら、ゴルバットを眺める。
 目に痛い紫と青の体表、鋭い瞳、尖った4本の大きな牙。夜の洞窟で見たら逃げ出したくなるような風貌のゴルバットは、男の相棒だった。
 男は首筋に拭い切れない土汚れをつけ、髪の毛には埃と土と葉っぱなどがついていて、ゴルバットも同様に薄汚れていた。

「ここまで長かったなあ、ゴルバット」
「ギュ」
 ゴルバットが短く鳴いた。魔物かなにかと思うほどには、低く、おどろおどろしい声だったが、男はこれが甘えている声だと知っていた。
「こっちに来いよ」
 暖かいお湯で手ぬぐいを濡らし、のそのそと近づいてきたゴルバットの艶やかで筋張った羽根をぬぐっていく。気持ちよさそうな顔をして、常に大きく空いている口を歪めた。これは笑っている顔だ。

 これまでいろいろなことがあった。
 ゴルバットに触れていると、過去のことが思い出されてしんみりした気持ちになった。それだけでなく、胸が詰まるような心地がする。ゴルバットがくつろいで羽根をたたむ。

 男は何も出来ず、何も持たず、何も良いところのない冴えない男であったが、唯一、ゴルバットだけを持っていた。
 ゴルバットだけが男のすべてだった。

*

*

「あれだけ走らされてたったこれだけかよ」
 小声で毒づきながらひいふうみい、と手の中のクシャクシャの札を数え、男が肩を落とす。ため息をついて抑えきれない苛立ちとやりきれなさにお札を握り潰すと、乱雑にポケットに突っ込んだ。荒れる男の後ろをパタパタと羽音を響かせて1匹のズバットがついていく。
 男は悪の組織だとかいう陳腐な集団の一員だった。一員と言っても、特に何の役割も仕事も成果もない、しがないしたっぱ団員である。

 この日は、ポケモンセンターで休むポケモンを強奪するための監視、いざというときの囮が男の仕事だった。
 男の所属するチームは人数が多いのだが手際も頭もお粗末で、成功率は高くない。本当に実力のあるチームは少数精鋭で迅速だが、男のチームは規模だけが肥大化し統率力も実力もなかった。その日もふつうに悪事はバレ、その場のトレーナーに負け、逃走にかかった。
 囮役の男は誰よりも先に逃げればいいのに、慌てふためきながら律儀に囮役をこなしてしまったので、誰よりも走り回ることになった。あと2、3人いれば逃亡劇はやりやすくなったし、実際何人かは囮役だったはずなのだが、男が舐められているためにいいように使われていた。

 正直旨味もやりがいも金払いも悪い仕事である。
 やりたくないし辞めたかったが、でも他にやりたいこともアテも無かった。

 ぶつくさ言う男の頭にズバットが止まる。男は羽根を軽く撫でてやる。ズバットがキュイキュイ鳴く。
「お前だけが癒しだよ……」

 ズバットは団に入ってから支給されたポケモンであり、男の初めての手持ちだった。そして、唯一の手持ちだった。
 そこらの洞窟で機械でいっせいに捕まえられしたっぱにてきとうに割り振られただけのポケモンで、世間的に人気とも言いがたかったが男はぜんぜんかまわなかった。

 トレーナーに憧れていた。
 テレビや雑誌で活躍するトレーナーに、ふつうの少年のように目を輝かせていた。
 しかしひとりで旅をする勇気も金も、生き物を養う甲斐性もなく、学もなく、気付けばこんなバカみたいなことをするようになっていた。

 でも、ズバットだけは、この仕事をしていてよかったと思えることだ。
 高い声も可愛いし、暗闇や森の中を先導してくれるのは頼もしい。なにより、人に恵まれて来なかった男にとって、自分を信頼し身を委ねてくれる他者がいてくれるというのはたまらなく嬉しく思う。

 無造作に渡されたモンスターボールが自分の身には余る宝物のように思えて、初めてズバットを出す時は手が震えた。
「キュイッ」
 甲高い声を発し、男の頭の周りを1周ふらふら飛んだ後、ズバットはまた一声鳴いた。
 それ以来、ズバットはひとりぼっちだった冴えない男の相棒になった。

*

 バトルする機会は多くなく、仕事のほとんどの終わり方は逃走だったので、男とズバットは逃げ足と小回りだけはきくようになった。
 昼間は長時間日に当たると衰弱したり、火傷してしまうズバットだったが、だんだんとタフになっていき、森の中で息を潜めるのが上手く、超音波で敵性存在をいち早く掴めるズバットのおかげで戦闘を上手く交わすことも出来ていた。

 ズバット自体が生物としては強い部類ではないが、しかし男のズバットは種の中ではかなりのポテンシャルを秘めていた。凡庸な男がそれに気付くことはなかったが。

 ある日、団員同士のいつもの戯れで軽くバトルをする流れになった。
「おまえ!そうだ、いつも端っこでジメジメしてるお前。ちょっとバトルの相手しろよ。しごいてやる」
「え…?あ、いやおれは…」
「ほら、ポケモン出せや!」
「は、はい」
 おたつく男を怒鳴りつけて、相手はスリープを繰り出した。細い目を細めて、相手と同じような顔でいやらしく笑っている。
 男は内心嫌な気分になって、ついズバットを繰り出した。ズバットもやる気だ。
「行くぜ!」
「はい……」
 ぶちのめしてやる。男はそう思った。


 しかし、結果は無残だった。
 何ターンもしないうちに決着はつき、ズバットは地に伏した。
「ズバット!!」
 悲鳴をあげて抱きしめた男の惨めな背中に呆れた声と周りからの嘲笑が降りかかった。
「相性不利とかの問題じゃねえぞ」
「トレーナーがトレーナーなら、ポケモンもポケモンだな」
「ぎゃはは!はたから見てたら一方的なリンチだったぜ」
「弱すぎて声もでねー」
 男は何も言えなかった。
 バトルは初めてであった。いざその場に立つと、相手と相手のポケモンに呑まれてしまい、指示を迷っているうちに相手の攻撃を受けてしまう。そして、傷付くズバットを見たらパニックになって、もう、何も出来なくなった。

 ドクタールームに駆け込むと、私闘を咎められ、男はますます口を閉ざす。
 透明なケースに入り、意識のないズバットを見ているとぐちゃぐちゃな感情に襲われ、目が熱くなった。
 情けなさと悔しさと恐ろしさでみっともなく「ふぐっ……ふぎゅう……」と泣き顔を晒していると、ズバットがかすかに顔を傾けた。
 目はないが、俺を見ているとわかる。
「ごめんなズバット……情けなくてごめんな……」
 ズバットは、傷がまだ治っていないだろうに、男を励まそうと羽根をパタパタさせ、それがますます男の心を締め付ける。
 才能がないことはわかっていた。
 しかし、こんなにも無力で足掻くことも出来ずに打ちのめされるとは。
 心底自分に失望した男は極力バトルは避けるようになった。

*

*

 月が高く、遠くの方でヨルノズクの鳴く声が深く響く。草葉の陰からコロトックたちの心地よいころころとした演奏が、夜の森をさざめかせる。

 手に持ったスープを大きな口でゴルバットが少しだけ舐めるようにして味わう。吸血種ではあるが、長く付き合うにつれ、男の食べるものも好奇心を示すようになっていた。
 ズバットやゴルバットの主食は血や小さな昆虫であるから、固形物などはあまり食べられないし、消化器官も発達していないが、液体や流動食などはゴルバットは好んで欲しがった。

 静かで、穏やかな時間が流れる。

 ゴルバットの背中をぬぐっていると、見事な羽根の付け根に、古い傷痕があるのが目に入り、かすかに胸の痛みが走る。
 炎に照らされ、黒々とした青の翼。もう傷は薄くなっているが、痕は治らないと言われていた。その傷痕を優しく撫でる。
 ゴルバットが体を揺らした。気にするな、と言われている。優しい奴だった。自慢のポケモンだ。
 男は何も持たないからこそ、ゴルバットに愛情だけは必死で与えてきた。
 ゴルバットも男の愛情と信頼によく応え、孤独に寄り添ってきた。

 この傷はズバットが進化する際に出来たものだった。献身的で健気なこの子の、あの時の奮闘を思い出す。

*

*

「待ちなさい!」
 ジュンサーが男を追いかけ回している。街の倉庫で起こった爆発騒ぎ、近頃巷で噂になっているとある悪の組織の仕業。その一端を捉えたジュンサーは執拗にチョロチョロと逃げ回る悪党を、これまた執拗に追走していた。

 男はがむしゃらに走った。囮役として随分と板につき、もう自分1人ならばなんの苦もなく逃げ隠れするのが上手くなっていたのに、このジュンサーは男をずっと視界に捉え続けている。
 恐ろしかった。
 自分が悪の組織の一員であることは事実だ。
 警察にお縄になったら、本当に未来はない……。
 
 男の心はもうとっくに諦めに折れていたが、恐怖ゆえに突き動かされていた。
 路地裏は狭く、石やゴミ箱などが散らばっていて、治安が悪い。木製の廃屋の木材などが飛び出している格好の逃走ツールだった。

 バイクに乗っていたジュンサーは一瞬男を見失い、通り過ぎる。
 安堵し、壁にもたれ混んだ。
 疲労困憊で息が苦しく、ズバットもよろよろしていた。

 この路地を通り抜ければちいさな森に繋がっている。ここまで来れば大丈夫だろう。
 男は息を整え耳をよく澄ました。ズバットも音響や超音波を感じ取って周囲を警戒する。男は特には気付かなかった。ズバットも、周囲で息を潜めている路地裏の住人やポケモンのせいで、異常は感じとれなかった。
「そろそろ行くか」
「キュゥ」
 ゆっくりと歩みを進める。時折、背後でカタッと音がする度飛び上がりながら、男は逃げた。ここまで怯えながら逃げるのは久しぶりだった。
 囮として長くなっていたから、地方のジュンサーの癖も見抜いていたし、道も詳しく、捕まるくらいまで近付かれることはなかった。実に久方振りに心臓が口からまろびでそうだった。慣れによってある程度自負が生まれていたけれども、生来臆病で自信が無い。

 路地を複雑に通り抜ければもう森に入る。
 背後に大きな獣の気配はない。バイクに乗るジュンサーに並行してウェンディが駆けているのを目にしていた。
 ウェンディや人間くらい大きな生き物が追いかけてきていたら、ズバットはすぐにわかる。

 この道を次に曲がったら森だ。
 気を弛めた男の視界が、ふとガン!と揺れ、背中に強い衝撃が走った。
「あ、え……?」
 ズバットがぎゃあぎゃあ慌てふためく声が遠くに聞こえて、自分が攻撃を受けて壁にぶつかったのたと気づく。頭が痛み、目の前が少しクラクラする。

 振り返ると緑色のポケモンが鋭く男とズバットを睨んでいた。ジャローダ。蛇ポケモンだ。早くてタフで、音もなく獲物を狩る達人。ズバットが気づかないわけだ。
「シュルルルッ!」
 ジャローダが大きな鳴き声のようなものをあげた。ジュンサーを呼ぶためだろう。冷や汗がどっと流れてきて、まずい、まずい、まずいと焦りばかりが募る。御三家最終進化系にズバットがかなうわけない。男も逃げ切れる気がしない。
 森に入ればなんとか……。
 男はアジトへの飛行手段を森に隠していた。

 クソっ。
 舌打ちが漏れる。クソ、クソ、ジュンサーがジャローダを持っているなんて知らない!ずっと使っていなかったのに。

 ズバットがバタバタッと翼をはためかせた。キーキー言いながら男を見る。そしてズバットはジャローダに飛びかかった。無茶だ。男は心臓が掴まれた。
 ズバットの攻撃はペチンと音がしそうな弱々しいものだったが、ジャローダは少し後ずさった。たぶん、おどろかすだ。男は学も経験も知識も、ポケモン図感も持っていなかったので、手持ちの技構成すら満足に把握出来ていないのだ。
 ズバットはジャローダが怯んだすきに、あやしいひかりを繰り出した。うまく当たり、ジャローダはキョロキョロフラフラしている。
 ズバットがキーキー言いながら男を見た。
 逃げろと言っているみたいだ。そう言われた気がした。男はポケモンの言葉なんて分からないのに。

 男は足が動かなかった。
 ジャローダが混乱しながらもほのかに尾を光らせ、鋭い刃のような一撃を叩きつけた。リーフブレードだ。
 ゾッとして体の震えが止まらない。のたうつようにズバットの元に駆け寄る。ジャローダへの恐怖は無かった。ただズバットを失う恐怖が勝っていた。
 尾がズバットの付け根に深く貫通し、地面に縫い抜けられている。血が流れていた。
 死んでしまう!死んでしまう!
 男はジャローダに突進した。汚く喚きながら組み付いてもジャローダは冷めた目で見下ろすだけで男に攻撃はしない。
 ジャローダがまた大きく「シュルルルッ!」と合図する。

 ズバットはそれを見ていた。
 瀕死のズバットはそれを見ていた。
 動けない体を必死に動かそうとし、羽根を、パタ、パタ、と動かす。徐々に早くなっていく。パタパタ、パタパタ、羽根の動きが増すと共に、ズバットがわずかに発色する。
 男は異変に気付き声を漏らした。

「ズバット……?」

 強い光が飛び散った!
 ズバットの小さな体はみるみるずんぐりと巨大になり、大きな口を開けていた。進化したのだ。
 ゴルバットは「ギャギャ」と恐ろしい鳴き声を上げながらジャローダを振り払うと飛び上がり、ゆうに三倍以上になった翼をはためかせた。男は腰を抜かしそうになりながらよろよろ後ずさる。
 翼の付け根に傷を受けたせいでゴルバットは上手く飛べず傾いていた。それでも必死に翼を動かし、風の刃を空中からジャローダに当てて見せた。
 ジャローダは弱々しい声を上げ、倒れる。
 効果抜群だ。
 僅かな間ジャローダは悶えた。
 ゴルバットが男を見る。
「グギュウウ!」
「あ、ありがとう、ゴルバット、」
「ギュ」
「ごめんな、ごめんな」
 男はなんとか走り出した。あんなに傷を受けて、進化までして男を助けようとしてくれている。涙と鼻水と涎でグチャグチャになりながら走った。
 既に立て直したジャローダの険しい鳴き声とゴルバットの飛行音が追ってくる。ゴルバットが必死に行く手を阻んでいる。
 後ろは振り返らなかった。振り返れなかった。

 森をかけ分けて飛行端末を操り、迷彩機能をONにし、空へと脱出する。そこでやっと男は振り返った。路地裏の奥にジュンサーとガーディが迫っているのが見え、心臓が冷える。
 危なかった。

 ゴルバットは……。
 ジャローダの傍にはいない。どこだ。
 男はグチャグチャの顔を腕で拭いながら必死に目を動かした。迎えに行きたいがそれは出来ない。どこだ、ゴルバット……。

 30分ほど男は空中と森の奥を飛行端末で飛び回った。
 ジュンサーは森の入口あたりと路地を探し回ったが、やがて逃走したと判断したのか、悔しげに去っていった。
 あのジュンサーは恐らく只者ではない。
 他の街から送られてきた精鋭なのだろう。男の所属する組織は犯罪の規模を徐々に大きくし、知名度が上がり始めていた。
 ジュンサーが去るのを見届けたあと、男は血眼で探し続け、とうとう森の中で力尽きて倒れるゴルバットを見つけた。

「ゴルバット!」
 血を流し、全身に深い傷を負っているゴルバットに、男は引き裂かれるような痛みと、同時に全身を駆け巡る愛しさが溢れた。

 男はだれかに大事にされたことがない。尊重されたことがない。絆を持たず、愛されたことがない。

 しかし、ゴルバットは、ゴルバットは…………。
 こんなにも優しい感情を男は知らない。
 男にとってゴルバットがすべてであるように、ゴルバットにとっても男がすべてであった。

*

 数年が経っていた。
 ゴルバットの羽根の付け根にはジャローダにつけられた傷痕が残った。男は逃走能力と撹乱能力が買われ、計画的に囮として運用されることが増え始め、少しずつ評価を上げていた。以前の、見放されて置いていかれていいように使われていた囮とは違う。
 昔に比べれば所得も周囲からの態度も比べようがないほどマシになった。しかし、男の気は晴れない。昔はそれを心から望んでいたのに。

 男は暇さえあれば街や森を隅々まで歩き回る習慣があった。
 生き残るためだ。安全に仕事をこなすため。
 男には趣味もなく、友人もなく、酒も煙草もやらないために時間も金も持て余していた。以前はカツカツだった生活にも少しだけ余裕ができ始めた。

 男はジュンサーに遭遇してから拠点を変え、街を移動していた。
 森は知ったと思っても、いくらでも形を変える。街の中の人の流れは掴める。冴えない男は潜むことには長けていた。

 その日の森はすこし騒がしかった。ゴルバットが戸惑うようにフラフラ飛び、警戒を強める。様子の変わっている森に入りたくはなかったが、仕事がある時に異変を把握出来なかったら痛い。仕方なく森に潜っていく。
 森の中にはゴルバットのお気に入りの洞窟がある。どこかに繋がっている訳では無い、小さなものだ。野生のズバットも多く生息していて、ゴルバットはそこの親分のようになっていた。

 森を歩いていると、小さく人間の声が聞こえた気がした。近くに急な傾斜がある。覗き込むと、人間が座り込んでいるのを見つけた。
 おそらくこの人間のせいでポケモンが騒がしかったのだ。
 野生のポケモンたちは変化に敏感だ。男が森に馴染むまでも随分かかった。何度も森に通い、今では警戒に騒ぐポケモンはいなくなった。
 認められたわけではない。
 ただ慣れさせたのだ。

 蹲る人間を助けるかどうか男は迷った。
 今は私服だから悪の組織の一員と思われないだろうけれど、男はあまり他人と関わらないように生きてきた。
 迷って、迷って、仕方なく声をかける。
「だ、大丈夫ですか?」
「!だ、だれかいますか?すみません足が折れてるみたいで……ってて、動けなくて……」
「わ、わかりました。ゴルバット、洞窟からロープと救急セットを持ってきてくれないか?」
「ギュルル」
 ゴルバットは大きく一周すると風の速さで木々を泳いで飛び去っていく。青年がそれをパカンと間抜けな顔で見送った。
「あの、」
「今のっ!あなたのポケモンですか!?」
「え、は、はい……」
「すごい!飛ぶのがなんて早いんだ!」
 青年は早口できらきら言った。青年は「ひこうゆうびん」に務める郵便屋だと名乗った。

「僕の相棒はあんまり森を抜けるのが上手くないんです……今回も途中でポケモンに追いかけられて、逃げてるうちにこのザマで」
「あなたのポケモンは今どこに?」
「急ぎの届け物があったので行ってもらいました」
「あなたを置いて!?」
「待ち人がいる限り絶対に想いを届ける!それが我々早い!安い!確実!ひこうゆうびんですっ」
 郵便屋は誇らしげであった。
 男は仕事に誇りを持ったことがなかったので、眩しく、そして僅かに鬱屈に思った。

 手当をして、連絡手段を失ったという郵便屋のために救急車を呼んでやったあと、男は去ろうとしたが郵便屋は顔中をキラキラさせて男の手をぎゅぎゅっと握った。
「このお礼は必ず!!」
「ほ、本当に大丈夫ですから……」
「そんな訳には行きませんよ!連絡先を教えていただいてもいいですか!?」
 若い活気に満ち溢れた郵便屋の前に男は成すすべがなかった。引き気味に仕方なく電話番号を教える。こういう明るい人間は苦手だ。

「助けていただいて図々しいんですが、お仕事とかは何されてるんですか?」
「は?な、何故…?」
「いやね、あなたのゴルバットが本当に素晴らしいもので!ぜひひこうゆうびんにスカウト出来たら嬉しいなと思って!」
「え……?」
 男はゴルバットを見た。ゴルバットはコテコテンと体を傾けた。よくわかっていない顔だ。
 郵便屋はベラベラゴルバットを褒めたたえていて、その声が遠くに聞こえる。
「これ程昼間でも早く、スムーズに飛べるゴルバットはなかなかいませんよ!鳥ポケにだって負けない早さです!よく鍛えられているんでしょうね!」
「あ、あの。言われてることがよく……。こ、こいつは才能あるすげえ奴ってことなのか?」
「それはもう!すぐにでも即戦力になりますよ!」
 混乱はしていたが、同時に胸の中がジインとした。男はなんの才能もない冴えない人間だったが、ゴルバットは違かったのだ。そして、男が見抜けなかった才能や凄さを、郵便屋なら活かせる。
 悪の組織で囮として逃げ回るんじゃなく、誰かの役に立つ仕事が出来る。
「よかったな……良かったなあ、ゴルバット……」
「グ、ギュル……?」

 ゴルバットのすべすべした体毛を撫でてやると、何かを察して戸惑いの声をあげた。
 男は郵便屋に向き直る。
「ゴルバットを郵便屋にしてもらえませんか」
「!はい!ぜひうちで!!」
「よろしくお願いします、俺はこいつに何もしてられなかったけど、ゴルバットは真っ当に幸せになってほしくて……。ゴルバット、頑張れよ」
 男はボールを郵便屋の手に押し付けた。
「ギャウ!!グギュルルル」
 巨大な鳴き声を上げ、翼で男にしがみつくゴルバット。男は泣きそうになった。

 呆けていた郵便屋が我に返って、慌てて男にボールを戻してやった。
「ちょ!ちょ待ってください!誤解されてますよ!トレーナーあってのポケモンでしょ!何捨てようとしてんですか!」
「しかしゴルバットは……」
「うちの郵便局は人間とポケモンどっちも雇ってんです!きちんと訓練して飛べるようになるまで時間がかかりますし、普通バディで組んでるんですよ。いやあ俺の言葉足らずも悪かったっすね、だからもう一度言います。あなたと、あなたのゴルバットをぜひひこうゆうびんにスカウトしたい!」
「俺も……?」
「はい!」

 男は今度こそ泣いた。
 夢みたいだと思った。
「やってみよう、ゴルバット」
「ギュルル」
 ゴルバットは男の頬へ体を擦り付けた。
「きっと戻ってくるよ。待っててくれるか?」
 男はそっと撫ぜた。ゴルバットは声もなくさらにぎゅうぎゅうとくっついてきた。

 男はようやく、まともな人生を歩む岐路に立てたのだ。


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