所詮同じ穴の狢

「今日からマネージャーになった名字だ。まあこいつは働かねえから置物だと思っとけ」
「は?」
 花宮真が監督として部内を掌握して数ヶ月たった、一年の春休みのこと。突然彼は女子生徒を連れてきた。
「名字名前です。バスケのことはぜんぜん分からないですがよろしくお願いいたします」
 部活だと言うのに名字とかいう女は制服だった。制服の裾をちょこんと持って膝をちょこんと折り曲げて、お嬢様の挨拶をしてふわふわ笑った。顔だけはべらぼうに良かった。たぶん部内でいちばんの美形の花宮より良い。花宮は眉の形が古風だから。いや、それも美人のアクセントなんだけど。
 とりあえず思春期の男子部員はぽけーっと見蕩れていた。マネージャーの女はそれを受け止めてニコニコしていた。
 そんな感じで霧崎第一高校バスケットボール部に、お飾りのマネージャーが出来た。


「え何? 分かんない分かんない」
「花宮が連れてくるんだから何か使えるんだろーけど、え何女マネ? つかメッチャ可愛くね?」
「ゲロマブっしょ。つかアレじゃん名字名前って、エ? うちの学年のマドンナじゃん」
「いや、ほんとにそれ。逆にいいのか? 逆にいいんですか?みたいな。こんな、え? どういう関係?」
 外周しながら部員たちは大混乱だった。花宮真はいつもトレーニングルームのランニングマシーンを使うので、今はいない。いつもはダラダラ走る部員が今日は興奮と混乱でくっちゃべりながらタッタカタッタカ走った。
 瀬戸健太郎でさえ走った。
 頭を巡らせる速さと同じようにタッタカ足を動かした。
「なんか聞いてる?」
「何も。俺もすげえ混乱してる」
「誰も知らねーのかよ」
「えすげえこと言っていいか? 今まで誰にも言えなかったけど抱え切れなかったこと言っていい?」
 声を上げたのは松本だった。松本樹。坊主頭のナイスガイ。原はギャーーッと叫んで松本の襟を掴んだ。
「溜めてんじゃねえよ焦らしてんじゃねーよ! 坊主頭! オイ!」
「ってえなぶち転がすぞオラ!」
 ドスを聞かせて強引に原の肩をどついたが、しかしふたりの間に険悪な空気はない。じゃれ合いとも呼べない日常の一部だ。しかし今は五人の間に興奮が渦巻いている。

「花宮と名字っておんなじ匂いしね?」

 男たちは一瞬静まって、爆発したようなダミ声を上げた。
「ウ"ワ"ア"アーーーーッ!!」
「ちくしょうがッ!!」
「じゃあ何だ? 彼女? あの花宮に彼女がいてしかもそれを自分の部活のマネージャーに?」
「え無理無理無理それ何誰!?」
「想像できないし有り得ないでしょ。……有り得ないよね? 松本はなんでそんな結論に至ったの」

 松本は冷静じゃなくてもあの花宮にマトモな彼女がいるとは思えなかったが、自分では抱えきれなくてずっと言いたくてたまらなかったのですぐゲロった。ゲロまみれにした。比喩である。
「や俺3ヶ月前くらいちょっと図書委員の子と付き合ったじゃん」
「あね?」
「どっちも何かトチ狂って青春ごっこしてたな」
「好きな気になっちゃったんだよね」
「松本にあのタイプの彼女出来るなんてな、クソー、まじ羨ましかったわ」
「まあもう一生分の縁使っちゃったじゃん?」
「だね。あとはお似合いのレスリング部の彼女とか見つけなよ」
「動物園とかでもいいんじゃないか」
「うるっせえよ今でも甘酢っぺえ思い出なんだよ黙ってろ死ね。それで昼休みとか中休みとか部活前とかコッソリ俺たち図書室に通ってたわけ。割と広いし個室もあるからよ」
「やべ似合わねお前」
「すげえツッコミないけど、うん、それで?」
「……。したらよちょくちょくあのふたりのこと見かけんだよ。しかもひっそり顔近づけて笑いあったりしてんだよ! 別に恋人みてえな甘ったるい雰囲気じゃなかったけどよ、花宮もなんつうか、猫被りだけどあのゾワゾワするわざとらしいやつじゃねえっつうか? なんてーの? うん、純粋に仲がいい、みてえな……」
 話してるうちに記憶を美化してる感じがして松本はちょっと黙った。四人も怪訝な顔をしている。そんな綺麗な花宮見たことがない。
「そんな綺麗な花宮存在しないだろう」
 ズバッと言った。古橋は内面を包み隠すということを知らない。
「や分かってるって! ここからだって!」
 原はちょっと飽き始めていた。
 熱弁を奮う松本から空とか雲とか自分の爪に視線をふらふらさせながら話を聞く。

「花宮って香水とかつけねえだろ? 柔軟剤とかシャンプーとか制汗剤も無臭じゃん」
「確かに」
「分かった。たまに花宮いい匂いするよね。しかもいつも同じ匂い」
「だろッ!?」
「セフレか愛人のだと思ってたけど確かに今思うと同じだね……え、うわ、マジで?」
 何かを納得した瀬戸が口元に手を添え思わずオカマみたいなポーズになるくらいには驚いたらしい。
「もー早く話せって! 気になりすぎてこっちはウンコ漏れそうなんだよ!」
「ダハッ! ダハハハハそれっ! ザキ、てめえ、ゴホッ、ギャハハハハ!!」
 原のマインドは小学生なので崩れ落ちて転げ周り、彼は砂だらけになった。霧崎はお坊ちゃん校なので小学生の下ネタみたいなギャグは山崎くらいしか言わない。古橋もぶるぶる唇を震わせていた。瀬戸はドン引いて、松本は目から涙を流していた。
「突然やめろよぶち込んで来るの!」
「や待っ……ハ、ハハッ、お前らが笑うから俺までウケてきただろクソ……そんな面白いかよこれ」
 ひとり冷静だった瀬戸も陥落。箸が転がるのも楽しいお年頃なのだ。
「くっだらなすぎんだろマジで、はー、一生分笑った。あれ何の話?俺ら」
「松本が忘れんなよ! てめえの彼女の話だべや」
「だっけ、バッカでー」
「いや違うだろう。花宮の彼女の話だ」
「それも違う。新マネの話」
「それじゃん! 揃って頭ババロアかよ」

 松本はヒイヒイなんとか息を整えた。その頃にはもうランニングは亀の行進より遅くなっていて、スタメンのそばに後輩や二軍がひっついて耳を立てていた。
「いやだからよ、花宮いい匂いすんなって思ってたら名字と同じ匂いだったんだよ。名字も図書委員だろ? 本とか借りる時たまにふわっといい匂いしてさ……白い指が触れ合ったりしてさ……たまんねーよな」
「キッモ!!」
「気持ちは分かる。だが有罪だ」
「同じクラスだけど近くに寄ったことはなかったな。今度確認してみる」
「花宮に直接聞いた方早くね?」

 全員が一斉に山崎を見た。突如訪れた無言にしどろもどろになって言葉を重ねる。
「な、なんだよ。お前らも気になるだろ」
「ザキバカ? そんなことしたら死ぬじゃん。お前死ぬ? 言い出しっぺだし」
「あ」
 己の愚かさを今ばかりは真摯に受け止め、重々しく首を振った。謎は謎を呼びなんの解決もしなかったが、ランニングをサボっていたことで部員たちはコッテリと絞られ、罰ばかりが残った。
 新しいマネージャーは「きびしくない?」「普通だろこんなモン」と呑気に花宮と会話してころころころころ鈴の音を響かせていた。謎は解けなかったが、花宮の素を知る人物ではあるらしい。
 美女はヴェールに包まれている。


*


 マネージャーが来て一ヶ月。
 彼女は本当に何もしなかった。目を疑うくらい、ジッサイ目が取れるくらい擦っても彼女は本当に何もしなかった。
 応援すらしなかった。時折気まぐれに練習を眺めて可愛く愛想を振りまくことはあるが、ルールも覚えていないらしく、直ぐに飽きて部室に戻っていた。
 彼女は毎日来るわけじゃなくて、週に何回か気分で寄っては、部室でダラダラして花宮と帰っていく。
 そんな有様でも部員たちから不満を向けられることはほぼない。なんてってたって可愛いからだ。独裁君主の花宮が許しているのもあるし、彼女はお嬢様の言動に漏れず金銭感覚もガバガバでよく差し入れもくれた。そしていい匂いがする上にスッゴク可愛い。大きなくりくりの瞳で見つめられたらじわじわ心臓がキュウと縮んで、汗が吹き出して、口から涎が垂れそうなくらいには可愛い。

 スタメンの二年は何回か彼女と話した。
 名前は常に品よくうふふと微笑みを浮かべ、たまに「ごきげんよう」と挨拶して、あわてて「ちがうの、こんにちは」と言い直すくらい純粋培養のお嬢様だった。
 成績は良いみたいだが、瀬戸ほどの知能はないらしく、ただの本当に愛らしいだけの少女だった。
 ゲスどもはそんな人間にはそうそうに興味を失っていった。
 それでも男というのはいい女の前ではドレイのようになるものなので、話している時は鼻の下が三十階建てのビルくらいには伸びていたが、彼女の内面に興味のあるやつはいなかった。アイドル。それだけ。
 花宮がバスケ部に呼んだわけも、素を見せるわけも、彼女の見た目以外の利点も誰もわからなかった。

 いつだったか耐えられなくて原が突撃したことがある。
「てか名前チャンて花宮の何なの? 世界一可愛い以外に取り柄ある?」
「世界一可愛かったら良くね?」
 しらっと花宮が言った。スタメン全員が花宮を二度見し、瀬戸は前のめりになった。世間一般の概念が花宮に通じるとは誰も思っていなかったのだ。
「あ、ああ、そだね?」
 戸惑って脳内の疑問詞が宇宙に飛び出していったがなんとか気を取り直す。
「やマア可愛くてちょっと抜けてて従順そうで……あー意外と花宮のタイプなワケ?」
「天然っぽいよな。いつも首コテンてすんのマッジやばくね?」
「ああ、首が折れているのかと思う」
「ちげえwwwwwwwwwwwwwww」
「その見方はないわwwwwwwwww」
 古橋は真顔で本気だった。彼の中の"可愛い"仕草には当てはまらなかったようである。ダハダハ木霊する笑い声の中瀬戸が軌道修正する。
「顔はダントツだけど頭はね。でも花宮ああいう天然イイコちゃんそうなの嫌いそうだけど。あと、もっと強気な女が好きだよね」
「ああ、瀬戸もまだ気付いてねえんだ」
 ちょっと意外そうに呟いて、花宮が面白そうに笑った。珍しく裏がなさそうだ。本当におかしく思っているらしい。

「てめえらあいつが俺の女だとかいうキッショイ勘違いしてんだろ? ふはっ、あんな可愛げねえ女お断りだね」
「可愛げ無いか?」
「花宮が言うんだから、無いんだろうね」
「なるほど、花宮レベルの猫被りというわけか」
「ヤダヤダ夢見さしてよーっ。花宮の彼女じゃないならワンチャン狙いたかったのに」
「テメエじゃ釣り合わねーだろッ。つかお前のタイプでもなくねえ?」
「ザキよりはマシ。やーあの顔はタイプとか全越えしてくっしょ」
「まあな……」
「あと、邪気のないお嬢様美少女ってつまみたくなんね?」
「クズッ! 死ね、テメエ」
「女の敵」
「ヒュウ、さすが人類が誇るゴミ」
「瀬戸もヒモ加減では変わんねーだろっ」

 罵倒と野次が飛び、やがてまたダラダラ雑談に戻り、名前の話題は流れて行った。花宮以外の誰もまだ彼女と仲良くなかったし、仲間とも思っていなかった。いつかつまみたい高嶺の花、下世話なネタ、その程度でしか無かった。


*


 瀬戸健太郎は今人生最大のピンチに陥っていた。
 昨晩から一睡も出来ていない。脳をフル回転させたり現実逃避したりインターネットの海を泳いだりしているが今回ばかりはどうにもこうにもにっちもさっちも行かない気がした。
 瀬戸健太郎の厳選した愛人の一人が、ヤクザの女だったのである。

 女に睦言を囁き、押し倒し、柔らかい胸を楽しんでいる時、突然男が入ってきて瀬戸は逃げる間もなくポカンとした。男は数秒黙り、女と瀬戸を見つめ、弾け飛ぶように逆上した。
 幸い瀬戸は制服でなかったし、服もまだ脱いでいなかったし、女に自分の素性も教えていなかった。
 男は瀬戸よりひと回りちいさく、数発殴られても殴り返せるくらいには余裕があった。そして殴り返して不味いなと思った。
 瀬戸は相手がふらついた隙に全力で逃走にかかり無事逃げおおせ。ドアを蹴飛ばして出ていくと目つきの悪い男が立っていて、そいつも跳ね飛ばして全力で走った。怒声は追いかけて来ていたが現役運動部の能力には適わずすぐ撒くことが出来た。
 しかし、殴った時の相手の固い腹筋やら、顔の細かな傷やら、ボコボコの拳やら、ドスの利かせ慣れた怒声やら、十分も経たずに始まった迅速で連携の取れた捕獲劇やら。
 手を出したら不味いところに手を出したということに、聡明な瀬戸は気付いてしまったのである。

 ヤクザと聞いて何を思い浮かべるだろうか。ヤクザ者たちの何が怖いのだと思う?
 柄の悪さ? 狂気? 犯罪者? 殺人?
 違う。ヤクザの恐ろしさとは組織力である。ヤクザは面子を気にする生き物だ。面子を潰されたら落とし前付けるまで止まらない。彼らはイカれた振りをしてる弱虫も多い。下っ端なら瀬戸でも倒せるし、拷問もたぶんできるだろうし、殺せる。でも、一人倒せても次は五人、十人、やがて上司が出てきてそのまた上司が出てきて、とにかく潰しても潰してもゴキブリのように湧いてくるのである。
 さらに今のヤクザはインテリに移行している。
 面子を気にするのは、ヤクザも政治家も官僚も警察も変わらない。奴らは横に顔が広く、様々なところも癒着仕切っているのである。

 授業中もイライラしながら考えて、寝落ちて、フッと冷や汗をかいて目覚めた。安眠が出来ない。
 あの女、クソ、相手がいるなんて知らなかった。
 瀬戸のできる範囲で女の背後を調べてはいたけど、まさかヤクザに飼われてたなんて。もう半年以上会ってる金払いの良い女だったが、今は疫病神にしか思えない。

 瀬戸は自分を大学生ということにしていたし、連絡先も捨てアドだったが、いちいち知らない女に偽名を使って知らない人間の振りをして遊ぶのも面倒で本名を使っていた。
 遊んでた女も深い関係になるのが嫌で、大体の女の素性を大まかにしか洗っていない。ある程度距離感を保つのが最も心地よい距離感だったし、瀬戸は彼女たちの心を掴んでしっかり管理出来ていると思っていた。イヤ、実際出来ていた。ある程度は。
 ここから足がつくかどうかは分からない。
 分からないけどたぶんつくだろう。
 そして相手のヤクザの情報を掴んでいない瀬戸は後手に回るしかない。というかヤクザの周りを嗅ぎ回るなんてそれとも自殺志願者としか思えない。瀬戸の家は品行方正な医者や学者ばかり出す、そこそこ良いお家柄の、しかし一般の域を出ない表の家でしかない。
 自分の手に負える範囲を超えていた。
「クソッ」
 自分の情けなさに目眩がしそうだった。
 屈辱と羞恥と敗北感に塗れながら、瀬戸は花宮に泣きつくことしか思い浮かばなかったが、いくら花宮でもこれを打開できる手段があるかは怪しい。冷静に考えたら無謀だ。
 それに部活にプライベートのトラブル、しかもどデカい爆弾を持ち込んだら殺されるだろうし、呆れられるし、失望される。それが最も嫌だ。やつが無償で助けてくれることは有り得ないが、言わないでおくのも有り得ない。
 瀬戸健太郎が特定されるということは、霧崎も無関係でいられなくなるかもしれない。
 冷や汗が出て、だけれど何故か、花宮がどうにかしてくれるかもしれないという根拠の無い思いは消えない。花宮真はそういうカリスマ性を持っていた。甘い毒で夢を見せるカリスマ性が。


「ざけんなッテメエッ!!」
 聞いたことも無いような声で花宮に怒鳴られ、バツンと右頬を張られた。耳の奥がギインと引きつって目の奥がチカチカする。よろめいたところを、髪の毛を掴まれて地面に叩きつけられる。
「ヤクザの女に手出しただア!? テメエの落とし前もテメエでつけられねェならママのおっぱいでもしゃぶってろ、ボケがっ!」
 爪先が勢いよく腹に入り瀬戸は吐瀉物を撒き散らした。花宮は全ギレしていた。ここまで怒っている花宮を見るのは初めてで、スタメンの誰も声が出せない。

 部活も上の空で、終わると同時に瀬戸にしてはかなり殊勝な態度で話しかけてきた時から嫌な予感はしていたのだ。
 こいつが手に負えなくなった問題というのは本当にヤバいだろうということは想像にかたくない。
 部室に鍵をかけて二軍以下を全部追い出していつものメンバーだけを残し、瀬戸がつらつら話した内容は頭が痛すぎてぶち殺したくなるようなものだった。
 最初はヘラヘラしていた原も山崎も松本も、花宮のキレようを見てからは口を噤んでいる。ヤクザの恐ろしさを花宮は正しく理解していた。

「あー、そんなキレた花宮初めて見たわ〜……」
「キレんに決まってんだろ、クソがよ!」
 花宮は髪をかきあげながらドッカリ腰を下ろして、荒々しく足を組んだ。どうやら落ち着いてきたらしい。
「いや、今回は本当ごめん。巻き込みたくないから報告した方がいいと思って」
 ヨロヨロと、しかし案外しっかりした足取りで瀬戸は立ち上がる。山崎が慌ててタオルを持って近付いて、松本がバタバタと新聞紙を敷いている。
「珍しいな、瀬戸がやらかすなんて」
「管理出来てたと思ってたんだけどね……」
 言葉尻が弱々しい。かなり堪えているようだ。
「テメエ前から思ってたが危機管理が甘過ぎンだよ。爪があめえ。マいいわ。ヤクザは俺もさすがに手が回んねえけど」
「花宮でもムリなの?えじゃあ瀬戸はコンクリ詰め?」
「悪かったらな」
「そっか。楽しかったよ、お前といるの」
「諦めないでくれる? いや、本気で無理なら俺も諦めるけどさ……」
「マアいちばん穏健なのはお前がボコられることだわ」
「逃げちまえば? 数人ならボコせんだろ? お前ケンカつえーじゃん」
「馬鹿言うなよ。逃げられるわけないし、逃げたらお前らも巻き込まれるかもよ。いちばんは俺の家族だけど。これはどうでもいいか」
「あそれは無理だワ。わりい」
「だよね。俺もそう言う」
「ガンバレ」
「応援してンぜ」
 あまりにも軽すぎる応援であった。松本も山崎もチームメイトで男で可愛くもない190cmオーバーの吐瀉物を率先して片してくれる気の良い奴ではあったが、霧崎のメンバーであった。

「やジッサイどーすんの? ガチでお別れ会開催しとく?」
「バカ言ってんな。テメエらのケツぐれえ拭いてやる。でももう二度とヤクザ絡みの案件は持ってくんな。コエーんだから」
「花宮でも?」
「ったりめえだろ! 奴らにとっちゃ命なんてそこらへんの紙よりペラッペラだぜ」
 瀬戸は胸がジインとした。珍しく。情に揺り動かされることなどほぼないのに。でもどうするのかな。花宮の持つ人脈は、彼の母方の実家の旧家への繋がり、彼自身の頭脳で勝ち取った国内外の学者・研究機関等の繋がり・霧崎のOBの繋がりであるが、そのどれもがヤクザのように面子を気にし、恩を売りつけ過剰な対価をせしめる連中である。それに花宮はまだ警察や司法関係、裏社会関係には顔が効かないはずだ。
 花宮はおもむろに後ろを振り返った。
 彼の視線の先には、アイスをぺろぺろ舐めながらiPhoneを弄ぶ名前の姿があった。

「名前、話聞いてただろ。情報集められそうか?」
 部室の全員がキョトンとした。
 名前も顔を上げてキョトンと瞳をまあるくした。そして、クスッと笑みを零した。小さい子がとんちんかんなことを言ったような、愛らしいものへ向ける、思わず零れてしまったわというような笑みだった。

「ンだよ」
「ふふっ、何でもない。それで昨夜の瀬戸くんの件ね。もう界隈じゃ有名だよ〜。相手は××会の若頭のひとりで最近暴れてるみたいね。今が大事な時だから名誉保つためにも死にものぐるいで探してるよ。写真ももう出回ってるし今日の夜には特定されるんじゃないかな」
「チッ。そういうことかよ、死ね!」
「やあだ」

 名前はなんでもないことのようにしらっと言った。やあだ、という声は甘えるようにとろけていて男の腰に来るような可愛い声だった。だからこそ理解に数秒を要した。
 てん、てん、てん。
 静寂ののち、部室内に声が飛び回った。

「え何何何分かんない分かんない分かんない何?」
「いや……え? いやいやいや、え、オイ……え?」
「名字……エッ? エッ?」
 霧崎バスケ部の三大バカは壊れたファービーのように同じ言葉をリピートして花宮と名前の顔を高速で見ていた。頭がいいからこそ彼女の言葉とそれを意味することをある程度理解していて、だからこそ混乱の渦に叩きつけられた気分だった。名前は今ハマっている悪役令嬢ものの少女マンガの続きが有料だったので舌打ちしそうになって我慢した。
 古橋が納得したように頷く。
 名前が笑ったのは、集められそうか?という質問にだったのだ。彼女はとっくに手の中に情報を収めていた。当事者の瀬戸健太郎よりも早く、詳細に。

「なるほど。頭の弱そうな女だと思っていたが、裏関係か。本当に顔だけで引っ張って来たのかと思ったぞ」
「ふはっ。そうする? 俺の彼女になっとくか?」
「ドブ飲んだ方がマシじゃない?」
「ギャハッ」
「言えてる!」
「それが本性か」
「本性って言い方は嫌だな。それにみんなも嫌でしょ?真と付き合うとか」
「んマア死を選ぶかな」
「それなら原のほうがマシ。いやねえわトチ狂った首吊って死ぬわ」
「じゃあ死ね!」
「って!」

 散々な言われようだったが、花宮も自分が女だったら霧崎の誰とも付き合いたくないしそれならゴキブリを食って死んだほうがマシだと思っていたので鼻で笑って許した。
 全員が同じ意見であろう。
「つか名前は裏ってよりも情報だな。バカみてえな情報網の広さ持ってンだよ」
「パトロンが多いからね」
 頬に手を添えて、うふふ、と名前ははにかんだ。宝石みたいな青い瞳がうるうると見つめてきて、頬は熟れた桃のようで、唇はぽってりと上品だった。笑うだけで男が何もかも貢ぎたくなるような笑顔だった。
 霧崎バスケ部は揃ってぽけーっとして、すぐに我に返った。魔女のような女だと思った。悪魔みたいで、でも極上の天使みたいな少女だった。

「瀬戸の情報もう裏で回ってるってこと?」
「うん、昨日の夜すぐに」
「え、写真だけ? 名前チャンそれはいつ知ったの?」
「拡散されてるのは写真だね。知ったのは昨日の夜だよ」
「んっ? じゃあなんで黙ってたんだ?」
「え?」
 名前名前はコテン、といつもみたいに小首を傾げた。全く邪気のない、心底ふしぎそうな口調で言った。
「聞かれなかったから?」
「アー、おう? ん?」
「や分かるぜ山崎が言いたいのは。つまり、その、花宮にもっと早く言ってくれてたらもっと早く動いて瀬戸を助けられるかもしれなかったしな〜ってことだろ?」
「あはは」
 朗らかな笑い声。ふわふわした彼女の声に和やかな気分になる。そのまま彼女は言う。
「助けてなんのメリットがあるの?」

 静寂が満ちた。
 全員が全員、深い納得を抱いていた。
「ふはっ! な? 気に入る理由が分かんだろ?」
 類は友を呼ぶ───。それは、彼女も例外ではなかった。

「や俺が間違ってたわ。助けるとか無かったわ普通に俺らの間に」
「うん」
「ゲス同士だったわ普通に」
「なっ」
「おう」
「そして名前チャンもその仲間、と。やべ俺セフレ狙いでしか無かったけどぜんぜん仲良くできそう」
「どうでもいいけどそろそろ何とかしてあげよっか? どうする、真?」
「チッ」
「うふふ、いっこ貸しだよ? ヤクザなんだから高くつくからね?」
「分かってんだよ」
「うん」

 名前はバサッと男どもを切り捨てて、ふわふわ嬉しそうに花宮に頷くと、どこかに電話をかけ始めた。
「もしもし、わたし」
「うん。三日月は? 今裏で回ってる男のことで」
「あソウそれ。瀬戸健太郎。もう特定されてるんだ? フウン」
「その子ねわたしの部活仲間なの。うん。何とかして?」
「女? 別に死んでもいいんじゃない? えわかんないもん。関係ないし……」
「殺すのは××会でしょ? その女の子は興味ないから好きにしていいんじゃない? 落とし前付けるのにどっちかは手元に必要だもんね」
「すっごく助かる。ありがとう三日月。だいすきだよ。また連絡するね?」
「うん、うん、バイバイ。みんなによろしく。うん」

 電話が切れる。
「だって〜」
「何とかなるか?」
「それはぜんぜん。もう何も気にしなくていいよ」
「えマジ? 早すぎね?」
「電話しただけじゃねえか……」
 ボーゼンとする面々に比べ、荒事になれている古橋は冷静だ。
「今のは関係者か?」
「あ分かる?そう。ちょっとね」
「俺でも知らねえし教えてくれねえよ。名前喋ってるけど調べても出てこねえ」
「詳しくはねえ調べない方いいよ。真には何しても危害加えないようには言ってあるけど」
「ハア? 恩でも売ったつもりかよ」
「返してね」
「死ね」

 瀬戸が名前に軽く頭を下げた。瀬戸健太郎はプライドが高いし女を愛玩の対象としか見ていないので本当に珍しい。
「本当に助かった。この借りは返すから」
 名前はキョトン、として声を出して笑った。
「アハハ! ふふ、うん、気にしなくて大丈夫だよ。真にお願いされたようなものだし、瀬戸くんは被害者なんだから気にしないで? 無事で良かった。気をつけてね」
 邪気を抜かれて瀬戸は頭を上げた。同類だと思ったけど、意外と根は良い子なのだろうか。そうだとしたら霧崎に馴染めなさそうだ。少し気にかけてあげてもいいかもしれない。

 そう思って、瀬戸は止まった。
 花宮があまりにも邪悪な顔で笑っていた。ニヤニヤニヤニヤ、悪党みたいな顔で、おかしくってたまんねえという顔で嘲笑っていた。
 脳が高速で思考を始める。
 名前の顔を見る。
 彼女はもうiPhoneに視線を落としていた。

 なるほど。なるほど、なるほど。
 ストンと答えが落ちてきた。つまり名字名前は瀬戸に恩を売る気がないのだ。貸しを作る気がない。最初から瀬戸のことを当てにしていないし、瀬戸に貸しを作るよりは花宮を作った方がよっぽどいい。
 なぜなら花宮のほうが頭が良いから。瀬戸は花宮の下位互換だから。
 なるほど。
 思わず声に出していた。

「───はア?」

 ゲスとクズしかいない霧崎第一高校、バスケットボール部。新マネージャー名字名前。
 彼女も結局同じ穴の狢なのだ。


[ back ]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -