イイコちゃんな原くんと山崎くん

 カントクに扱かれて疲れ切って電車に飛び乗る。薄暗いこの時間都内の電車は割合込み合っていて、空き席は見当たらず、ため息をついて扉のそばに寄りかかった。
 ガタン、ガタンと揺れる振動を背に受けながら、日向は今日の練習メニューを反芻していく。
 人と人が押し合うほどでは無いが、少し動けば触れ合うくらいには混雑している車内。日向の左側にある手すりには白くて細い手が絡まっていて、少し年上だろう女性が携帯電話を弄んでいる。その周辺は日向と同じようにくたびれた顔のオッサンや、哀愁の漂うおばさんが並んでいる。
 日向は特に意味もなくその白い手を眺めていた。下心やなにか惹かれるところや思うところがあったわけではない。ただ、俺とは違う手だな、とか豆なんてないんだろうな、とかカントクの手はもう少し日に焼けているな、とか取り留めもない思考で、バスケのことを考えるかたわら、なんとなく思っていた。

 数駅過ぎて日向の背中の扉があき、車内に賑やかな声が乗り込んでくる。
「ウワ、やっぱけっこう混んでる」
「しゃーねーよ。あーでも歩いた方良かったか?」
「や、それはだるいっしょ。タクれば良かった」
「いま金ねえって」
「クッソやっぱ花宮無理やり引き込むんだった〜。あいつなんで今日来ないの?」
「なんか会食とか言ってたけど」
「だっる! どこ?」
「××社の」
「あーね。じゃあ瀬戸もか」
「たぶん」
「じゃー俺らが呼ばれないわけだわ」
「言えてる」

 聞き覚えのある声に日向は首を瞬時に跳ね上げた。話している男子高校生は霧崎第一の制服を着ていた。下手したらばーちゃんみたいになりそうなのになぜか似合っている薄紫の奇抜な髪色の原と、赤髪で目付きがすこぶる悪い……多分……山崎。
「お前ら……!」
 話しかけるつもりなどなかったのに、気が付いたら低い声が喉から飛び出していた。馬鹿だ。しかし、日向の胸には気分の悪くなるような苛立ちがどんどん振り積もって、顔が険しくなるのを抑えられなかった。

「え? 俺ら?」
「あー、どっかの奴だろうけど、誰だっけ?」
「は?」
「顔はなんとなく覚えてる。試合した奴だよね? ハハッあんま怖い顔すんなって、ここ電車だし。人見てるよ?」
「わりーわりー、ユニフォームなら思い出せるんだけど制服だとなー。これどこの制服だ?」
「青線の学ランてかなり特徴的だよねん、えーどこだっけ」
「……誠凛だよ! クソっ! てめえらを負かした誠凛だよ!」
「ああ!」
「なんっで覚えてねえんだよ! 巫山戯んな! ダァホが! 人を馬鹿にすんのも大概に……!」

 霧崎第一の連中のあまりにも人を食った態度に、数瞬呆け、そののちに目眩が襲って来る。堪らずに怒鳴りつけると車内が少し揺れ、周囲の視線が突き刺さり、日向は冷や水を浴びたように冷静さを取り戻した。
 いたたまれなさを隠すように声のトーンを落とすと、周囲はすぐ興味を失って元の空間に戻った。不良学生同士の少し行き過ぎたじゃれ合いだと思われたのだろう。

「お、冷静になった? 良かった〜。俺ら制服だしあんま目立つとこで事起こしたくないんだよね」
「あと数駅で降りるし、喧嘩なら買うけどどーする?2対1で敗ける気はしねえけど」
「喧嘩だあ!? んなことするわけねえだろ!」
「まあ全国控えてるし、制服でそんなバカはやんないか」
「そういう問題じゃねえだろ! なんでバスケの恨みを暴力で晴らすんだよ! 俺が喧嘩腰だったっていうのは、そりゃ、あったけど。手は出さねえよ」
「あー、あー、そういう感じ。はいはい、あっそ」
「久々にこういう奴と会ったわ……」
 あからさまに脱力した原や、半笑いでどこか引いたような山崎に神経を逆撫でされるが、なんとか自分を宥める。大体喧嘩とか、発想がバイオレンスすぎんだよ。日向にはついていけない。スポーツに身を捧げる青春男児が喧嘩なんて不健康なものに身をやつすなんて考えられなかった。
 そんなことに時間を割いている暇も、感情を割く余裕もない。

 霧崎第一の2人は、始めは日向に馴れ馴れしくムカつく態度だったが、今はもう完全に興味を失い、スマホを触ったりくっちゃべっている。
 2人の近くになんかいたくないのだが、場所を移動するには込み合っていて、否が応でも会話を聞いてしまう。ツッコミたくないのにツッコミ待ちだとしか思えない掛け合いに、今度は違う意味のもやもやそわそわが溜まっていく。

「なー、範囲どこだっけ?」
「どっち?」
「サトセンの」
「P248からだけど今回むずかったよ」
「俺理系だから」
「エセな」
「ガチだっつーの」

(テストの話か?)
 山崎と原は小突きながら笑っている。すごく意外だが、何気に……仲が良さそうだ。原がポケットから流れるように単語帳を取り出し見始めて日向は目を剥いた。ガムを膨らませ、目元まで隠れるようなチャラチャラした髪型の男とはミスマッチすぎる。
「第一?」
「いや、第二」
「え? もう取ったのか? てか語学得意だっけ?」
「別に〜。親父がイタリアハマってっから、冬行ってくる」
「いいじゃん。撮影についてく感じ?」
「ちょっとだけね。行く?」
「え! いいのか?」
「いいよ、てかそんならみんなで行こーよ」
「いや、さすがにわりーだろ」
「どーせ親父はどっかでフラフラしてるしいいんじゃね? 後で言っとく。チケットも手配してくれんじゃん?」
「マジで? うわ、楽しみになってきた。俺も勉強すっかな」
「まあ花宮に覚えさせられるっしょ」
「やっぱ?」
「ついでにフランス語も覚えれば? 花宮ママン今パリだよね」
「えー、でも俺ドイツ語だけでもきちいわ。英語話せればよくねえ?」
「クソザコナメクジじゃん」
「ああ!?」

(こ……こいつらなんの話してんだ!?)
 日向は顔を背けて興味のないふりをしていたが、耳だけはピーンと彼らの話を聞いていた。しかし、まったく、意味がわからない。いや、分かるけど分からない。分かりたくない。次元が違いすぎて目がぐるぐるしそうだ。

(イタリア語とフランス語!? ドイツ語!? 撮影!? 花宮の母親がパリ!? あ〜〜ックソッ、興味無いけど絶妙に深堀りしたくなる話してんじゃね〜!)

 悶々とする気持ちを宥める。
 当たり前のように英語以外の話だとか、海外に行く話だとかをされて、そのスケールにすこし圧倒される。日向にとって海外はすごく遠いものだ。さすが腐っても進学校らしい。こんな不良のお手本みたいなやつらでも、悔しいことに、日向よりは頭の出来が良さそうだった。


 しばらく内心でふたりにツッコミながら電車に揺られていると、視界の隅になんとなく入っていた手すりの白い指に、きゅっと力が込められたのが見えた。
 指は、そのままぎゅうと握りしめられ、微かに震えているようにも見える。
 どうにも違和感を感じて、視線を辿る。冷めた顔でスマホを弄んでいた彼女の顔は、今は不快げに大きく歪められている。

 眉根がピクピク動き、唇は引き結ばれ、それは苛立ちにも、何かを耐えるような表情にも見えた。
 思わず無遠慮な視線を投げてしまっていると、彼女が突然身じろぎし、日向は慌てて目を逸らした。サッと自分の手元に目を落とす際に、バスケで鍛えられた動体視力が、彼女の腰あたりにある手を見咎めて、日向は目を見開く。

 女性の細い腰あたりにゴツゴツどした太い指が、手のひらいっぱい触れていた。指先が撫でるように微かに動いている。

 ゾッ、と背筋に悪寒が走る。気持ち悪い。
 男の手を辿り顔を見ようとするが、しかし込み合っていて、手首しか見えない。押し合うほどでないにしろ、車内はそこそこ密集しているのだ。
 嫌悪感の次はじっとりとした怒りが浮かんできた。
 捕まえて怒鳴ってやりたい。でも、どうれば良いのだろう。日向は迷い、逡巡する。

 手を掴んで「痴漢だ」と叫べば良いのか?でも、それで女性に視線が集まって恥ずかしい思いをさせたら。逆上されて暴力沙汰になったら。でもこのまま見過ごすのは有り得ない。
 とりあえず、手を払って彼女を壁際に連れてこよう。
 そう思って、行動を起こそうとした──。


「おねえさん、大丈夫?」
「なんか顔色わりいけど、具合悪い?」
 しかしその前に、目の前の人たちを押しのけて、見知ったふたりが女性の隣に陣取っていた。日向の前で、原と山崎が斜め前にいる女性に馴れ馴れしく話しかけ始める。
「ケーカイしないでね、ちょっとおねえさんが心配になっただけ」
「そうそう、ま、こんな柄悪かったら怖いよな?」
「こいつこんな顔だけどヘタレでオカンだからぜーんぜん怖くないよ」
「ヘタレじゃねえし」
 普段の山崎だったら即座に怒鳴ったが、今は呟くように言ってわざとらしく顔を背けた。それはどう見ても拗ねているようで、強面の山崎をどことなくひょうきんで愛嬌があるように見せる。

 日向はポカンとしてふたりを見ていたが、我に返って痴漢を確認した。原がさりげなく男の手首を掴んでいる。
「ちょっ、なんだこいつら! 離せ、どういうつもりだ?」
「騒ぎにならないようにしてやってんだから大人しくしてな? それともここで大声で叫ばれたい?」
「俺らは別にそれでもいいんだぜ?」
 低い声で脅しをかけるふたりに、オッサンも低い声で言い返す。
「何の証拠があって痴漢だと言っとるんだ! 名誉毀損で訴えるぞ、ガキどもが」
「ああ? 痴漢なんて言ってねえよな?」
「い、いきなり手を掴まれて拘束されたら誰だってそれを疑うだろ!」
「どうでもいいけど、手首の写真は撮ってあるよ。はい、このスーツに袖のボタン、どう見てもあんただよね。あんま手間かけさせないでくれる?」
「いっ……! わ、分かった、分かったから!
 手首を折るつもりで力を込めていた原は、オッサンの言葉にニヤニヤ笑って少しだけ力を緩めた。

「怖かったね、もう大丈夫だよ」
「余計なことだったらごめんな。でも目の前でこんなことされたら、俺ら見逃せなくってさ」
「しかも、こ〜んな綺麗なおねえさんにさ? お礼なんていいよ、人として当然のことしたまでだし」
「次の駅で降りて駅員さんに突き出そうと思うけど、時間とか大丈夫か? この後予定とかある?」
「そっかそっか、良かった。マジで気にしないでよ。ホントはちょっと下心もあったんだ」
「綺麗な女の人にありがとーって言われたらそんだけで俺ら調子乗るよ。へへっ、単純だろ」
「可愛い? え〜、嬉しくない。あのさ、そんなにお礼って言ってくれるんだったら、一個お願いしてもい?」
「やった! え、えっと……。あー! 原言えよ!」
「ちょ、ザキが照れたら俺まで恥ずかしくなってくんじゃん! もー、あのね、おねえさん綺麗だから連絡先交換して欲しいなーって……ダメ?」
「え! いいのか? やりい! ハハッ友達に自慢してやろ! え?自慢になるよ! こんな綺麗な人と滅多に出会えねえもん」

 原と山崎は、思ってもなさそうな「許せない」から始まり、バスケの時とは想像もつかないような態度で左右から口八丁に彼女を口説きにかかっている。
 男の日向から見たらふたりのバカみたいなぶりっ子は気持ち悪くてドン引きなのだが、年上の彼女から見るとまた違う印象らしい。どんどん笑顔になっていき、今では頬を染めながら満更でもない顔でスマホをふるふるしていた。
 日向にはぜったいこんなチャラチャラしたことは出来ない。縁のない出来事に遠い気分になりそうだ。

 流れるように女性と連絡先を交換したふたりは、やがて駅に着き扉が開くと、日向のことなんか完全に忘れて降りていく。原がオッサンを引き摺るようにして後ろから軽く蹴りを入れているのが見えた。山崎は彼女を守るように馴れ馴れしく、そして流れるように肩を抱いている。
「あっ、わりい、嫌じゃなかったか? ……よかった」
 そんなサムい演技を交えながら、4人は見えなくなった。最初はから最後まで圧倒されていた日向は、心の底から呟く。
「何だったんだ……」

 何はともあれ、写真もあると言っていたし恐らく痴漢は捕まる。
 冷静になってくると、日向はすぐ動けなかった自分が恥ずかしくなってきた。あんなに素行が悪そうな霧崎の奴らも、人助けとかするんだな。
 想像もつかない事だったが。
 ナンパもしていたが。
 いや、あれは話しかけることで恐怖心を弱めようとしていたのだろうか。
 彼らの意図は分からないが、日向は足踏みして、結果的に痴漢に対処したのは彼らだ。
 だから日向は、悔しいが、少し、ほんの少しだけ彼らを見直した。同時に、次は必ずすぐ動きたい、とも。


*

 数日後。
 部室内で、汗を拭き取る山崎がおもむろに言った。
「そういやあの女どーなった?」
「どれ?」
 制汗剤を吹きかけていた原が気だるそうに返す。ロッカーの中から白いシャツを取り出し、羽織りながらガムを膨らませる。もうすっかり味が無くなっている。
「ほら痴漢で引っ掛けたやつ」
「あー連絡来てたかも。何? 気に入った?」
「別に普通だけど、悪くはねえって感じ」
「え〜マジ? 胸小さいし頭悪いしつまんなくね?」
「まあ頭は悪ぃよあれは」
「んね。会話成立しなさすぎてヤバい。でも3Pは有りだったなー」
「だよな。ヤラしてくれる奴少ねーもん。3Pが好きなわけじゃねえけど」
「でも最初可愛い後輩系で行っちゃったのは失敗だったね〜」
「ああ、下から出過ぎたわ」
「やっぱ遊ぶなら厳選して捕まえた方楽だわ」
「ポケモンかよ!」

 山崎と原は同時に吹き出して笑った。無邪気に見えるが内容はドクズである。
「もうあの女切るけどいいっしょ?」
「ああ。てか軽い女飽きたわ。元々ギャル系好きじゃねえし」
「じゃ次は古橋連れて合コンでもしようよ。ちょうどキリジョの子が彼氏欲しいって言ってたし」
「合コンで彼氏探す奴にろくな奴いなくね? まあするけど」
「ギャハッ、ザキって優しそうに見えて軽い女嫌いだよね〜。ああ、恋愛に夢見てんのか、バッカじゃん」
「ほっとけよ!」

「いつまでくっちゃべってんだ! 5分後には鍵閉めるぞ!」
「ヤベッ」

 花宮の苛立ち紛れの声に慌ててふたりは手を早める。
 所詮原も山崎も霧崎第一高校、バスケットボール部なのだった。

 ───正義感での人助けは、有り得ない。



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