枯れを知らぬ瞳
02

 アラバスタの海域を抜け、風のない穏やかな波をメリー号は泳ぐ。このあたりは海が安定しているようだ。サンジが作ったデザートに舌鼓を打ち、柔らかい陽光でロザリーは養分を補充していた。
 水と陽光があれば生きられる。
 けれど、アラバスタの戦いでは天候を強制的に操られていたせいでロザリーはほとんど役に立てなかった。それに…自分の戦闘能力が対人戦闘となると著しく低い上に、能力を使いこなせていないということに気付かされた。
 コスパが悪いのだ。
 いちいち茨乙女の守護(シルト・アウロラメイデン)や茨乙女の断罪(リヒテン・アウロラメイデン)のような大技を使わなくても、体力を消費せずに効率良く戦えないか。
 あるいは、もっとエネルギー回復が早くなるように能力を伸ばすことは出来ないか。
 ロザリー自身がもっと体力を伸ばせば何か変わるだろうか。…

「あったけ〜…なんかおれ、眠くなってきた」
「平和だな〜…」
 チョッパーとウソップが大の字になって日向ぼっこをしている。のび〜んとした心地よさそうな声に、ロザリーもふんわりと癒された気分になる。

「不思議ね…」
 隣に座っていたニコ・ロビンがぽつりと独り言めいたことを呟いた。スプーンを口に運びながら、ちらりと視線だけを向ける。彼女もデッキで小動物のようにくっついて寛ぐ彼らを眺めていた。
「今の今まで敵だった私が船に乗っているというのに、どうしてあんなにリラックス出来るのかしら…。長鼻くんなんてあんなに怯えていたのに」
「そういう人たちなのよ」
 やっぱり話しかけられていたらしい。ロザリーはクスッと蕾のように笑んで答える。
「あなたもそうよ」
 ロビンが、敵だったときのようなどこか艶然とした雰囲気を醸し出した。正面から見た彼女は、オリエンタルな美貌が艶やかな黒髪と相まってずいぶんミステリアスだ。
「私にあんなことされて遺恨は残っていないの? 今みたいに、隣でボーッと考え事に耽って」
「お互い様でしょう? わたしもあなたに踏み込んだわ」
「フフ、お人好しね。少し羨ましいわ…あなたには純粋な部分が残っているのね」
「純粋……」
 ロザリーは吹き出したくなった。
 そう見えるだろうか。

「わたし達は世界の敵よ」
「……」
 あくまでロザリーは穏やかだった。今の波のように。
「あなたと選んだ道が違うだけよ、ニコ・ロビン」
「あなたは何を?」
「わたしは徹底的に身を隠す道を選んだの。徹底的に逃げて、離れ続ける道を選んだのよ」
「そう……」
 それっきり彼女は黙した。ロビンはロザリーに何を感じただろう。でもきっと、この船ではふたりにしか分からない。
 沈黙が流れる。気まずくはなかった。孤独を共有している錯覚を覚えていた。
 今日は穏やかな日だ。

「サンジおやつまだかァ!?」
「ちょっと待て!」
「ナミ達は食ってるじゃねェか!」
「レディ優先は当然だろーが! 待てねェなら先に果物でも齧ってろ、ホラ!」
「やりぃ〜!!」
「あっ、ズリィルフィだけ!」
「サンジ! なくなった! お前のデザートが食いてェ!」
「手品か!」

 育児のような会話だ。ロザリーとロビンは顔を見合せて、同時に「ふふっ」と笑った。まったく、この船では孤独に浸る暇もない。

「航海士さん、ところで記録(ログ)は大丈夫?」
「平気よロビン姉さん♥」
「…お前絶対宝石貰ったろ……」
 目をハート…いやベリーマークにしているナミにロビンは涼しげに紅茶を飲んだ。このふたりの相性はある意味で良さそうだ。
「次の島は雪が降るかなァ」
「……あんたまだ雪見たいの? アラバスタからのログを辿ると、確か次は秋島よ」
「秋かァ! 秋も好きだなー!」

 コツン。
「ん?」
 コツ、コツ。雨音に似た音に空を見上げる。「雨か?」
 だが空は晴れ渡っていて、黒雲はひとつもない。それに雨というよりもっと固い…小石のような……。
 今日は穏やかな天気だと思っていた。
 穏やかなのは嵐の前兆だったのだ。

「雨じゃねェ…」
「あられか?」
「何か降ってく…」
「え?」
 パラパラと細かい砂が崩れ落ちるような音がやがて轟音に変わり───。

「空から…」
「ガレオン船……!?」
「……!!」

 絶句して空を見上げ、空想のような出来事にただただ呆ける。圧倒的な質量を伴うメリー号よりも巨大な船が空から降ると、ドオオオン──…と高波が轟いた。

「「ううわああああああ!!」」

 グラリと傾いたメリー号から振り落とされないよう、一味は船にしがみついた。空中に弾んだチョッパーにロザリーが咄嗟に蔓を伸ばす。
「あ、ありがとなロザリー」
 腕の中にぎゅっと抱え込むと、心臓を抑えながらチョッパーがプルプル震えた。ロザリーは髪の毛をうねらせて柱にぐるぐると巻き付け、船から弾かれないように巻きついた。

「何!? これ何!? ねェ何!?」
「夢っ!! そうさこれは夢っ!!」
「夢!?? よかったァ!!」
「現実逃避してる場合じゃないわ!」

 船内は大パニックだ。ガレオン船の雨はまだ終わっていない。

「まだなんか降ってくるぞ気をつけろ!!」
「舵きって、舵!」
「きくかよこの波で!!」
「ルフィ、船を守れ! このままじゃ持たねェ!」
「よし! ん? ウソップ??」
「案ずることなかれ、こうやって落ち着いて目を閉じて──そしてゆっくり瞼を上げると、ほーーらそこには静かな朝が」
 まだ現実逃避を諦めていないウソップが、自己暗示をかけてそっと目を開けた。ゴロンゴロンコツン、膝元に白骨が転がる。
「ギャ〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
 白骨と目が合ったウソップの悲鳴がチョッパーに連鎖し、ナミに伝播していく。
「あああああああ人骨〜〜〜!!!」
「バカ投げないでよこっちに!!」
「また落ちてくるぞ〜〜!!」


*

*

 高波と渦に翻弄されたメリー号だったが、麦わらの一味はなんとか瓦礫の雨から生還することができた。非現実な出来事があったとは思えないほど、今の波は落ち着きを取り戻している。
 海の圧倒的な静けさが広がっていた。

「何だったのかしら、今の……」
「何で……空から船が降ってくるんだ……!?」
「奇っ怪な……!」
「空にゃ何にもねェぞ……」

 雨は落ち着いたが、警戒に神経をピリつかせながら空を睨む。いくら偉大なる航路 (グランドライン)が常識外れな海だとしても、ここまで空想じみたことはロザリーも初めての経験だ。

「あ!!!」
「どうしたナミさん!」
「ど、どうしよう…」
 鋭い声を見れば、ナミが激しく狼狽している。

「記録指針(ログポース)が……!! 壊れちゃった…!! 上を向いて動かない……!!」
「「!」」
 彼女の腕にある指針は、まっすぐに上空を指し示していた。本来なら進むべき方角を示すものが上を指している…常識の埒外の出来事ではあるが、ロザリーは首を振る。
「…いいえ、ナミ…ログポースは壊れない」
「ンなこと言ったって、現に壊れてるじゃない!」
「違うわ……」
「え…」
 ロビンもうなずいた。
 この奇怪なグランドラインを渡る上では、自分の勘ではなく、ログポースを信じなければならない。
「より強い磁力をもつ島によって新しいログに書き換えられたのよ……! 指針が上を向いているなら、空島にログを奪われたということ……!!」
「空島……!?」
「!?!?」

 驚愕して一味がバッと顔を上げる。青い快晴。島も海もそこにはない。けれど、ガレオン船はたしかに空から降ってきたのだ。

「何なのよ、空島って!」
「浮いてんのか島が!!」
「あの船やガイコツはそこから落ちてきたのか!」
「──だが空に島らしきモンは何も…」
「そうじゃないわ…正確に言うと、浮いているのは"海"」
「海が!?」
「ますますわかんねェ……」
「「「おおおーー!!!」」」
 三バカがお伽噺のような空島の存在に瞳をキランキランキランと輝かせる。
 空島……。
 ロザリーは航海する上でログポースを信じなかった者から死んでいくのを身に染みて知ってはいたが、空島のことは絵物語のようなものだと思っていた。

「正直私も…」
「空に海が浮いてて島があんだな!? よしすぐ行こう!!」
「野郎共! 上に舵を取れ!!」
「上舵いっぱーい!!」
「うるっっさい!!」
「うぶ! ぶ……!!」
「とりあえず、上に舵は取れねェよ船長」
 喚き立てる船長はロビンの能力で息を止められバタバタもがき、強制的に大人しくさせられたあと、言いかけていた言葉を続けた。
「正直私も空島については見た事もないし、たいして知っているわけでもないわ」
「そうでしょ!? 有り得ないことよ、島や海が浮かぶなんて! やっぱり ログポースが壊れたんだわ!」
「いいえ、航海士さん…今考えなければならないことはログポースの故障箇所ではなく、空へ行く方法よ」
「!」
「あっ」

 いつの間に解放されたのか、ロビンが説明するのも聞かずルフィとウソップが弾む足取りで「探検だァ〜〜!」と墜落した船にウッキウキで向かって行くのが視界に映った。
 たしかに情報は欲しいし、もしかしたら宝があるかもしれないが、あそこまで崩れてしまった船は沈みゆくだけだ。ルフィたちは大丈夫だろうか。止める間もなく行ってしまったし、止めても意味がないとは思うが……。
 彼らを見つけたゾロも呆れ声だ。
「何をやってんだよあいつらはまた…」
「この船がたとえどんな怪奇な事態に巻き込まれようとも、どんなパニックに陥ろうとも…ログポースだけは疑ってはならない。これは鉄則よ。この海では疑うべきはむしろ頭の中の常識の方…。その指針の先には、必ず島がある」
「………」

 ルフィたちと違い、こっちはまだシリアスが続いている。
 確信を持った言い方にナミは何も言えなくなり、ぶんぶんと何度か腕につけたログポースを確かめた。だが、どれだけ試しても、相も変わらず指針は何もない空を示し続ける。

 戸惑う一味を横目に、ロビンはデッキに落ちてきた棺桶の隣にそっとしゃがみこむと、蓋を開いて中身を検め始めた。船の中に転がっていたしゃれこうべを能力で近くに引き寄せ、砕けた部分を復元している。
「何してるの?」
「分析よ。私は考古学者だから」
「ふぅん…」
 少しでも情報を得ようとしているのか、それとも知的好奇心が強いのか。どちらもだろうか。真剣に繊細な手つきで作業しているロビンの横顔はどこか楽しそうにも見える。

 復元した頭蓋骨から、それが二百年以上前のものであること、年齢、死に方、出身の風習、彼が探検隊であることを割り出してみせたロビンに一味は感嘆して作業に見入っていた。
 さらには書物からその探検隊の王国や船の名前まで詳らかにしてゆくその鮮やかな手腕に、ロザリーもなんだか謎を明かすときめきに似たものを覚える。

「骨だけでそんな事まで分かるの……!?」
「遺体は話さないだけ、情報は持っているのよ」

 彼らが探検隊であったはずならかつての記録や証拠が船にはあるかもしれない。ガレオン船に視線を向けると、ほとんどが海底に消えてゆくところだった。そして船長も共に沈みゆくところだった。

「あんた達何やってんのよッ!!」

 なんとか救出されたルフィ。
 びしょ濡れのまま「やったぞ! すげぇモン見つけた!」とたった今溺れていた人間だとは思えない、前向きな輝きに満ちた瞳でワクワクと声を弾ませる。
 彼が見つけたのは空島──『スカイピア』の地図。

 今すぐにでも夢の島に飛び立とうとするルフィにナミの怒声が飛ぶが、船長は空島へ行くんだと一点張りだ。
 だが、地図が手に入ったところで最初から問題は進展していない。行き方が分からなければ、夢の島はただの夢だ。
 情報が乗っているはずの船は今や波間に消えてしまった。

「沈んだならサルベージよっ!」
「よっしゃあああ!」
「できるかァ!」
「……あの船はムリね、大きすぎる」
「何とかしてくれ〜!!」
「やりようはあるわ!」
「え!? ホントか!?」
「ええ、妙案があるの!」
 やる気に燃え始めたナミが「ウソップ!」とギラッと彼を見据えた。
「え? おれ?」

*

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