ただ自分であるために
02

「革命を…」
 ポカンと口を開ける。
 海賊が革命を?
 想定していたいくつもの可能性の全てを上回る答えに、ロザリーはマジマジとルフィを見つめる。彼はムンと決意のこもった真っ直ぐな目をしていた。
 この人…本気? 本気だ…。
 ただの海賊が一国の革命を止めようとしている…。

 そこにどういう思惑があるのか考える前に思考が止まり、ただ圧倒された。ルフィが急に巨大な…山のようなものに見えた。

「100万人の戦乱を止めるだなんて、干ばつを招いたコブラ国王を処刑するくらいしか、方法はないと思うけど…。アラバスタの国民の怒りは正当だわ。身勝手な為政者によって苦しむのはいつも民だもの」
 ビビはググッ…と唇を噛み締めた。
 反論するより、外から見た父の姿に血が逆流するような痛みが走った。
「失踪したと言われるビビ王女も、革命に巻き込まれないよう国王がどこかに……。んぇ?」
 ビビ?
 そう思ったのと、ルフィが叫ぶのは同時だった。
「ビビの父ちゃんは悪いやつじゃねェよ!」

 ロザリーは目を見開いてルフィとビビの顔を高速で見比べた。
 ビビ…ビビ王女…えっ?

「えええええ!?」

 水色の美しい髪をたなびかせる少女を見つめる。
「ビ…ビビ?」
「おう」
 傷ついた心を隠すように気丈に微笑む少女を見つめる。
「ビビ王女?」
「ええ」

 …。……。
 ………………。

 血の気が引く音がした。
 反射的に、長年染み付いた癖でロザリーは叩頭した。

「申し訳ございませんッ。ネフェルタリ・ビビ王女とは知らず、大変なご無礼を……。お、お許しください…」
「え、ええッ!?」
「土下座ァ!?」
「リュカといいロザリーといい、お前らそっくりだなァ」
 突然頭を床にこすりつけるロザリーに仰天するビビたちだが、ルフィはのんきそうに笑っている。ビビは必死に「頭を上げてください! そんなことしなくていいのよ!」となだめた。

 肩をむりやり上げさせたロザリーは真っ白いロウのような肌をしている。
「しかし……神の系譜であらせられるネフェルタリの方々に…わたしは…許されない不敬を……」
「私は王女だけど、ただのビビなのよ。それに仲間でしょう? 不敬だなんて、そんなことを言わないで」
「お…、お許しくださいますか?」
「許します! 許しますから!」
「ありがとうございます…ビビ王女の寛大な御心に感謝を…」
「やめて! やめてください!」
 今度はお礼のためにまた頭を下げようとするロザリーの手を握ると、彼女の手のひらは深い湖の底のように凍っていた。僅かにカタカタと震えている。

 ライムゴールドの睫毛まで揺れていた。ビビは心臓が冷える気持ちでロザリーを見つめた。
 彼女はネフェルタリを知っている。
 この人は…。

 少しして、ふーっと深い息を吐き、恥じ入ってロザリーはうなだれた。
「ごめんなさい。取り乱してしまって…」
「驚いたわ……もう落ち着いた?」
「さっきまで国王の処刑がどうのこうの言ってたくせにすげェ変わり身だぜ…。シンパシーを感じる」
「あんたと一緒にはされたくないんじゃないかしら」

 みっともない。
 冷静であれば、ビビがそんなことをする人じゃないとわかっていたはずなのに。
 まだ、まだこんなにも色濃く残っている……。震えそうな自分の手首を、右手でギュッと掴む。
 こんなはずじゃなかったし、弱味を晒すつもりもなかった。この人たちに心を開いているとも思わない。なのに…。
 この船に乗ったことをロザリーは後悔し始めていた。
 やろうとしているスケールが大きすぎる。ロザリーが力になれるとは到底思えない。

 彼らが語るには、暗黒の忍び寄る革命は、七武海クロコダイルの策略によるものらしい。
 罠を張り、国王に対する不信感を植え付け、民衆を操り、国を乗っ取ろうとしている……。

 ビビの悲愴な覚悟には嘘がなかった。
 純粋で健気、そして愚かな美しい理想が目に宿っている。
 胸の中に痛みと怒りが甦り、ロザリーはビビに強烈な親近感を覚えた。アラバスタの惨事が、愛国心と責任感が、まるで自分のことのように感じた。

「クロコダイルを……本気で倒すつもりなの?」
「ああ!」
「七武海よ? 懸賞金以上の実力を持った、黒い影のような人よ? 勝てると…思ってるの?」
「勝てるかじゃなくて勝つんだよ! 仲間を苦しめるやつは全員おれがぶっ飛ばすんだ」

 突然、吹き飛ばされたような錯覚を覚えた。
 心臓がギューーーッと引き絞られたみたいに痛む。砕け散った胸の中の何かが、今そっと拾われて包み込まれたかのように、なぜか自分が救われた気分になる。

 これが"D"の意志なのかもしれない。
 この姿が……。

「分かったわ…」
 アラバスタ王国が、国を想う人たちが、救われてほしい。本心から祈るように思った。いいや。救われるべきだ。
「何も出来ないかもしれないけど…わたしも協力する」
「いいのッ?」
 透き通ったグレイブラックの瞳を潤ませ、ビビが喜びと安堵の滲んだ声を上げる。
「仲間、なんでしょう? それに、他人事に思えないの」

 歓声を上げる一味の中で、ロザリーは後悔に苛まれながらも、諦めにほろ苦く笑った。
 きっとここで戦わなければ、自分の心が死んでしまう。

*

 陽が昇るころに自然と目が覚める。ナミとビビを起こさないようにこっそりとハンモックを抜け出し、擦り切れた麻布のカジュアルな服に着替える。
 歯を磨いて顔を洗い、少し眠い目を擦って倉庫から道具を持ってくる。水をバケツでバシャバシャ撒いていると、もう起きているサンジから声がかかる。
「おはよう、今日も早いなロザリーちゃん」
「おはよう。サンジこそ、働き者でえらいわ」
「毎日早起きして身体が辛くないかい?」
「ふふ。丸ごとあなたに返ってくるって分かってる? いつも早く起きて、美味しいご飯を作ってくれてありがとう。サンジのご飯を食べると今日もがんばろうって思えるのよ」
「いやァ…はは。かなわねェな…そう言ってもらえて光栄だ」
 サンジが褒めてくれただけロザリーも褒めると、彼は居心地悪そうに頬を長い指で掻いて、困ったような、照れくさそうな苦笑をする。それが年下の男の子っぽくてひどくかわゆいのだ。
 体質上早起きのロザリーと違い、彼は夜遅くまで仕事をして、朝早く起きて準備をしている。9人分の食事の支度をするのは大変なのに。
 サンジも女の子が朝早くからコシコシ甲板掃除しているのが見ていられなくて、申し訳なくていたたまれなかった。
 けれどサンジは食事関係の仕事を人に譲らないし、ロザリーも自分に出来る雑用をこまこま見つけてはあくせく働いている。
 "自分がしたくてやっている"というのをお互い譲らないものだから、こうして2人しか起きていない時間、褒め合うしかできないむずがゆい時間が生まれる。

「じゃ、掃除が終わったあと…キッチンにおいで」
「ありがとう」

 彼は意外と2人のときは静かで控えめな話し方をするのだった。多分大きな声を上げて他の人が起きてこないように気をつけているのだろうし、2人きりのときにロザリーを警戒させないようにもしているのだろう。それともあれが素だったりするのだろうか。

 腰を曲げてブラシでゴシゴシ床を擦ってゆく。
 船というのは、風で飛んでくる砂や葉、木片、靴でこびり付いた泥、海水が乾いた塩、釣り上げた生き物のぬめり、その他諸々でぐちゃぐちゃになる。
 あんまり頻繁に洗剤を使うと痛みやすくなってしまうけれど、綺麗じゃないと落ち着かないというか。綺麗にして爽やかな朝を迎えたいというか。だから水撒きをしてブラシくらいは毎日かけている。
 落とした汚れをまた水で洗い流し、掃布で水気を拭っていく。マストも濡らした布で磨き、手すりを磨き、縄が緩んでいないか、帆布が破れていないかチェックする。
 それからトイレ掃除。
 ゴーイングメリー号のトイレは、前に乗っていた船とは比べ物にならないほど綺麗に保たれていた。男の方が多いのに。多くの船は排泄物が飛び散ったりこびり付いたりして酷い悪臭を放っていたり、何かが腐り切った蛆が湧くような匂いがする。
 こっそり確認した限りでは、男たちはあんまりトイレを使っていない…ようである。まぁなんにせよ、綺麗なのはいいことだ。ロザリーは花を咲かせてトイレや女子部屋、ラウンジなどに飾っているので、枯れかけた花を捨て、新しく挿し直した。
 海賊船らしからぬ華やかさで少し気に入っている。

 こうした雑用は、ロザリーは本当は全然マッタク好きでもなんでもなかったのだが、慣れているし、雑用をすることで褒められたり、好感度が上がるのなら喜んでやった。
 "やらされる"のではなく、自分の利のために"やる"のでは清々しさがちがう。

 朝の雑用をだいたい終えた後、掃除用の服を洗濯カゴに入れ、手を洗ってキッチンへ足を向ける。そして、常につけている、薄くて手のきちんと隠れる手袋をつけた。
 鼻腔を擽る良い香りが漂って、お腹がすいてくる。食事を積極的に取る生活はしていなかったが、リュカと過ごした1年で3食食べることに慣れてしまっていたから、労働のあとは自然と何か食べたくなった。
「終わったのかい? お疲れ様」
「ええ」
「今日はオレンジとチェリーのシャーベットを作ってみたんだ」

 包丁のトントントンという一定のリズムが止まり、律儀に手を洗って硝子のプレートを優雅にロザリーに差し出した。彼の仕草は指先まで洗練されていて流麗だ。慣れている人の仕草だった。
 皮の中に薄い色のシャーベットが入っていて、チェリーの小さな赤い実とミントがちょこんと可愛らしく載っている。
「ありがとう。サンジのお料理は目も楽しくて素敵ね」
「見た目も含めていい料理だからな。ロザリーちゃんはいつも色んなところに気付いてくれて作り甲斐があるぜ〜♥」
「もう、口が上手いんだから」
「おれはいつだって本気さ♥」
「ふふ」
 軽口も褒め合いも、手軽で意味のない簡単なコミュニュケーションだ。だから、サンジとの会話は楽なのかもしれない。
 ロザリーが女性であるというだけで好いてくれ、けれどそれ以上を求めるつもりはない彼の態度はなんだか居心地が良かった。これからどうなるかは分からないが、誰かの庇護を得るために、肉体を使わずに済むというならありがたい。

 一口食べると、ロザリーの小さな歯がシャリ、と音を立て、口の中でみるみるとろけた。冷たさとほどよい甘さ、そしてフルーツの香りが口から全身を駆け巡っていく。
 この船に乗って、日常の中でいちばん嬉しいのはサンジの食事だった。自分で作るのはあまり得意ではないし味気がない。
 リュカの料理は人生において特別なものだったけれど、それはリュカがふたりのために作り、ふたりで食べるからだ。
 純粋な味で言えばサンジの料理がいちばん美味しい。
 なんというのか、プロのプライドと、真心が一緒にお皿に載っている感じがする。

「美味ェ?」
「うん、美味しい」
 口調が少し崩れたのにも気付かず、ロザリーはゆっくり舌で転がすように味わっている。サンジはその横顔に自分の中の何かが満たさせるのを感じる。誰かが自分の作った料理を嬉しそうに食べてくれると、作ったサンジにも何か受け取るものがあるのだ。
 シャーベットには凍らせたオレンジの果実も小さく切り分けて入っていて、食感も楽しかった。五感すべてで食事を楽しむというのは、余裕がないときは出来ない。
 
 そうする余裕があるということは、嬉しいし、幸せなことだけれど、恐ろしいことでもあった。
 この料理とお別れするのは惜しいけれど。ロザリーはアラバスタの結末を見届けたら、この船を降りよう、と思った。

「ごちそうさま。とっても美味しかった。またお願いしてもいい?」
「もちろん、ロザリーちゃんのためならいくらでも」
「そろそろみんなを起こす時間ね」
「あァ、たのむ。もうメシもすぐ出来るからさ」

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