ただ自分であるために
03
まず女子部屋に行ってカーテンをあける。ふたりとも寝起きがいいから、軽く揺すって「朝よ。起きてね」と声をかければ、むにゃむにゃしながら寝返りを打った。
「カゴを置いておくから洗濯物を入れておいてね」
少し大きめのベッドでくっついてねむる少女たちは微笑ましかった。ナミが「う〜ん…おはよ…」と寝ぼけまなこで身体を起こした。
「あら、後ろ髪が跳ねてるわよ」
「ヤダ、見ないでよ」
恥ずかしくもなさそうに髪を撫で、大きなあくびをするナミを背に、次は男子部屋だ。こっちはちょっと大変だ。
ロザリーはまずドアを乱暴に拳でガンガン叩いた。
「朝よ! ご飯よー!」
「んあッ……メシ……?!」
ルフィの声が聞こえたので耳を澄ますが、今のはたぶん寝言だ。もう一度ガンガンガン。ダメだ。仕方なくドアを開く。
男子部屋は、轟音というほどでもないけど、いびきがするし、暑い日は下着で寝るときもある。照れてしまうほどうぶではないが、なんだか妙に居心地が悪いのだ。
ハンモックを下から持ち上げて、ロザリーは順番に男たちを叩き落とした。
「イデッ」
「ぅぐっ……朝か……」
「…………おい、普通に起こせねェのか」
「起こしても起きない人が悪いのよ」
不機嫌なゾロのほっぺたをつつこうとするのを嫌そうに避けられ、ロザリーは「チョッパー、朝だから起きましょうね」と背伸びをして抱っこした。
「チョッパーだけズリィ……」
「お前の起こし方ナミより雑だぞ…」
ジトーッと睨まれながら、腕の中でにゃむにゃむするチョッパーを抱え直し、ゆっくり床に下ろした。
「んぉ……朝か? おはよう、ロザリー…」
ねむそうなチョッパーにニコニコし、「お顔を洗ってご飯にいらっしゃい」と優しく声をかけると、チョッパーはまだ少しウトウトしながらかわゆく「ウン」とうなずいた。
「メシだメシーッ!」
「コラッ」
走り出そうとするルフィの首根っこをあやうく捕まえ、「まず洗濯物を出す! 顔を洗う! ご飯はそれからよ」と眉をキリリとさせて言い聞かせると、ルフィは渋々「あーい……」とふてくされた返事をした。
始めの頃は俊敏すぎて捉えられなかったが、最近は動き出す前兆が分かり始めた。動きも目で追えるようになって、以前の勘が戻りつつある気がする。
食事が終われば洗濯だ。
水は貴重だから、浴槽に半分に満たないくらい湯を張り、手袋を外して下着になり、3人分の女子の衣服を洗濯板でザブザブ洗う。これは贔屓だけど、女子用には香り付きの石鹸を使ってモコモコ泡立てる。
潮風に当たるから、服の繊維が毛羽立ってしまい傷みが早い。優しく強すぎない力で揉んでいく。
何度かお湯で流し、石鹸を完全に落とした。
本当は、タオルや衣服がモコモコになるシャボン石鹸があればいいんだけど。あれは高級だから海賊船には基本的にない。木の実を手に入れられたらなぁ。流通も少ないから、どこかで見かけたら買っておこうか…。
男物は人数の分だけ少し数が多いけど、あの人たち、毎日服を変えるわけじゃないのよね。旅を始めた頃はロザリーの感覚だと海賊や海軍は不潔極まりなかったが、それも慣れた。
麦わらの一味はナミ達の努力もあり、ロザリーがせっつくのもあり、海賊としては、いや現代人としてもかなり清潔だ。
洗濯板で洗うだけで重労働だ。
立ち上がったロザリーは腰を「イテテ」と軽く叩いた。いやだわ、オバサンみたい。
濡れた体を拭い、服を着て手袋をつける。
そして大きなカゴをヨイショッ、と持ち上げる。女性が持つには重いものだが見かけによらずロザリーは力持ちで、軽々と腕だけでカゴをデッキに運んだ。
「ロザリーさん、手伝うわ!」
「じゃあ、ロープを繋いでくれる?」
ビビ王女が……いや、ビビが申し出てくださった……いや、そう言ってくれたので、お願いし、2本ほどデッキにロープを繋ぐ。ピンと張ったロープにビビと2人で洗濯物を干していく。
女性物の下着だけは後で部屋に干す。
ピッピッとシワをのばし、パチンと止め、風でシャツがはためく。この光景がなんだか清々しくて嫌いじゃない。
向こうの方ではルフィたちが今日も釣りをしている。
「ルフィさん、ウソップさん、なにか釣れ……」
「グエエエーーッ」
「ぎゃああああっカルーーーーッ」
「サメとか釣れるかな」
「おれは海王類を釣りてェな」
まさかのカルーをエサにする所業にビビが目を剥き、「あんた達カルーに何してんのよ!」とゲンコツを落としている。
「あははっ」
ロザリーは声を出して笑ってしまった。
この船のクルーはめちゃくちゃだ。変な人たち。
「クエーッ」
「! あれは何……!?」
カルーが危険信号を鳴らした方には海から白い煙が漂っていた。
「なんだありゃ」
「わたあめかな?」
わたあめなわけないだろ。思わず心の中で突っ込む。
「ナミさん来て! 正面に何かあるみたい!」
ナミが慌てて飛び出してきたが、煙を見て肩の力を抜いた。この子達ホットスポットも知らないのか……。
「……ああ大丈夫。何もないわ、ただの蒸気」
「ただの蒸気が海から!?」
「ええ、ホットスポットよ」
「なんだそりゃ」
さすが航海士だ。この船はナミがいれば安心だろう。
「マグマができる海のこと。あの下には海底火山があるのよ」
「海底なのに火山なのか?」
「そうよ、火山なんてむしろ地上より海底の方がたくさんあるんだから」
「へーー」
みんな感心した顔を浮かべたが、ルフィだけは「どうでもいいや、食えねェんじゃ」と情緒も何も無いことを言った。
波間から立ち上がり揺れる影を見つめる。一味から少し離れた場所でロザリーは彼らを見る。
「こうやってね、何千年何万年後この場所には、新しい島が生まれるの」
「……ナミさん素敵だ♥」
「なにかすごい場所みたい、ここは…」
「そうよ」
「何万年って…おれ生きてられるかな」
「…そこは死んどけよ、人として」
ルフィとウソップの会話は、なんだか同い年のちょっとバカな男友達同士という感じ。ロザリーは口元に手を当てクスッと笑った。
ホットスポットの中に突入したメリー号。硫黄の匂いにギャーギャー騒ぐ。ロザリーも咳き込みながら、洗濯物はもう少し後で干せばよかったなと思った。
*
「「…………ッ!?」」
顎を外しそうなほど口を開き、ルフィとウソップが叫ぶ。
「オカマが釣れたああああああ!?」
カルーにしがみつく全身白い男と「……」と見つめ合うと、男は「シィ〜〜まったァ! あちしったらなに出会いがしらのカルガモに飛びついたりしてんのかしら!!」とそのまま海に落ちてゆき、沈んでいった。
「……えっ」
「えええ!? 落ちたぞ!?」
「クアーッ!?」
「浮かんで来ねェ!?」
「ゾローーッ」
「助けた方がいいのか!? カナヅチかァあいつ!?」
「つーか誰だよ!」
「分かんねェ! ゾロー!」
「どう考えても怪しいだろ!」
「このまま見捨てるのも目覚め悪ィよ……行くぞ!」
「ひとりで行け」
「もし罠だったらクルーがひとり死ぬぜ!」
「なんで偉そうなんだよ! ったく…」
どデカいため息と共にゾロが折れ、ウソップとゾロが海に飛び込んでいく。しばらくして、気を失った男を抱えて船に上がった。
男は白鳥を2匹(?)つけ、背中に"オカマ道"と織られた服を着る、どこから見ても怪しさ満点の主張の強いオカマだった。
「いやーホントにスワンスワン」
すぐに目を覚ました男は片手を上げておそらく謝罪を口にする。下睫毛のような独特なメイクは水に濡れても一切乱れていない。
「見ず知らずの海賊さんに助けてもらうなんて、この御恩一生忘れません! ……あと温かいスープを一杯頂けるかしら?」
「「「ねェよ!」」」
「図々しいなコイツ!」
リアン島で食料を手に入れたとは言え、余裕があるというわけではないし、アヤシサしかない男に譲るメシはない。
「アラ!」
2階から様子を窺うビビに気付くとウインクを飛ばす。
「あなたカーーワイーーわねー好みよ♥ 喰っちゃいたい、チュッ♥」
「うっ…………」
ビビは思わず顔を歪めた。変な人だ。
オカマだが、女性もいけるっぽい。そしてずいぶんマイペースだ。
「お前泳げねぇんだなー」
「そうよう。あちしは悪魔の実を食べたのよう」
「どんな能力なんだ?」
「そうねい、じゃああちしの船が迎えに来るまで慌てても何だしい、余興代わりに見せてあげるわ! これがあちしの能力よーう!!」
ロザリーもナミの隣で男を観察するように眺めていたが、男は立ち上がった瞬間、腕を引くとルフィを張り倒した。
「うべっ!」
バツン!という音と共にルフィがひっくり返る。
「ルフィ!」
「何を…」
一味はとっさに構え、ゾロは刀を抜き、ロザリーはゾロの後ろに下がったが、一味は男の姿に言葉を失った。
「まーってまーってまーってよう! 余興だって言ったじゃないのよーーう!!」
両手を前に出し、余裕で笑っている男の顔が、ずいぶん見慣れたものに変化していたのだ。
「な……!?」
「ジョ〜〜〜ダンじゃなーーいわよーーう!!」
表情も、服装も、言葉遣いも違うのに、どう見てもそこにいるのは……ルフィだった。聞き慣れた船長の声だ。
一味は驚きに硬直し、起き上がったルフィも「……はっ?? おれだ!」と首を傾げている。
「ビビった!? ビビった!? がーっはっはっは!」
笑いながら左手で顔に触れるとカシャンと元のビックリ箱のような顔に戻る。
「これがあちしの食べた"マネマネの実"の能力よーう!!」
「マネマネの実……!」
「声も……」
「体格まで同じだったぜ……!!」
「スッスゲーーーッ」
目を飛び出して驚愕し、呆気に取られる一味の頬に、男は順にポン、ポン、ポンと触れて言った。
「まァもっとも、殴る必要性はないんだけどねーーいっ」
じゃあやるなよということをガハハと暴露した男は、流れでロザリーにも触れようとしたが、彼女は咄嗟にサッと下がるとゾロの背中に隠れた。
「……?」
怪訝そうにゾロが彼女を見下ろす。眉毛が八の字になっているロザリーに、「余興だもの、ムリにとは言わないわよーう」とウインクを飛ばした。
「この右手で…」カシャッとウソップに。
「顔にさえ触れれば」カシャッとゾロに。
「この通り誰のマネでも」カシャッとチョッパーに。
「で〜〜〜きるってワケよう!!」カシャッとナミに。
表情こそ男のままだが、見た目は完全にクルー達だ。男はナミのまま「体もね♥」と服をはだけさせる。
「「「ブッ!」」」
「やめろ!!!」
ナミの鉄拳が飛び、ついでにルフィたちも殴られた。男はタンコブを作って「ア〜〜ウチ!」と泣いている。当然の制裁である。
「さて、残念だけどあちしの能力をこれ以上見せるわけには」
「お前すげー!」
「もっとやれー!」
「見たいぞー!」
「さ〜ら〜に〜〜〜!!」
ナミの全力鉄拳でもマッタク無傷のように立ち上がり、締めようとした男だったが、ルフィたちの囃し立てる声や口笛に乗せられクルクルとダンスをして見せる。
「ノリノリじゃないのよ」
ナミは呆れ、ゾロは興味を失ったように端で座り込んでいる。ロザリーもニコニコ拍手はしているが、ゾロの隣にちょこんと座り向こうに混ざるつもりはなかった。
大してそう話もしないが、ゾロに脅えもせず周りをウロウロしたり気安く触れようと来てくる女を横目で眺めた。ゾロは男はもちろん、ロザリーのことも信用していなかった。
「メモリー機能つきいっ!!」
「うおおおっ!!」
ルフィたちは楽しそうに盛り上げた。
「過去に触れた顔を決して! 忘れな〜〜〜い!」
カシャン、カシャン、と色々な人間になってみせる男にフロアは熱狂を迎えている。
「くだらねェ…」
「あはは…」
吐き捨てた一人言にロザリーは苦笑で答えた。
「んっ?」
小さく漏らし、首を傾げたまま男を見つめるロザリーにゾロは「なんだよ」と問いかけた。
「ん……見たことがある人がいた気がしたんだけど…」
一瞬で顔が変わってしまうので、思い出す前に流れていってしまった。
「どーうだったあ!? あちしの隠し芸! 普段人には決して見せないのよーう!?」
「「「イカスー!!」」」
ついに全員で肩を組み「がーっはっは!」と男の笑い声を掛け声に、一緒に踊り出してしまった。ロザリーも手を叩いて「素敵ー!」と野次を飛ばしておく。
「やってろ」
楽しげな彼らの耳には冷たい声は届かないようだ。
「すごいわね、一瞬で仲良くなって…名前も分からないのに…」
呆れとも感嘆ともつかない声でロザリーがつぶやく。
「バカなんだよあいつらは」
「そうね…それがルフィの魅力だと思うわよ」
否定はできなかったが、あの空気感は彼の周りをいつも取り巻いている。楽しさが伝染していく力というか…そういうものをロザリーは持っていないから、少し眩しい。
「おれはお前も信用しちゃいねェぞ」
「……」
剣豪の斬撃のように鋭く冷たい視線を受けた彼女は、彼の瞳を見つめて沈黙した。そしてニコッと口元だけで笑う。知ってるよ、という笑みだった。ゾロに微塵も気圧されていないことが、その優しく甘やかす理解者のような眼差しで分かり、彼はイラッと眉をしかめた。
無害そうでひ弱そうで、簡単に摘み取れる花みたいな雰囲気だが、無害な顔をしている人間ほどそう"見せている"だけだと知っている。