それだけが真実
05
だが、そう上手くは事は運ばなかった。「くっそ〜〜〜! 砲弾で来い!! 跳ね返してやるのに!!」
「こんな鉄の槍を船底にくらい続けたら沈むのは時間の問題だぞ!」
ルフィが悔しげに怒鳴る。海軍たちは追おうが逃げようが、決して陣列を崩すことなく、逃げる隙すら与えてはくれやしない。
ロザリーの茨の盾は数本ほどヤリを受けては朽ちて、そのたび何度も茨乙女の守護(シルト・アウロラメイデン)を繰り出したが、水と陽光の回復が間に合わず肩で息をしていた。メリー号の全てを覆い尽くすほどの盾は作れない。せいぜいが側面を覆うくらいだが、それでもロザリーにとっては十分巨大な範囲で、それほどの大きな盾を作るのはかなりのエネルギーを必要とする。
絶えず水を吸収し、食べ物を口に入れ続けていたが、海軍の攻撃は一層激しさを増すばかりで、麦わらの一味は劣勢に立たされていた。
「来たァ!」
「にゃろ!」
「……く…!」
「もう……!」
一度の砲撃でいくつも飛んでくる巨大な槍を何とか叩き落とすも、数本がまた船に突き刺さる。ロザリーは額に垂れてきた汗を乱雑に拭った。蔦の腕を伸ばしてまた浴びるように水を補給する。だが、ろ過水は有限だ。驚異的なスピードで消費しているから、そろそろ備蓄分にも手をつけなくてはならなくなってしまう。
「何とかしてよあんた達!」
「おい! もう穴塞ぎきれねェよ!?」
船底から顔を出したチョッパーが青い顔で叫んだ。何もかも後手に回り、対応がとても追いつかない。
サンジが「一度には一面を守るのがやっとなんだよ! 8隻相手じゃ手数が違いすぎる…!」ともどかしそうに汗を垂らした。
「白兵戦ならこっちに分があるってのに…!」
追い込まれた一味は焦燥感を浮かべる。
だが、相手の海軍にルフィたちの知り合い(?)がいたようで、相手の意識が逸れているうちにウソップが軍艦にズガンと砲弾を当てた。
撃った本人が誰よりも驚愕している。
「ウソップお前かァ! スゲェな!」
「よ…よォし! 計算通りだ! おれにかかりゃあんなモンああだぜ!」
「鼻ちゃんスゴいわ! やったわねい、南の陣営が崩れた! あそこを一気に突破よう!」
「どうかしら。黒檻のヒナがそう甘いとは思えない…」
「黒檻!?」
浮かれていたボン・クレーがロザリーの呟きを聞き、「ウゲッーーッ」と一気に青ざめる。
「何なんだ?」
「黒檻のヒナ! この海域をナワバリにする本部大佐!」
「知ってたよ最初ッから」
「じゃあなんで呑気にしてんのよう!? 厄介な奴が出てきたわ! サッサとトンズラぶっこくわよう!」
あたふたと部下に指示を出し、船を崩れた陣形に向けて舵を切ろうとしたが、誰も動く様子のない一味に、ボン・クレーが困惑と焦燥の入り交じる様子で尻を叩く。
早く逃げろと主張する彼にルフィが言い放った。
「行きたきゃ行けよ。おれ達はダメだ」
「ダメだってナニが!?」
「"東の港"に12時…! 約束があるの。回り込んでる時間はないわ、突っ切らなきゃ」
「ハン! ……バカバカしい! 命張るほどの宝でも港に転がってるっての!? 勝手に死にナサイ!」
「仲間を迎えに行くんだ!!」
仲間の…為……!!?
頑固な一味に匙を投げ、背中を向けたボン・クレーはビタッと立ち止まった。衝撃を受けたように目を見開いて戦慄く。
俯いていた彼はバッと顔を上げ、背中を向けたまま言った。
「……ここで逃げるはオカマに非ず!!」
彼の雰囲気が一変した。ロザリーには背中から何か…熱いものが立ち上っているようにすら思えた。ボン・クレーが己の部下に向かって鼓舞する。
「命を賭けてダチを迎えに行くダチを…見捨てておめェら、明日食うメシが美味ェかよ!!」
「……!!」
スワン号の船員がざわめいた。
ボン・クレーが振り返る。彼の顔は涙に濡れながらも煌めく笑顔が浮かんでいた。
「いいか野郎及び麦ちゃんチーム、あちしの言うことよおく聞きねい!!」
*
ボン・クレー率いるスワン号を囮にする。
彼の提案した作戦はロザリーにとって到底受け入れられるものではなかった。
「そんなこと出来っか! だってボンちゃんが…!」
すぐさまルフィやウソップ達が反対したが、彼はもう既に腹を括っていた。死にに行くことを是とする顔だ。ロザリーの顔からみるみるうちに血の気が失われていく。
揺るがないボン・クレーに麦わらの一味が説得され、彼を見送る。おそらく多くは捕まり……そして何人かは死ぬだろう。ボン・クレーも……。
青い顔でフラッとよろめいたロザリーが、隣にいたゾロにトンとぶつかった。
「あん? …なんだお前、その顔…」
「……」
無言でロザリーは船を見つめ続けた。作戦で狙った通りに、海軍たちは麦わらの一味に変装したスワン号に引き寄せられていく。
「3分……! 行くわよ、全速全進!!」
作戦は成功した。メリー号の後ろをついてくる海軍はいない。
小さくなったスワン号に槍の雨が降り注いだ。
爆炎と立ち上る黒い煙。海軍はすでに遠くなったメリー号より目の前の海賊の捕縛を優先することに決めたようだ。スワン号は今にも沈んでしまいそうな有様だった。
失われていく命たち……。
ロザリーは水面に散っていく命たちを悼んだ。
「ボンちゃん!! おれたちお前らのこと絶っっ対忘れねェがらなァ〜〜〜〜〜!!!」
号泣しながらルフィが叫ぶ。
ロザリーは…涙は出なかった。
よろよろとその場に静かに座り込む。
疲労や安堵だけではない、茫然自失しているロザリーにゾロが「オイ」と困惑して声を掛ける。彼女はしばらく言葉を失っていた。
「立ち上がれねェのか? 休むなら中に…って、そうじゃねェことは分かるがな」
ガシガシとゾロが緑頭を乱雑に掻く。
「あー、怪我でもしたのか」
「…ただ……」
静かな声でロザリーは呟いた。瞳をぎゅっと閉じる。
アラバスタで死を見すぎた。
ペルといい、ボン・クレーたちといい、その場にロザリーはいたのに。弱く、約立たずで、何も出来ないから…無力だから、だれかが犠牲にならざるを得ない。
だからロザリーはその死を決して無駄なものにしてはならないのだ。生かされてしまったから。
「また…背負う命が増えたなって…」
「そりゃどういう…」
「……何でもないわ。中に戻るわね…」
夢遊病患者のように立ち上がったロザリーに、ゾロの声が投げられる。
「何でてめェだけが背負うんだ。それを言うならおれ達全員だろうが」
「そうね……」
慰めでも励ましでもなかったが、力なく微笑む彼女に、ゾロの言葉が響いていないことは明確だった。彼女は蒼白なまま、フラフラと船の中に消えていった。
*
東の街タマリスク。
追ってきた海軍を蹴散らした麦わら一行はジッとビビが来るのを待ち、街を睨んでいた。しばらくして、どこからともなく透き通るような…声が響いた。
『──少しだけ、冒険をしました』
国中に響き渡るその声は、ロザリーたちが待つ仲間のものだ。
そう…ビビ、選んだのね。
寂しさよりも、安堵した。ビビが選んだことだ。それに…こんなに民から愛され、民を愛しているビビは、ここが居場所だと思うからだ。どこにも居場所のないロザリーは、国を取り戻したビビにこれからもずっと脅かされることなく健やかに生きていってほしいと思う。
「聞こえたろ。今のスピーチ間違いなくビビの声だ」
「アルバーナの式典の放送だぞ。もう来ねェと決めたのさ…!」
「ビビの声に似てただけだ……!」
だが、ルフィはそうねばる。約束の12時を回った。船を下りてまで探そうとするルフィだったが、またもしくこく追いかけてきた海軍たちがあらわれる。
『──そして指を指します。みろ、光があった。………歴史はやがてこれを幻と呼ぶけれど──私にはそれだけが真実』
ビビのスピーチが、静謐に続く。
「船出すぞ! 面舵!」
「諦めろルフィ…おれ達のときとは違うんだ」
船長は彼に似つかわしくない渋い顔で、ぐーーっと眉根を寄せて唇を引き結んでいる。だが反対はしなかった。船が港を離れる。諦め切れない様子で港を見つめ続けるルフィからロザリーはそっと離れ、港から目を逸らした。
別れは静かなものだ。
だが、思ってもみない呼び声がメリー声に届いた。
「みんなァ!!」
「ビビ!」
ルフィが身を乗り出す。声は拡声器を通していない。海岸の岩場に、カルーとドレスに身を包んだビビが佇んでいる。彼女は来てしまったのだ。
「ホラ来たァ!」
「船を戻そう、急げ!」
「ビビちゃん♥」
「ふふ、おてんばな王女様ね…」
まさか旅を選ぶなんて思わなかった。てっきり……。
けれどビビが選んだのなら、ロザリーは肯定する。胸の中に疼く興奮に似た何かは喜びだろうか。本気でロザリーは、ビビがこの国に残る方が良いと思っていたはずなのに…自分に言い聞かせていただけだったのかもしれない。
「お別れを! 言いに来たの!!」
強風で途切れ途切れにビビが叫んだ。耳にスッと入り込んだ言葉に、ルフィが言葉を失い、ロザリーは波打っていた心がまた凪を取り戻す心地がした。
拡声器を通して王女の声がする。
『私……一緒には行けません!! 今まで本当にありがとう!!!』
「…………」
『冒険はまだしたいけど、私はやっぱりこの国を……愛してるから!!! ──だから行けません!!』
「……そうか!」
「…それでいいのよ…」
寂しげだったルフィが、答えを聞いてニッと笑った。ロザリーも瞳を伏せながら、見守るような微笑みを浮かべていた。彼女は選んだ。諦めでも、言い聞かせているわけでもなく思う。ビビが選択は誇り高いものだ。
彼女はこの国で生きていく。
『私は…、私はここに残るけど……! いつかまた会えたら!!! もう一度仲間と呼んでくれますか!!!?』
嗚咽を堪えきれない、ビビの切実な潤んだ問い。答えようとしたルフィをナミが必死に止めた。すぐ側に海軍がいる。王女が海賊だなんて知れたら…ビビは罪人になってしまう。
彼女を想って、無言で海岸に背を向ける。
けれど、ビビに伝えたかった。答えたかった。
*
──印ならバツ印がいい!
──なんでだよ。
──海賊だろ!
──でもありゃ本来相手への"死"を意味すんだぞ。
──いいんだ、バツ印がいい。なァビビ、かっこいいもんな!?
──うん、私もそれがいい。
──なんでもいいから描けよ。
──よし……!
──仲間を少しでも怪しいと感じたら…この包帯を取って印を見せ合う。それが出来なきゃニセモノだ。
──これから何が起こっても…。
*
遠くなっていくアラバスタへ、ビビへ、カルーへ、誰からともなく左腕を掲げる。
一味は振り返らなかった。けれどビビたちもまた腕を掲げていることを、一味たちは分かっていた。
──これから何が起こっても、左腕のこれが仲間の印だ。
「出航〜〜〜!!」
船長の声が響き渡る。
ゴーイングメリー号は新たな冒険へ走り出した。